ノート:将校志望を断念した日本の人物の一覧

最新のコメント:14 年前 | トピック:議論活性化のためのコメント依頼 | 投稿者:柴崎力栄

即時削除を外しました 編集

  • 金子堅太郎の側にも加筆しますが、海軍についての文官側での支援者としての動きを長くすることになる原点になっていることですし、二葉亭四迷も、ロシア語の専門家として海軍編修書記から、大陸浪人になり、日露戦争に関わる原点になっている経歴です。形式上即時削除の対象となる条件からはずれていますので、異議があるならば、削除依頼に出してください。--rshiba 2009年11月20日 (金) 07:31 (UTC)返信

断念の基準について 編集

この一覧がいるか自体疑問なんですが、とりあえず必要という前提で、、

現在の「将校志望を断念した」では「小さい頃あこがれていたけど諸般の事情で断念」なんていうのも含まれてしまい、それが記述できるのは、信頼性のある伝記にそう思っていたことについての記載があるというような場合に限られ、その出典を示す必要があります(リンク先の各個人記事を見ろというのもありですが、記事になっている以上、当記事中に出典記載して欲しい)。

ちなみに、"士官学校出身で非軍人の日本の人物の一覧"の方が出身や入学記録なのでまだ出典を示しやすいとは思います。Fuji 3 2010年1月13日 (水) 03:56 (UTC)返信

特に意見がないようなら上記に定義を修正し、一覧の収録項目を見直します。Fuji 3 2010年3月6日 (土) 02:36 (UTC)返信
異議を申し述べます。士官学校出身で非軍人の日本の人物の一覧は、別途お作りください。(一覧では並列関係になるのでしょうが、カテゴリだったら、「士官学校出身で非軍人の日本の人物の一覧」は「将校志望を断念した日本の人物の一覧」の下位カテゴリということになります)。この一覧については、金子堅太郎広田弘毅の二人だけでも、軍人になることを断念したことが、その後に特筆性のある政治家になった人物の経歴にいかに大きな影響を与えたかが著明であるため、十分に存在意義があります。金子については、具体的な研究論文を示すこともできます。今後、他の同様な経歴の人物の回顧録などの記述を集めるためにも存在意義があります。もし対置すべき反論があるのならば、お示しください。個別の人物を取り上げて議論してゆきましょう。--rshiba 2010年3月6日 (土) 14:42 (UTC)返信
先に述べている通り、(1)定義がしっかりして(2)出典がつけば 定義変更も一覧の見直しも不要と思っています。とりあえず全項目に要出典を付与して様子見としたいと思います(作業着手までしばらく待ちます)。
ちなみに、「この一覧がいるか自体疑問なんですが」は、一部人物について、将校になることを断念したことが、その後の経歴に影響があったことは(リンク先の個別記事を読むことで推測することができることを)認めますが、一般論として将校志望を断念したことが人物の業績に顕著な影響があるという研究結果を寡聞にして知らないからです。そのような研究結果がない場合に、「同様な経歴の人物の回顧録などの記述を集めるため」に一覧記事を作成するのは多分に独自研究のおそれがあると思います。もっとも、個人的には一覧記事の作成基準については寛容な見解を持っているので、こんな一覧があってもいいかなとは思っています。Fuji 3 2010年3月8日 (月) 01:13 (UTC)返信
だとすれば、独自研究云々については回顧録などに将校志望を断念した記述のある日本の人物の一覧だったら問題ないということですね。但し、簡便さとの兼ね合いで「回顧録などに記述のある」は、説明の文章に加えることとの相互の利害得失を考えるということになるでしょう。
要出典を貼るのは、この項目ではなく、もともとのその人物の項目にしていただけませんか。--rshiba 2010年3月8日 (月) 02:31 (UTC)返信
個別の人名の項目のうち、関連部分に「要出典範囲」を添付しました。--rshiba 2010年3月8日 (月) 04:18 (UTC)返信
個別記事ではなく当一覧記事の方に、当一覧に採録した根拠となる出典を付与した方が良いという意見は変わりませんが、当一覧の定義(採録基準)については、現在の記述のようなもので十分かと思います。余談ながら定義をそのまま記事名称にする必要はないので、記事名変更は不要と考えます。
後は、「この基準で一覧を作成している意味は何?」という疑問への回答だけとは思いますが、私は先に述べた通り、必要と思う人がいれば一覧作成してもいいかな派なので、この点へはタッチしません。Fuji 3 2010年3月8日 (月) 04:31 (UTC)返信
私としては一覧として記事を設けることに疑問を感じました。上でrshiba氏は「海軍についての文官側での支援者としての動きを長くすることになる原点になっていることですし、二葉亭四迷も、ロシア語の専門家として海軍編修書記から、大陸浪人になり、日露戦争に関わる原点になっている経歴です。」と述べていますが、それは個々の記事において特筆性のある事柄として加筆されるべき情報で、「将校志望を断念した日本の人物の一覧」という一覧記事作成の根拠になるものではありませんよね?これじゃ「弁護士志望を~」「医者志望を~」などといくらでも作れる気がします。それぞれが将校志望であったことにはそれなりの特筆性があると考えますが、一覧としてまとめるには向いてない物だと考えます。--タールマン 2010年3月12日 (金) 16:25 (UTC)返信
この一覧には、明治維新以後、二次大戦の終戦までの時期の日本社会における軍とその将校のもつ社会的地位が反映しています。本来はほかの志望だったが、断念して陸海軍将校になったという回想を残す人物を探し出すのが困難であるのがその第一の傍証になります。また、「弁護士志望を断念した」「医者志望を断念した」という回想を自ら残す歴史上の特筆性ある人物群を探し出すことができますか? それが事実上無理であろうことが第二の傍証になります。
小沢一郎の弁護士断念して政治家へ」は孤立した事例であって、弁護士を断念することである似た傾向の行動をその後の人生で選択する確率が高くなる人物群の存在につながらない。一方、陸海軍将校志望を断念した人物群には、その半数程度の人物の経歴に明らかに共通な傾向性が観察される。
なお、まぎらわしいのなら、「陸海空自衛隊の幹部志望を断念した者を含む」を外して、旧軍将校志望者に特化した項目に変更してもいいです。--rshiba 2010年3月13日 (土) 06:43 (UTC)返信
「将校志望を断念した」という括りがそもそも違和感を覚えます。rshibaは収録基準として
  1. 回顧録や伝記などにそのような記述が残るか否を収録の基準とする。
  2. 陸軍士官学校海軍兵学校防衛大学校の中途退学者を含む。
  3. 自衛隊幹部志望を断念した者を含む。
の3つを挙げていますが、このうちハッキリと区分できる物は卒業していたら2つめの陸軍士官学校海軍兵学校防衛大学校の中途退学者のみです。「防衛大学校を中退した人物」とか「士官学校を中退した人物」とかの記事名ならまだ判らないでもないですが。たとえ本人が幾ら伝記なりなんなりで述懐していようと、それは検証可能性の上で曖昧です。--タールマン 2010年3月16日 (火) 05:57 (UTC)返信
検証可能性を満たしていないとも思いませんし、少しも曖昧だとは考えません。検証可能な文献に記録されているのか否が基準です。この先は、水掛け論になるだけですので、他の方々の意見を聞くことにしたら如何でしょうか。この項目について、コメント依頼をしたほうがいいと考えます。--rshiba 2010年3月16日 (火) 06:57 (UTC)返信

陸軍幼年学校を退校になった大杉栄なんてのはどうなりますか。 --ねこぱんだ 2010年3月16日 (火) 07:05 (UTC)返信

将校養成の諸学校の退学者は、むしろ、別の一覧を作成したほうがいいように思います。わたくしがもともと一覧にしたかったのは、入学以前に進路変更をしたことを一生気にかけていてそれがその人の社会的活動に何がしかの影響を与えた人物ですから。--rshiba 2010年3月16日 (火) 07:09 (UTC)返信
私はその「入学以前に進路変更をしたことを一生気にかけていてそれがその人の社会的活動に何がしかの影響を与えた人物」というのは個々人で事情が違うんですから一覧として一括りに出来ないと言うことを申し上げています。個々の記事に出典付きでその断念が後のキャリアや人格形成にどういう影響を与えたのか執筆する分には全く問題ありませんが。この基準では士官学校を中退した人物から、極端な話何の接点もない人物がただ「私は士官になることを断念したんですよ」と述懐してるだけの物まで幅広く含む事が可能になってしまいます。--タールマン 2010年3月16日 (火) 07:22 (UTC)返信
ねこぱんださんにお答えしたように、いくつかに腑分けして別区分にしたほうがいいと考えます。当面は一つの一覧の内部で行い、ある程度大きくなってきたら分割提案に回したらいいでしょう。なお、差異性はあっても回顧や証言が残るという面で検証可能性は満たすのですから問題ありません。「幅広く含む事が可能」でいいのです。--rshiba 2010年3月16日 (火) 07:25 (UTC)返信

議論活性化のためのコメント依頼 編集

Wikipedia:コメント依頼#議_2010年3月に、コメント依頼[1]が出されています。コメントはこちらへどうぞ。--rshiba 2010年3月21日 (日) 06:18 (UTC)返信

ページ「将校志望を断念した日本の人物の一覧」に戻る。