ノート:塩谷氏

最新のコメント:6 年前 | トピック:新たな荒らし行為への注意 | 投稿者:Y mon

記事の問題点 編集

一部の記述を差し戻しましたが、まず塩谷氏居城の問題があります。栃木県史の記述は本文加筆のなかで不要となったようなので外しても問題ないと思いますが、『矢板市史』などの御前原居城説を除去しなければならない理由は全く有りません。堀江山居城説がもしも現在有力となっていたとしても、市史などが主張していたことは事実です。中立的な観点を参照してください。また、御前原居城説を否定する根拠は、利用者:Y_mon氏が書いた記述のみでしかありません。その記述と同じ論法で御前原居城説を否定する書籍・論文は提示されず、独自研究が疑われます。「御前原築城の正安2年説が有力」という出典も提示されません。

次に『矢板市史』・「乙畑城記」が出典として挙がっていたコメントアウト部分、塩谷氏の2系図の差異・塩谷義孝と義綱の間の3代に関してですが、この3人に関する解説は『矢板市史』・「乙畑城記」には記述されていません。面白い考察ですが、出典不明の上、以前私が要出典を添付しており、除去の際に追加された「出典」の上記2冊が虚偽だったため、独自研究の疑いありとして一旦コメントアウトしました。

なお塩谷保真と岡本保忠の、岡本姓の名と塩谷姓と名の使い分けですが、市史などでは全く使い分けられておらず、重要なのか不明です。「保真の位牌がある瑞雲院では、保真に岡本家のものと塩谷家のものの二つの戒名が与えられており」の出典も無く、執筆者が瑞雲院に行って調査してしまった結果(つまり独自研究)の虞があります。--KurmUmy 2009年9月9日 (水) 10:45 (UTC)返信

御前原居城説を「塩谷氏の最初の居城とはなりえない」とみなす加筆が行われましたが、この説がどれほど理屈に合っているかの説明は行われますが、その説明が何の書籍に記載されたものか明示されません。御前原築城年代も正安4年説が有力と評価する書籍が明示されません。また、一方的に『ふるさと矢板のあゆみ』などの見解を除去するなど、問題が多いです。「定説」と主張される出典が全く無い加筆が行われてしまっています。出典明記(参考文献リストにあるなら脚注で示すべき)が必須でしょう。--KurmUmy 2009年9月13日 (日) 02:53 (UTC)返信

荒らし行為 編集

現在、Kitsuregawa氏による塩谷氏及びその人物に関する記事の根拠なき書き換え荒らし行為が続いています。具体的には、下野国塩谷郡の塩谷氏の読み方について、公的にも『しおのや』となっているのにも関わらず、根拠を示す事なく『しおや』と書き換えてしまい、『しおのや』と読む根拠となる説明記事を勝手に削除してしまうというものです。荒らし行為を発見しましたら、修正をよろしくお願いします。

利用者Kitsuregawa投稿履歴 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2/Kitsuregawa

--Y mon会話2018年4月1日 (日) 10:29 (UTC)返信

『しおのや』の読み方の根拠については、荒らされる前の記事、脚注にある通りですが、例えば矢板市の公式サイトでも『しおのや』と送り仮名されており、公的に認められた見解になっています。

矢板市公式サイト http://www.city.yaita.tochigi.jp/site/tomonarikun/tomonarikun-profile.html

--Y mon会話2018年4月1日 (日) 10:34 (UTC)返信

書き換え行為への対処 編集

塩谷氏に関する記事に関して Y mon 氏による執拗な改竄行為が行われています。下野国塩谷郡を発祥とする塩谷氏は「しおや」と読み下しますが、あくまでも「しおのやと」言い張り何度も書き換えてしまっています。塩谷氏(しおや)の読み方について『矢板市史』を根拠とするばかりです。『日本地名大辞典 第4巻(サ~チ)』1988年に「しおや」と明記されています。『矢板市史』は昭和56年に発刊されていますが、改訂されていません。間違いはきちんと正していかなければ歴史は正確に伝わりません。Y mon 氏は多くの頁で自己主張や独自研究で書き換えを行っています。書き換え行為を発見されましたら、修正して頂きますようお願いします。 --Kitsuregawa会話2018年4月4日 (水) 11:34 (UTC)Kitsuregawa返信

  •   両論併記したらどうですか。「常に新しいほうが絶対に正しい」と言い切れますか?矢板市が改訂や訂正を行っていないのは「その必要がない」からともいえます。Wikipedia:検証可能性を鑑みれば、現状ではどちらも表記出来うるものといえます。それとも、「塩谷」は「しおのや」ではなく「しおや」であると断定し、矢板市の見解を真っ向から否定する文献が存在するのでしょうか。--アルトクール会話2018年4月4日 (水) 11:41 (UTC)返信
  •   寛政重修諸家譜(巻第千三百九十二)では「しほのや」とルビが振られています。少なくとも江戸時代には「しおのや」読みであったとみなしてよいのではないでしょうか。それでもなお「しおや」読みのみが正しいのだと仰るのであれば、「しおのや」が誤りで「しおや」のみが正しい、とする出典を持ってきてからでしょう。例えば山内氏土佐山内氏のように、読みが変わっている例もあることですし。--松茸会話2018年4月4日 (水) 12:25 (UTC)返信
  • 何度も言いますが、Wikipediaは個人的な見解を書き込む場ではありません。下野国塩谷郡発祥の塩谷氏に関連する文献や古典などを調べれば解りますが、塩谷氏の記事の脚注などにもあるように、平安末期の昔から江戸時代、そして現在の直系の子孫も『しおのや』と名乗っています。Kitsuregawa氏は、地名の呼称と氏姓の呼称を混同されているかと思われます。他の塩谷氏については「しおや」との呼び方であっているかも知れませんが、下野国塩谷郡発祥の塩谷氏に関しては『しおのや』という呼び方が正しく、また塩谷氏の本拠地があった矢板市でも、それが通説になっています。一度、塩谷氏関連の文献を調べられる事をおすすめします。--Y mon会話2018年4月4日 (水) 13:08 (UTC)返信
  • また、この議論に資料の新しい古いは関係ないと思いますが、私が先に提示した矢板市の公式サイトは2016年に更新(投稿時現在)されていますので、そういう意味では最も新しい見解でも『しおのや』が通説として認められている事になります。--Y mon会話2018年4月4日 (水) 13:54 (UTC) 矢板市公式サイト http://www.city.yaita.tochigi.jp/site/tomonarikun/tomonarikun-profile.html返信

簡単に文献調査を行ったので報告します。まず大前提として、この記事は「塩谷氏」に関する記事であって、地名の「塩谷」の記事ではありません。

Kitsuregawaさんのいう地名事典とは「地名について」収録しているわけですから、塩谷郡などの地名の由来についてはわかるにせよ、では現代的な地名が付けられる以前にそのあたりを本拠としていた武将なりが「しおや」だったか「しおのや」だったかまで言及されていますか?もしも「塩谷郡(しおやぐん)はこの辺りを治めた塩谷氏に由来する」みたいな書かれ方をしているのであれば、これは読み手の勝手な解釈になります。この場合、出典で求められるのは「塩谷郡はこの辺りを治めた塩谷氏(しおやし)に由来する」という書き方です。

あと、『日本地名大辞典第四巻 (サ~チ)』とは、日本書房の出したものですか?ちゃんと出版社名を書いてくださいね。またここまで強行に言い張るのであればページまで出してください。

もし、この日本書房の出したものであれば初出が昭和12年~13年になります。国立国会図書館のデジタルアーカイブで閲覧可能です。これによれば、pp.3140(アーカイブのコマは115)に「シオノヤ」(塩谷里)があり、これが和歌の名所で栃木県塩谷郡氏家町から喜連川町までのあたりを指すとあります。読みだけでいえば「シオノヤ」という地域は存在しています。また、pp.3142-3143(コマは116)に「シオヤ」があり、こちらは塩谷郡の説明になっています。が、この辺り周辺を「シオヤ」または「シオノヤ」というという説明もあり、一言も人物の「塩谷」が「シオヤ」であるとは書かれていません。つまり、「塩谷」という人物名が「しおや」か「しおのや」かの言及まではされていないことになります。

1988年に『日本地名大辞典』なる本をどの出版社が出したのでしょう?検索をしても引っかかるものが見当たりません。1996年に同名の辞典日本図書センターから出版されていますが、これは日本書房の出版したものを複製したものですから、デジタルアーカイブの内容で十分検証が可能な内容になります。

以上のことから、「しおのや」は絶対に違うという話は、私の調べている範囲では「否」となります。Kitsuregawaさんは、反論されるのであれば出典に用いたとする書籍名、出版年、出版社名、参照ページを明らかにしてから行ってください。--アルトクール会話2018年4月4日 (水) 12:30 (UTC)返信


簡潔に記載します。

塩谷家を継承して塩谷正系譜(秋田塩谷系譜)の所有者であったのが塩谷順耳(しおやじゅんじ)です。 塩谷順耳(しおやじゅんじ)は、所有していた系譜を矢板市の郷土史研究家に書き写すことを許し、書き写した塩谷正系譜を基に『矢板市史』は作成されました。 しかし『矢板市史』は、塩谷の読み方を「しおや」ではなく「しおのや」としました。塩谷家が矢板市を快く思っていない理由であり、矢板市史は改訂されないままになっています。 塩谷順耳(しおやじゅんじ)は、秋田南高等学校教諭などを経て1987年から1990年まで秋田県立博物館次長を務めました。そして秋田県の中世史研究では著名な研究者でした。2011年から2016年まで秋田県歴史研究者・研究団体協議会の会長を務めました。2001年度文部科学省地域文化功労者表彰を受けました。

昨年、2017年3月7日永眠 秋田魁新報2017年3月8日

秋田県歴史研究者・研究団体協議会 http://www.akita-kenmin.jp/docs/2013011600921/

塩谷順耳(しおやじゅんじ)の論文 https://ci.nii.ac.jp/nrid/9000006146963


Y mon 氏の「そして現在の直系の子孫も『しおのや』と名乗っています。」これは明らかに間違いです。


秋田正系の塩谷氏、傍系の喜連川塩谷氏ともに「しおや」です。編集合戦になってしまいますので、特に編集は行いませんが、正論が通用しなくなるとwikipediaの信憑性に問題が出てきてしまいます。

一度、「しおや」または「しおのや」のどちらの読み方もあるように編集しましたが、Y mon 氏により編集を差し戻され、「しおのや」のみが正しいとされました。

矢板市史にも貢献し昨年永眠しました塩谷順耳(しおやじゅんじ)にとってもwikipediaの記事は残念です。 塩谷順耳(しおやじゅんじ)は、wikipediaの記事では、下野国塩谷郡を発祥とする塩谷氏の子孫ではないと言うことになります。

以上となります。記事の編集に関しましては、アルトクールさんの御判断にお任せいたしますので、よろしくお願い申し上げます。--Kitsuregawa会話2018年4月4日 (水) 14:01 (UTC)Kitsuregawa返信


現代に生きる人物の個人名を出すのは、プライバシーの問題があり、議論に出すのは問題があると思い避けてきましたが、あえて出してきたので反論させていただきます。まず、「直系の子孫も名乗った」の根拠となる文献については、記事にも脚注で出している通り『塩谷朝業』 塩谷朝業顕彰会 昭和50年(1975年)に基づくものです。また、塩谷順耳氏についてですが、この文献の編纂に協力したのは事実ですが、実際に直接資料提供などを行い協力したのは、兄の塩谷泰賢氏であり、泰賢氏は自らの氏姓を「しおのや」と名乗っていた事が当文献に明記されています。

また「直系の子孫」についてですが、秋田塩谷系譜を所持していた塩谷義綱流の塩谷氏は、豊臣秀吉に改易された後、佐竹氏に仕え秋田に移住した一族であり、最後の当主である塩谷温綱が大正13年10月14日没し、秋田塩谷系譜にも『塩谷家断絶』とあるように断絶しています。その後は、旧佐竹候の家老職であった大瀬氏の一族の坂本転界氏が継承し、その婿養子の子が泰賢氏と順耳氏になります。そのため、秋田に移住した塩谷氏の継承者ではあっても、直系の子孫とは言い難い存在でもあります。

さらに、塩谷氏の記事でも書いてますが、野州塩谷氏、つまり本流を継承したのは塩谷義通流の塩谷氏であり、これも1644年泉騒動で改易になってますが、その子孫は幕府に仕え塩谷大四郎を輩出するなど繁栄していますが、その一族は、寛政重修諸家譜にもあるように「しおのや」を名乗っています。Kitsuregawa氏は、私が主な根拠として矢板市史を提示したためか矢板市史にこだわっているようですが、塩谷氏を「しおのや」とするのは、矢板市史や矢板市の見解だけでなく、多岐にわたる文献の見解です。そこは勘違いしないでください。

下野国塩谷郡の塩谷氏か発祥した当時、また、その支配した時期においては「しおのや」と名乗った事が、多くの文献や古典に記されており、これをWikipediaで記事にする場合は「しおのや」とするべきであると考えられます。 --Y mon会話2018年4月4日 (水) 14:44 (UTC)返信

  それで結局、『日本地名大辞典』はどこの誰が出版したものなんですか。説明されてませんよ。また、塩谷順耳氏の姓の読みが「しおや」であることで「しおのや」を否定はできないですよ。論文を出されても「どの論文のどの部分に『塩谷の読み』について書かれているのか」を明確にしなければいけません。出典を提示するのは書き手であるのが基本的なルールです。
>塩谷順耳(しおやじゅんじ)は、所有していた系譜を矢板市の郷土史研究家に書き写すことを許し、書き写した塩谷正系譜を基に『矢板市史』は作成されました。
とありますが、秋田魁新報ソースということでいいんでしょうか?その書き方では「あなたの文章」なのか「引用したもの」なのかわかりません。
山内氏の例が先に出されていますが、時代を経ることで読みが変わった姓というのも中には存在しています。
では、「しおのや」なのか「しおや」なのか。この検証は「ウィキペディアでやることではない」です。信頼できる情報源によって書かれているならば、基本的に「両論併記」。それで、結局「塩谷」が「しおや」であるという説明はどこにあるのか、という話です。結局のところ、Kitsuregawaさんの提示されている情報は、情報不足の「地名辞典」と、秋田魁新報の「経歴紹介」です。前者は地名の読みであって、私が説明して以降の反論がされていません。後者は経歴紹介であって、では「しおや」とする裏付けが取れているかというとそれもまたわからない状況です(つまり、塩谷順耳氏が語ったこと『だけ』によった情報源になっているからWikipedia:中立的な観点から出典の優先順位が低くなるか場合によっては出典無効になる)。直接「塩谷」の読みについての研究結果あるいは専門書や論文として出されている情報の提示がされていません。
確かに塩谷順耳氏が日本史に造詣が深く、論文を発表されているのはわかります。そでも、それだけで「じゃあ、この人が『しおや』というのだから「しおや」だけが正当な呼び名である」と結論付けることはできません。なので、よくても両論併記止まりです。
Y monさんも言っていますが、通常「市史の編さん」では複数の文献に当たって、「それ以外の情報源」からも情報を取り入れます。つまり、矢板市だけが「しおのや」と言っているわけではありません。--アルトクール会話2018年4月4日 (水) 15:25 (UTC)返信
  • 追記・訂正 「最後の当主である塩谷温綱が大正13年10月14日没し」と書いた部分に書き漏れがあり、正確には「最後の当主である塩谷温綱の妻のトク氏が大正13年10月14日に没し」なので訂正します。また、さらに詳しい話を追記すれば、塩谷温綱氏が浅草の総泉寺に葬られたのに対して、妻のトク氏は秋田市の玄心寺に葬られており、坂本転界氏は塩谷温綱氏の養子になったものではなく、妻のトク氏との関係から菩提を継承したものに過ぎません。その坂本転界氏の養子である祖光氏の子が泰賢氏と順耳氏の2人の兄弟になります。したがって、塩谷順耳氏は直系の子孫とは言い難い存在になります。--Y mon会話2018年4月4日 (水) 21:58 (UTC)返信

アルトクールさま 中立的な観点からお願いしたいのですが、秋田に移った塩谷家嫡流は断絶しましたが、その多くの分家、そして喜連川塩谷家の末裔の多くは「しおや」です。ここで議論すべきことではありませんので、「両論併記」で編集をお願いできないでしょうか?現状の編集のままでは「しおや」と読む一族は、すべて児玉党系塩谷氏という不適切なものになっています。

『塩屋・塩谷一族』 日本家系家紋研究所 1976年

『改易の城―下野宇都宮氏断絶秘話』 島 遼伍 下野新聞社 1993年 宇都宮家家臣団の塩谷氏の家臣はすべて「しおや」と記載されています。

『栃木の苗字と家紋〈上巻〉』遅沢俊郎 下野新聞社 1984年 「しおや」と「しおのや」が併記されています。

アルトクールさまの方で「両論併記」の編集をしてください。「しおのや」のみが正しいとするのは中立的ではありません。よろしくお願い申し上げます。--Kitsuregawa会話2018年4月5日 (木) 11:16 (UTC)Kitsuregawa返信

  • Kitsuregawaさんは、まず、こちらが提示した質問に答えるべきです。まるで、これまでの議論がなかったかのように反論されていますが、塩谷順耳氏という具体的な個人名まで出して、反論した事については間違いであったと認めるという事でしょうか? 『昨年永眠しました塩谷順耳(しおやじゅんじ)にとってもwikipediaの記事は残念です。』とまで言い切ってますが、何を根拠にこのような発言をされたのでしょうか? もし、あなたの感情的な憶測でそのような反論をしたというのであれば、塩谷順耳氏に対する明らかな冒涜です。議論に対して、言動があまりにも無責任すぎます。--Y mon会話2018年4月5日 (木) 11:50 (UTC)返信
  申し訳ないんですが、私からの質問に答えていない状態で新しい情報ばかりを出されても困ります。実際問題として新しく出された情報についても、「併記されている」とか「しおやの読みになっている」というのを『ページ番号まで』提示してくれませんか?手元に出典がある状態で書いていらっしゃるんですよね?それとも、検証されるのが困るのでしょうか。
私がまずKitsuragewaさんに求めているのは
  1. 『日本地名大辞典』について正しく書籍・文献名、出版年、出版社名・著作者名、参照ページを述べること
  2. 秋田魁新報のソースとみられるものはその通りの解釈でいいのか
  3. 新しく提示した情報源についてもページ番号まで述べること(検証可能性を満たすため)
最低限ここまではやってください。はっきり言って『日本地名大辞典』の件があって、私はあなたの提示している情報が正しいかどうかを疑っていますし、質問に答えずに次々と新しい情報を出されていますので、ただ「こう書かれているんだ」というだけでは信用していません。4月5日11時16分のKitsuregawaさんのコメントが私の意見を入れての話であれば、まず「しおやだけが正しい」という意見を下げてから両論併記を述べるべきです。あなたの主張が二転三転していて、これで「信じてください」といわれて「はいそうですね」とはいきませんよ。--アルトクール会話2018年4月5日 (木) 12:17 (UTC)返信
Kitsuregawaさんが自身の会話ページで示した文献も含めて、多少図書館で調べてきました。
  • 『日本地名大辞典 第4巻 (サ~チ)』(日本図書センター、1996年)※日本書房刊行本(1937~1938年)の復刻版 - アルトクールさんが示したように、3143頁に、塩谷郡の地名の読みについては「シオノヤ」または「シオヤ」、明治以降は「シオヤ」と読むとする。塩谷氏の姓の読みについては記載なし。
  • 『日本歴史地名大系 9 栃木県の地名』(平凡社、1988年) - 194頁に地名の塩谷について、「和名抄」では「之保乃夜」、「伊呂波字類抄」では「シホヤ」とある。196頁の塩谷庄は「しおやのしょう」としつつも、「しおのや」とも呼ばれた、とする。197頁には「殿下御領下野国塩乃谷御庄御年貢」という文書名が記載(つまり「の」が入っている)。ただし、塩谷氏の読みについては記載なし。
  • 『角川日本地名大辞典 9 栃木県』(角川学芸出版、2009年)※1984年版の新装版 - 454~455頁、塩谷は「しおや」で立項され、近世までは「しおのや」とも読んだとある。塩谷孝綱と塩谷朝業が文中に出てくるが、姓の読みについては記載なし。
  • 『寛政譜以降旗本家百科事典 第3巻』(東洋書林、1997年) - 1317~1319頁、塩谷氏の人物の読み仮名は「しおのや」。
  • 『戦国人名辞典』(吉川弘文館、2006年) - 487頁、塩谷刑部大輔・塩谷孝綱・塩谷盛綱・塩谷義綱掲載、読み仮名は「しおのや」。
  • 『徳川幕臣人名辞典』(東京堂出版、2010年) - 325頁、塩谷惟寅の読みが「しおや これのぶ」。
  • 『徳川幕府全代官人名辞典』(東京堂出版、2015年) - 219頁、塩谷惟寅の読みが「しおのや これのぶ」。
  • 『普及新版 日本歴史大辞典 5』(河出書房新社、1985年) - 244頁、塩谷大四郎(=惟寅)の読みが「しほのや だいしらう」。245頁、塩谷郡は「しほやぐん」。拾芥抄には「塩ノ屋」とあり、慶長頃に「塩谷」に改めたものか、とある。
  • 『国史大辞典 6』(吉川弘文館、1985年) - 658頁、塩谷大四郎の読みが「しおのや だいしろう」。660頁、塩谷郡は「しおやぐん」。「塩屋(しほのや)」だったのが「の」を省いて「しほや」と呼ばれるようになり、字も「塩谷」と転じた、とある。
・・・と、見てみると地名が「しおや」あるいは「しおのや」、人名(少なくとも近世の段階)は「しおのや」読みという印象です(『徳川幕臣人名辞典』のような例外も存在しますが)。Kitsuregawaさんが上記で示された文献は確認していませんのでそちらも検証の必要がありますけども。ただ、Kitsuregawaさんが2018年2月26日 (月) 15:50に会話ページで示された『日本地名大辞典』(日本図書センターのものと推定)、『日本歴史地名大系』(体系は大系の誤記と推定)の2点は、地名の読みについては書いてあっても、塩谷氏が「しおや」であるとは書かれておらず、論拠としては適切ではないと思われます。また、2018年4月4日 (水) 14:01の発言では、矢板市が市史を編纂する際に「しおのや」読みに捏造したかのような印象を受け、こちらも説明としては不適切でしょう。実際には江戸時代段階で「しおのや」の読みのものが存在するのですから。--松茸会話2018年4月5日 (木) 12:35 (UTC)返信
  • Kitsuregawa氏が根拠として提示した『改易の城―下野宇都宮氏断絶秘話』 島 遼伍 下野新聞社 1993年を確認して来ました。これは、小説じゃないですか。一応、歴史的事実を基にした小説ですが、作者の創作や架空の人物が登場しており、とても歴史的事実を証明する資料とは言えません。辛辣な言い方になりますが、小説を歴史的な事実を証明する資料として提示したKitsuregawa氏の見識を疑います。この小説の本編の後に、確かに塩谷孝綱塩谷由綱(義孝)、塩谷義綱塩谷義通の4人が紹介され、確かに『しおや』と送り仮名されていますが、塩谷孝綱、由綱については没年のみ、義綱に至っては生没年すら調べておらず、由綱が寄進した御前原城にある『はしか地蔵』の寄進者を孝綱と紹介するなど、その調査はずさんなものであり、とても歴史的事実を語る資料に値するとは思えません。Kitsuregawa氏の主張は、あまりにも酷いと言わざるを得ません。--Y mon会話2018年4月6日 (金) 04:03 (UTC)返信

「しおのや」を「しおや」だけに改めるべきではないということで決着がついていると考えられます。今回のこの話は「塩谷」が「しおや」か「しおのや」か、どちらか一方しか採用しないという話ではなく、下野国塩谷郡を由来とする塩谷氏が「しおのや」と読むかどうかの話です。児玉党の塩谷氏が「しおのや」かどうかの話ではありません。--アルトクール会話2018年4月23日 (月) 12:35 (UTC)返信

新たな荒らし行為への注意 編集

Kitsuregawaは、自分の主張が受け入れられないからと言って、『しおや』と読みくだす塩谷氏まで『しおのや』に書き換えるような荒らし行為はやめて下さい。あなたには、Wikipediaの編集に参加する資格はありません。最低です。--Y mon会話2018年4月16日 (月) 07:19 (UTC)返信

Kitsuregawa氏の荒らし行為が続いています。下野国の塩谷氏(しおのや)を『しおや』と書き換えるだけでなく、その証拠となる文章を勝手に削除し、さらには本来『しおや』と読み下す塩谷氏を『しおのや』と書き換える悪質なものです。見つけ次第、善処をよろしくお願いします。--Y mon会話2018年4月23日 (月) 12:36 (UTC)返信

ページ「塩谷氏」に戻る。