ノート:勿来関

最新のコメント:8 年前 | トピック:勿来の関の観光情報をカットすべき | 投稿者:Gntrr1

記事についていくつかの疑問と質問_20081221 編集

つい先ごろまで、ウィキペディアの勿来関の項の本文に投稿していたWakizakaと申します。ウィキペディアの勿来関の項について、自分には、よくわからない箇所があります。ウィキペディアの勿来関の項目について、本文へ投稿なさる皆様につぎの各条について、ご再考願えれば幸いです。すべてについて回答いただかなくてもかまいませんが、回答いただけるとうれしいです。

1 本論の関を「なこその関」と記す。について 編集

 「本論」を「本項目」とか「本項」になりませんか? わたくしもよくしかられますが、ウィキペディアは個人的な説の論述の場ではないイメージがあります。いかがでしょうか? また、項目の見出し語が「勿来関」とあります。併用してもよいとも思います。わたくしの個人的な用法ですが、歌枕として、前近代の和歌によまれたり、古典文学の文中にあらわれた場合は、なるべく「なこその関」と表記し、近世以降の歴史を語る文脈においては、原文引用を除き、「勿来関」としています。観光施設にも「いわき市国民宿舎勿来の関荘」とか「いわき市勿来関文学歴史館」とかといった表記のゆれがありますが、公園としても「いわき市勿来の関公園」という名称も用いられています。ただし、「いわき市勿来関文学歴史館」については、識者からの意見(あるいは要望だったかも知れません)で 白河関だとか不破関だといった歴史上の関に「の」を表記しない例が多いことにしたがって歴史館という館の性格上「勿来関」として表記し、「なこそのせき」とよむとしています。ある程度の使い分けを容認してもよいのかなと思います。たとえば、「本項では、原文引用のほか、勿来関となこその関を併用するが、いずれもなこそのせきと読み(訓み)、指し示す事項について大きな差異はないが、おおむね、歌枕としての関についての文脈ではなこその関と、歴史上の文脈では勿来関といった使い分けを志向している。」くらいの断りになれば幸いです。

2 語意について 編集

 以前にわたくしが「制止」の語を用いて説明を試みたことがありました。それについて典拠を示すべきと云われましたので、典拠というほどの文献を引くわけでもないのですが、当たり前に世間一般に通用している辞書から、少し長くなるかも知れませんが、いくつか末尾に引かせていただきます。たとえば、(1)『広辞苑』には「相手に懇願してその行動を制する意を表す。禁止の終助詞「な」よりも意味が婉曲である。」とあります。
 末尾に市販辞書を部分引用しますが、その箇所に著作権の侵害が認められる場合は、削除願います。

3 漢字表記について 編集

(1)「勿」は、日本語の文脈でも、すでに漢字として禁止の意味で用いられていると思います。ですから、「漢文において」と限定するのはいかがかと思います。

(2)「勿」を返読文字と説明されていますが、返読文字ということばを個人的には知りません。漢文でも現代中国語でもそうですが、日本語に翻訳することを意識して読み下し(訓読)した場合、だいたい動詞は目的語から返って読みます。たとえば、「登山」という日本語の熟語にもなっていることばは「山を登る」と返って読み下します。これもここでいう返読文字になるのでしょうか。

(3)語釈から「なこそ」と読み下すという表現がありますが、漢文において読み下すとは、訓読をさします。岩波書店『広辞苑』第五版の「訓読」でいう2義がそれにあたります。つまり、漢文あるいは中文を日本語の文法にしたがってよむことです。「勿来」を読み下せば、「なこそ」じゃなく、「くることなかれ」です。「なかれ」は、以前わたくしが本文に投稿したとおり漢文訓読に際しては慣例上「~すること」を補います。有名な「きみしにたもうことなかれ」という一節もこの慣例を踏襲しています。

4 文学作品による推定 編集

(1)近代写実主義とありますが、正岡子規の写生による詠歌の提唱があったと思います。「うたよみにあたうるしょ」という一文についての文学上の評価で、文学用語として写生という言葉が多く用いられています。それを近代写実主義としているのはわかりますが、いかがでしょうか。近代短歌が前近代の短歌と大きく異なるのはこの写生が大きな要素になっているはずです。すこし、この辺についてもご理解を請いたいと思います。

(資料:各種辞典の語義解説) 編集

(1)【岩波書店『広辞苑』第5版】な 副

 動詞の連用形(カ変・サ変では古い命令形の「こ」「せ」)の上に付けて禁止の意を表す。…するな。

・ 万葉集4「吾が背子は物―思ほし事しあらば火にも水にも吾なけなくに」

「な…そ」の形で動詞の連用形(カ変・サ変では古い命令形の「こ」「せ」)を挟んで、相手に懇願してその行動を制する意を表す。禁止の終助詞「な」よりも意味が婉曲である。どうか…しないでおくれ。

・ 万葉集2「放ち鳥荒び―行きそ君まさずとも」。
・ 源氏物語夕顔「あが君、生きいで給へ。いみじき目―見せ給ひそ」

(2)【小学館『国語大辞典』新装版】な〔副〕

禁止の意を表す。①下に動詞の連用形を伴って用いる。

・ 万葉‐二六六九「吾(わが)背子が振り放(さ)け見つつ嘆くらむ清き月夜(つくよ)に雲莫(ナ)たなびき」

②下に「動詞の連用形+そ」を伴って用いる。→な…そ。③下に「動詞の連用形+そね(そよ)」を伴って用いる。

・ 播磨風土記‐賀毛・歌謡「愛(うつく)しき小目(をめ)の小竹葉に霰降り霜降るとも奈(ナ)枯れそね」
・ 万葉‐四〇一一「奈(ナ)恋ひそよとそ夢(いま)に告げつる」

補注 (1)語源に関しては、ク活用形容詞「なし」の語幹、あるいは打消の助動詞「ず」の未然形に想定される「な」につながる否定の語といわれる。(2)品詞については副詞とするのが一般であるが、他に係助詞説、副助詞説、および「な…そ」の場合、全体を終助詞とする説などがある。(3)①および③は中古には見られなくなり、②の「な…そ」の型と、終助詞による「…な」の形が中古以後に引き継がれる。また中古末には②の型から新しく「…そ」の型が生じた。

【小学館『国語大辞典』新装版】より「な…そ」の補注

な…そ 相手に懇願し、婉曲に禁止の気持を示す。どうか…してくれるな。どうぞ…してくださるな。な…そね。

・ 古事記‐上・歌謡「汝鳥(などり)にあらむを命は那(ナ)死せたまひ曾(ソ)」
・ 源氏‐桐壺「なうとみ給ひそ」

補注 (1)本来は「な」のあとに、連用形(カ変・サ変の場合は命令形の古形「こ」「せ」)を置くだけで、禁止の表現として十分であり、最後に添えられる「そ」は、禁止の気持をさらに強める働きを加えるものであったらしい。ただし「そ」を添えるいい方も非常に古くからあり、「な+連用形+そ」という型は、禁止表現の型として、早く固定した。さらに後世になると「な」を落とした「…そ」という形で、禁止を表すようにもなるが、近世には消滅。(2)「そ」に関しては、(イ)サ変動詞の古い命令形、(ロ)サ変動詞の古い未然形、(ハ)係助詞「そ」とつながるものなどの説がある。

(3)【三省堂『大辞林』】な(副)

〔形容詞「なし」の語幹から派生した語という〕動詞の連用形(カ変・サ変は未然形)の上に付いて、その動詞の表す動作を禁止する意を表す。特に、動詞の下にさらに「そ」「そね」を伴い、「な…そ」「な…そね」の形をとる場合が多い。

・ 「我が舟は比良の湊に漕ぎ泊てむ沖辺―離(サカ)りさ夜ふけにけり/万葉{二七四}」
・ 「沖つかいいたく―はねそ辺(へ)つかいいたく―はねそ/万葉{一五三}」
・ 「床敷きて我(あ)が待つ君を犬―吠えそね/万葉{三二七八}」

(4)【小学館『大辞泉』】な[副]

1 あとに動詞の連用形(カ変・サ変は未然形)を伴って、禁止の意を表す。…するな。

・ 「妹があたり我(あ)は袖振らむ木の間より出て来る月に雲―たなびき」〈万・一〇八五〉 

2 「な…そ」の形で、動詞の連用形(カ変・サ変は未然形)を間にはさんで、相手に懇願しつつ婉曲に禁止する意を表す。どうぞ…してくれるな。

・ 「ほととぎすいたく―鳴きそ汝(な)が声を五月の玉にあへ貫(ぬ)くまでに」〈万・一四六五〉

(5)【旺文社『古語辞典』】な(副)

1 動詞の連用形(カ変・サ変は未然形)の上に付いて、その動詞の示す動作を禁止する意味を表す。… 2 動詞の連用形(カ変・サ変は未然形)の上に付いて、下に「そ」を伴い、その動詞の示す動作を禁止する。

・ 「月ー見給ひそ」<竹取・かぐや姫の昇天>
・ 「や、ー起こし奉りそ、幼き人は、寝入り給ひにけり」<宇治拾遺・12>

[語法]上代には、1のような「な…」だけで用いた例が多い。2の「な…そ」の形は、中古末期以後「な」が省略され、「…そ」の形で使われることもある。 【学習】「な…そ」(禁止)-「な…そ」は、呼応した形で禁止の意を表し、後世の「…な」に該当することから、「な…そ」を一まとまりにして終助詞とする説もある。しかし、「な」が文の最初に来ることもあり、助詞で文が始まるということは不自然であるので、「な」を副詞と解釈するほうが分かりやすい。また、

・ 「昔思ふ草のいほりのよるの雨に涙な添へそ山ほととぎす(歌意⇒「むかしおもふ…」)」<新古今・夏>

の場合など、「な」は「涙」に付いて一文節を構成し、更に、下の「そ」と呼応するとして係助詞と解する説もあるが、この場合なども、意味の上では「涙ヲな添へそ」となるのであるから、「涙・な・添へそ」のように文節に分けられると考えたほうが解釈しやすく、「な」を副詞と考えてよい。

2008年12月21日(同25日に一部割愛、一部表現を改めました。)
wakizaka拝 --Wakizaka 2008年12月21日 (日) 03:01 (UTC) / 可読性向上のために<sub>タグを小見出しと太字に変換し、また参考資料部分に小見出しを追加しました。ご寛恕ください。--Yumoriy会話2024年3月20日 (水) 16:46 (UTC)返信

回答 編集

こんにちは。本文での貴殿の記述を多く書き改めた者です。ご質問に対して以下に返答したいと思います。
  1. 「なこその関」について
    1. 「この記事では○○をXXと記載する」というのは、物事を一意に表記するためのものなので、Wikipediaでも認められていると思います。この方法は、略記が様々される物事の記事でよく見られます。
    2. この記事には、考古学的にまだ同じものとされていない歌枕の「勿来関」と観光地の「勿来の関」(勿来の関公園など)が同居しています。これでは読者が混乱するため、歌枕の方は汎用性のある平仮名の「なこその関」、観光地の方は公園名で用いられている「勿来の関」と一意に決め、ハッキリ分けてみました。私としては、観光地の「勿来の関」をこの記事から分割して、歌枕の「勿来関」のみにすれば、典拠通りの様々な表記のゆれをそのまま記載してもいいと思っています(分割については、Wikipedia:ページの分割と統合参照)。
  2. 辞典を典拠とするなら、国語辞典より専門的な古語辞典の方が信頼度が高いと私は思っています。国語辞典の典拠を用いるにしても、一般的な説明の後に付記する形での記載に留めるべきで、以前の版のように、一般的な説明の前に長々と書くべきではないと思います。
    1. 「禁止」or「制止」:
      国語辞典も平等に見たとしても、広辞苑のみ「制止」とし、それ以外は「禁止」としているので、一般的に「禁止」でいいのではないかと思います。
    2. カ変では「未然形」or「古い命令形」:
      「未然形」と「命令形」は、どちらも未だ起きていないことについての表現であるので、古い時代には混用されていたのだと思います。ただ、「未然形」と「命令形」がきちんと分離された後も「なこよそ」とならずに「なこそ」となっているので、辞書では一般的に「未然形」と説明する例が多いのだと思います。
  3. 勿について
    1. 「勿V」(Vは動詞)は、漢文由来の表現であり、のちに日本語の文にも熟語として取り入れられました。すなわち、漢文→日本語という流れが正しく、その逆ではないので、間違った説明ではないと思います。
    2. 「返読文字」は高校の教科書の漢文法でも出てくるポピュラーな用語であり、「勿V」の説明に用いられています。ネットで多数ヒットするので参照してみて下さい。
    3. これについては、以前の版をまとめる際、貴殿の文もなるべく残そうとした結果なので、別の表現でも構いません。
  4. 正岡子規の写生主義は、西洋の写実主義に影響を受けたと思っていたので、Wikipediaに写生主義の記事もないことだし、写実主義にリンクさせてそのように記載しました。写生主義はと写実主義が違うものであるなら、書き改めてもらって結構です。
--もね~るmoner 2008年12月25日 (木) 05:40 (UTC) / 一部訂正--もね~るmoner 2008年12月25日 (木) 18:27 (UTC)返信
こんにちは。wakizakaです。もね~るmoner さま、回答ありがとうございました。--Wakizaka 2008年12月26日 (金) 08:48 (UTC)返信

勿来の関の観光情報をカットすべき 編集

このページは、その存在が未確定な勿来関について論じているページなのであるから、現在の勿来の関の情報を載せるべきではないと考えます。 それは「勿来の関」のページに記載されるべきであると思います。 なぜ、「勿来関」と「勿来の関」のページを分けているのかを考えてみれば、明らかです。 --Gntrr1会話2015年9月4日 (金) 22:12 (UTC)返信

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