ノート:女子高生

最新のコメント:11 年前 | トピック:ABNOIC氏の編集について | 投稿者:Uaa

内容的に、好ましくない分野もおそらく出てくる(編者の良識には期待したい)のも含めて、社会現象をそのものとなった存在という面について、書く気なら書けるのでは?。少なくとも「男子高生」とは明らかに異なったエピソードが有るだろう。

風俗、犯罪の側面が強調されすぎており、偏った記事内容である。風俗・犯罪に縁のない全国の大多数の女子高生が見たら怒るよ。なお、女子校生という呼び方は、1980年代のロマンポルノに対する規制ではなかったか?(児ポ法よりもっと前) --Eroro 2005年4月3日 (日) 13:27 (UTC)返信
犯罪・風俗に関する事項はコメントアウトしました。 --Eroro 2005年4月13日 (水) 15:12 (UTC)返信

利用される画像について 編集

画像を貼られる際は 顔が映っている場合はぼかし等をいれ、 盗撮など犯罪行為の可能性が無いものをご利用ください

顔が映っている場合は 肖像権の侵害の恐れも御座います 詳しくは画像利用の方針をご覧ください http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E7%94%BB%E5%83%8F%E5%88%A9%E7%94%A8%E3%81%AE%E6%96%B9%E9%87%9D --124.100.12.182 2009年6月22日 (月) 09:11 (UTC)返信

画像の掲載を巡って編集合戦が発生したので保護しました。--おはぐろ蜻蛉 2009年6月22日 (月) 09:16 (UTC)返信

結局盗撮(の可能性云々カンヌン)ですね。盗撮の可能性のある画像をWikipediaに載せても構わないケースはままあるということでしょうか?--211.124.255.93 2009年9月18日 (金) 07:40 (UTC)返信

画像の復帰 編集

IPユーザーによるブロック破りの強引な編集が行なわれたので、編集合戦の前の版に戻します。画像を除去するのならノートで合意を得てください。そもそも、根拠が示されていない以上盗撮が行なわれたなどというのは憶測による決めつけですし、問題があると思うなら、コモンズに削除依頼するべきでしょう。--uaa 2009年7月31日 (金) 18:02 (UTC)返信

節 女子高生のトレンド・ブーム化 の記述について 編集

この記述この記述修正した者です。

(1)女子高生がブームになるより以前の時代

  • 高校生が放課後や休日に制服を着ていなかった理由は
  • 一部の地域では制服が定められていない、私服登校が可能な学校が人気を集めていた理由は

「高校生として制服を着ているということは、大人になっていない子どもであるという意味合いが大人・高校生双方に意識されており、1980年代の不良文化の名残もあって、高校生は大人の文化にあこがれ背伸びをして、放課後や休日には『制服を着ないで/脱いで』大人と同じような権利を行使してみる(例:喫煙、夜間外出)といった傾向がみられた。同じような意識もあいまって、一部の地域では制服が定められていない、私服登校が可能な学校が人気を集めていた。」と修正前の版に書いてありましたが、違うと思います。

昔、大人になったような背伸びをしたような気分になったのは制服を着せられたときで、幼稚園に上がったとき、中学校に入ったとき、制服を着て、○○くん大人になったねえ、などとご近所や親戚などから言われ、少し誇らしげな気分になったものでした。でも幼稚園生活・中学生生活が日常になれば、私服と比べて制服というのは堅苦しく、またシワになるのを避けたい、シミが付くのを避けたいと感じて、家に帰れば制服は脱ぎました。脱いだ瞬間の感覚は開放感・ホッとするというものでした。また、制服を着用している間は「○○中学生らしくしなさい」「世間はあなた個人のことは知らないが、○○中学生として見るんだよ」と規律を求められ、自分個人の顔ではなく○○中学生としての自覚をもって行動しなさい、と「押し付けられた」風だったと記憶していて、そんなに強烈に自覚していたわけではないけれど(というかありありとはほとんど自覚はしていなかったかもしれないけれど)、どちらかというと、制服を脱ぐというのはそこから解放される・自分個人に戻るという開放感だったように記憶しています。
歴史的な経緯を見れば、「制服が定められていない、私服登校が可能な高校」は、学生運動の結果・名残だったように記憶しています。1960年代1970年代に大学を中心に若者たちの学生運動・学園紛争があって、高校にもそういう運動なり気運なり余波・余熱なりがあって、その結果校則を変えて、制服が廃止になって、私服登校出来るようになった、そういう経緯だったように記憶しています。
なので、2009年7月31日 (金) 18:02 の版にもある「それ以前には」「高校生として制服を着ているということは、大人になっていない子どもであるという意味合いが大人・高校生双方に意識されており、1980年代の不良文化の名残もあって、高校生は大人の文化にあこがれ背伸びをして、放課後や休日には『制服を着ないで/脱いで』大人と同じような権利を行使してみる(例:喫煙、夜間外出)といった傾向もみられた。」「あるいは左記に述べたような意識もあって、一部の地域では、制服が定められていない、私服登校が可能な学校が人気を集めていた。」という記述には、疑義を呈します。

(2)ほかの記述にも典拠は付いていませんし、自分が2007年10月23日 (火) 10:55にした修正も典拠なしですし、だから即削除だと言うつもりはありませんが、下記の記述はとても典拠が欲しい記述だと感じます(Wikipedia:独自研究は載せない)。

「それ以前、1977年に放送が開始されたテレビアニメ『ヤッターマン』において、主人公の敵役の一人が『全国の女子高生』に呼び掛けを行うセリフが全国的に有名となった例があるが、結果的にその後の女子高生トレンドをかなり早いうちから先取りしていた一例であると言える。」(2009年7月31日 (金) 18:02 の版

(3)下記の記述は、経験に照らし合わせて違和感ありません。

「女子高生の文化にマスメディアが焦点を当て、テレビなどでトレンドや記号として紹介されたことによって、またブルセラなどの性的・社会的な問題があって『女子高生ブーム』が起きたことを受け、彼女たち自身が放課後や休日にも制服を着て行動するようになった。一部では、高校名や高校のバッグといった形で男子高校生にまでブームが及んだり、高校生ではなくなったのに、あるいは在籍通学していないのに、制服を着て街を徘徊してみせる『なんちゃって女子高生』まであらわれるようになった。」(2009年7月31日 (金) 18:02 の版

Uryah 2009年8月13日 (木) 09:48 (UTC) Uryah 2009年8月13日 (木) 09:56 (UTC)返信

「疑問点と要出典範囲が削除」されました。
その版(2009年11月26日 (木) 09:58)にある「女子はとくに不安定」と読める部分に典拠が欲しい、あった方がいいと感じました。いま本文に{{要出典}}を付けませんが、典拠になる情報があったら付けるか、ここノートにお知らせください。
自分がいま見つけたそれらしいような近いような情報は下記。
  • 朝日新聞2004年6月20日 「小6女子」教師どう対応
Uryah 2009年11月27日 (金) 13:22 (UTC)返信

参考情報 編集

2009年12月2日放送のNHK「SONGS」で、井上陽水の少年時代1990年)が使われた ソニー ハンディカム CCD-TR101のCM(1991年) が流れましたが、そこに描かれていた女子高生の制服・風情は、今の「女子高生」のそれと違うものでした。それを傍証として、「女子高生がブームになったのは1993年頃から」(1)というのは間違いなさそうです。Uryah 2009年12月3日 (木) 12:34 (UTC)返信

「18歳未満を含む言葉」という文について 編集

「18歳未満を含む言葉」という文は読んでる人にはちょっと分かりづらいと思います。「高校以下(18歳未満)の言葉」の方が分かりやすいと思います。文も間違ってはいないはずですし。--ザンザザーン 2010年8月10日 (火) 01:46 (UTC)返信

高校生には18歳の3年生もいますので高校以下と18歳未満はイコールではありません。--114.184.11.112 2010年10月7日 (木) 14:05 (UTC)返信

低俗番組と女子高生について 編集

具体的な番組名を明記するならまだしも、「90年代後半に放送された某番組」だの、「地方で放送されたバラエティ番組」では検証が不可能です。編集者の妄想の可能性すらあるように思います。仮に、具体的な番組名が判明し検証可能な状況だとしても女子高生の説明に必須なのでしょうか。--おはぐろ蜻蛉 2011年1月26日 (水) 11:59 (UTC)返信

ABNOIC氏の編集について 編集

本記事は日本の女子高生文化がメインの記事ですよね。他言語版もそうなっています。他国で女子の高校生を性の対象等で特別な扱いをする文化があるんでしょうかね?世界の学生・生徒についての記述は別の記事で扱うべきであり、国際化なんてトンチンカンもいいところです。私にはABNOIC氏がWikipedia:日本中心にならないようにや国際性について理解していないように思えますね。エジプトやインドネシアの写真を日本の上に置いたり、日本の節を下に持ってくのが国際化だと思ってんですか?仮に世界各国の事象について扱う場合であっても、まとまった量の記事を上にして、数行程度の記述しかない国はその下に「その他の国」節としてまとめるべきでしょう。それ以前に、”1 世界 2 日本”なんて節構成のほうが国際的観点から見てアウトでしょう。日本は世界の一員じゃないんですか?(笑)国際的観点を勘違いしてる人の典型ですね。

それと、「教育に直接関係ない」というのはこの記事から記述を除去する理由にならないので、これも復帰します。--uaa会話2012年6月9日 (土) 17:33 (UTC)返信

ページ「女子高生」に戻る。