ノート:カフェー・ライオン
最新のコメント:10 年前 | 投稿者:Chuta
- ほぼ日刊イトイ新聞に、大正時代のライオンの女給さんの写真が掲載されてます。[1]これで見ても、精養軒だけに料理、酒(、コーヒー?)が中心で、女給さんはウエイトレス風という感じです。「新版大東京案内」に「夜は専らバーとなる」とあるので、PRONTみたいな形態であったのかも…? --忠太(会話) 2013年12月3日 (火) 13:31 (UTC)
- 本文に「3階建で新築され、1階が酒場、2階が余興場であった」としたのは、安藤P78「二階には余興場(…)階下は酒場」によるものです。その後に見た野口孝一『銀座物語』P278では「一階が酒場、二階が大食堂で、三階が余興場」とあり、後者が正しいかも、ですが確証がないので暫くこのままとします。 --忠太(会話) 2013年12月3日 (火) 14:22 (UTC)
- 北村重威さんは築地精養軒を始めた人ですが、カフェーライオンの開店時には既に亡くなっており、直接の関係はありません。 --忠太(会話) 2013年12月4日 (水) 16:01 (UTC)