ノート:メンフィス (エジプト)

最新のコメント:6 年前 | トピック:査読依頼 | 投稿者:TEN

査読依頼 編集

この記事についての査読がリンク先で行われました。 Wikipedia:査読依頼/メンフィス (エジプト) 20170505--TEN会話2017年6月13日 (火) 14:00 (UTC)返信

査読依頼の続き 編集

まずは長大な記事を最後まで訳されたことに敬意を表したいと思います。Wikipedia:査読依頼/メンフィス (エジプト) 20170505にコメントするつもりだったのですが、うかうかしているうちに期限が切れてしまいましたので、こちらで書かせていただこうと思います。題材については門外漢ですが、原文と対照して読んでみました。「【書評】 ──専門外の方による評価および助言。」にあたります。

全体について 編集

全体に直訳調で、読みやすいとは言えません。読み返して意味が取りづらい部分は、大胆に訳文を作り直してはどうかと思います。特に気になった点を挙げます。

(1) 定冠詞のついた名詞「the ○○ is ... 」を単に「○○は...」と訳している部分が多いです。原文では特定の対象について書いているのに、日本語では一般論のような印象を受けてしまいます。例えば、「それは19世紀後半の神殿複合体の遺跡の中でのセクメト女神の別名を思い起こさせる名前がある「大扉」(great door)や」で始まる文があります。「神殿複合体 the complex」は原文ではthe Hout-ka-Ptahを指していると思いますが、訳文でそれを読み取るのは困難です。定冠詞がついた名詞はすべて、何を指しているか明示するつもりでいた方がいいと思います。

(2) どの修飾語がどこにかかっているのか判別しづらいことがあります。例を挙げます。

原文: 「Diplomatic records found on different sites have detailed the correspondence between the city and the various contemporary empires in the Mediterranean, Near :East, and Africa.」
訳文: 「各地にある外交的記録は地中海、中東、アフリカにある都市と同時期の様々な帝国との通信を詳らかにしている。」

『「地中海、中東、アフリカにある」かつ「都市と同時期の」かつ「様々な」帝国』との通信、という意味だと思うのですが、『「地中海、中東、アフリカにある都市」と「同時代の様々な帝国」との通信』のようにも読めてしまいます。付け加えると、「都市 the city」はメンフィスを指すはずですが、訳文では一般名詞のように書かれています。

適当に読点で区切ったり、形容詞を動詞的に訳してみたり、語順を工夫してみてはいかがでしょうか。「正確に訳す」ということは、原文の構文や品詞をそのまま保つことではなく、誤読の可能性がゼロになるようにその意味を伝えることだと思います。

拙訳では「各地で発見された外交記録は、同時代に地中海、中東、アフリカにあった様々な帝国とメンフィスがどのような通信を交わしていたかを詳らかにしている」となります。気を付けたことは以下のとおりです。

  • 二つの「にある」は表している内容が異なるので同じ言葉を当てない(この文では、原文通りに訳せば別の言葉になります)
  • the cityはストレートに「メンフィス」とすると誤解がない
  • 「帝国」にかかる修飾語が多くて煩わしいので、contemporaryは形容詞から副詞に変えてほかの語にかける
  • 「通信を詳らかにする」のままだと硬い(気がする)ので、なるべく言葉を足して平易にした方が読みやすい(気がする)

(3) 無生物主語など、英語特有の言い回しがある場合、原文の構文を無視して日本語的に書く方がいいと私は思います。以下は例です。

訳文: 「過去1世紀にわたり続けられてきた考古学の探求は、徐々に神殿の遺跡を掘り起こし、南、西、東の壁に沿って建つ複数の記念碑的な門を通って入ることができる巨大な壁の複合体を明らかにした。」

無生物主語は「~により、~のために、~が理由で」と書き変えると日本語っぽくなります。「探究」も名詞のままにしておく必要もないので「過去1世紀にわたり考古学的な探究が続けられてきたことで、~の遺跡の発掘が進み、~の存在が明らかになった」としてどうでしょうか。

(4) 恥ずかしながら、常用漢字外の漢字で読めないものがありました。個人的感想ですが、以下を漢字で表すのは一般的ではないように思います。

齎した(もたらした)
聳えていた(そびえていた)

wikipedia:表記ガイドでは「常用漢字表以外の音訓については、積極的に読み仮名を付けます。」とあるので、一考していただければと思います。

伝説的な歴史 編集

(5) Egyptologists have also identified the legendary Menes with the historical Narmer, who is represented in the Palette of Narmer conquering the Nile delta in Lower Egypt and establishing himself as pharaoh. また、多くのエジプト学者達は伝説的なメネス王を歴史上実在の確認されているナルメルと同一人物であると考えていた。彼はナルメルのパレットの中で下エジプトのナイルデルタ征服し、自身を王とした姿が描かれている。
原文ではwhoが直前のNarmerを指すのは明確ですが、訳文で「彼」が誰のことなのか戸惑います。「彼は○○の中で××した姿が描かれている」という構文も難解です。『○○の中で××した』のかと思います。修飾語と被修飾語をなるべくひっつけて「彼については××したことが○○に描かれている」の方がまだいいと思います。
(6) This palette has been dated to ca. 31st century BC, and would thus correlate with the story of Egypt's unification by Menes. このパレットは紀元前31世紀頃の物であり、これはメネスによるエジプト統一の物語と関連するであろう。
  • この部分も現在では否定されているということを明示すべきです。wouldには「もしメネス=ナルメルの推論が正しかったとすれば」という仮定法の意味合いがあると思います。
  • thusが訳文に反映されていないように見えます。
  • 「関連するであろう」の関連性の内容が不明瞭です。

例えば「このパレットは紀元前31世紀頃の物であり、したがって描かれている内容はメネスによるエジプト統一を指すものと考えられた」ではどうでしょうか。

(7) This shrine is also cited in the annals preserved on the Palermo Stone, and beginning from the reign of Menkaura, we know the names of the high priests of Memphis that seem to work in pairs at least until the reign of Teti. この神殿はパレルモ石に記録された年代記の中でも言及されている。メンカウラー王の治世から少なくてもテティ(英語版)王の治世まで、王と対応するメンフィスのプタハ大司祭(英語版)の名前が判明している。
「(王と)対応する」に対応する原文の語句は「work in pairs」ですね。これは「ペアとして活動する」くらいの意味だと思いますが、司祭と王がペア扱いされるような制度はあったのでしょうか。むしろ、en:High Priest of Ptahによればプタハの高僧はある時期まで常に二人存在したということですが、それを指しているように思います。

中王国 編集

(8) また、この時期にメンフィスが建築的な中心であったことを証明する痕跡も見つかっている。
「建築的な中心」の意味が分かりづらいです。大規模な建設事業が行われていたということなのか、高度な建築文化があったのか。難しいとは思いますが、具体的に書けないものでしょうか。
(9) A large granite offering table on behalf of Amenemhat I mentioned the erection by the king of a shrine to the god Ptah, master of Truth. アメンエムハト1世の切り出し場の巨大な花崗岩には、王による「真実の主プタハのための神殿」建設に使用するものであることが刻まれている。
別の文献に拠って訳されたのかもしれませんが、原文とずいぶん異なるようです。offering table は供犠台とか供物台と訳せるように思います。また、「~に使用するものであることが」にあたる言葉が原文にありません。

新王国 編集

(10) Merneptah (r. 1213–1203 BC), his successor, constructed a palace and developed the southeast wall of the temple of Ptah.

彼の後継者メルエンプタハ(在位:紀元前1213年-紀元前1203年)は彼の宮殿を建設し、プタハ神殿の南東の壁を強化した。

一文に「彼の」が二つあって、それぞれ別の人物を指すのは誤解を招きます。「彼の」という言葉自体が日本語的ではないので言い換えたいところです。「ラムセス2世の後継者メルエンプタハ(在位:紀元前1213年-紀元前1203年)は宮殿を建設し、プタハ神殿の南東の壁を強化した」でいいと思います。
(11) According to inscriptions describing his architectural work, 彼の建築作品に残された碑文によると
直訳では「彼の建築事業に関する碑文の記述によると」だと思います。
(12) A necropolis for the high priests of Memphis dating precisely from the 22nd dynasty has been found west of the forum. 第22王朝の時代から作られた、日付まで正確に記録されたメンフィスの大司祭達のネクロポリスが広場の西に見つかっている。
ここでは"dating (precisely) from the 22nd dynasty"が一括りでしょう。"dating precisely"までが一括りでnecropolisにかかっていると解釈したのだと思いますが、私の辞書では自動詞「date」単独で「日付をつける」という意味はないようです。それよりも「date from...」で「…に始まる」という意味が大きく載っています

末期王朝時代 編集

(13) Under Taharqa, the city formed the frontier base of the resistance, which soon crumbled as the Kushite king was driven back into Nubia. タハルカ王の下、この都市は抵抗運動の前線基地となったが、クシュ人の王がヌビアへ追いやられるとすぐに瓦解した。
「タハルカ王 Taharqa = クシュ人の王the Kushite king」ということが訳文から読み取れません。ここでも原文の定冠詞が重要な役割を果たしています。
(14) In Memphis, a powerful new wall was rebuilt for the Temple of Ptah, and developments were made to temples and chapels inside the complex. メンフィスではプタハ神殿に力強い新たな外壁が再建され、神殿複合体の中には神殿と礼拝堂が建設された。
ここでもthe complexがどの神殿複合体のことなのか明示すべきです。普通に読めばメンフィスのプタハ神殿のことですので「プタハ神殿に力強い新たな外壁が再建され、その内部には神殿と礼拝堂が建設された」でいいと思います。the complexと言い換えているのは、単に同じ語の繰り返しを避けただけで、その語自体に意味を持たせているわけではないでしょう。
(15) A brief liberation of the city under the rebel-king Khababash (338 to 335 BCE) is evinced by an Apis bull sarcophagus bearing his name, which was discovered at Saqqara dating from his second year. 反逆王カババシュ(在位:紀元前338年-紀元前335年)の下でメンフィスは束の間の間解放された。彼はサッカラで発見された治世第2年の彼の名前を伴う聖牛アピスの石棺によって存在が証明されている。
「is evinced」の主語は「A brief liberation」ですから、証明されているのは「つかの間の解放」です。

プトレマイオス朝時代 編集

(16) It was Ptolemy I who first introduced the cult of Serapis in Egypt, establishing his cult in Saqqara. プトレマイオス1世はエジプトに、特にメンフィスに初めてセラピス信仰を導入した。
「特にメンフィスに初めて」にあたる部分が原文に見つかりません。この訳文では「メンフィスに初めて入ってきた」ことを強調しているように読めますが、原文の意図は「セラピス信仰普及の手始めがサッカラだった」と言いたいのだと思います。

「プトレマイオス1世はサッカラにセラピスの教団を設立したが、セラピス信仰がエジプトに伝えられたのはこれが初めてのことだった。」という感じではないかと思います。

(17) 紀元前216年と紀元前196年にそれぞれプトレマイオス4世とプトレマイオス5世によってメンフィス決議(英語版)が発行された。
決議は発布するものではないでしょうか。Google検索では、"決議を発行"が5件、"決議を発布"は9900件です。
(18) 王国の主要な聖職者からなる代表者は教会会議(synod)を招集し、
代表者たちは招集される側だと思います。 「王国の主要な聖職者からなる代表者が集まって教会会議(synod)を開き、」
(19) (gathered in synod) to establish the religious policy of the country for years to come, also dictating fees and taxes, creating new foundations, and paying tribute to the Ptolemaic rulers. 国の宗教政策を確立する。また手数料や税金を記録して新たな財政基盤を構築する。そしてプトレマイオス朝の支配者に貢物を行う。
dictateを「記録する」と解釈するのがおかしい気がします。英英辞典では「1 権威者として発言/命令する、2 口述する(口述筆記させる)」とあります。記録するというより、指図するとか采配するという意味の方が強いのではないでしょうか。
(20) the genealogy of the higher clergy of Memphis, a dynasty of high priests of Ptah. メンフィスのプタハ大司祭の家系である上級聖職者の系譜
「プタハ大司祭の家系」と「メンフィスの上級聖職者の系譜」(原文では「メンフィスの」はこちらに付いている)の関係が良くわかりません。少なくともdynastyは単なる家系の意味ではないでしょう。

背景知識がないので正確に表現できないのですが、たとえば「代々のプタハ大司祭を輩出してきたメンフィスの上級聖職者階級の系譜」あるいは「プタハ大司祭を頂点とするメンフィスの上級聖職者階級の系譜」というようなことを言いたいのではないかと思います。 正確にわからない以上、余計な解釈を交えず「プタハ大司祭の王朝とも言うべきメンフィスの上級聖職者の系譜」とすればいいのでしょうか。

衰退と放棄 編集

(21) The rise of the cult of Serapis, a syncretic deity most suited to the mentality of the new rulers of Egypt, and the emergence of Christianity taking root deep into the country, spelled the complete ruin of the ancient cults of Memphis. エジプトの新たな支配者達のメンタリティーに適合した習合神セラピス信仰は盛り上がったが、キリスト教が出現しエジプトに深く根付くようになるとメンフィスの古代からの宗教は衰亡への一途を辿った。
原文ではセラピス信仰も古代宗教が衰亡した一因とされているようです。
(22) Enormous as are the extent and antiquity of this city, [1]in spite of the frequent change of governments whose yoke it has borne, and the great pains more than one nation has been at to destroy it, to sweep its last trace from the face of the earth, to carry away the stones and materials of which it was constructed, to mutilate the statues which adorned it; [2]in spite, finally, of all that more than four thousand years have done in addition to man, these ruins still offer to the eye of the beholder a mass of marvels which bewilder the senses and which the most skillful pens must fail to describe. この都市は非常に巨大でまた極めて古い。[1]この都市には頻繁に交代する政府と複数の国家による悪意の軛が課せられている。(略)[2]遂に人類が4000年以上も成してきた全ての悪意にある中で(略)
[1]「悪意」にあたるのはspiteでしょうか。「in spite of」は単に「~にもかかわらず」という成句だと思います。この引用文はフランス語の出典を現代英語に訳したものだと思うのですが、現代の用法で「in spite of」を「~の悪意のもとで」と解釈するにはそれなりの理由が必要でしょう。仮にそう解釈したとしても、原文を直訳すると「『頻繁な政府の交替』の悪意の下で」としかならず、さらに無理な解釈を重ねなければならなくなります。

[2] 「人類が4000年以上も~した」ではなく「人の仕業だけではなく、4000年以上という時の経過にさえ耐えてきた」というようなことだと思います。

この長いセンテンスが全体としてどういう構文なのか考えてみると、文頭の「Enormous as are the extent and antiquity of this city,」はおそらく倒置文でしょうから、基本的に 「As the extent and antiquity of this city are enormous, these ruins still offer...」 で、間に長い「にもかかわらず」が挟まったのでしょう。

原文の長々しさをそのままに訳文を作ってみました。 「広大な市域と悠久の歴史を持つメンフィスは、現れては去る数多くの施政者から軛を負わされてきたにもかかわらず、また一つならぬ国家がこの都市を破壊し、地上からその痕跡を一掃し、その柱石を奪い去り、それを飾ってきた彫像を毀損しようとあらゆる手を尽くしたにもかかわらず、そして人の仕業のみならず4000年以上の時の経過を受けながらも、その遺跡は依然として見る者の目に、賢人をして惑わしめ、最も熟練した筆録者をして筆致の及ぶところにない驚嘆を与える。」

(23) Although the remains today are nothing compared to what was witnessed by the Arab historian, his testimony has inspired the work of many archaeologists. だが、今日残っている遺構はアラブの歴史家が目撃したものと比べ何もない。それでも彼の証言は多くの考古学者の仕事に影響を与えている。
ちょっとぎこちないので、文字通り「何も残っていない」と読まれないように「~と比べてはるかに見劣りするが」とか「無に等しいが」のような表現にしてはどうでしょうか。また、ここでも「アラブの歴史家」という一般名詞がアル=バグダーディーその人だということを明示するべきだと思います。

「遺構」節以降については、また後日書かせていただきたいと思います。--Deer hunter会話2017年6月7日 (水) 14:12 (UTC)返信

遺構 編集

(24) An indicator of this development can be found in a chapel of Seti I dedicated to the worship of Ptah. この発展の痕跡は、プタハ神殿に捧げられたセティ1世の礼拝堂に見ることができる。 
辞書によればworshipは崇拝の場所(神殿)ではなく崇拝それ自体を指すようです。次の節の訳文と同じ訳し方で「プタハを祀るセティ1世の礼拝堂」とした方が原文に近いと思います。

プタハ大神殿 編集

(25) Herodotus claimed that the temple had been founded by Menes himself, and that the core building of the complex was restricted to priests and kings. 彼はこの都市がメネス(ミン)によって建設されたと主張している。
原文では、主張されているのは「この都市」ではなく「the temple = フウト・カ・プタハ」です。出典は確認しておりませんが。
(26) This pharaoh also built at least three shrines within the temple compound, where worship is associated with those deities to whom they were dedicated. このファラオは少なくても彼等が崇拝した神々に関連する三つの社を神殿の境内に建てた。
「彼等が崇拝した神々」にあたる原文は「deities to whom they were dedicated」でしょうか。直訳すれば「それら (they) が捧げられた神々」だと思います。神々に対して捧げられたのは、文脈からおそらくgiant statuesのことでしょう(神々に捧げられたのは他にもshrinesが考えられますが、「その社で崇拝されていたのは、その社が捧げられた神々だった」とわざわざ書くのはおかしい気がします)。
拙訳「このファラオはフウト・カ・プタハの神殿複合体に少なくとも三つの社を建立したが、そこで崇拝されていたのは、いずれもこれらの巨像が捧げられた神々であった。」

つまり、発見された巨像とラムセス2世との間に関係がありそうだ、と言いたいのだと思います。

ラムセス2世のプタハ神殿  編集

(27) This small temple, adjoining the southwest corner of the larger Temple of Ptah, was dedicated to the deified Rameses II, along with the three state gods: Horus, Ptah and Amun. プタハ大神殿の南西角に隣接して建設されたこの小さな神殿は三柱の国家神、ホルス、プタハ、アメンと共に神格化されたラムセス2世に捧げられた。
共に神格化されたのか、共に捧げられたのか、訳文では判別しづらいです。原文では「共に捧げられた」です。

メルエンプタハのプタハ神殿 編集

(28) the remainder of the chamber has yet to be explored a little further north. 残余の空間は北側の僅かしか発掘されていない。
the remainder of the chamber has to be exploredがyet(今でも)だと言っているので、「部屋 (chamber) の残りの部分は今なお北側で発掘を待っている」というようなことだと思います。また、この文に続く部分が未訳です。

ハトホル神殿 編集

(29) Dedicated to the goddess Hathor, Lady of the Sycamore, it presents an architecture similar to the small temple-shrines known especially to Karnak. シカモア(Sycamore)の婦人ハトホル女神に捧げられ、特にカルナックの小さな神殿建築と同様の姿を見せている。
訳文では「特に」が「同様の姿を見せている」にかかっているようですが、原文では「known especially to Karnak」です。「主にカルナックで見られる~」とか、「カルナック特有の様式」ということだと思います。

セクメト神殿 編集

(30) Archaeologists are still searching for remains. 考古学者はまだその遺構を調査していない。
原文では「現在でもその遺構を探し求めている」です(ここでは原文にこだわる理由もなさそうですが)。
(31) It may be located within the precinct of the Hout-ka-Ptah, as would seem to suggest several discoveries made among the ruins of the complex in the late 19th century, including a block of stone evoking the "great door" with the epithet of the goddess,[43] and a column bearing an inscription on behalf of Rameses II declaring him "beloved of Sekhmet". それは19世紀後半の神殿複合体の遺跡の中でのセクメト女神の別名を思い起こさせる名前がある「大扉」(great door)や、ラムセス2世を「セクメトに愛される者」と宣言する碑文等の発見が示唆するようにフウト・カ・プタハの区域内に存在しているかもしれない。
(1) で書いたように、the ruins of the complexは第一文のthe Hout-ka-Ptahを受けて言い換えたものです。フウト・カ・プタハで数々の遺物が発見されたから、フウト・カ・プタハにセクメト神殿があったと考えられる…という流れを明瞭に書くべきです。例えば、「フウト・カ・プタハの遺跡からは、その区域内にセクメト神殿があったことを示唆する遺物が複数発見されている。一つには…」
(32) It has also been demonstrated through the Great Harris Papyrus, which states that a statue of the goddess was made alongside those of Ptah and their son, the god Nefertem, during the reign of Rameses III, and that it was commissioned for the gods of Memphis at the heart of the great temple. それはまたハリス・パピルスを通じて証明されている。この資料はラムセス3世の時代にプタハ神、彼等の息子ネフェルテム神と並べらてこの女神の像が作られ、大神殿の中心でメンフィスの神々のために納められたと記している。
「この資料」は「この史料」でしょうか。

「彼等の息子」という言葉は、プタハ神と「この女神(ハトホル女神)」の後に出てこないと意味が伝わらないと思います。 また、「この女神 the goddes」がハトホルを指すこと、「メンフィスの神々 the gods of Memphis」がハトホル・プタハ・ネフェルテムの三柱を指すことを明示するべきだと思います。例えば 「ハリス・パピルスもまたそれを裏付けている。この史料によると、ラムセス3世の時代にハトホル女神とともにプタハ神と彼等の息子ネフェルテム神の彫像が作られ、大神殿の中心でこれら三柱の神々に捧げられたという。」

アピス神殿 編集

(33) At the temple, Apis was used as an oracle, アピスは神託として使われ、
このoracleは「神託」ではなく「神託を授かる者、託宣者」を意味すると思います。

アテン神殿 編集

(34) the tombs of Memphite dignitaries of the end of the 18th dynasty, uncovered at Saqqara. サッカラで発見された第18王朝の高官メンフィテの墓
「Memphite dignitaries」が人名のように訳してありますが、その場合「Memphite, a dignitary, 」となるはずです。これは「メンフィスの高官たち」ということでしょう。

ラムセス2世像 編集

(35) It therefore remained in the archaeological area of Memphis in the museum built to protect it. 従ってそれを保護するために建てられた博物館がメンフィスの遺跡地域に残った。
原文では「メンフィスの遺跡地域に残った」の主語は「それ it =巨像」ですが、その通り解釈する方が前の文とつながりやすいと思います。私が訳すなら、少し言葉を補って「結局、巨像はメンフィス遺跡から運び出されることはなく、現地に建造された展示館の中で保全されている」とします。

サッカラ, ネクロポリス 編集

(36) Because of its antiquity and its large population, Memphis had several necropoleis spread along the valley, 古代の莫大な人口のため、メンフィスは複数の渓谷に沿って広がるネクロポリスを持っていた。
訳文では「複数の」がかかる先が「渓谷」であるかのように見えますが、原文ではネクロポリスです。

「渓谷 the valley」は「ナイル河谷 Nile valley」のことでしょうか。エジプトの地理はよくわかりませんが、注釈抜きで「the valley」と言われると、よほど主要なvalleyのことだろうと思います。 「メンフィスは長い歴史を持ち、人口は莫大だったため、その周囲にはナイル河谷に沿って複数のネクロポリスが点在していた」という感じでしょうか。

(37) In addition, the urban area itself consisted of cemeteries that were constructed to the west of the great temple. 更に、都市部自体は大神殿の西側に建設された墓地で構成されている。
文法的にはそのように訳すのが自然だと思います。しかし、続く文を読むと、thatがかかっているのはcemeteriesではなくthe urban areaだと考えたくなります。都市部全体ではなく、that以下で指定される特定の地域が墓地で構成されるということです。その墓地地域が次の段落の「The part of town called Ankh-tawy」及び「the western sector of the temple of Ptah」に当たると思うのですが、いかがでしょうか。

「それに加え、大神殿の西側に建設された市街はそれ自体が墓地で構成されていた」(もっといい表現があるかもしれません)。

(38) Expansions of the western sector of the temple of Ptah were ordered by the pharaohs of the 22nd dynasty, seeking to revive the past glory of the Ramesside age. プタハ神殿の西側地区の広がりは、第22王朝の王達の命令でラムセス時代の栄光を取り戻そうとしていた。
無生物主語が日本語らしくないので、「第22王朝の王達は、ラムセス時代の栄光を取り戻そうとしてこの地区を拡張するよう命じた。」とした方がいいように思います。

「プタハ神殿の西側地区」は「この地区」としました。英語では同じ言葉を繰り返すのが嫌われるので、同じものを色々な言葉で呼ぶことがあります。この「the western sector of the temple of Ptah」を日本語で直訳すると、かなり無理やりひねり出した言い換えのような印象を受けるので、バッサリ切った方が読みやすいと思いました。

(39) According to sources, the site also included a chapel or an oratory to the goddess Bastet, which seems consistent with the presence of monuments of rulers of the dynasty following the cult of Bubastis. 記録によると、この地域にはバステト女神の礼拝堂や小聖堂もあった。それはブバスティスの信仰を齎した王朝の支配者達の記念碑と適合するように見える。
「the presence (of monuments) 」が訳出されていないように見えます。「記念碑が(その地域で)発見された」から、文献記録の記述が裏付けられるということだと思うのですが、訳文ではそれが分かりづらいです。また、原文では王朝の支配者たちはブバスティスの信仰をfollowしているのですが、「もたらした」でいいのでしょうか?

歴史記録と調査 編集

(40) The proclamations of the later Assyrian kings cite Memphis among its list of conquests. 後のアッシリア王はメンフィスを征服地のリストの中に宣言している。
ややぎこちないので「後のアッシリア王たちは布告文の中でメンフィスを征服地の一つに挙げている」としてはどうでしょうか。
(41) the city's activities during its final stages. 最終段階の都市活動の様子についての記録はほとんど無い。
単に「都市」よりメンフィスの名を出した方がいいと思います。「メンフィスの滅亡前後の様子」とか、「メンフィスの最期の様子」とか、文脈を活かした訳語にしてもいいのでは。

初期の調査 編集

(42) His description is brief, but represents the first step towards the exploration that will emerge after the development of archaeology. 彼の記録は簡潔であったが、後の考古学発展に向けた調査へと踏み出す第一歩の証である。
原文では、調査の結果考古学が発展したのではなく、考古学が発展した結果調査が可能になったと書かれています

「その記述は簡潔であったが、考古学が発展した後にこの地の調査が可能になったのは、彼が開いた端緒によるものである。」

(43) Research and surveys of the site confirmed the identification of Thévenot, 研究と調査によってテヴノの記録の正しさが確認され
identificationには「記録」よりも適切な訳語があるのではないでしょうか。前の文で使われている「特定」か、いっそ「仮説」「推察」としてもいいのではないかと思います。

19世紀 編集

(44) in his trip to Egypt from 1828 to 1830 through Memphis, described the giant discovered by Caviglia and Sloane, made a few digs at the site and decrypted many of the epigraphic remains. 1828年から1830年までのエジプト旅行でメンフィスを通過し、カヴィグリアとスローンが巨人を発見した際にこの地で掘り出された数多くの発掘品について語り、碑文の多くを解読したと説明している。
原文では「described」「made a few digs」「decrypted」がandで並置されていますが、その構文が正しく訳されていません。「1828年から1830年までのエジプト旅行でメンフィスを通過した際に、カヴィグリアとスローンが発見した巨像について記録し、数多くの発掘を行い、碑文の多くを解読した。」
(45) during the Prussian expedition of 1842, made a quick survey of the ruins and ... プロイセンによる1842年の探検の際に遺跡を素早く調査し、
quickは調査の手際を褒めているわけではないので、「短期間の調査を行い」の方がいいのでは。

20世紀 編集

(46) It is placed before the city's main train station, in a square subsequently named Midân Rameses. これは市内の鉄道のメインターミナル前に置かれ、続いてミッダン・ラムセスMidân Rameses)という名前の広場に置かれている。
en:Statue of Ramesses IIのことですね。ミッダン・ラムセスはメンフィス (エジプト)#遺構#ラムセス2世像において英語で「ラムセス・スクエア」となっているものと同じでしょうか。それなら表記をそろえることはできないでしょうか。
(47) Rudolph Anthes, on behalf of the University of Philadelphia, searches and clears the small Temple of Ptah of Rameses, ペンシルベニア大学による調査の際、ルドルフ・アンテスはラムセスのプタハの小さな神殿を詳細に調査し、
既出のメンフィス (エジプト)#遺構#ラムセス2世のプタハ神殿のことですよね。同じ語が1982年の項では「ラムセス2世のプタハ神殿」と訳されています。ここだけ訳語が違いますが、理由がなければ統一して欲しいです。

とりあえず以上です。--Deer hunter会話2017年6月8日 (木) 15:23 (UTC)返信

修正してみました 編集

  返信 (Deer hunterさん宛) 詳細かつ全体に渡る確認をいただき、本当にありがとうございます。ちょっと時間をかけてしまいましたが、ご指摘頂いた内容に基づき記事を修正してみました。以下に修正内容をまとめます。ざっとだけ確認していただければ幸いです。

  • (1) 定冠詞の取り扱いについて、ご指摘の通りですので、なるべく特定の固有名詞に変更する形で直してみました。
  • (2) 全体的に意味を変えずに日本語の文章を自然にするように変更してみた・・・つもりです。直し漏れがありますが、徐々に修正していきたいと思います。
  • (3) 無生物主語の取り扱いについて、ご助言ありがとうございます。確かに日本語文としてはおかしいと私も思います。本記事内の無生物主語文は全て改訳してみました。
  • (4) ルビも考えましたが、手間をかけるほどこだわりがあるわけでもないので常用外漢字は平仮名に直しました。
  • (5) whoにあたる部分は固有名詞「ナルメル」で改訳しました。
  • (6) 作っていただいた訳文を採用して改訂してみました。
  • (7) 王と対応する~、先入観からくる誤訳でした・・・。修正しました。当初プタハ大司祭は二人いたという解釈で正しいようです。
  • (8) 手持ちの資料だと新王国以前のメンフィスについては基本的によくわからない、と言うのが現状らしく、現状では具体例の追加ができなさそうです(〇〇王が何かを作った、というのならあるのですが、それがメンフィスにとって重要であったかどうかとなると独自研究になってしまいそう)。Also found were vestiges attesting to the architectural focus of this time. は基本的には後続の文章の物を指していると思うので若干表現を変えてみました。
  • (9) 元の訳文がどうして出来上がったのか自分でわかりません(^^;、offering table は 『大英博物館 古代エジプト百科事典』の和訳(原書房)に、供物卓(offering table)でまんま立項されていたので、これを採用することにしました。
  • (10) 作っていただいた訳文を採用して改訂してみました。
  • (11) 修正しました。
  • (12) ご指摘の通りでした。「ちょうど第22王朝時代に始まるメンフィスの大司祭達のためのネクロポリスが広場]の西に見つかっている。」としてみました。precisely=ちょうど、と訳すのが適切かどうかちょっと自信がありませんが・・・。
  • (13) 文頭の"Under Taharqa..."と、次の"the Kushite king..."を合成して「クシュ人の王タハルカの下~」から文章を始める形に改訳してみました。
  • (14) 修正しました。
  • (15) 修正しました。
  • (16) 作っていただいた訳文を元に改訳してみました。ただ、セラピス信仰はエジプトに「伝えられた」のではなく、エジプトで「始められた」ものであるはずなので、「導入された」としてみました。
  • (17) 修正しました。
  • (18) 修正しました。
  • (19) 修正しました。また文の順序を入れ替えて訳文を作ってみました。
  • (20) 作っていただいた訳文を採用して改訂してみました。
  • (21) これも先入観からくる誤訳でした。実は当初はそのように訳そうとしていたのですが、私の脳内ではセラピス信仰は「古代宗教」にカテゴライズされていたのでそっちに引っ張られました・・。
  • (22) バグダーディーの引用は悩みに悩んで訳したもので、正確でなさそうだとは正直思っていました。作っていただいた訳文をそのまま採用させていただきました。
  • (23) 作っていただいた訳文を採用して改訂してみました。
  • (24) 修正しました。
  • (25) 修正しました。ヘロドトスの『歴史』を確認しましたが、巻2§99の最後に確かに該当する記述がありました。
  • (26) 修正しました。
  • (27) 修正しました。
  • (28) 修正しました。
  • (29) 修正しました。
  • (30) 修正しました。
  • (31) 作っていただいた訳文を参考に改訳してみました。
  • (32) 作っていただいた訳文を採用して改訂してみました。
  • (33) 修正しました。
  • (34) 修正しました。お恥ずかしい誤訳・・・。
  • (35) 作っていただいた訳文を採用して改訂してみました。
  • (36) 手持ちの書籍で確認した限り、the valley=Nile valley で間違いなさそうなので、そのように修正しました。日本人学者は基本的に「ナイル渓谷」表記を採用していそうなのでそれを訳語としました。
  • (37) ご指摘の通りと思います。確認したメンフィスの地図の情報とも符合するので、作っていただいた訳文を採用して改訂してみました。
  • (38) 作っていただいた訳文を採用して改訂してみました。
  • (39) もたらした、はおかしいです(^^; 修正しました。翻訳抜け部分も追加しました。
  • (40) 作っていただいた訳文を採用して改訂してみました。
  • (41) 作っていただいた訳文を採用して改訂してみました。
  • (42) 作っていただいた訳文を採用して改訂してみました。
  • (43) 「特定」を採用して修正しました。
  • (44) 作っていただいた訳文を参考に改訂してみました。
  • (45) 修正しました。
  • (46) 旅行会社のWebSiteでですが(^^;、Ramses square と Midân Rameses は同一の施設であることを確認したので、ラムセス・スクエアで統一しました。
  • (47) 訳語統一しました。

他、全体的に日本語表現に若干手を入れてみました。 物凄く長くなってしまい恐縮ですが、とりあえず修正について以上です。--TEN会話2017年6月10日 (土) 16:40 (UTC)返信

  返信 本当にざっとで申し訳ありませんが、読ませていただきました。全体にわたってかなりの修正が施されており、表現が変更された部分の読みやすさが向上していると思います。私が推測で書いたことも検証して下さったようで恐縮です。
なお、細かいことですが、ノートでは「ナイル渓谷」の訳語を採用すると書いておられますが、本文では「ナイル河谷」になっています。--Deer hunter会話2017年6月12日 (月) 09:18 (UTC)返信
本当にありがとうございます。自分ではできないレベルで改善できたと思います。ナイル渓谷はミスなので直します。--TEN会話2017年6月12日 (月) 11:32 (UTC)返信
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