ノート:少年愛/過去ログ1

最新のコメント:16 年前 | トピック:ギリシア語の表記 | 投稿者:124.255.16.239

ギリシア語の表記 編集

「パイデラスティアー」のギリシア語綴り「Παιδεραστια」にアクセントを打つ方法を御存じの方がいらっしゃったら教えて下さい。 よろしくお願いいたします。


παιδεραστία を貼り付けて、より精確にしましょうか? --124.255.16.239 2008年2月13日 (水) 04:46 (UTC)hadrianvs et antinovs

2004年-2005年の話 編集

「少年愛」は主に男性が少年を愛する営為を指す言葉である。 とくに古代ギリシアで盛んだったパイデラスティアー(paiderastia)が名高い。 日本や中国などにおける男色も多くの場合は、少年愛の形態をとっていた。 その他、古代ローマや、ペルシアやアラブ、トルコなどのイスラーム世界においても「少年愛」は極めて一般的に行われていたことが知られている。

編集合戦になるのは避けたいのでまずここに書きます。少年愛の語義としては、少なくとも当初は「少年同士の恋愛」が主意だったのではないでしょうか。そうした両義併記のうえで、上に書かれたような第二義に基づいての歴史説明を詳述されるのは一向に構わないんですが。なにより(現時点で)説明が矛盾して記事全体の主張が一貫しなくなっているのは問題だと思います。死郎 14:58 2004年5月19日 (UTC)
反論がなかったので、これまでの経緯も勘案して整理してみました。後半の『成年男性→少年』に関する部分にはほとんど手をつけていないので、まだまとまっていない感じもありますけど、そのへんはヨロシク。死郎 15:28 2004年5月21日 (UTC)

  • >>少年愛の語義としては、少なくとも当初は「少年同士の恋愛」が主意だったのではないでしょうか。
  • これは違うと思います。このように断定する根拠を示してください。根拠がなければ、貴方が勝手にそう思いこんでいるだけということになります。「少年同士の恋愛」というような意味での用法は、多分、1970年前後の少女コミックにおける「少年愛ブーム」のなかで、意味構成された可能性が高いです。百科事典の記載項目は、本来的・中心的な意味から説明すべきです。とまれ、「断定」する根拠を示してください。Ermine/maris stella 2005年5月19日(水)08:55 +9h/5月18日(火)23:55(UTC)
  • ええ。仰る通り“本来的・中心的な意味合いから説明~”という点に賛同いたします。なので、挑発的な表現は控えて冷静に願います(そうした意図はない、と仰るなら結構)。最新の記事を拝見しましたが、要するに意見の相違点としては稲垣足穂御大による『少年愛の美学』『A感覚とV感覚』ほか一連の作品をどう読むかに懸かって来ると思うわけです。むしろ逆に、それ以前に『少年愛』という語を『少年同士の恋愛』を排除した意味で用いた例を示していただきたい。それがないのであれば(寡聞にして知らないのですが)、『少年愛』の本来的な意味合いはあくまで『少年同士の恋愛』とすべきだと考える次第。現時点でのこの項目の記述は、むしろ『衆道』(現在、ここへのリダイレクトになっています)なり『若道』なりを作って、そこに移すことを提案します。死郎 2005年5月20日 (金) 18:12 (UTC)

revert のお知らせ 編集

記事「少年愛」は、現在「削除依頼」に出されています。削除依頼はまだ終了していません。終了には、管理者による「終了判定」が必要になります。コメントアウトで注意文として書かれていたと思うのですが、「削除依頼テンプレート」は勝手に外してはならないものです。しかし、次のような編集が行われました:

2006年5月17日 (水) 15:57 Nakaoka7675 (→日本)
2006年5月17日 (水) 14:27 61.123.31.137 (→宗教改革と近世ルネッサンス)
2006年5月17日 (水) 14:21 61.123.31.137
2006年5月12日 (金) 19:27 Maris stella (Western Europe et corrections)

5月17日の14:21に、IPユーザー「61.123.31.137」さんが、「削除依頼テンプレート」を削除しました。この後すぐに、英語版ウィキの「en:Pederasty」に掲載されている画像を載せ、更に、同日の 15:57 に、ユーザー「user:Nakaoka7675」さんが、別の画像で、やはり英語版に使用されていたものを掲載しました。

削除依頼テンプレートは元に戻す必要があります(でないと、この記事が「削除依頼」に出されているということが分からなくなります)。従って、リヴァートの必要があるのですが、追加の二つの画像追加の編集についても、このような画像の掲載は不適切とわたしは判断しますので、5月12日19:27でのわたしの編集まで、revert させて戴きます。なお、二つの画像が不適切な理由について、以下に簡単に説明します。--Maris stella 2006年5月18日 (木) 15:03 (UTC)

少年愛の概念 編集

二つの画像が不適切であると上で述べましたが、その理由を簡単に述べます。

基本的な理由は、日本語の「少年愛」と英語の「en:Pederasty」、あるいはドイツ語の「de:Päderastie」は、概念が異なっており、従って、意味する内容が異なるというのがあります。言語は一般に、異なる言語のあいだで意味が一対一対応するような単語は普通ないのであり、社会や文化に関連する言葉の場合は、一層そうです。「少年愛」と英語の「en:Pederasty」のあいでインターリンクを張っているのは、もっとも近い言葉・概念として、インターリンクがあるので、少年愛=Pederasty ではないのです。

話が細かいことになるので略しますが、欧米は、キリスト教文化が強く支配しています。Pederasty という言葉には、否定的な意味合いが含まれており、更に、肉体的交渉の相をより意識した言葉になっています。また、建前としての同性愛禁止と、現実には同性愛が西欧の歴史では氾濫していたという矛盾もあります。男性同性愛と少年愛はどう違うのか、という点においても、欧米では連続的に捉えている見方があり、日本語の「少年愛」とはかなり異なった概念でもあるのです。日本語の少年愛は、日本の文化がそうなのかも知れませんが、精神的な人間関係の面がより強調されており、「即物的ではない」という面もあるのです。

画像の効果 編集

画像は、視覚的情報に訴えるので、非常に説明として有効な面があります。しかし、逆に、この直接的な効果を考えると、微妙なケースでは、画像として何を使うか、かなり配慮が必要になります。英語版の「Pederasty」では、その記事の文脈や、説明内容に照応して、画像があるとも言えるのですが、日本語版では、こういう画像は、記述に対応しません。「ウィキメディア・コモンズに、少年愛に関連するマルチメディアがあります。」というテンプレートによる誘導がありますが、正確にはこれは、「Pederasty に関連するマルチメディア」というべきです。

画像は、強い印象を与え、直接的に意味を示しますが、それだけに使用するのが難しいというのが本当のところです。カラヴァッジョを記述したから、カラヴァッジョの絵画を載せるという単純な話ではないと思います。画像は、文章の記述を補うものであればよいのですが、文章記述とは別に、それを見る人に「強い一方的な意味印象」を与え、決めつけを行ってしまうというリスクがあります。(文章の記述だけだと、読む人それぞれで、色々なイメージや意味を思い描くことができるが、画像があると、提示された画像の直接的な印象の強さに、個人のイマジネーションや意味の広がりの可能性を限定して決めつけてしまうという効果があるということです)。

画像は何が適切か、判断するのに相応の時間がかかりますし、ウィキで使える画像には、適切なものがないというケースもあります。「王の道」を訳した後、何か添える画像があればよいと思い、コモンズで二時間ぐらい探しましたが、見つからないので、ダレイオス1世の画像にしたというのもあります。(外部のサイトなどでは、使えそうな画像があるのですが、ウィキでは使えないというのが問題です)。「少年愛」にはどんな画像が相応しいか、冒頭に置いている「ダフニスに笛を教えるパーン」が、もっとも無難で適切だというのがわたしの判断です。(少年愛のような、ある意味、「複雑で微妙な概念」では、直接に感性に訴える画像は避けた方がよいというのが考えです)。--Maris stella 2006年5月18日 (木) 15:03 (UTC)

また、user:Nakaoka7675 さんには、その会話ページで間接的に述べましたが、明らかなタイプミス等の訂正とかならともかく、翻訳するにしても、記事を書くにしても、大きな内容記述では、背景知識が相応に必要だというのは当然なことではないでしょうか。画像を貼るか貼らないかは、上で述べている通り、感性に訴えるものが強すぎるので、慎重な判断や配慮が必要で、判断するには、対象となる概念、この場合は「少年愛」について、相応の背景知識が必要だということです。(異論や疑問があります場合は、このノート・ページで意見を述べてください)。--Maris stella 2006年5月18日 (木) 15:03 (UTC)

サブカルチャー?での少年愛は 編集

ショタコンに詳細があるので不要と思われるのですがどうでしょうか?少年愛というよりは単にオタク女性の好むホモセクシャルについての解説という感じがしますし。--210.132.240.198 2007年4月4日 (水) 23:42 (UTC)

  • ご指摘された内容ですが、自分は当記事が該当記事と完全に重複しているとは思いません。むしろ該当記事にはない内容も多分にあるかと思います。また冒頭にふたつの定義がある以上、1の定義に関する内容だけを載せるのは不適当かと思います。サブカルチャーとしての少年愛も、少年愛に含まれますから。ついでに、独断で項目を削除するのもどうかと思いますし、削除をするのなら、より広い議論も必要だと思います。--60.62.110.36 2007年4月17日 (火) 16:28 (UTC)
上(60.62.110.36さんの意見/署名補完させていただきました)に同じく。当初の(この意味での)“少年愛”から見ても、現在のBL云々といったものは幾分変質しているし、違うものと捉えても構わないとさえ思います。「ショタコン」に至ってはここにも書かれている通り違う概念だし。少なくとも「ボーイズラブ」なる語の出自については、この記事にも記述が必要でしょう。であるなら、その背景の説明もなければ。死郎 2007年4月17日 (火) 13:35 (UTC)

「少年愛者の実情」の投稿 編集

  • ショタコンの項目において、同人誌を中心としたものに変更され、貴重な文章が削除されてしまったので、死蔵させないようにこちらへ移させていただきました。何らかの形で活かしていただければ幸いです。--以上の署名のないコメントは、220.12.184.71会話/Whois)さんが 2005年12月16日 (金) 13:31 (UTC) に投稿したものです(Isamit会話)による付記)。
  • ショタの記事の文章が全面改稿となったので、今までの少年愛に関する文章が消えてしまうようです。

ですので、貴重な文章を消滅させないために、こちらに本文を移動させる必要があると思います。--以上の署名のないコメントは、59.171.133.232会話/Whois)さんが 2006年6月17日 (土) 06:37 (UTC) に投稿したものです(Isamit会話)による付記)。

少年愛の実情は多くの誤解や混乱を招いていたようです。これは当初、複数の投稿者がそれぞれ違った視点で記述したためで、また、それらをそのまま残したような形にしながらどうにかまとめようとしていたことが大きいと思います。しかし性嗜好的な観点からの記述が中心だということは共通していると判断できたため、このほど少年を性的に好む嗜好者の面に的を絞り、端的なものにいたしました。2006年6月29日(木)--以上の署名のないコメントは、125.0.36.210会話/Whois)さんが 2006年6月29日 (木) 13:43 (UTC) に投稿したものです(Isamit会話)による付記)。

「ショタコン」について 編集

  • [日本のサブカルチャでの少年愛]の項の 【少年愛によく似た意味に使われる言葉として「ショタコン」(元はショウタロウコンプレックス)があるが、本来の少年愛が実在の少年に対する愛情を指すのに対し、この語は、ボーイズラブ同様に、主にイラストに描かれたり物語に登場する、創作上の架空の少年に対する愛情を指す。】 ←この部分の説明はあまり現状に即しているとは思いません。確かに、ショタコンはもともとは『創作上の架空の少年への愛情』を指していたかもしれませんが、しかし今ではこの語は『少年愛者』とほぼ同義として使われてるように思えます。実在の少年を愛する人たちも、自らを指して『ショタコン』と呼んだりしてますし・・・。また、(私個人の意見では)『少年愛』と言うと、ほぼ確実に『実在の少年に対する愛情』だけを指すのに対し、ショタコンは『二次元・三次元を含む、広い意味での少年愛』を指す言葉として捕らえた方がよいのでないかと思います。少なくとも、上記の定義にあるような『架空と実在』の境界は今ではかなり曖昧になっているといえますし、完全にショタコンと少年愛者が乖離したものである、と説明するのは少し御幣があるように思えるので、文末に二行程度、注釈を加えさせていただきました。--以上の署名のないコメントは、59.171.225.73会話/Whois)さんが 2006年3月10日 (金) 06:00 (UTC) に投稿したものです(Isamit会話)による付記)。
  • 本文では、バイセクシャル者の少年愛、および少年同士の同性愛(将来的には成人男性同士の普通の同性愛に移行すると思われる)のみが扱われ、とっくに成人しているにも拘らず、「小さい男の子」(恐らくは、思春期以前)しか愛せない少年愛者についての言及に乏しいように思えます。「ペド」の項目では、病的との視点が強く、読者の客観的な理解が困難になると思えますが。--以上の署名のないコメントは、202.179.3.179会話/Whois)さんが 2006年3月21日 (火) 06:48 (UTC) に投稿したものです(Isamit会話)による付記)。

陰間の語源 編集

  • 舞台の蔭より芸を学んでいたことより「陰間(かげま)」と呼ばれたが……
とあったのですが、「かげま」というのは「鎌倉景政」の「かげま(さ)」で、
片目→目欠け→目掛け→「妾(めかけ)」で本来は男女のどちらにも使うという由来もあります。--以上の署名のないコメントは、58.88.246.74会話/Whois)さんが 2006年3月3日 (金) 16:50 (UTC) に投稿したものです(Isamit会話)による付記)。

改名はいかがでしょう? 編集

この記事は少年愛 (性嗜好)と本来同一に扱うべきところを無理に別の項目にされている様に見えます。また、制度としての同性愛と言っていながらその実態は過去にあった同性愛の制度について触れているだけでなく、サブカルチャーとしての少年愛などにもふれており、どうもしっくり来ません。「同性愛の歴史」という項目名であった方が内容と項目名が一致すると思います。--婆娑羅 2007年4月24日 (火) 14:11 (UTC)

言葉の問題です。言葉というのは、時代と共に意味が変わって来たり、別の意味が加わったりします。「少年愛」という日本語は、1970年頃だと、パイデラスティアの翻訳の意味が一般であったのです。そのことは、稲垣足穂の『少年愛の美学』を読むと、よく分かります。「美学」と題についているように、理想化がされる概念であったのです。その頃にも、同性愛者相手の少年売春は存在しましたが、これは一般に少年愛とは呼んでいなかったのです。「衆道」とか「稚児」という言葉がまだ生きていました。オカマという言葉もあり、また、カタカナ語で呼ばれていました。萩尾望都や竹宮惠子などが「少年愛漫画」を描いてヒットしたのは、斬新な感性もありますが、少年愛が理想的なイメージを持っていたからです。(なお、稲垣の小説作品には、少年同士の恋愛が出てきます。小説からすると、稲垣の少年愛は、少年同士の恋愛のようにも思えるのですが、『少年愛の美学』ではそうなっていない)。
サブカルチャを通じて、「少年愛」という言葉が、性嗜好の同性愛の一つの形にも適用されて行って、薔薇族の編集長の言葉にあるように、「少年愛 (性嗜好)」の人たちが、自分たちの性向を、少年愛という言葉で表現し始めると云うことになります。
更に最近になると、ペドフィリアのなかの男児や少年を対象とするものを、「少年愛」とも訳し、この場合は、ペドフィリアの意味で使っており、ペドフィルを「少年愛者」と呼んでいるのです。--Maris stella 2007年4月24日 (火) 14:47 (UTC)
このように、言葉の意味が変化して来たというか、新しい意味が付け加わって来た為、二つの記事になっているのです。サブカルチャが入っているのは、理想的な、制度的なパイドピリアの少年愛を念頭して、コミック作品が造られたからで、
こんな風に展開したとも簡単に図式化できるということです(年代については、大体のところです)。
改名の必要は従ってありません。--Maris stella 2007年4月24日 (火) 14:47 (UTC)
概念を分けること自体が独自の研究では?専門家などによる二次資料にそういう考えがあるということが証明されなければ削除した方がよいとおもいます。--125.198.47.143 2007年4月24日 (火) 16:55 (UTC)

国立大学の図書館でも自由に利用できれば、典拠とする書籍を多数挙げられるのですが、まず、古代ギリシアで、パイドピリア(paidophilia)というのは、知らない人は単に無知であるだけのことです。あまりに当たり前すぎることについては、出典は不要という原則もあるのですが、当たり前でない人もいるようなので、ページ数やどちらの本だったかいま確認できませんが、分かりやすい書籍を挙げておきます(事情があって、本が出てこない……仕舞った処、出すことができなくなっているのです)。

岩波新書:『ソクラテス』または『プラトン』

この二冊の本を見れば、どちらかに、または両方に、古典ギリシアの少年愛(パイドピリア)の説明があります。愛する男性をエラステース(erastes、「愛する男」の意味)と云い、愛される少年はエローメノス(愛される者、eromenos)と呼んだという説明も出てきます。あるいは、プラトンの『饗宴』の解説のいずれかを見れば、ソクラテスとアルキビアデスの関係について、パイドピリア(少年愛)という慣習が説明として出てきます。

ローマについては、ハドリアヌスとアンティノスの関係に言及した本が偶々手元にあるので、これを引用します。少し古い本で一世紀ほど前に書かれた本の翻訳(訳者が大場正史)で、学術書かどうか微妙なところですが、古典文学や歴史を元に記された二次資料です。

オットー・キーファー『古代・ローマ風俗史』 桃源社 1978年
引用232page「……ビチュニア生まれの美青年は、ハドリアヌスにとって、『饗宴』のプラトンがエロスと呼んでいるあの理想的な関係にあったに違いないのである。……」
引用233page「ハドリアヌス帝は……彼の美貌に魅了され、その年(後124年)から、片時も離さず彼を伴侶とした。ソクラテスがアルキビアデスを嘆美したように――英知は美しいものを愛するから――賢いハドリアヌスもまた最も愛に値するものを愛して、これを神のように崇拝した。……」

アンティノオスはこの本では、110年頃誕生、130年に夭折なので、124年だと彼は12歳前後の少年ということになる。

アンティノスは20歳頃に夭折し(河に落ちて水死したとされるが、自殺したとも、色々な説があります)、その後、ハドリアヌスはアンティノスは神であるととして、アノティノポリスという都市を新しく建設し、アンティノス崇拝宗教を興しました。このアンティノスの名を付けた都市を新しく造ったこと、神として崇拝儀式を始めたことは歴史的事実です。とまれ、少年愛は「古典ギリシアのパイドピリアを範型」と述べていますが、これは、上の岩波新書で簡単に確認できます。--Maris stella 2007年4月24日 (火) 18:33 (UTC)

なお、「少年愛」とはパイドピリアの意味で一般に使われていたが、1970年頃から、サブカルチャ関係で言葉が別の意味に使われ、「やおい」を通じて、段々もとの意味と違った解釈が出てきたというのが、上の説明です。「少年を愛すること」「少年への性的嗜好性的指向を持つこと」が少年愛ではないのです。定義文に、はっきり書いているはずです。また「少年を愛する性的嗜好」は、「少年愛 (性嗜好)」の定義文にはそう書いてあります。--Maris stella 2007年4月24日 (火) 18:33 (UTC)

自分的には項目名を替えるなら「制度的少年愛」とでもする方が適切なんでないかと思います。--Otaku is beautiful 2007年4月25日 (水) 02:20 (UTC)

この項目は制度的少年愛についてのみを語っているわけではないので・・・サブカルチャーや、20世紀以降についての記述は制度的少年愛とはあまり関係ないですし。もし改名をするならば、「少年愛の歴史」でひとくくりにするののもいいかと思いますが、しかしそれほど改名をする必要性も感じない・・・。

でもわざわざ同じ項目名にして括弧で分けてるほうがキモチワルイです。このカオスをなんとかしてください。--Otaku is beautiful 2007年5月1日 (火) 08:34 (UTC)

改名提案の終結 編集

改名提案者は、この記事の改名提案だけをここで述べています。また「改名提案」には合理的で妥当な理由が必要で、それを明確に根拠をあげて説明する必要が改名の主張者にはあります。簡潔に述べますと、このページを見ていただけでは分からなかったのですが、少年愛 (性嗜好)にも改名提案を出しています。そこで、両方をまとめて記すと次のような主張です:

現行 少年愛を「少年愛の歴史」に変え、
現行 少年愛 (性嗜好)を「少年愛」に変える。

このような改名提案になっています。しかしこの場合、その趣旨を、このページに記すべきです。また、この改名提案では、現少年愛と現少年愛 (性嗜好)がまったく別の概念だということに気づいていないというか、その認識が欠如しています。記事の「定義文」を読んでいるのかどうか疑います。「少年愛 (性嗜好)」は「性的嗜好」乃至「性的指向」で、文化的な少年愛とは別の概念です。

なお、ある言葉が時代によって意味が変わるというのは珍しいことではないのです。例えば、「貴様」とか「お前」というのは、相手に対する丁寧表現だったのですが、現代では、ラフな言い方、あるいは年下に対する言い方に変化しています。「貴様」を百科事典に項目にもし書くとすれば、二つの意味があることを述べねばなりません。少年愛の記事の定義文は元々の意味を示し、その次に三つある派生的な意味が、この言葉の概念の広がりを示したものなのです。しかし、「少年愛」という言葉の元々の意味を知らない人が、言葉の漢字表現から、自分で勝手に意味を解釈して「少年への愛」が少年愛だと解釈し、このような思い込みの人がいて、記事に対する編集で混乱が起こるので、「少年への愛」という単純な意味把握の概念は、「少年への性的嗜好」を意味するので、「少年愛 (性嗜好)」を作成して分離したのです。

改名提案者の提案には妥当な根拠や納得の行く合理的理由がないと言えます。また、上記に、説明したにも関わらず返答が一週間してもありません。改名提案はよほど妥当性のあるもので、異議がないような場合は、1週間から2週間の期間を置くのですが、提案者が少なくともこの場合は、無責任であると云わざるを得ません。概念を把握していないこと、また「提案」した限りはその責任があるにも関わらず責任を放棄しています。従って、荒らしとまでは云いませんが、面白半分に云ってみただけと解釈します(そのように解釈されても仕方がないと思います)。少なくとも、わたしは真面目に対応し、異議の根拠も述べています。また、少年愛の記事は、そんなに安易に考えてもらっては困る内容の記事です(英語の en:Pederasty の記事は概念が違うのですが、同じような構成があります。では、それは「History of Pederasty」などになっているかというと、そうはなっていません)。

改名提案はこれで終結とさせて戴きます(テンプレートを外します。この作業は、わたしの作業用アカウントの Star of Sea で行います)。--Maris stella 2007年5月1日 (火) 10:55 (UTC)

いいえ、少年愛 (性嗜好)の方を少年愛の記事名にするべきではありませんか?この記事の名前は制度的少年愛でよいです。今の時代にこの記事で言うような少年愛は少なくとも文明国には存在しませんから。--婆娑羅 2007年5月7日 (月) 02:40 (UTC)

↑ここまでの議論の流れみてないでしょう? 少年愛の定義から考えれば、こちらの記事を「少年愛」の記事名にするのが至極妥当だと思うのですが・・・。

日本語でOKです。現在の記事名の使用法は可笑しいので替えるべきでしょう。--138.243.129.168 2007年5月9日 (水) 13:48 (UTC)

改名提案の濫用への警告 編集

記事名を改名しようという提案がありましたが、その場合、納得できる、合理的な理由を書いて戴きたいと述べています。「少年愛」という言葉には典拠があること、また、この基本的な概念を無視すると、現在使用されている「広義の意味拡散した少年愛」の概念も正確に把握できなくなるということもあります。

改名提案の場合は、Wikipedia:ページ名の変更 に記されているように、

  • ページ名(記事名)の変更は、以下のような場合に行います。
    • 記事名に、誤字・脱字があるとき
    • Wikipedia:記事名の付け方のガイドラインに沿っていないとき
    • 記事の内容にぴったりの記事名でないとき

この記事の場合は、改名提案は、3)の「記事の内容にぴったりの記事名でないとき」が考えられます。しかし、少年愛の記事として、これは冒頭の定義文にある通り、少年愛の元々の概念を中心に、その言葉の意味が発散して来て誤解が生じてきたことも説明して、いわば「少年愛」という言葉の総合的な説明記事になっています。「少年愛」という言葉は、色々な意味に使っている人がおり、社会的にもそのような用法が認知されているものもあります。例えば、性的嗜好として「少年への愛」等を意味する使用法も広くあり、この為、「少年愛 (性嗜好)」という記事を新規作成しています(サブカルチャでの使い方も、この記事で説明し、そこからサブカルチャや俗語での「ショタコン」、「ボーイズラブ」などへのリンクで誘導しています)。

「制度的少年愛」とは、説明の為の表現で、そういう言葉は一般にないと思います。現に、Google で検索しても、300件に満たない数しかヒットせず、更に、「 "制度的少年愛" wikipedia 」で検索すると、この言葉は、wikipedia と関係して使用されていることが分かります。今後「制度的少年愛」という言葉のヒット件数はもっと増えて来るかも知れませんが、それはウィキペディアのこの「少年愛」で説明の為に使用した言葉が元になっているのです。

すでに、上述の説明で、「少年愛」で、この記事名は良いのだということを説明しています。改名提案を出す場合は、それを越える更に合理的な理由が必要です。合理的な理由は、少年愛の記事を熟読すれば、「ない」ということが自明的に分かるはずです。

これ以上、ここのページに記している説明も無視し、更に記事そのものの記述もよく理解しないで、改名提案を行った場合、「荒らし」として報告しますので、このことは警告します。--Maris stella 2007年5月9日 (水) 18:19 (UTC)

ページ「少年愛/過去ログ1」に戻る。