ノート:平和学

最新のコメント:8 年前 | トピック:ガルトゥングの「盗用」主張について | 投稿者:121.103.28.34

ガルトゥングと安倍内閣の積極的平和の「隔たり」について 編集

IPユーザー「101.128.211.2」による下記の様な記述があります。ガルトゥングの積極平和と安倍政権の積極的平和主義とは隔たりがあるとして(この部分はもっと前から記述)、

「ガルトゥングは2015年8月22日、沖縄県浦添市へ招かれて講演した際、『安倍首相は 積極的平和 という言葉を盗用し、私が意図した本来の意味とは正反対のことをしようとしている」「集団的自衛権行使は時代遅れの安全保障」「北東アジア共同体が構成されるべき」と明確に述べてこれを批判した」の部分です。

出典は琉球新報です。しかし安倍首相も米議会演説や戦後70年談話などで、貧困、飢餓、ジェンダーなどをテーマに掲げています。東南アジアで開催されたシャングリラ会合では、国際法、法の支配、法の下の平等などの理念の大切さを説き、力(=軍事力)による現状変更にも異を唱えました。よって「ガルトゥングと安倍政権の積極的平和には隔たりがある」とする記述は、とても一方的なものと映ります。なお、集団的自衛権行使容認などへの賛否の記述は、wikipediaの政治的中立性のルールの基づいて、除去しました。--121.103.28.34 2015年8月25日 (火) 07:45 (UTC)返信

  コメント 121.103.28.34氏は政治的中立性を謳いながら、安倍首相の積極的平和主義も(中略)ガルトゥングの主張と重なり合う部分もあると出典のない(おそらくは御自身による独自の)見解を書き込んでおいでです。Wikipediaにはこのような記述を残しておくべきではありません。よって除去しました。--禁樹なずな会話2015年8月25日 (火) 23:50 (UTC)返信
客観的に比較して、安倍首相の米議会やシャングリラ会合などにおける、人権や民主主義の尊重、力による支配への反対、女性の地位向上、貧困の撲滅などを訴えた演説と、ガルトゥングや平和学のいうところの広義の平和(=貧困・抑圧・差別などの構造的暴力がない状態)は共通しています。ただ「ガルトゥングの積極平和と安倍首相のそれには共通項がある」と触れたソースは今のところ見当たらないので、この部分の除去は同意します。ただ「政治的中立への疑問」と「wikiは反安倍を宣伝する場ではありません」のテンプレは除去しないで下さい。「集団的自衛権行使は時代遅れな安全保障」の除去についても、政治的中立性の観点からやむをえないと思います。このことには下節で議論します。--121.103.28.34 2015年8月26日 (水) 02:42 (UTC)返信

禁樹なずなさん、政治的中立に疑問を呈するテンプレなどを除去しないで下さい 編集

上節とも関連するのですが、政治的中立に疑問を呈するテンプレートと、「wikiは反安倍をプロパガンダする場ではありません」のテンプレートを利用者:禁樹なずなさんに除去されてしまいました。しかし現行のページは「反安倍」とも取れる、極めて政治的に偏向した記述があり、またそう感じるユーザーがいるのだから、そのような行為はやめて下さい。一方、IP利用者「101.128.211.2」が8月23日に書き込んだ「集団的自衛権行使は時代遅れな安全保障」というガルトゥングの主張は、wikipedia政治的中立性の観点から一旦は除去しましたが、禁樹なずなさんに復活されてしまいました。この記述は琉球新報の出典があっても、極めて政治的な主張です。琉球新報自体、旧社会党と共産党の労組が支配する、極めて偏向した新聞でもあります。集団的自衛権については、国民の賛否は大きく分かれています。この項は平和学一般について書けばいいのであって、ガルトゥングのイデオロギー主張の宣伝になる行為は反対です。--121.103.28.34 2015年8月26日 (水) 02:42 (UTC)加筆・修正--121.103.28.34 2015年8月26日 (水) 03:08 (UTC)返信

ガルトゥングの「盗用」主張について 編集

「ガルトゥングは『安倍首相は 積極的平和 という言葉を盗用し、私が意図した本来の意味とは正反対のことをしようとしている』と発言した」という記述があります。しかし盗用というのは言い過ぎではないでしょうか。元々この言葉は、1991年に刊行された、国際政治学者の伊藤憲一氏の著書、『二つの衝撃 と日本』(PHP研究所)の一節に出てきて、1992年6月の自由民主党の国際社会における日本の役割に関する特別調査会の提言でも「積極的平和主義」が用いられています(wikipedia積極的平和主義より)。ガルトゥング氏から盗用したという形跡は見当たりません。このような事実か疑われる、それも悪意的な激しい言葉を用いるのは賛成できません。そもそもガルトゥングの積極平和の英訳は「Positive Peace」、安倍首相の積極的平和主義は「Proactive Contribution Peace」で異なります。日本語でも主義が付くか付かないかの違いがあります。上節でも触れましたが、「正反対のこと」も言い過ぎだと思います。保革の政治的立場を問わず、構造的な暴力がない状態に反対の人はいません。wikiは百科事典であって、客観的記述に留め、イデオロギー対立や感情的な対立を持ち込むべきではありません。反安倍(親安倍)主張したいなら、自分のブログですればいいことです。--121.103.28.34 2015年8月26日 (水) 03:08 (UTC)返信

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