ノート:南京事件 (1927年)

最新のコメント:1 か月前 | トピック:不当な差し戻しについて | 投稿者:HOSEANISKAND

反日自虐史観派Johncapistranoさん、「南京事件」項目だけでなく「三光作戦」等で独説の多い中華思想丸出しの歴史観を中心とした本文編集は中国板でお願いします。 日本語版では公式な日本国防衛庁資料に基づいた記述を主とし、中国側歴史観を付け加える程度が妥当です。--Doc 2004年12月21日 (火) 21:28 (UTC)返信

現在の記事にある二説は内容がほぼ同じで解釈が違うだけなので、一つにまとめて解釈の違いを補足するという形にしたほうがいいと思います。Qazzx 2005年6月17日 (金) 14:09 (UTC)返信

大幅編集について 編集

大幅に編集しましたので、その主旨を説明いたします。
(1)より詳細な記述を大幅に追加しました。現時点で、一般的に妥当と思われる内容であると思われます。
(2)削除した部分について説明いたします。
・被害者の「デンマーク人1」については、資料で確認できませんでした。また、デンマークは上海の領事団の一員であったにもかかわらず、抗議に参加していないので不審に思われ、「デンマーク人1」を削除しました。根拠があれば、復活してください。
・「このように言う人もいる。」以下の文章の意味があいまいであり、また、中国人が死傷したというのも事実だと思われ、中立的な観点からみても、ことさらとりあげる視点ではないと思われますので削除しました。
・『「日本」が軍艦からの砲撃をしたという捏造記事』に関する部分は、「誤報」なのか「捏造」なのか断じることは難しいうえ、当時、虚実が混合した様々な報道が流れたことは当然であり、該当記事がその後の歴史事実に影響を与えたことも示されていないので削除しました。もし、復活するのであれば、少なくとも問題の記事を掲載した新聞を示し、どのような影響をその後の歴史に与えたかを記述するようにお願いいたします。
・「中国に対して悪意を持つきっかけのひとつともなることになった」を含む文は不適当と考え削除しました。対中感情が悪化したことは事実でしょうが、「悪意」というのは事実ではないと思いますし、一般にそのようには理解されていません。もし、復活するのであれば、「悪意」の根拠を提示してください。
以上です。--Watanabe Hisashi 2005年9月18日 (日) 12:47 (UTC)返信

南京大虐殺について 編集

こちらは、1927年の南京事件を扱っています。1937年の南京大虐殺に関する議論やリンクは南京大虐殺のほうへ書いてください。 --Watanabe Hisashi 2005年11月20日 (日) 13:10 (UTC)返信

このリダイレクトは適切ではありません。 いわゆる1937年の南京事件と呼ばれるものは二つに分かれ、一つは下関埠頭で起きた国民党軍同士の戦闘で数千人の兵士が死んだ事件他(12月13日,12月17日他)のことを指し、そして、もう一つがいわゆる南京大虐殺(The Rape of Nanking,`ザ・レイプ・オブ・ナンキン:アイリス・チャン著)による民間人大虐殺です。下関虐殺を追記するために、最初の記述を変更させて下さい。--210.209.207.32 2007年5月27日 (日) 15:43 (UTC)返信

<「下関埠頭」で起きた国民党軍同士の戦闘で「数千人」の兵士が死んだ事件>なんて、存在しません。もう一度、ネタ元を確認してください。なお、これをつかまえて単独で「南京事件」と呼ぶ方は、誰もいないと思います。ゆう(matunami) 2007年5月15日 (火) 11:34 (UTC)返信

挹江門の記述はMatunami様の記述にしたがって直したものですよ。Wikiは記述が正しくないと思えば追記/併記/注釈すれば良いのです。ベクトルは常に発展方向にお願いします。削除縮小方向へのベクトルはWikipediaの趣旨としては好ましくありません。--210.209.207.32 2007年5月27日 (日) 15:43 (UTC)返信

虐殺事件の事実関係 編集

参りましたね。そんなに下関埠頭で起きた兵士殺傷事件を虐殺としたいのならばとりあえず虐殺肯定派の意見も取り入れて「下関虐殺」でもいいでしょう。虐殺であったかそうでなかったかは時が解決することだと思います。「下関虐殺」なら検索でいくらでもヒットします。まずは、ダーディンや朝日新聞今井正剛記者の証言録(捏造っぽいが)というものから虐殺が実在したとして採りあげ、事件を掘り下げていくことにすべきでしょう。何らかの事件があったことだけは間違いないのですから、その事実関係だけは記される必要があります。また、幕府山の捕虜虐殺という事件も虐殺かどうかは別として実在したことは確かですし、もと南京帰還兵の証言から遺体を処理した事実などが多数得られていますのでこれらはハイライトされるべきです。--210.209.207.32 2007年5月27日 (日) 15:22 (UTC)返信

うちの爺さんは歩兵第四十五聯隊でした。あまり語ってくれませんでしたが街には砲撃や航空機から爆弾の投下があったといっていました。大虐殺があったという方は一部の日本兵の行動がみんなが一人ずつ銃殺したとか勘違いしてると思います。 日本でも都市に爆撃はありましたが大空襲と言い大虐殺とはいいません。 もっと昔のことですが元寇なども日本を侵略して人を殺していますが別に日本をあげて虐殺されたとは言いませんしモンゴル人に朝鮮半島の方々と一緒に元軍に参加して日本を攻めた中国人を日本国としてはプロパガンダで非道性を誇張したりはしません。 感情論ではなく事実として都市戦(首都)で民間人が死ぬのは普通です。いつも日本の反対意見を捏造や嘘とあちらは言いますが国威発揚のための残虐・非道をアピールするプロパガンダの主張が入っている限り中国からもホントの事実など出てきません。

あとアウシュビッツではあったと言われていると書かれており、南京大虐殺のような片方の意見が史実と断言して数字の問題だけできちんと両者の意見を乗せたような工作はないです。南京大虐殺のページはアウシュビッツの記事とは比べ物にならないぐらい悪意・自虐性の上、公平な意見は無く被害者の一方的な主張だけを辞書に載せているきわめて低レベルで幼稚な記事であるしかいえない記事です。--118.4.184.25 2009年5月15日 (金) 04:40 (UTC)返信

文献の提示をお願いします 編集

「この事件はあえて外国の干渉をさそって蒋介石を倒す共産党側の陰謀といわれている。」という部分の根拠となる文献の提示をお願いします。あるいは、そのように「いわれている」として、「誰にいわれているのか」を提示してください。 「反日自虐史観派」「独説の多い中華思想丸出しの歴史観」といった表現は、wikipediaという知的な討論の場にはふさわしくないと思われます。もしそのような表現を行うことに独自の価値を見出されるのであれば、ここではなく、「2ちゃんねる極東板」などの「それにふさわしい場所」に提出する等、適切な処置をとることをおすすめします。 2006年1月27日 (金) 12:09 (九郎政宗)

九郎政宗さん、お久しぶりです。ここ数日はいそがしくなりますので、落ち着きましたら、どこからもってきた説かをお示しいたします。確かに「いわれている」というのは、あいまいであり、Wikipediaのガイドラインのどこかに、そういう書き方をしないようにと書かれていました。気を付けます。なお、新しい投稿は下の方に付けていただきたく、記事を移動しました。--Watanabe Hisashi 2006年1月27日 (金) 07:38 (UTC)返信
  • 「南京事件」

少なくとも岩波新書から「南京事件」という題名で出版されており、南京事件という言葉が1937年のことを示しており、遺体の処理について帰還兵の証言に触れているところから、いわゆる「南京大虐殺」が「南京事件」を示していることは明らかでしょう。ただし、兵士の射殺(あるいは解釈によれば虐殺)が主であって、The Rape of Nankingに該当する記述はありません。「南京大虐殺は本当にあったのか?」と南京戦に行軍した経験者に聞けば、「大虐殺があった」という証言も皆口々に中国軍兵士の射殺のことを語ります。「大虐殺がなかった」という証言も、兵士の射殺が合法的なものであるという解釈の問題と規模だけが食い違いますが、お互いに示している兵士の射殺の事実という核は変わりません。日付も概ね一致します。日本人にとって「南京の虐殺」とは兵士の射殺を意味しています。これは欧米で言われるThe Rape of Nankingを核にした南京大虐殺論議とは大きく概念が異なっていることには注意しなければなりません。南京大虐殺南京大虐殺論争も、The Rape of Nankingの引用がなさ過ぎます。これは事実に反することですので英語版、日本語版間の調整が必要です。--210.209.207.32 2007年5月27日 (日) 18:00 (UTC)返信

改名提案 編集

世間的にはこちらの事件の方がマイナーなので「南京事件 (1927)」が妥当でしょう。--Hare-Yukai 2007年5月31日 (木) 10:23 (UTC)返信

では改名ということにさせていただきます。--Hare-Yukai 2007年6月20日 (水) 12:26 (UTC)返信

Peace系がやたらとWikipedia:中立的な観点を持ち出しますが・・・ 編集

最近、Peace系がやたらとWikipedia:中立的な観点として「Wikipedia:中立的な観点はウィキペディアの記事における方針の三つのうちのひとつです。ほかの二つは検証可能性 (Verifiability) と独自の研究を含めない、です。ウィキペディアではこれらの方針を合わせて記事名前空間に書くことができる情報の種類と質を決定しています。これら三つの方針は相互補完的、議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。」とかのたってます。Wikipedia:中立的な観点自身の虐殺否定論の執筆の根拠にしようとあちこちで記事を荒らしています。

しかし、Peace系は自説に固執し中立的な観点をしなかったために、Wikipedia:投稿ブロックの方針に該当し、中立的な観点をせずに他の執筆者との協調性を取ろうとしないために虐殺否定論(他にも日本の戦前の行動への問題点を指摘し、逆に全面的に賛美するようないわゆる保守的観点)の執筆に血祭りを上げた人物であるため、事実上の永久追放をされている人物です。Wikipedia:中立的な観点を守っていないと認識された人物peace系自体に問題があります。そもそも、Wikipedia:中立的な観点では「どうしようもなく偏った執筆者がいる」という項目も存在しており、この項目にpeace系が該当するのは明白であり、Wikipedia:中立的な観点を持ち出して、peace系がWikipediaでのさばる根拠にはなりえません。

しかし、Wikipediaを編集するに不適格である人物が投稿ブロック後もPeace系と類似する執筆者が出て、それも初顔とは思えないような編集であり、しょっぱなの編集からPeace系に酷似しており、Wikipedia:投稿ブロックの方針を嘲笑うかのうな対応をするふざけた人物です。

そして、別名義での登録と編集とPeace系認定されて投稿ブロックというイタチごっこが続いているわけです。

Peace系さんはWikipediaにおいて別名義での登録と編集とPeace系認定されて投稿ブロックを繰り返すだけで、むなしくありませんか?--経済準学士 2008年2月26日 (火) 14:25 (UTC)返信


荒木亀雄大尉の生死について 編集

荒木亀雄大尉は拳銃自殺を図ったが、一命を取り留めたとありますが、『日中戦争』児島襄ほか、管見の限りでは自決したとなっていて助かったとは書いていないのですがソースはあるのでしょうか。)--以上の署名のないコメントは、116.81.157.67会話投稿記録)さんが 2008年5月3日 (土) 07:17 (UTC) に投稿したものです。返信

某「新しい歴史教科書」では割腹自殺を図ったとも書いてあったらしい有名なことであるのに、生死が不明ではいただけませんね。1927.3.30の夕刊では各紙一面で荒木大尉自刃とか書かれ、翌朝には故人扱いされたりしていますが、31日夕刊では海軍省に連絡があったとして、病院で意識もしっかりしていると小さく各紙に載っているようです。極めつけは、5月9日読売新聞夕刊で、大きく、「南京事件で問題の荒木大尉帰朝す患部も癒えて昨日長崎に」とあり、海軍省の命令で帰ってきたという。傷も癒えて帰ってきたと本人談も載っています。--石井彰文会話2013年5月29日 (水) 13:50 (UTC)返信

太平天国の乱に発生した南京事件について 編集

南京事件の項目に1856年に南京(天京)で発生した南京事変での2万人の虐殺事件と1864年に起きた南京攻防戦で発生した老人や女子供を含む20万人が虐殺された事件も加筆してしていただけないでしょうか?--花鳥 2009年6月16日 (火) 21:09 (UTC)返信

南京事件に加筆しましたが、そもそも天京事変天京攻防戦は「南京事件」と呼ばれているのでしょうか? 複数の百科事典を調べてみたのですが、いずれの事典でも「南京事件」の項には南京事件 (1913年)南京事件 (1927年)南京大虐殺の3つしか掲載されていませんでした。よろしければ出典をお教えください。--ロンドル 2009年12月3日 (木) 04:45 (UTC)返信
1ヶ月以上たっても出典が示されない上に何の返答もないため、天京事変天京攻防戦は削除させていただきます。--ロンドル 2010年1月9日 (土) 08:12 (UTC)返信

雑記 編集

故人である朝鮮半島在住者からの口伝で、本件に関して聞き及んだこととして。
・日本には古来から戦闘兵力を現地調達する習慣があった。
・当時の日本軍は軍票という仮想通貨を発行する権限があった。
・南京では軍票は使用できなかった。当然日本軍は徴用軍人の食料等は用意していなかった。
・当時は朝鮮民族は残忍な行為を平気で行う人種であった。ベトナムでもそのような事例が報告されている。
・事件が起きた翌年日本軍は、朝鮮民族の士官候補生を募った。
・その後朝鮮民族士官は存在したが、率いる日本民族軍人が存在しなかった。
・日本国としては、当時朝鮮半島は日本国であった。
・現在の日本国は、規模に起案しては異論が有るようだが、本件に関しては否定していない。
これを総合すると、現地採用の非正規軍人を朝鮮民族を徴用して、その暴動を日本軍が抑えることが出来なかった。
中国政府としてはこれを大きく宣伝するために被害者数を年々カサ増ししている、というのが真相のように思われる。
--121.92.123.8 2014年10月28日 (火) 17:16 (UTC)返信

上記意見に対し、ねんねこ様より2015年3月18日 (水) 05:11‎ UTCに要約欄にて「故人からの伝聞ソースなんて存在しないと等しい」とのコメントがあります。なお、言うまでもありませんがWikipediaは検証可能性を満たすものしか掲載できません。上記を掲載できるような出典を探して下さい。なお、ねんねこ様とK-iczn様が、121.92.123.8様の発言を除去されていますが、除去でなく、反論して下さい(「検証可能性を満たす出典を探せ」と一言言うだけです)。荒らしではないのですから。逆に他者の発言を除去する行為は荒らしと判断される場合がありますので御注意下さい。--JapaneseA会話2015年3月20日 (金) 21:58 (UTC)返信
Template:Talkheaderで明記されている「ここは記事の主題に関する公開討論の場ではありません。」に抵触する可能性があると考えます。暫定的にコメントアウトさせていただきます。--K-iczn会話2015年3月21日 (土) 09:11 (UTC)返信
コメントアウトを解除します。ノートページにおける他者コメントの除去が認められる例はWP:TALK#他人のコメントに挙げられるものに限定されており、ねんねこさんやK-icznさんによる除去、コメントアウトはこれに該当しません。--Claw of Slime (talk) 2015年3月21日 (土) 09:36 (UTC)返信
本件は、記事の主題から外れるため、私の会話ページにて議論中です、御意見のある方はそちらにて御願いします。--JapaneseA会話2015年3月21日 (土) 11:08 (UTC)返信

冒頭の記述と関連項目に関する提案 編集

1 冒頭部分を事件の実態を簡潔に詳しく紹介するため、「南京事件は、1927年(昭和2年)3月24日、北伐の途上において、蔣介石の国民革命軍の第2軍と第6軍を主力とする江右軍(総指揮・程潜)が南京を占領した際に発生した、日本・アメリカ・イギリスの領事館や居留民を虐殺・暴行・殺害・略奪・強姦し、おびただしい数の犠牲者を出した大量虐殺事件。北伐軍(国民党または共産党)、南京撤退時の軍閥、南京住民のいずれかによるものとされる。」とすることを提案します。

2 関連項目に「大虐殺」と「ジェノサイド」「満州事変」「組織犯罪」を加えることを提案します。--106.130.207.180 2023年12月28日 (木) 12:50 (UTC)返信

上記のコメントから1週間が経過しましたが、反対意見がなかったため、合意が形成されたものと判断し、上記提案を実施します。これは、WP:CONにある「合理的な期間」の規定に基づくものです。この編集に反対意見がある場合は、事前に合意を得てからこれを差し戻してください。--HOSEANISKAND会話2024年1月17日 (水) 08:41 (UTC)返信
  --HOSEANISKAND会話2024年1月17日 (水) 08:50 (UTC)返信

不当な差し戻しについて 編集

先ほど、花蝶風月雪月花警部氏による差し戻しを差し戻しました。こちらでは理由は示されていませんが、通州事件の方と同一だとすれば、「①本文に提案を告知した形跡が無い、②出典除去、③WP:NPOV抵触」となります。しかし、日本軍による中国人虐殺事件である南京事件のページではhttps://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6&diff=prev&oldid=98829064https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6&diff=next&oldid=98829064から分かるように本文の告知なく合意に達しています。②③については、合意に達している以上、ノートで合意を得てから差し戻してください。--HOSEANISKAND会話2024年3月26日 (火) 21:21 (UTC)返信

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