「ドナウ・ブルガール語の碑文は、ギリシア語で書かれた同一碑文と共に見つかる例があり、スラヴ化が進む前のブルガリア第一帝国の支配者が、ギリシア語を公用語として使用していたことが分かる。」 の記載について。 碑文は、設立者の用いる言語に加え、国際的に通用度の高い言語の同文を添えるという形がしばしば行われるので、このギリシャ語がブルガール政権の公用語だったことの証拠にはならないのではないか。黒海・東地中海方面に強い影響力を持っていた、ビザンチン政権や東方キリスト教徒の存在を考えると、国際通用性の高さを以って碑文の言語に選んだのではないか?

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