ノート:ヘアドネーション

最新のコメント:30 日前 | トピック:批判・問題点について | 投稿者:Delmonta iijima

「活動を行っている日本の団体」と「脚注」の内容重複について 編集

「活動を行っている日本の団体」節には現在3団体が例示されていますが、この3つともすべて、公式サイトへのリンクが脚注になっており、本文に具体的な解説がまだ賦与されていないことから、この節の内容と脚注節の内容とがほぼ同一になってしまっています。

ここはいっそのこと各団体へのリンクを本文内に移設して、脚注を撤去してしまったほうがスッキリするように思うのですが、いかがでしょうか?わざわざ「外部リンク」節を立てるのもちょっと違うような気がしますし。

ちなみに、国内の有名どころは現状この3つとあともう1箇所(ぐんま国際アカデミーの「女子高生ヘアドネーション同好会」さん)くらいだと思うので、必要であればこれから解説の文案を少し練ってみてもいいです。それとも、情報劣化のリスクがあるのでそういうことは避けたほうがいいでしょうか?現在でも「これは網羅的な一覧ではない」と釘を刺してありますし。

--Delmonta_Iijima会話2020年1月5日 (日) 05:25 (UTC)返信

「参加したことのある人物」節について 編集

この節の取り扱いについて、分量を大幅に削減する方向でご意見をいただきたく思います。個人的には節全体の削除が理想と考えますが、「そういう節を立てるな」という告知を残しておく必要もあると考えています。

現在この節では、誰か一人の名前を追記するための記事更新が目立っています。これには、少なくとも次のような問題点があるように思います:

  • 参加した「ことのある」人物、というお題なので、内容が今後、無制限に増えていく危険性があります。
  • ほとんどの場合、出典が示されていません。情報源の検証可能性についても、スポーツ新聞の記事などで確認できれば万々歳なほうで、現在掲載されている人物の中には、テレビの報道番組等でたった一回取り上げられたきりで再放送の予定は当面なし、あるいはクローズドなイベントで本人または関係者から明かされたけれどイベント内容の公刊予定なし(たとえば歌手ならコンサートのDVD等の発売予定なし)、というものが多数含まれているものと予想します。
  • この節の存在自体が、このままではヘアドネーション運動の広告・宣伝的な色彩を帯びてしまいます。このようなコンテンツは百科事典たるWikipediaではなく、それぞれの人物から寄付を受け入れた団体のWebサイト等を主たる公開場所とすべきです。
    • もちろん、それぞれの人物の記事においてヘアドネーション参加の事実に触れるのは全く問題ないと考えますが、強いてそういった人物の一覧表を作るとすれば、「ヘアドネーションに参加したことのある日本国内の人物」といったカテゴリを立てるのが本筋でしょう。

以上について、「具体的にどうやってローカルルールを告知するか」も含めてご意見をいただければ幸いです。

--Delmonta_Iijima会話2020年1月5日 (日) 05:25 (UTC)返信

当事者以外の、独立した情報源がないもの(現時点では全て)は除去でいいのではないでしょうか。独立した情報源があるというのもまだ不足かもしれませんが、それ以上の追加の条件はまた別途考えるとして。尚、これは記事が存在してよいかどうかとほぼ同じです(独立記事作成の目安)。 --2001:268:C083:77E0:252B:66F5:32A3:A3B 2020年11月12日 (木) 08:19 (UTC)返信
除去しました。--2001:268:C083:1C39:D9DE:55EB:F4ED:324F 2021年2月28日 (日) 06:57 (UTC)返信

批判・問題点について 編集

修正していただきありがとうございます。渡辺氏の意見詳細を追記した者です。反応していただけてほっとしています。

私自身、まさにジャーダックに寄付しようと5年かけて髪を伸ばしていたところに、このウィキペディアのページからリンク先の渡辺氏のインタビュー記事を読んでしまい、大変にショックを受け記事を追記しました。

ジャーダックの渡辺氏は、日本でヘアドネーションを始め広めた人物、最大手の受け入れ先の代表者、実際にウィッグの申込者と触れ合っている人物、ということで、一つの見解、一つの問題提起などでは済まされない、要するにそれが「事実」であり、ウィッグの申込者と実際に触れ合う事がない我々は、ヘアドネーションというものは、ウィッグ申込者を傷つける行為、善意のマウンティング、無意識の差別行為であるということを、事実として受け入れなければならないと思います。

称賛する声というのは当事者ではない外野の声であり、善意の活動との表記は、誤った認識をさらに広めてしまうおそれがあるので削除、もしくは「抗がん剤の副作用のため、アメリカで活動が始まった当初は」などを追記するなど、事実寄りの記事にした方が良いかと思います。

いかがでしょうか?私自身、受け入れ難い事実だけれど誤った認識を持ってはいけない事だと悩んでおりますので、意見をお願いしたいです。--240F:113:9037:1:FCBB:5D8:E674:7631 2024年3月20日 (水) 05:56 (UTC)返信

大変申し訳ありませんが、学生さん達の春休み中ということもあり、誤った認識をこれ以上広めないためにも、一旦以前の記事に近い状態に戻させていただきました。これから議論し一番良い形に修正していけたらと思っています。
今回はウィキペディアの、記事の『正確性』の観点から一旦戻させていただきました。ジャーダックは、日本でヘアドネーションを始め広めた団体であり「ヘアドネ 意味ない」「こんな活動なくしたい」と活動していることは事実ですので、ジャーダック代表のインタビュー『自体』を、中立性の観点から記事にすることは少し不正確で、ヘアドネーションを美談にしてきたマスコミと同じことになってしまっていないかなと一旦記事を戻させていただきました。『中立性』という観点では、ジャーダック以外の『当事者の意見』が必要ではないかなと思います。当事者の「ウィッグを本当に望んで喜んでつけている」といった意見が『対』となるのではないでしょうか。
また、この『当事者』ですがそれには、寄付する我々、マスコミ、ウィッグ販売会社は含むことができないと思います。寄付する我々からは、ウィッグを受け取った側の『実情』は見えませんし、そこから更に本音を聞くことなど到底できません。マスコミは、「単なる美談として報じる」と記事にあります。ウィッグ販売会社によるヘアドネーションは、穿った見方をすれば、マクドナルドのハッピーセット商法と同じで、子供のうちからウィッグをつけさせれば大人になってからも顧客になってくれるというメリットが存在します。ウィッグ自体も2~3年しか保たないそうですから、一度無料でつけさせてしまえば、子供時代でも買い替えやスペアのために顧客になってくれるかもしれません。
ですので、ヘアドネーションの真の当事者が差別を感じているのであればそれは差別行為であって、善意の活動との表記は誤解を招く恐れがあると思い、そちらも一旦記事を戻させていただきました。また「批判」という文言は、どちらかというと当事者外からのニュアンスが大きいのではないかなと思いましたので、そちらは「ヘアドネーションの問題点」とさせていただきました。
私は、ヘアドネーションが2020年代、正確には記事の出た2022年以降でしょうか、現代社会においては差別行為となってしまったことは、はっきりと記事にした方が良いと思います。活動自体も、時代に合わせて辞められた方が良いと思います。ヘアドネーションによって、誰も得していないどころか、全員が不幸になってしまっているからです。
まず、ウィッグを受ける取る側ですが、無意識の差別以前に、ヘアドネーションの問題点は『子供にウィッグをつけさせる』ということも大きいと思います。渡辺氏のインタビュー記事にあるように、子供は望んでいないのに親がつけさせるという事態はもちろんのこと、「子供がウィッグをつけるデメリット」として追記させていただきましたが、ウィッグというものは頭皮環境に非常に悪く、大人でも逆に薄毛を進行させてしまうほどだそうです。それを活発で自由な子供に、屋外でも室内でも、夏でも冬でも被せ、学校という集団生活の中、外れてバレるんじゃないかという不安を常に抱えさせることは、子供の多大なストレスとなってしまうのではないでしょうか。思いっきり遊ぶ友達を見て更なるストレスを抱えることもあると思います。ウィッグという物自体が、そもそも子供に合っていない物、日常的に使う物ではないのではないでしょうか。
次に、ヘアドネーション運営団体です。こちらはそんな、現在の技術では日常的に使う物ではない、学校生活を送らなければならない子供にとって、多大なストレスとなるウィッグを、子供に直接提供しています。髪の無い子供達と長く深く、真剣に向き合ったからこそ「望んでつけてるわけじゃない」「負けたような気持ちになる」と本音を話してくれたのだと思います。しかし、非営利、ボランティアで行っていて、そんな本音を聞いてしまえば大人でも大変に傷ついてしまうと思います。ジャーダックのように「やりがいも見出せない、解散したい」となるのは当然のことだと思います。
最後に寄付をする我々側です。今現在はウィッグを使う必要に迫られていない我々は、そんな実情に考えを及ばすことができず、寄付をするために、少しでも長い髪を送るために、ひたすら髪を伸ばします。暑い日も寒い日も、大量のお湯シャンプートリートメントできれいに洗髪してドライヤーで電気代を使い一生懸命乾かし、髪の毛が絡まりまくったり自分で踏んだり踏まれたりすることもありますよね。そうして寄付をする人の中に、誰が髪の無い人を見て嘲笑ったりする人がいるでしょうか。それでも結果的に善意のマウンティング、無意識の差別を行い、髪の無い人達を傷つけてしまいます。
以上のことから、今現在ヘアドネーションによって、全員が不幸になってしまっていると思います。
「私にはあなたの髪を生やしてあげることは『できない』、けれど、髪を分けてあげること『なら』できるよ。」1970年代、そういった善意からヘアドネーションというものは広まっていったのではないかと思います。しかし時代が進み、多様性を認めることが重要となった2020年代からはヘアドネーションではなく「私にはあなたの髪を生やしてあげることは『できない』、だから、髪が無いあなたも髪がある人と『同じ様に』接するよ。」これだけで良いのではないかなと思います。
その他、渡辺氏のインタビュー記事を読み大変にショックを受け、自分なりに調べ考え出したヘアドネーションについての結論や、現代社会において、なぜヘアドネーションが差別となってしまうかについても自分なりに結論が出せましたので、そういったことも議論をすることができます。引き続きご意見をお待ちしております。--240F:113:9037:1:CCE7:BE99:60D:695C 2024年3月25日 (月) 09:41 (UTC)返信
すみません、差し戻させていただきました。
二度目の修正で「代表の渡辺貴一は」を「代表の渡辺貴一は」と修正されていますので、失礼ながらWikipediaの慣習全般に疎い方なのかとお見受けします。
Wikipediaの"本文"では学術論文同様、誰であっても人の名前には敬称をつけないのが大原則です。たとえば皇族方の記事を見ても、「◯◯親王」のように肩書を書くことはあっても、「~さま」「~殿下」といった表現は引用文の転記以外では一切使っていません。
逆に、ノートの内容は参加者個々人の署名記事ですので、敬称をつけるかどうかは個々人の自由であると認識しています。
以下順番に。
  • 『中立性』という観点では、ジャーダック以外の『当事者の意見』が必要ではないかなと思います。当事者の「ウィッグを本当に望んで喜んでつけている」といった意見が『対』となるのではないでしょうか。
これはおっしゃる通りです。Hair for Childrenさんへのインタビューにそういうエピソードがあったはずですので、何とか時間を見つけて追記しようと思います。
次に「"事実"とは何か」ですが、
  • ジャーダックの渡辺氏は…ということで、一つの見解、一つの問題提起などでは済まされない、要するにそれが"事実"であり
このインタビューの内容は、どこまでいっても結局、渡辺氏の「個人的見解」に過ぎないと考えます。客観的事実と言い切れないのみならず(上述の「Hair for Childrenさんへのインタビュー」が明確な反例になっています)、ジャーダック関係者全員の統一見解であるという証拠すらありません。
Wikipedia公式の見解としては、Wikipedia:中立的な観点に例題として挙げられている「たとえば、記事中で"大量虐殺は悪行である"と記述してはいけません」の意味するところをまずはしっかりご理解ください。もしこの指摘を「理解できない」あるいは「理不尽である」「社会正義に反する」と判断されるのであれば、誠に不本意ながら、そして不躾な主張でもありますが、本件記事の「本文の」編集を全面的にご遠慮いただく以外にありません。ノートでの情報提供や批判などは引き続き歓迎いたしますが。
  • ですので、ヘアドネーションの真の当事者が差別を感じているのであればそれは差別行為であって
レシピエントの意向を最優先にすべきだ、という点については私も同意見です。
一方で、Wikipediaの役割は「事実をありのままに記述すること」が第一であり、「Wikipediaの名義を使って、社会変革のための広報宣伝活動を行うこと」は明確に禁止されています。「誤った認識」といった表現もされていますが、「これが"誤った"認識、これが"正しい"認識」といったレッテル貼りも同様です。
我々にできること、我々がすべきことは、「◯◯という広報宣伝活動が行われている」「◯◯という規範が提案されており、現状は◯◯の点でそれと整合していない」という「事実」をありのままに記載することです。その上で、最終判断は個々の読者に任せるしかありません。
  • ジャーダックの渡辺氏は、…実際にウィッグの申込者と触れ合っている人物
  • 称賛する声というのは当事者ではない外野の声
この点は、そもそも渡辺氏個人が「日本中の古今東西のレシピエントさん全員」と平等に触れ合っているわけではないという点に注意が必要です。これも Hair forChildren さんの記事が反例になるはずです。
  • 子供は望んでいないのに親がつけさせるという事態
この点は指摘してもいいかもしれません。渡辺氏の記事をもう少し、読み返してみようと思います。
  • 子供がウィッグをつけるデメリット
そういう情報自体は確かに価値があると思います。ただし、できれば専門医の解説なり、あるいは学会の公式見解なりを確認して正確な情報を掲載したいところです。
今回、この部分は残してもよかったのですが、他の修正と一緒に差し戻す関係上、巻き添えでこの部分も消えてしまいました。私個人としては積極的に再追記しようとは思わないのですが、もし「早めに再追記したほうがよい」という意見が多ければ、いくつかテンプレートをつけた上で暫定的に再追記しても差し支えないと思います。
最後にこの点。
  • しかし時代が進み、多様性を認めることが重要となった2020年代からはヘアドネーションではなく「…髪が無いあなたも髪がある人と『同じ様に』接するよ。」これだけで良いのではないかなと思います。
確かにそれが本筋だとは思いますが、その通りに行くかどうかは、関係者それぞれの精神的成熟度に大きく依存します。たとえば、小さな子供はこの件に限らず「自分だけ、他の人とは違う」という状況全般を嫌う傾向があるようですので、大人側が「その状況に耐えろ」と無理強いすることは、小さな子供に対する精神的虐待にもなりえます。
あるいは、「同じように接するよ」という思想そのものを受け入れない人も、残念ながら少なくありません。小さな子供の周りにいる同年代の子供もそうですし、大人になっても「姑からの嫁いびり」の材料として使われる可能性があります。
私からは取り急ぎ以上です。逆に、私のほうから「批判・問題点」に追記したいトピックも1つだけありますので、そちらの準備も含めて、もう少しお時間をいただければと思います。--Delmonta iijima会話2024年3月26日 (火) 03:33 (UTC)返信
すみません、2点ほど追記です。
まず、Wikipedia:合意形成によると、合意形成の目安は7日間とされています。あくまで目安ではありますが、拙速な変更はなるべく避けていただけると助かります。
それと、上の投稿で指摘し忘れたのですが、「多様性を認めることが重要となった2020年代」という考え方自体も現時点では「一つの立場」にすぎません。「多様性を認めない、という主張を認めない」という主張はそれ自体が論理的自己矛盾である、ということにも注意が必要です。--Delmonta iijima会話2024年3月26日 (火) 03:49 (UTC)返信
さらなる差し戻しをさせてしまい大変申し訳ございません。おっしゃいます通り私はウィキペディア初心者です。お手を煩わせてしまい本当に申し訳ございません。ノートの文言には気をつけたつもりでしたが不快に思わせてしまいましたら重ねて深くお詫び申し上げます。大変に申し訳ございませんでした。
渡辺氏のインタビュー記事を読み、重く受け止めてしまい大変にショックを受けて、右も左もわからないまま編集をしてしまいました。大変申し訳ありません。感情的になってしまっていたと思います。それほどまでにショックでしたので、渡辺氏の見解を個人的見解とすることに大賛成です。「生まれてから伸ばし続けてきた髪をヘアドネーションした少女」といったニュースを観ると心が痛んでしまいます。
今回のことは、ウィキペディアの記事を汚してしまったと深く反省しております。記事も以前の状態に戻させていただきました。もう二度とこのようなことがないようにします。編集もこれ以上いたしませんのでご安心ください。大変申し訳ございませんでした。--240F:113:9037:1:D5E5:B36A:F5AC:CE86 2024年3月26日 (火) 06:56 (UTC)返信
すみません、「取消の取消」をさせていただきました。
この業界に色々と論点があるのは事実ですし、今回の渡辺氏の記事もその核心の一つですので、今回はインタビュー内容の紹介をそのまま残そうと思います。その上でさらに別の事例報告などを足して、色々修正しようと思います。
その内容をご確認いただいて、それでもし何かありましたら、「いきなり本文に手を入れるのではなく、まずノートで問題提起していただいて、他の参加者の意見を待つ」という手順を踏んで頂ければ幸いです。--Delmonta iijima会話2024年3月26日 (火) 08:30 (UTC)返信

インデント戻します。

「それほどまでにショックでしたので」という点、心中お察しします。

現時点での私の予定としては、Hair for Children さんへのインタビュー記事“「髪の毛を寄付して、小児がんの子供を笑顔に」女子高生ヘアドネーション同好会を立ち上げた姉妹の想い” の内容を何とか本文中に織り込んで、「レシピエントさんの間でも、年齢や境遇、社会経験などによって温度差が大きい」という主旨で総括できないかな、と考えています。

この記事については、既に「乗り掛かった舟」でもありますし、これから私のほうでできる限りのことをさせていただく予定です。少しお時間をいただくかもしれませんが、まずはそれを見守っていただければ幸いです。

なお、誤字脱字やリンク切れなど、明らかにミスだろうと思われる点がありましたら、その時は「まずはノートのほうで」ご遠慮なくご指摘ください。--Delmonta iijima会話2024年3月26日 (火) 09:12 (UTC)返信

今後についての暫定ブックマークです。記事本体への小刻みな連投を避けるため(cf. Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らす)、いったん私の個人スペースに集約しておきます。
--Delmonta iijima会話2024年3月26日 (火) 23:35 (UTC)返信
ページ「ヘアドネーション」に戻る。