ノート:恩寵 (キリスト教)

最新のコメント:13 年前 | トピック:改名提案 | 投稿者:イザヤ

編集報告 編集

  • 「古くは恩寵ともいわれた」云々を修正しました。「恩寵」は超教派で現役の語彙です。
  • "mercy"はふつう、「憐み」と訳されるでしょう。たとえば創世記43章14節、英語の"New International Version"および"King James Version"のいずれも"mercy"とされていますが、新共同訳聖書では「憐み」となっています。日本聖公会でもキリエを「主よ、憐れみをお与え下さい」と訳していますが、この場合のギリシャ語「エレイソン」が"mercy"「憐み」に相当します。"mercy"にかかる記述を削除しました。
  • なぜ新約聖書に記述箇所が限定されてしかもエフェソなのか疑問でありますが、例示としてはそのままにしておきました。より重要な箇所が選定出来た際にはこの例示を拡充することも有り得ます。また、旧約聖書にも"Grace"が沢山出て来る事を加筆しました。
  • 神学用語は大抵、参照される頻度が高いのは英語ギリシャ語西方教会であればラテン語ドイツ語東方教会であればロシア語シリア語が加わります)であり、なぜ中国語が殊更に強調されるのか解しかねましたため、本文中に記述を移しました。
  • 「恩寵」が出て来る歌としては最も日本人一般に知られる歌であることにより、関連項目にアヴェ・マリアを追加しました。

--Kliment A.K. 2009年5月11日 (月) 03:47 (UTC)返信

なかなかいい編集と追記だと思います。私もきのう図に乗って、参照項目にあった多少長い説明を本文に入れたりしておきました。
それでひとつだけ、全体が言語学か、神学の学術論文風になっていて、私みたいな大多数のしろうとにはとっつきにくいので、これから多少の編集を加えます。結果のよしあしは保障できないのですが。 -- By Yoshi Canopus 2009年5月15日 (金) 01:44 (UTC)返信
以下、少しきつい物言いになっているかもしれませんがお赦し下さい。
元々「神の恵み」「恩寵」と申しますのは、神学上、最大のテーマの一つとなってきたものであります。特に西方教会において歴史上大変な議論が行われてきました。西方教会神学に暗い小生でもそれ位の事は存じております。気を使わなければ容易に特定教派POVになりうる記事なのです。これまでこの記事が作られて来なかったのは、その難しさを知る執筆者達が手を出さなかったのだと推測されます(事実、難しい神学用語の記事は日本語版では殆ど作成されておりません)。だからこそ小生もEvangelicalさんも、異例に出典を細かく付与しつつ、細心の注意を払って記事作成にあたっているのです。
このような状況下で、
>全体が言語学か、神学の学術論文風になっていて、私みたいな大多数のしろうとにはとっつきにくいので、
と軽くお考えの方に、
>なかなかいい編集と追記だ
と、ともすれば上から目線ともとれるような言辞を以て論評されるに至っては、少々心穏やかならぬものが御座います。読者がしろうとなのは当たり前ですが、このような微妙な問題を含む記事において、執筆者が「しろうと」であることを言い訳にし、「とっつきにくいので」と言いつつ「間違い」を平然と書くのは、あまり良い事ではありません。
間違い第1点ですが、どうしても「憐み」と「恵み」の類似性・関連性を強調されたいようですが「類似性が部分的にあり、関連性もある」とは言えても「別概念・別語彙ではある」のです。例を挙げれば、「憐みある者は幸いである」とは言われるように、憐み"mercy"は神にも人にも行えるものですが、「恩寵ある人」といった表現はありません。恩寵・恵み"Grace"は神にのみ言及されるものです。なぜ執拗に「類似性」「関連性」を強調しようとなさるのか分かりません。
それと、間違い第2点というよりは認識不足についてですが、「恩寵」の捉え方は教派・神学的見解によって分かれるものであり、まとめて断定的に書く事は出来ないものなのです。「一般人にわかりやすく」する動機は大変結構ですが、「(意図的ではないにせよ)ウソを書く」事が理解を助けるものでは無いことはお分かり頂けるでしょう。
第3点の認識不測についてですが、断り書き・修飾なしに「正典」と書くのは、何の正典なのか不明な上に、特に旧約についてどれとどれを正典と捉えるかキリスト教教派の中でも争いがある以上、中立的な書き方とは申せません。単に「旧約」もしくは「旧約聖書」と私が編集しましたのはそうした意図で御座います。
第4点についてですが、「旧約聖書=ユダヤ教」というのは安易です。ユダヤ教とキリスト教は異なる神学伝統・解釈伝統を継承してきたのであり、「旧約聖書の文言についての説明」のみの節をもって「ユダヤ教からキリスト教へ」という項目名を形成するのは看板に偽りありです。そんな事をしたら旧約に言及する記事は全て「ユダヤ教からキリスト教へ」という話になってしまいます。
どうしても「ユダヤ教」の文言を強調なさりたいのでしたら、ユダヤ教における恩寵理解を、出典つきの上で節を設けて加筆して頂ければと思います(神学とまでいかずとも、単なるタルムードの引用といったものでも結構です)。良質なものであれば、その加筆は歓迎されるでしょう。
難しい神学用語を扱う記事なのですから、内容が難しくなるのは当たり前です。例えば法律用語の記事で「分かりにくいから」「とっつきにくいから」といって「みなす・推定する」「心神喪失心神耗弱」「署名・記名」を混同するような記事作成がなされるかどうかを考えれば、すぐお分かりになるかと存じます。
今後、出典・参考文献を脚注形式で細かく付与し、精密な記事作成を心がけて頂きたく(「しろうと」と御自覚なさっておいでであれば、なおさらです)、伏してお願い申し上げる次第です。
中国語に明るいYoshi Canopusさんでいらっしゃるのですから、その領域では少なからず期待申し上げてもおります事を付言させて頂きます(おそらくご存知の通り、我が国の聖書翻訳は多くを古い中国語訳に負っているのですから、中国キリスト教は無視出来ません)。--Kliment A.K. 2009年5月15日 (金) 09:38 (UTC)返信

第二次大幅編集報告 編集

  • 神の恵みについての冒頭説明文や他の箇所にあった人類の各人に神の祝福・助け・幸せへの導きなどが常にふりそそいでいるを削除し、提示しました出典に沿った内容に変更しました。そもそも新約の例示箇所に挙げられています2箇所ですが、ローマの信徒への手紙3章24節はイエス・キリストの贖いや義もテーマとなっており(義について問題になるところです)、さらにエフェソの信徒への手紙2章8~9節は信仰によって救われることについてもテーマとなっており(信仰義認・行為義認等について夙に問題になる箇所です)、この2箇所だけで「祝福・助け・幸せ」までの出典とするには不足であります。
  • ユダヤ教における恩寵理解には小生全く無知なため、慎重かつ僅少な記述にとどめました。旧約聖書に記述があるからといって即、それが定まった解釈をもたらすものではありません。ユダヤ教の恩寵についての理解とキリスト教の恩寵についての理解が一致するのかどうか、聖書以外の出典が欲しいところです。一応暫定的に、ユダヤ教について書く節を設け、これを節stubとしました。
  • 新約聖書についての記述はどれをどのような記述のもとに採用するか難問です。現在思案中でありますが、Yoshi Canopusさん上げられた2箇所を現状下では維持しております。--Kliment A.K. 2009年5月15日 (金) 15:01 (UTC)返信

「恩寵」ではいけませんでしょうか? 編集

現行記事名は「神の恵み」ですが、「恩寵」の方が馴染みがあり、通用性も高いような気がするのですが…

これはあくまで私の感覚ですので、「「神の恵み」の方が良い、出典も沢山ある」といった御意見が出れば「そうですか…」と申し上げるしか現時点では無いのですが…

強い反発が無ければ「恩寵」への改名提案を出したいところです。神学の場面で問題になる時、大概「恩寵」と言われているように思いますので…

と、まだ正式な改名提案を出すには躊躇している段階での、言わば「アドバルーン」としての問いかけです。--Kinno Angel 2011年1月1日 (土) 13:49 (UTC)返信

改名提案 編集

--Kinno Angel 2011年1月27日 (木) 01:36 (UTC)返信

恩寵」への改名を提案します。

上記問い掛けから時間は経っていないのですが、やはり正式な改名提案を出させて頂きました。…実はそれほど確信はありません。ただ反発が無いのであれば「恩寵」の方が良いのでは、と思える理由を二つ挙げさせて頂きます。

  1. 原語"ギリシア語: χαρις"は一単語であり、「神の」は入っていない。
  2. 「恩寵」はどこの教派でも用いられている。

理由2についてなのですが、「恩恵」はあまり正教会では使われる傾向にありません。「恩寵」が一番多くの教派で使われている語彙かと思います。--Kinno Angel 2011年1月4日 (火) 02:25 (UTC)返信

キリスト教には詳しくないのですが、恩寵って宗教以外でも使う気がしまして辞書で調べましたら、神やキリスト教以外でも主君から与えられるものとしての定義が存在します。恩寵へ改名すると宗教以外の定義に関しても冒頭部での説明が含まれることになりますので、なるべくなら多義的な言葉は避けた方がいいかもしれませんが、その辺りを了解されるなら、恩寵への改名へも強くは反対しません。--Shigeru23 2011年1月4日 (火) 04:50 (UTC)返信
  コメント その辺は私も考えないではありませんでした…ただそれは、「神の恵み」も多分、キリスト教限定ではないのですよね…。もし皆様から反対が無ければむしろ「恩寵 (キリスト教)」に改名しようかとも考えておりましたところです。自分から提案しておいてすぐに提案に修正を行いますのも恐縮ですが…--Kinno Angel 2011年1月4日 (火) 05:05 (UTC)返信
  •   条件付賛成(条件:括弧つき項目名で) 私もShigeru23さんと同じく、「恩寵」ではキリスト教以外の宗教や宗教以外の用例も入ってくるので、せめて括弧つき項目名でないとまずいだろうと思っておりました。「恩寵 (キリスト教)」であれば問題はないと思いますので、括弧つき項目名にすることを条件に賛成いたします。--Loasa 2011年1月5日 (水) 14:42 (UTC)返信
  • 括弧付けを避けるために神の恩寵はどうでしょうか。今日のプロテスタントでは「神の恵み」を使うことが多いと思いますが、これは使用頻度の問題かも知れません。現段階ではどの改名に対しても、積極的な賛成も積極的な反対もできません。いずれにしても、神の恵み、恩寵については教会、教派、教団ごとに細部の解釈が異なるので、この項目をポータル的なものにして、各教会、教派ごとの別項目を充実させるべきでしょう。--イザヤ 2011年1月6日 (木) 14:33 (UTC)返信
  •   コメント 私としましては 「恩寵 (キリスト教)」でも「神の恩寵」でも、どちらでも良いのですが…括弧つきを回避すべきとは強く思わない一方で、「神の恩寵」で合意がとれるのであれば、この語彙も超教派で使われますし、異議は無いのです。私としましてはこの二者であれば、どちらかが多数派になれば、多数派に従うといったところです。--Kinno Angel 2011年1月6日 (木) 14:45 (UTC)返信
  コメント 「神の恩寵」とすると、キリスト教以外の宗教における概念も含まれる、と解釈されてしまうのではないでしょうか。他の宗教に「神の恩寵」に相当するような概念があるのかどうか知りませんが、後々の揉めごとを予防する意味でも、この記事はキリスト教とユダヤ教における「神の恩寵」の記事である、ということが明確にわかるような記事名の方がよいと思います。
というわけで、特に「神の恩寵」に強く反対するわけでもないのですが、どちらかといえば「恩寵 (キリスト教)」の方が好ましいのではないかと考えます--Loasa 2011年1月6日 (木) 16:16 (UTC)返信
  コメント うーん…「神の恩寵」と「恩寵 (キリスト教)」が今のところ同数ですね…私としては「後々の紛争もしくは誤解の予防」という意味合いで、Loasaさんにかなり賛成であり、今はどちらかと言えば後者「恩寵 (キリスト教)」を志向しております。--Kinno Angel 2011年1月11日 (火) 06:32 (UTC)返信
  コメント さらに一週間、反対が無ければ「恩寵 (キリスト教)」で改名させて頂きます。--Kinno Angel 2011年1月18日 (火) 15:22 (UTC)返信

  報告 反対がありませんでしたので、「恩寵 (キリスト教)」で改名させて頂きました。議論に参加して下さった皆様、ありがとうございました。--Kinno Angel 2011年1月27日 (木) 01:36 (UTC)返信

Loasaさんの、「「神の恩寵」とすると、キリスト教以外の宗教における概念も含まれる、と解釈されてしまうのではないでしょうか。」という問題意識には非常に同感です。他の項目ですが、ローマ・カトリックの内容であった記事に、「キリスト教以外の宗教における概念も含まれる」と考えた人たちによって、いろいろ他の宗教の内容が書かれた上に、改名にも分割にも反対されていて困っている記事があります。ただし、念のために一点反論しておきます。Loasaさんが「他の宗教に「神の恩寵」に相当するような概念があるのかどうか知りませんが、後々の揉めごとを予防する意味でも」とあるところまでは同意しますが、「この記事はキリスト教とユダヤ教における「神の恩寵」の記事である、ということが明確にわかるような記事名の方がよいと思います。」について同意できません。なぜなら、キリスト教の神の恵みとは、主イエス・キリストの十字架を愛を抜きにしては、成立しないものですが、ユダヤ教の人たちはまだイエス・キリストを信じていらっしゃいません。なのでキリスト教とユダヤ教の神の恵みは異なります。これは、あくまで揉めごとを予防するための記述です。--イザヤ 2011年1月29日 (土) 16:38 (UTC)返信

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