ノート:川端康成

最新のコメント:2 年前 | トピック:川端康成の呼び方について | 投稿者:みしまるもも


その他 編集

以下の内容に、出典要請にこたえる十分な資料が提出されていないのではないかと思います。また、偏向性を感じる表現内容が含まれていると思うのですがいかがでしょうか。 たしかに「事故の顛末」などの批判的文献もあることはあるのですが、果たしてそれらを素材とすることが中立性を保つものであるか、という懸念があります。 もう少し、フィクション(小説)の内容における類似性とかじゃなくて信憑性のある典拠をお願いします。たとえば、こういうことをこの資料で確認できるとか。 それが無理なら申し訳ないですが削除をかけたいと思いますのでご了承ください。また御意見も歓迎します。本日よりおおむね一か月を目途に留保いたしますので よろしくお願いいたします。

金銭感覚に乏しく、借金をよくし骨董美術品などを購入していた[要出典]。また無口な性格で、このため人に言い訳をしたり、頼み込んだりすることはなかった。 このほか特に若く美しい女性を好み[要出典]、初対面であっても自らの眼鏡に適う対象を見つけると無言のままじっと凝視する(見つめる)癖があったといわれる[要出典]。眼光が鋭く、伊豆に逗留中、部屋に入った泥棒を睨んだだけで追い返したという逸話も残っている[4]。 --SW20MR2 2010年7月10日 (土) 11:00 (UTC)返信

章題 編集

みしまるもも氏の編集で非常に内容が拡充されているように見えます。それは良いのですが、章題に「――」でつなげられた副題じみたものがあるのが気になります。 百科事典の文学者の記事が文学的である必要はなく、もう少し端的な章題にした方が良いのではないでしょうか。 個人的には章項目の区分が何に拠っているのか分からないのも気になります。記事主題に全く詳しくないので、百科事典的な違和感というだけですが。 --126.0.234.196 2015年10月7日 (水) 09:53 (UTC)返信

126.0.234.196さん、こんばんは。ご意見ありがとうございます。まあ、ちょっと長ったらしいと思われるかもしれませんが、項目の「――」あとの副題じみたものは、特に文学的な表現を持たせたわけではなく、川端康成の各々の時代を象徴する解かりやすいキーワードとして入れています。例えば、ただ単に「生い立ち」「一高時代」「出発」「時評家として」「浅草時代」としても、その間にその作家に何があったのか、どんな活動や作風傾向、主題を持っていたのかを見出しである程度明示しておかないと、文学者の経歴を示す事典としては成り立ちませんので、あえて付しているわけです。
見出しというのは、それを見ただけで大まかな内容が大体解るようにしておかないと、調べる人が知りたいと思う部分を早くチョイスして引くことができませんので、それがすぐに出来るように利便的にやっているのです。例えば、川端についてあまり詳しくない人でも、「伊豆の踊子」を書いたのはどの時期なのか、川端が「魔界」「日本の哀しみ」という主題を持ち始めたのはどの時期なのかが、一発で解るようにするためにあるので、別に私自身が文学的な表現でかっこつけてやっているわけではないので、ご了承いただけたらと思います。もっと簡潔化できないか後日検討してみますが、見た目や体裁を短くするのがありきで、文学者の事典として不便になってしまうのは元も子もないので苦心するところです。--みしまるもも会話2015年10月7日 (水) 12:44 (UTC)返信
みしまるもも様、IPの不躾な疑問に迅速に御回答頂きありがとうございます。意図されるところは承知致しました。
他の文学者、あるいは百科事典では見ない形の整理・章立てでしたので、違和感を感じて御質問致しました(三島は同様ですが、主執筆者が同じなので「他の」とするには不適)。
不躾ついでにもう一点質問させて頂きたいのですが、川端の(三島もそうでしょうか)人生について時期を現在のように整理する、というのは川端研究ではコンセンサスと考えて宜しいのでしょうか。
例えば太宰の記事では幼年時代・学生時代・小説家時代・死と区分はある程度明快であり、その間の転機(自殺未遂等)について細分化することはされておりません。
執筆者の趣味で許される範囲とは思いますが、敢えてここまで詳細に分けられている理由については違和感を覚える方もいるのではないかと思います。
分量の問題から便宜上分けておられるのかもしれませんが、その場合むしろ記述する量の方を吟味した方が良いのではないかと愚考致します。
芸術家(文学も芸術の一種かと思います)の作品は、その人生と不可分である以上、厳選したつもりでもえてして「あれもこれも」になりがちなものであります。
以上、気を悪くされたら申し訳ございません。申しましたように主題に詳しくないため、修正を強く求めるものではございません。--126.0.234.196 2015年10月8日 (木) 10:10 (UTC)返信

126.0.234.196さん、こんにちは。他の作家の記事は、まだまだ未完成の発展途上のものが多いからだと思います。太宰治の場合は、川端や三島よりは短命ですし、作品の量も2人よりもだいぶ少ないですが、それでも、今の太宰治の記事内容では不十分です。書き手が少ないから仕方ないところですが、それでも最初の自殺の理由として「自らの階級に悩み」と、たったこれだけでは何のことやら、予備知識のない人にはその背景が全く解かりません。

例えば、太宰の敗戦時の状況や、戦後文壇との関わり、「人間失格」を書こうとした背景もほとんど書かれていないので、太宰治という作家の事典として機能していないと言えます。これは太宰だけでなく、芥川龍之介なんかも上海に滞在していた時期のことがすっぽりと抜け落ちていますから、どうして彼がその時期から心身衰えてしまうことになったのか、何の予備知識もない人にはよく解らない状態になっています。日本を代表する作家ですから、もっと内容の充実したものにしないと、基礎知識を知る上でも不十分でしょう。

川端や三島記事の見出しの節分けを細かいと思われるかもしれませんが、私が参考にしている評伝も、6~8章くらいは普通で、その章の中に、さらに細かい分類項目がなされていたりするので、実質的には20章から30章くらいになっていたりします。章名も、「学習院という湖」「花ざかりの中等科時代」「作家へのスプリングボードとしての高等科時代」「運命としての女、そして天皇」とか、「仮面の音響」「薔薇の痙攣」「逆光の太陽」等々です。大体それらの人生区分を参考にしながら、私は一般的の人に解かりやすい普通の書き方の見出し分けしているので、多くの参考文献のコンセンサスの範囲内で区分けしております。

川端の評伝も、本格的なものは、ぶ厚い本で上・下2冊になっていますので、このWikipediaで私が書いたものなど、ほんの必要最小限の基本情報ばかりです。書ききれない詳細は、「文藝時代」「伊藤初代」などに分化させていますので、この本人記事では川端の事典として、一般的な予備知識情報を網羅した、年表に毛が生えた程度のものですよ。多くの犬を飼い始めたこととか、夫人の流産とか、引っ越しが多いこととか文学に興味のない人には一見些末な情報と見えるかもしれませんが、川端の作風や転機にリンクしていることなので、どれも削ることは難しく、これでも抑え目にしている方なので、ご理解いただければ幸いです。--みしまるもも会話2015年10月9日 (金) 01:11 (UTC)返信

御丁寧な説明痛み入ります。正直なところ未だ過度に詳細ではないかという印象は拭えておりません。仰る「基礎知識」が百科事典に求められるレベルを超えているように思います。
ですが、他の方からコメントがない以上、この程度の記述は一定のコンセンサスを得ているものと考え、ここまでにしたいと思います。ありがとうございました。--126.0.234.196 2015年10月9日 (金) 10:38 (UTC)返信

ご理解いただきありがとうございます。また後日、川端の記事の方もゆっくりと見直していこうと思っていますので、気長な眼で見守っていただけたらと思います。--みしまるもも会話2015年10月9日 (金) 12:32 (UTC)返信

川端康成の呼び方について 編集

彼の呼び方が川端になったり、康成になったりと、整っていないので、どちらかに統一したほうがいいと思われます。--2400:416D:2D6D:E000:C492:10E4:4E5:6383 2021年5月31日 (月) 04:39 (UTC)返信

こんにちは。一応、幼少期や学生時代は、家族などとの関係で「康成」の方が適切なので「康成」にしており、高校を卒業して本格的に文学者として活動し始める「出発――『新思潮』と伊藤初代」節以降は、「川端」で統一しております。--みしまるもも会話) 2021年5月31日 (月) 05:25 (UTC) なるほど了解いたしました。--2400:416D:2D6D:E000:C492:10E4:4E5:6383 2021年5月31日 (月) 05:42 (UTC)返信

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