ノート:保津峡

最新のコメント:16 年前 | トピック:『桂川 (淀川水系)』名称 | 投稿者:まったけ


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トロッコ保津峡駅と保津川をまたぐ吊り橋

.保津峡検証用

  • 「保津川は京都市街西部を通り、桂川に合流する」 保津川は、途中から大堰川と名を変えます。どこまでかは定義に多少乱れがあって、ちょうど渡月橋とするものと、いくらか上流とするものがあります。いずれにせよ、保津峡から市街にでたところ、つまり嵐山までです。京都市街西部は通っていません。桂川とも合流しません。保津川→大堰川→桂川と同じ川が名を変えます。元の資料を読み間違えた可能性を指摘しておきます。
  • 「保津峡府立自然公園」 「府立保津峡自然公園」です。「府立自然公園」へのリンクを張っていますから、それを優先したのかもしれません。単に日本語としても無理です。
  • 「保津峡は……運搬するために造った水路である」 もし、京都・高瀬川なら運河なので問題はないでしょう。保津峡(保津川)は元からあります。「水路として整備された」ぐらいでしょう。
  • 「(景勝地である嵐山や)嵯峨」 エリアを指すのなら普通「嵯峨野」です。
  • 「観光客を相手取った筏下りが」 筏下りはけんかではありません。「相手にした」から無理に書き換えたと推測します。それに観光客なら「筏」ではなく「川下り」でしょう。
  • 「世界中の皇太子」 これも無理な言い回しと感じたので、探しました。断定はしませんが、資料としてはここら当たりでしょうか。(保津川遊船企業組合のHP)。皇太子は二人、他の王族・貴族も名前の出ている人はいずれも英国人です。「諸外国の王族」ともはありますが、「世界中の皇太子」というには他の事実が必要だと考えます。たとえ遊船企業組合以外に資料があったにせよ、ことに皇太子が世界中から来るような場所が日本でありえるでしょうか。いくらかでも近い表現が成り立ちそうなのは、皇室の慶弔時などで「世界中の“皇族”が来た」ぐらいでしょう。タイトルが「世界の人々に楽しまれて」なので、こちらと合体したのかもしれません。
  • 「嵯峨駅(現在は嵯峨嵐山駅と改名)から馬堀駅までの複線化に伴い本線から切り離されたが」 複線化だけでは切り離し(?)しません。一緒に電化もしていますが、同様です。保津峡の区間がほぼトンネル化しルートが変わったのです。元の線路がトロッコ列車に使われています。また、この表現では嵯峨駅と馬堀駅の間のみの複線化と受け取られるでしょう。また「1990年から営業を開始以来」としていますが、同社のHPでは1991年4月27日営業開始。たまにはありえる間違いとはいえなくもありません。が、はっきり不思議に思うのが、当初この見出しを「保津峡駅とトロッコ列車」としていたのを途中から「保津峡とトロッコ列車」と変えていることです。文中で駅について触れていないからだと思います。が、文中で触れないことの方を問題視したいと思います。下は深い谷、上も急崖、対岸からホームの端にかかる吊り橋といった風景があって、ここが目当ての人も多いのです。

以上、まだ細かいところは残っています。文章の巧拙も後回しです。記事に慣れない方が、「保津峡が好きな場所だから」「なじみの場所だから」といってお書きなるのは、今回の記事と同等のものになっても、決して反対しません。どういう方がこの記事を書くべきだったかを考えるには、トロッコ保津峡駅保津峡駅を初版からお読みくださるようお願いします。ひょっとしたらあちらは鉄道ファン中心で、保津峡全般には興味はないかもしれません。が、「300以上の資料」を使って、「(記事一本の)所要時間は早くて10分足らず、遅くて3時間以上」と自慢し、まるで陣取りゲームの様に先を急ぐ、そういう人がこの記事の書き手にふさわしいかどうかは、お分かり頂けるのではないでしょうか。--Zenzai-Doji 2007年1月18日 (木) 00:45 (UTC)返信

現在、自分はただ状況を静観するのみで、それは第三者に委ねることです。そうやって粗を探せば正直言って、きりがありません。やれ著作権、やれ文章の巧拙などと攻撃的に個人に突っかかるより、人によって得て不得手があるので、得意分野なら随時修正を加えていく親切さこそ、投稿者こそウィキケットを守っている、皆から愛される利用者じゃないでしょうか。だいたい、論点は文章の巧拙じゃなくて、著作権侵害の真偽ですね。論点をずらしてます。

自分だけに攻撃する理由もよく分かりません。確か、ウィキペディアの鉄則で、個人攻撃をしないという基本方針がありませんでした?ノートに書かれている事実もしっかりと受け止めて、自分自身の襟を正してから出直すべきだと思います。あなた自身も文章構成の偏り、まずさはしょっちゅう指摘されてるみたいですし、写真だって著作の明示をしていないみたいですね。人に告げた罵倒は必ず自分に災難として降りかかります。私と同じように。

現状、あなたに味方しているのは、自分自身の分身だけなのが現状のようですよ。 Kesikurikararin 2007年1月18日 (木) 04:23 (UTC)返信

桂川 (淀川水系)』名称 編集

亀岡市で桂川を亀岡市内で「大堰川」又は「保津川」と呼ばれているのか編集合戦となっています。ぜひ、議論へのご参加をお願い申し上げます。参考までに亀岡市のノートで記した内容を添付しておきます。

・【参考】亀岡市のホームページでは土木部局は「大堰川」と観光を担当する商工部局は「保津川」と分かれています。  僕は馬路町に住んでいますが「大堰川」と呼びます。大井や千代川、旭、河原林、千歳の市北部の各町の住民は「大堰川」と呼ぶ人が多いように感じています。地図等を調べると宇津根橋或いは保津橋、山本浜辺りを境として上流を大堰川、下流を保津川としているものが多いようです。母校の校歌の歌詞は、川東小学校「保津大川」、高田中学校「大堰川」、京都成章高校(京都市内)「桂の流れ」となっています。調べたところ、亀岡小学校は「大堰川」、亀岡高校は「保津の流れ」、嵯峨野小学校(京都市内)は「大堰川」で亀岡中学校、丹波養護学校は未登場だということが判りました。--まったけ 2007年10月19日 (金) 01:52 (UTC)返信

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