ノート:慰安婦/冒頭文

最新のコメント:16 年前 | トピック:冒頭文――実態は商行為、その他 | 投稿者:モトカル

冒頭文――実態は商行為、その他 編集

実態が商行為、について。 2007年6月3日 (日) 04:16 (UTC)の版で、冒頭の所で「慰安婦制度の実態は「売春」という商行為であったが、慰安婦達に報酬が払われていたとはいえ」という記述に変更されましたが、慰安婦制度が「売春」という商行為であったのか、強制的に性奴隷にされたのかということが大きな議論になっているのに、「慰安婦制度の実態は「売春」という商行為であった」と書くことは、「特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱うべき」とする「中立的な観点」という公式方針から外れるものです。#慰安婦の定義について#慰安婦の定義の試案の節でも、慰安婦は強制されたという観点からの記述に対しても「中立的な観点」という公式方針上問題があることを指摘しています。ウィキペディアはいろんな見方、意見があるものについて断定するのでなく、そういう様々な意見があること、論争があるという事実を記述すべきなのです。また「慰安婦達に報酬が払われていた」という記述も、「報酬」という節に「吉見義明や尹明淑の著書によれば、現在証言の得られる元慰安婦のほとんど(9割以上)は給料を貰っていないと証言している。」との記述があるので、矛盾してしまいます。慰安婦をウィキペディアとしてどう定義するかはこれまで長い議論があり、最近の記述に落ち着いたので、無益な編集合戦を招かないためにも、冒頭の部分を変更したい場合は是非ノートで意見を述べて下さるようお願いします。--モトカル 2007年6月3日 (日) 17:17 (UTC)返信

冒頭文(保護解除に向けて) 編集

IP氏の編集の版で保護されてしまったのは遺憾ですが、やむを得ません。今回は論点ははっきりしていますので、ノートでの合意を形成し、保護解除に向けて努力しましょう。私の案は、以下です。

慰安婦(いあんふ)とは日中戦争太平洋戦争当時に、 慰安所と呼ばれた施設で旧日本軍軍人の性行為の相手になった婦女の総称である。従軍慰安婦とも呼ばれる。吉見義明らによれば、慰安婦は、日本軍の管理下で無権利状態のまま拘束され、将兵の性交の相手を強制させられた「性奴隷」とでもいうしかない境遇に追い込まれた存在とされているが、これに対しては秦郁彦らをはじめとした異論もあり、旧日本軍が慰安婦を強制連行したのか否かや、慰安婦制度は「売春」という商行為であったのか、さらには、日本の国としての責任や女性の人権などの観点をめぐって、今日まで、政治的・社会的にも大きな議論を呼ぶ問題となっている。

ひとまず案を出しましたが、反応によってはシンプルなものにすべきという意見になるかもしれません。詳しく書くならこれくらいでしょうか。なお、性奴隷という言葉はこの問題では一般的に使われていますのでそれでよいと思いますが、性的奴隷でも別に構いません。いかがでしょうか。(なお、ご批評の際には、ご自身の案も出していただければと思います。)--火の鳥 2007年6月5日 (火) 03:20 (UTC)返信

(※補足)現状の保護版では、「制度は・・商行為であった」「慰安婦達に報酬が払われていた」などとありますが、当然そこは争いがあります。これらの事実が共通の認識になっているかのように書かれているのは、明らかにミスリーディングだと思います。--火の鳥 2007年6月5日 (火) 03:26 (UTC)返信

冒頭文(保護解除の反対に向けて) 編集

理由は、「争いがあることにしたい」との目的が見て取れるからです。その姿勢があるうちは保護解除はしない方が良いです。--以上の署名のないコメントは、218.44.81.60会話/Whois)さんが 2007年6月5日 (火) 04:33 (UTC) に投稿したものです(モトカルによる付記)。返信

218.44.81.60さん、初めまして。私は、「争いがあることにしたい」と思ったわけではなく、記述として問題があると考えただけです。ですから、そちらの編集の意図をお聞きしたいのですが、最初に「慰安婦制度の実態は「売春」という商行為であったが、」という記述をされましたが、この「実態は・・・」という表現はもしかしたら、表面上の形態はという意味で書かれたのでしょうか?それとも、文字通り、「慰安婦制度は「売春」という商行為であった」と断定しているという意味で書かれたのでしょうか?--モトカル 2007年6月5日 (火) 23:24 (UTC)返信
悪いが「争いがあることにしたい」との目的の人とは合意形成は無理だよ。理由は目的自体が「争いがあることにしたい」だから。まずその姿勢を根本から取り払わないとその先には進めるわけがない。--以上の署名のないコメントは、218.44.81.60会話/Whois)さんが 2007年6月6日 (水) 02:07 (UTC) に投稿したものです(モトカルによる付記)。返信
218.44.81.60(60.36.126.40)さんが、最初「慰安婦制度の実態は「売春」という商行為であったが、慰安婦達に過酷な性労働を強いた性奴隷制度であったとする主張もあり」と記述されました。私は「慰安婦制度の実態は「売春」という商行為であった」と断定する記述に問題があるとの考えからそれを元の記述に指差し戻しましたが、それに対し、「慰安婦制度の実態は「売春」であった」というご自分の版に2度差し戻されました。
しかし、如月の弥さんがその部分を「制度としては、軍相手の「管理売春」という商行為であった」と修正された後は、如月の弥さんの版に3度差し戻されました。最初の「慰安婦制度の実態は「売春」という商行為であった」という記述と「制度としては、軍相手の「管理売春」という商行為であった」という如月の弥さんの記述はまったく意味が違うものです。
わたしは要約の欄やノートで「慰安婦制度の実態は「売春」という商行為であった」と断定する記述に問題があることを指摘しましたが、途中から「制度としては、軍相手の「管理売春」という商行為であった」という版の方にリバートされたのは「慰安婦制度の実態は「売春」という商行為であった」と断定することはやはり妥当でないとご理解していただいたのでしょうか?
この「慰安婦制度の実態は「売春」という商行為であった」ということやその次に加筆された「慰安婦達に報酬が払われていた」という記述は私も、火の鳥さんも、如月の弥さんも妥当な記述でないと考えていることが今回改めて表明されました。
慰安婦の定義部分ではこの部分が大変重要なので、218.44.81.60(60.36.126.40)さんも、ご自分の編集がより妥当だと思うそれなりの理由があったったからこそ何度もリバートされたのだと思いますから、その理由を明らかにして下さい。
また、「慰安婦制度の実態は「売春」という商行為であった」、「慰安婦達に報酬が払われていた」との記述に対しての今のお考えをお聞かせ下さい。あと、ノートページでは署名するのがウィキペディアのマナーとなっているのでよろしくお願いします。(半角チルダを4つ(~~~~)で名前と投稿日時になります。または、投稿用のテキストボックスの上部にある時刻付き署名のボタンをクリックすると(~~~~)がコピーされます。)--モトカル 2007年6月11日 (月) 02:53 (UTC)返信

<横から>(2007年6月6日 (水) 09:29 )
218.44.81.60さんへ。モトカルさんの言ってきてるのは、中立のためというより、中立に気を使うため、と取った方がわかりやすいかと。気の使い方が、争いがあることに「しようとしている」志向があるように見えても、「したい」ということは違うと思います。気にしすぎでは。
モトカルさんへ。218.44.81.60さんは、「慰安婦制度の実態は「売春」という商行為であったが、」を書いた人とは一見IPが違いますが? このIPで書いたのは、私の仕上げた文をリバートした最後の一回だけでしょう?--如月の弥 2007年6月6日 (水) 09:29 (UTC)返信

> 気にしすぎでは。 違います。気にしすぎてはありません。「争いがある」を金科玉条のように使い、定着していた(文言)もどんどん削除されてきました。この事態はもう見過ごす事はできません。残念ながら「争いがある」との言葉が(出てきた)時点で、その姿勢に対してそれを根本的に取り払わない限り、当方としてはとても保護解除に向けて賛意を示すつもりはなく、あくまで今後同様な事態に陥ることを避ける為にも反対を意を(唱え続けます)。あと、別にモトカルさんについて論っているのではありません。あしからず。--以上の署名のないコメントは、218.44.81.60会話/Whois)さんが 2007年6月6日 (水) 11:27 (UTC) に投稿したものです(モトカルによる付記)。返信

他人様のコメントを勝手に改変しないで下さい。上記はモトカル氏により勝手に改変されましたので下記に新たに書きます。
>気にしすぎでは。
違います。気にしすぎてはありません。「争いがある」を金科玉条のように使い、定着していた文言もどんどん削除されてきました。この事態はもう見過ごす事はできません。残念ながら「争いがある」との言葉が出た時点で、その姿勢に対してそれを根本的に取り払わない限り、当方としてはとても保護解除に向けて賛意を示すつもりはなく、あくまで今後同様な事態に陥ることを避ける為にも反対を意を唱えます。あと、別にモトカルさんについて論っているのではありません。あしからず。 6/6--以上の署名のないコメントは、218.44.81.60会話/Whois)さんが 2007年6月6日 (水) 12:20 (UTC) に投稿したものです(モトカルによる付記)。返信
失礼ながら218.44.81.60(60.36.126.40)さんはウィキペディアにまだあまり慣れてらっしゃらないようにお見受けします。署名なしでコメントを書くと誰が発言しているのかがはっきりせず議論しにくいので、ノートに署名することがウィキペディア日本語版の公式方針となっており、署名しない利用者に対し、他の利用者が履歴を調べて代わりに署名することが慣わしとなっており、代わりに署名をつけた利用者の名前も責任を明確にするために付記することになっています。
ですから、わたしは変わりに署名を付記しただけで、コメント自体少しも改変しておりませんので、誤解のないようにお願いします。Wikipedia:ノートのページでは投稿に署名をするを参照して下さい。ご理解いただきましたら、ご自身の重複したコメントの一方は削除されてかまいませんので・・・
それと、上記にまだ回答していただいていない218.44.81.60(60.36.126.40)さんに対する質問を再度させていただきましたので、よろしくお願いします。--モトカル 2007年6月6日 (水) 12:47 (UTC)返信
> コメント自体少しも改変しておりません
とぼけるのもいい加減にしてさい。他人様のコメントを勝手に改変するとは無茶苦茶するにも程がある。おそらく他人様の書き込みに対して全てがこんな扱いで行ってきたのだろう。6/6--以上の署名のないコメントは、218.44.81.60会話/Whois)さんが 2007年6月6日 (水) 13:13 (UTC) に投稿したものです(モトカルによる付記)。返信
それは、218.44氏の(2007年6月6日 (水) 11:27 )の書き込みについて、モトカル氏が名前とIPを書き加える際に、直前の(2007年6月6日 (水) 10:56の版)を上書きしたことを指すのですね。
メモ帳などから転写するときに、操作しやすいように、まとめてやってしまうとそういうミスが生じるでしょう。そういうケアレスミスをモトカル氏には何度か見ている気がしますが、疑う人から見れば、人を軽んじているように見えるかもしれませんね。
私としては、そんなことより、「「争いがある」を金科玉条のように使い、定着していた件もどんどん削除されてきました。」ということに興味を持たせていただいてます。モトカル氏に限らずということは、ウィキペディアの傾向を憂いておられるようだし。--如月の弥 2007年6月6日 (水) 14:37 (UTC)返信

218.44.81.60(60.36.126.40)さん、原因がわかりました。218.44.81.60(60.36.126.40)さんが今日6月6日の19:17に「違います。気にしすぎてはありません。・・・・」というコメントを投稿され、その後同じ箇所を、19:18、19:18、19:25、19:56、20:27にかけ、短時間の間に部分的にコメントを修正されていたのですね。 わたしは19:56時点のコメントを見て、自身のコメントを書き初め、20:57に218.44.81.60(60.36.126.40)さんのコメントに代わりに署名をつけて投稿したのですが、実は218.44.81.60さんは私が投稿する前の20:27に再度、自身のコメントを修正されていたようですが、私がそれに気づかず、20:57に、19:56時点のコメントに署名をつけて投稿したため、結果的に20:27に更新された218.44.81.60さんコメントを19:56時点のコメントに差し戻した結果になってしまったようです。同じ箇所のコメントをここまで短時間に修正するというのを今まであまり見かけたことがなかったため、コメントが修正されていることを想定していなかったため、投稿の時間差によって、218.44.81.60さんのコメントを一つ前のコメントに差し戻した結果になってしまいました。

改変するつもりなど毛頭なかったのですが、結果的には差し戻した結果になってしまったこと自体は事実でしたので、この点に関しては心よりおわび申し上げます。ただ、決して218.44.81.60さんのコメントを改変するつもりはなかったことだけはご理解いただきますようお願いします。 それで、一応、どう変わってしまったかを一度明らかにするために、結果的に差し戻した形になった部分に取り消し線を引き、20:27 (UTC)]の投稿という署名のとおりのコメントの文書を()で囲んで記しました。これもご理解いただいたらその重複したコメントは削除されて結構です。それから、署名の方はウィキペディアの公式方針ですので、是非御自身でお付け下さい。--モトカル 2007年6月6日 (水) 15:03 (UTC)返信

では、私の事でしょうか。「争いがある」というのは、「見解が対立している」ということです。 そうであれば、対立している見解を公平に示さなければ、NPOVではありません。「争いがあることにしたい」というのは、「本来は見解が対立していないのに、対立しているように見せかけたい」ということでしょうか。そうであれば独自研究ですが、本記事でそのような編集をしているつもりはありません。もう少し具体的なレベルでご指摘頂ければと思います。そうでないと先に進めません。先に進まないようにすること自体が目的かもしれませんが。--火の鳥 2007年6月7日 (木) 11:35 (UTC)返信
218.44.81.60(60.36.126.40)さんにとって、本当に見過ごす事はできない編集がこれまでなされて来たとお考えなら、「争いがある」を金科玉条のように使って、定着していた文言を削除したという例を是非、具体的に示して下さい。それに何度も投げかけている質問にまだ答えていただいていません。2007年6月3日 (日) 13:16の版で、「慰安婦制度の実態は「売春」という商行為であった」、「慰安婦達に報酬が払われていたとはいえ」という記述に変更された理由や、途中から「制度としては、軍相手の「管理売春」という商行為であった」という版の方にリバートされたのは「慰安婦制度の実態は「売春」という商行為であった」と断定することはやはり妥当でないと思われたのか?という今後の編集ために必要な質問をさせてもらっています。“先に進まないようにすること自体が目的だ”と思われないためにも是非、誠意ある回答をお願いします。--モトカル 2007年6月7日 (木) 12:10 (UTC)返信
あなたが個々の件で考えているんだったらそれはまったく見当違いです。何度も何度も書いて(答えて)いますが、私は「姿勢」を問題視しているのです。今後あなたが同じ質問を繰り返すようでしたらおそらく永遠に分かりあえないでしょう。再度申し上げますが、私はその「姿勢」を取り払わない限り、保護解除に対して反対を意を唱えます。あしからず。218.44.81.60 6/8 --以上の署名のないコメントは、218.44.81.60会話/Whois)さんが 2007年6月7日 (木) 15:43(UTC) に投稿したものです(モトカルによる付記)。
ノートで問題点を整理して一つ分かったことは、この様な事態をもたらしているの二つ要素の合併症だということ。一つは何でもかんでも「争いがある」と言い立てる人。もう一つは「争いがある」と言われたら何でもかんでも安易に両論併記にすりゃイイと考えている人。問題を取り除いてこの先に進みたいのなら、この二つの要素の関係をどうにかしないと先には進めないだろうね。指摘と云えばこれが指摘です。218.44.81.60 6/8--以上の署名のないコメントは、218.44.81.60会話/Whois)さんが 2007年6月7日 (木) 16:21(UTC) に投稿したものです(モトカルによる付記)。

A) まあ、たぶんわかります。たしかに、モトカル氏の「対立がある」という認識は浅い想像の押しつけに思えることもありましたよ。が、そのレベルがウィキペディアだと思います。モトカル氏が気を遣いすぎの間違いだとしても、どんな変な人が現れたり、知らぬ間にどんな行き違いが生じたままになっているかわからないのだから、それも一つの方法だと見ています。あまり純粋に良い、というのはかえって根本的にひっくり返される不安があるし。 B) それとは別に、―――これはまだ気が早くて、2, 3日後にすべきことかも知れませんが―――それが投降ブロック覚悟の抗議でなくてただ保護をあまり長く続けるつもりとしたら、そのやり方は、判断基準を明確にしないのが間違いであり、かつ手法が乱暴です。

  1. 似た主張はあなたの逆の立場からもできるわけで、たとえば偏った編集方針を正義やルールだと主張されることもあるわけですが、あなたの基準がそれよりいいものであっても、「何でもかんでも」と書くだけの不明確な説明なら同じ事です。
  2. 現在、たまたまあなたの編集で止まっていますが、逆の形だったらあなた自身そのやり方を不正だと思うはず。そして、慰安婦以外の項目で保護を悪用する手法を、結果的に正当化しているようなものです。たまに得られた幸運にしがみついて、広い視点ではもっと悪いものを強化しているようなものです。
  3. あなたの指摘の問題について、私は最悪を避けるためには、ある程度鈍くてもいい、と思っています。もめるようなら、「冒頭は簡略に、それ以後は充実」していけば大きなずれは防げるのではとおもいます。

(そして、悪意によって生じているとはいえないなら、それは編集者のレベルが足りない故ということであり、気付いた者が議論するしかない、と思っているわけです。編集者は常に入れ替わりますから、レベルを向上して固定化させるには、議論の形を明確に残すしかないだろうとおもっています。めんどうなので、避けたいですがね。) 早いかもと思いつつ、別の方向に流れることもあるかと思って、今の内に書いておきます。 --如月の弥 2007年6月8日 (金) 11:46 (UTC)返信

別に問題さえクリアになればいつでも良いです。
で、前回の記述の後にまた問題を整理したのですが、現在、大多数がAと云う見解で、ある1人がBと云う見解であっても、「AであったかBであったか論争がある」で締めているわけです。前回私は「安易に両論併記にすりゃイイ」と書きましたが、これはちょっと不正確でした。正確には「安易に折衷にすりゃイイ」です。つまり、現在は何でもかんでも“折衷”しているわけです。これでは「1人が異の声を挙げる」→「争いがある」→「安易な折衷」になり、それまで定着していた文言すら簡単に削り、→「AであったかBであったか論争がある」としてきたわけですね。
ココの辺りは私は大変不満があり、特に「文言を削る」と云う行為を「争いがある」と名の下で“安易に”行う姿勢はとても看過できないわけです。「XはAである。但しBとの見る者もいる」と、争いがあるところをキッチリ両論併記するならともかく、何でもかんでも“折衷”にして文言を削るのは見過ごせないと云うわけです。--以上の署名のないコメントは、218.44.81.60会話/Whois)さんが 2007-06-08 13:00 (UTC) に投稿したものです。
あなたの編集に照らして具体的に考えると、要するに、大多数が「商行為であった」という見解なのに、ある一人(吉見の主張を引いた私でしょうか?)が異の声を上げたため、モトカルさんが安易な折衷をした、ということになるわけでしょうか。だとすれば、「大多数が「商行為であった」という見解」という前提認識を、まず検証する必要がありますね。また、冒頭は別の要素が入ることは以前に議論したと思います。いずれにしても、Wikipedia:中立的な観点を一読されることをお勧めします。--火の鳥 2007年6月8日 (金) 14:11 (UTC)返信
何度も何度も何度も繰り返しますが、私が問題視しているのは「姿勢」であって、個別の件はどうでも良いです。
> Wikipedia:中立的な観点を一読されることをお勧めします。
何度も読んでおります。218.44.81.60 6/8--以上の署名のないコメントは、218.44.81.60会話/Whois)さんが 2007年6月8日 (金) 14:31 (UTC) に投稿したものです(モトカルによる付記)。返信
「争いがあるところをキッチリ両論併記するならともかく、何でもかんでも“折衷”にして文言を削るのは見過ごせない」という言葉自体はもっともです。具体例と方法については、別として。 --如月の弥 2007年6月8日 (金) 14:33 (UTC)返信

私はキッチリ答えました。問題点も挙げました。上記の点がクリアされていれば、記事内容に何が書かれていようとも私は反対の意は唱えません。以上です。218.44.81.60 6/8--以上の署名のないコメントは、218.44.81.60会話/Whois)さんが 2007年6月8日 (金) 14:53 (UTC) に投稿したものです(モトカルによる付記)。返信

218.44.81.60(60.36.126.40)さん、「1人が異の声を挙げる」というのはウィキペディアの執筆者という意味ですか?それとも慰安婦問題について一人が異論を述べているということですか?「個別の件はどうでも良いです」とこれまで具体的な指摘を避け、抽象的指摘ばかりされていますが、誰がそうしているのか、どういう箇所のことなのかなどについて具体的な例をきちんと示さないため、議論がスムーズに進みません。:本来ならあなた自身が示すべき内容を火の鳥さんが代わりに想像して「あなたの編集に照らして具体的に考えると、・・・ということになるわけでしょうかということになりますか」と質問させてしまっていること自体があなたが少しもきちんと答えていないことの表れではないでしょうか?
あなたの主張は誰に対する指摘なのか、具体的にどの編集なのかなど、重要な点が示されておらず、すべて曖昧で抽象的な批判になっています。
「見過ごせない」とまで言われるのならば「何でもかんでも“折衷”にして文言を削った」という箇所を具体的に示すのが道理というものです。それに抽象的な批判に終始することはフェアでないことにもなることをご理解下さい。
なぜなら、抽象的批判に対してはきちんとした弁明や反論もできないし、たとえその批判が的外れであったり、不当なものであったとしても、批判されたことだけが印象づけられるからです。これまでのノートを見れば、おわかりになるように、誰しも具体的な箇所を提示して議論を行なっていますし、自分の文案を提示したりしています。
あなたは(「争いがある」と言い立てる)「姿勢を問題視している」と言われますが、「争いがある(異議がある、論争がある)」と主張すること自体はウィキペディアの方針上は問題ではないのです。一つの記事の主題に対して、それをどう捉え、どう記述してゆくかということについて、人それぞれ考えが違うのは当たり前です。ですからそれらを議論するためにノートページというものが設けられています。
「争いがある(異議がある、論争がある)」という主張に異議があるなら、それをノートで主張すればいいのです。事実認識に問題があるのか、ウィキぺディアの方針上問題があるのか、ちゃんと根拠をもって異議を唱えればいいのです。そして、こうすべきだという文案があれば、それを提示すればいいのです。
ここ最近の執筆者である火の鳥さんも、如月の弥さんも、わたしも、みんなそうして来ています。私も自分の考えが絶対に正しいなどとは決して思っておらず、他の方の指摘によって考えが正されることもあり、多くの啓発を受けています。
そしてそれこそが共同で執筆するウィキペディアの素晴らしいところなのです。姿勢ということで言えば、「争いがあることにしたいとの目的がある」というような“決して断定できるはずのない他人の意図”を一方的に決め付けて批判する姿勢というのはいかがなものでしょうか?
また、リバートする理由を明示せず、ノートでの議論を求める呼びかけにも、相手の再三の質問にもことごとく解答を避ける執筆者の姿勢こそ問題だと言えないでしょうか?それは他人が断定できない“見えない他人の意図”にたいする指摘と違い、誰にも明らかな実際の行動についての指摘です。
あなたは「『文言を削る』と云う行為を『争いがある』と名の下で“安易に”行う姿勢」、「争いがあるところをキッチリ両論併記するならともかく、何でもかんでも“折衷”にして文言を削るのは見過ごせない」と言われますが、わたしの認識では、ここ最近の編集については基本的には「争いがあるところをキッチリ両論併記して来ている」と思うのですが・・・
編集合戦になる直前の2007年6月2日 (土) 13:17 (UTC)の版でも「慰安婦達に過酷な性労働を強いた性奴隷制度であったとする主張がある一方、「売春」という商行為であったか、旧日本軍のケースでは慰安婦を強制連行したのか否か、強制的なものであったか等の点に疑問が呈されており」ときっちり「争いがあるところをキッチリ両論併記」しています。
「呼称」の節においても、慰安婦に従軍という言葉を付加することへの批判も慰安婦制度の擁護派、否定派の双方の意見を載せています。「総数」の節でも様々な説を併記しています。「生活状況」や「報酬」や「兵士との関係」の節でも、悲惨だったとする報告と、恵まれた状況の報告を両方載せています。
「論点」の説でも慰安婦制度の擁護派、否定派の双方の意見を載せています。実際、多くの事柄について両論併記されているのが実情です。わたし自身について言えば、慰安婦制度の擁護派、否定派のどちらの側の記述にも「中立的な観点」において問題があれば、より妥当な表現に修正して来たつもりです。
それは、「定着していた文言を削除した」というものではなく、より妥当な表現に変えて来たつもりです。そしてどちらかと言えば反対の立場にある火の鳥さんでさえ、私や如月の弥さんについて“バランスを取ろうとされている姿勢がある”と認めて下さっています。また、わたしも火の鳥さんや如月の弥さんが「『文言を削る』と云う行為を『争いがある』と名の下で“安易に”行う姿勢」があるとも、「何でもかんでも“折衷”にして文言を削ったり」しているとは認識していません。あなたが、本当にそう思うなら、それを具体的に示して下さい。それを具体的に示せずに批判を続けるなら、執筆者としての適格性を自ら下げることになると思います。
それと署名は直接書くのではなく、チルダ4つを直接記入するか、編集画面のアイコンボタンでチルダ4つをスタンプするかして、投稿による自動的な署名にしないと署名の信頼性が保障されませんので、ご注意下さい。--モトカル 2007年6月9日 (土) 09:03 (UTC)返信
> わたしの認識では、ここ最近の編集については基本的には「争いがあるところをキッチリ両論併記して来ている」と思うのですが・・・
冒頭文もその意気込みで、今までのような安易な折衷ではなく、文言を削らずにキッチリ両論併記で宜しくお頼み申します。あなたならまだまだ力量があるはずです。218.44.81.60 6/9 ----以上の署名のないコメントは、218.44.81.60会話)さんが 2007年6月9日 (土)09:28、09:35、09:37 (UTC) に投稿したものです(モトカル 2008年5月6日 (火) 13:24 (UTC)による付記)。返信
具体論については人それぞれの主観があるでしょう。218.44さんもこの次の例からは、具体的に指摘できるものと思っています。
一例として、下の「冒頭文について 」の節でも書きましたが、現在の冒頭の中の「過酷な性労働を強いた性的な奴隷」というのは、処理人数が過重だったという話はネット上でよく見ますが、'93年の証言集ではその比率が高くないので、代表するには不適当ではでしょうか。吉見の論の基礎とも違うはず。しかし、バランス感覚上は「過酷な性労働」というのは都合のいい文言です。これは、折衷みたいに思えますね。
一般を考えると、そういうことは他の項目ではもっといいかげんに大きくあり、しかもそういう中途半端な表現への疑問を出しても、(少数の黙認を含めた)合意があったとかの名目で動かしづらく、はねられることがあります。 そんなとき、解説証明できないままに溜まっていくものがあるのはわかると思うのです。
そういう注意すべきことはある一方で、実際には物理的(知識と労力)に可能かという点も出てきます。十分な文が誰にも書けなければ、削除中心の方針を立てればいいのでしょうが、すると今度は、・・・まあ、完全を求めると労力が持たない面はあるわけで。
(追伸)冒頭文案、保護解除の申請タイミング、は別として、リバート問題は終わったのでしょう。この次の文には、218.44さんも具体的な箇所を指摘してもらえるだろうと思います。 ----如月の弥 2007年6月9日 (土) 10:22 (UTC)返信
繰り返しますが、具体的な指摘をする事はありません。またリバート問題は、現状のままでは問題(安易な折衷による文言の削除)はまったく解決しておりませんので、保護解除に対しては反対の意を唱えざるを得ません。問題が解決(安易な折衷による文言の削除→両論併記)しましたらいつでも保護解除への賛意を送りますが、それ(問題解決)まではいくら時間が掛かっても構わないと思っていますし、むしろ焦ることなく十分時間を掛けるべきだとも思っています。218.44.81.60 6/9--以上の署名のないコメントは、218.44.81.60会話/Whois)さんが 2007年6月9日 (土) 11:37(UTC) に投稿したものです(モトカルによる付記)。

218.44.81.60さんに対して、かなりズバズバ指摘させていただきましたが、ある程度受け止めて下さったのでしょうか、意外なお答えにはちょっと驚きました。励ましの言葉をいただいたこと有難く思い、恐縮しております。もし、言い過ぎたところがあったとしたら、私の未熟さのなせる業だと寛容に受け止めて下さいますようお願いいたします。ただ、どのような記述を「安易な折衷による文言の削除」とされているのかだけは是非示して下さい。どのような編集が問題になるのかについて共通の認識に至らない限り、今後も同様の編集における問題が出てしまうことになってしまい、せっかくのあなたの指摘が無駄になってしまいます。誰も「安易な折衷による文言の削除」をしようとは思っていないのに、一方はそのような編集であると捉えるという認識のズレがあることが問題なので、それをすり合わせるために、具体的な記述で確かめ合わないとお互いの理解が一致しないと思います。結局、問題の解決とは何が妥当な記述であり、何が妥当でない記述であるのかという点において、きちんと合意することだと思います。--モトカル 2007年6月9日 (土) 12:38 (UTC)返信

冒頭文について 編集

あららら。ノートで書くことをゆっくりしていたら、保護が早いですね(他の人の書き込みも)。昨日私が書いたのは、60.36.126.40 氏の月曜の文にはモトカル氏の意見に考慮を払って修正したかのような見違いがあってのことでもあるけど、後では文は私が仕上げた形になっていますね。

60.36.126.40氏の初めの文の一番問題なのは、「実態が商売」だったということだけど、今見たら木曜日にもありますね。それはともかく――

私の文は、‘実態が商行為’とあったのを、「制度(規則上)としては、・・「管理売春」(これが昔の娼婦は人権侵害と言われる元)・・商行為・・、実態については、・・主張もあり」と、変えたわけです。

私にとっては「商行為」「報酬が払われていた」は放置保存したまでであり、削除には反対しないというより賛成します(冒頭としては)。

性奴隷という言葉は一般人には専門家的に理解はされないはずなので、印象だけで受け取ることになり、冒頭には反対です。

以上削除の上、「制度の形は、軍相手の「管理売春」と見られるが」というのに問題があるでしょうか?

リバートの動機は知りませんが、たぶん以前の文章の印象の問題かと想像します。この改定でも納得してくれるのではとかってに思いますが・・。(実態については、概論以下で語ればいいことだし)

火の鳥さんの文では、「秦郁彦らをはじめとした異論もあり、」に「戦地という状況下での公娼であるという異論」と加えないと、リバートの因でしょう。また、吉見の言葉としてであっても、「性奴隷」という言葉を冒頭に持ってくるなら、それは一般人にとって「慰安所は兵士のサド欲求のはけ口として慰安婦を置いていた面が強い」という主張だと受け取らせるものです。

(改定を含む)--如月の弥 2007年6月5日 (火) 11:06 (UTC)返信

如月さん、有り難うございます。「性奴隷」という言葉は迷ったのですが、結局いろいろ書くより、一方の立場はこの言葉に集約される面があるかなとも思ったのです。しかし、どうやら維持できそうにないですね。--火の鳥 2007年6月8日 (金) 03:16 (UTC)返信
重労働だから奴隷というのでなく、だまされたり拘束が強いから、奴隷としての売買と拘束に等しいという主張のはずですね。その意味では、現在の冒頭文のそこの表現もまちがいです。「制度としては・・、慰安婦証言では、本人の意志に反して契約・拘束されていたことを性的な奴隷と評価する主張がある。」とすべきでしょうか。--如月の弥 2007年6月8日 (金) 12:46 (UTC)返信
火の鳥さん、慰安婦制度を批判する側が必ずしも「性奴隷」という言葉を使っているとは言えないかもしれませんし、一般に定着している言葉でないため、誤解の可能性あるという如月の弥さんの指摘も一理あると思います。
「河野談話」でも“強制性”ということがキーワードであったことから、慰安婦制度を批判する側の主張は「(慰安婦制度は)強制的なものであった」と表現するのが一番よいのではと思います。奴隷の問題点とは正に強制という問題ですし、「性奴隷」という主張は「論争」の節でしっかり書かれていますから・・・
次に、以前の冒頭は「慰安婦は、商行為であったのか、強制的なものであったのか」という記述で、商行為であったとする主張と強制的なものであったという主張を同列に述べていましたが、現在の「制度としては、軍相手の「管理売春」という商行為であったが、実態については・・・」という記述だと、「軍相手の『管理売春』という商行為」という捉え方が正しく、慰安婦制度を批判する側の主張が正論でなく、または少数意見という印象も与えかねないため、「どのような特定の観点も全く表明しない(暗に示したり、読者を信じ込ませようとしたりもしない)」という「中立的な観点」からすると好ましくないと思います
個人的に慰安婦制度を「商行為」と考えるか否かは別に、現状として、日本は「河野談話」により、軍による慰安婦への強制性を公式に認め、歴代首相がお詫びと反省の意を示して来ており、「アジア女性基金」で償い事業を行なって来ました。
今回のアメリカでの世論を見てもわかるように国際的にも慰安婦制度を批判的に見る風潮は現にあることを考慮すれば、現在の記述は妥当でないと思います。以前のように「商行為である」という主張と「強制的なものであった」という主張の間で論争があるというような記述にすることは、218.44.81.60(60.36.126.40)さんが再三異を唱えておられる「1人が異の声を挙げる」→「争いがある」→「安易な折衷」により定着していた文言を削るということには当たらないと考えます。--モトカル 2007年6月10日 (日) 00:20 (UTC)返信
モトカルさん、あなたじゃやっぱり無理かもしけないね。保護解除に向けては長く掛かりそう。218.44.81.60 6/10--以上の署名のないコメントは、218.44.81.60会話/Whois)さんが 2007年6月10日 (日) 03:37 (UTC) に投稿したものです(モトカルによる付記)。返信

218.44.さんが何を言ってるのかわかりません。モトカルさんは具体的には私の意見(火の鳥さんも同意した)に賛成しているだけで、ここでは何の文案も示していません。ほとんどの部分は、以前の文に対してにすぎません。それを批評して、『あなたじゃ・・保護解除に向けては長く掛かりそう』と今後のことを言うのでは、さっぱりです。 ただの誤読かと思いますが、仮に私が誤読であなたが正しいと仮定しましょう。その場合でも、その書き方を続けるなら、あまり長くはかからないでしょう。IPブロックがかかると思うので。--如月の弥 2007年6月10日 (日) 05:51 (UTC)返信

今回の反応でようやく、218.44.81.60(60.36.126.40)さんの見解がようやく見えて来ました。恐らく、「削除された定着していた文言」とは「慰安婦が売春をしていた」という記述なのでしょう。
「慰安婦が売春をしていた」こと、「報酬をもらっていた」ことは自明のことで、吉見教授を初めとする批判派がそれを否定するからといって、それらに関して論争があると記述することはナンセンスだという見解をお持ちなのではと思います。
しかし、自身の見解や相手の意見に対する見解を述べ合うことで、相違点、合意点を明らかにするべきこの場において、218.44.81.60(60.36.126.40)さんのように、批判も抽象的で、自身の編集に対する説明責任を少しも果たさないことは、本人が意図しているか否かは別にしても、サッカーにおいて違反となる遅延行為のようなものになってしまうと言わざるを得ません。訴訟においても、検察官や弁護人による訴訟を意図的に遅らせようとする行為に対する罰があるそうです。残念ながらウィキペディアにはそれを方針に反するものという明確な取り決めはないように思いますが、問題であることは確かでしょう。218.44.81.60(60.36.126.40)さんは盛んに編集に対する“姿勢”を問題視されていますが、自身の説明責任を果たさないあなたの姿勢がこのように議論を長引かせており、保護の状態が続くことで、これから編集しようと思っている多くの利用者の機会を奪うことにもなっているということをもうはっきりと自覚していただかなくてはならないと思います"。現状は意見を述べ合い、なかなか合意に至らないというものではなく、218.44.81.60(60.36.126.40)さんがはっきり見解を示さないために、きちんとした議論が行なわれないまま、みんなに大変な回り道をさせてしまっている状態であることをどうかご自覚下さい。これまでのノートを御覧なればわかるように、誰しも活発に自身の意見を述べ合っており、218.44.81.60(60.36.126.40)さんのように、自身の見解を避けて抽象的批判に終始する人は見かけたことがありません。どういう記述ならあなたは妥当だと思われるのか示さないのはとても不可解なことです。政治の世界ならば、正に慰安婦問題のように外交問題になるのを避けるために、敢えて自身の見解を明らかにしないというのは一つの戦略かもしれませんが、ウィキペディアにおいてはそれはまったく不適当なものです。--モトカル 2007年6月10日 (日) 07:53 (UTC)返信
(注意)話はそれますが念のため。『吉見教授を初めとする批判派がそれを否定する』という認識は私は持っていません。周辺の混乱させたがる子鬼どもはそう言うだろうし、吉見もそれに乗ったコメントは出すだろうが、ほんとに学者として聞くならば、「終戦以前にやめた慰安婦に報酬がなかったと考えている」、などとは答えないでしょう。「借金を返した慰安婦のほとんどが、戦争が終わるまでは、戦況にかかわらず帰してもらえなかった」、などとも答えないでしょう。なので、百科事典としては、騒ぎを増やしたがる者に追従するべきではありません。同時に、そんなことは冒頭では必要ないと思います。--如月の弥 2007年6月10日 (日) 10:29 (UTC)返信
如月の弥さん、『吉見教授を初めとする批判派がそれを否定する』というのは「売春だった」ということも含んでいます。吉見教授は「従軍慰安婦は公娼制度より更に過酷で、見せかけの保護規定もない剥き出しの性奴隷であると」と主張しているそうですから・・・慰安婦の報酬について、(私は事実関係はわかりません)如月の弥さんのおっしゃるように、吉見教授が「終戦以前にやめた慰安婦に報酬がなかったと考えていない」というのがもし事実なら、現在、「報酬」の節にある「吉見義明や尹明淑の著書によれば、現在証言の得られる元慰安婦のほとんど(9割以上)は給料を貰っていないと証言している。」という記述はどう捉えたらよいのでしょうか?
「百科事典としては、騒ぎを増やしたがる者に追従するべきではありません」という御指摘はもっともなものだと思います。ただ、よく勘違いされやすいことなのですが、ウィキペディア自体は事実を明らかにすることが目的でなく、それぞれの人物や事象に対する様々な観点を公平に取り上げるものなので、明らかに事実でないという見解だからといって排除すべきものではないと思います。
ただ、全体から見て明らかに小数の意見、明らかに僅かな支持しかない見解を有力だったり、常識となっている見解と同列に扱うべきでないことは「中立的な観点」の方針でも述べられており、それはこのところ218.44.81.60(60.36.126.40)さんも主張されており、以前から、如月の弥さんも火の鳥さんも同様の指摘をされています。その認識は私も同じなのですが、その前提になる事実認識において、ズレがあることが今回の編集問題になっていると思うので、218.44.81.60(60.36.126.40)さんの言われるような編集姿勢の問題というより、記述の前提になる、“何を事実と認識するか?”という問題が大きいと思っています。
特にこの慰安婦の問題は50年以上も前のことであり、当時を知る人も少なく、証言している人も全体から見ればごく一部であり、慰安婦制度の擁護派、批判派のどちらの側からもバイアスのかかった情報が流されるという傾向もあり、様々な事実関係を明確にすることが難しいという面もあります。
ですから、特に冒頭部分は簡潔な方がよく、中途半端な記述することで言葉足らずになり、誤解を生み、論争を招くことはつまらないことです。ですから本文において、しっかり説明するのがよいと思います。ですから「制度としては、軍相手の「管理売春」という商行為であったが、実態については・・・」という記述より、シンプルに「商行為であったのか、強制的なものであったのかという論争がある」とする方がいいと思うのです。--モトカル 2007年6月10日 (日) 11:32 (UTC)返信
もちろん、冒頭は簡潔な方がいいです。簡潔だと、厳密にいうとおかしいということも生じますが、それはきりがないし、厳密に解釈する人ならそれ以降の文を読んでくれるはずなので、気にしない方がいいです。あなたのその文案は、そもそも商行為でも騙された少女を軍が統治者でかつ元請けなのに解放しようとしなかった、という批判を無視しているようで――中立かどうかでなく、論の焦点かどうかで――問題があるでしょうが、私は許容できます。
『現在証言の得られる元慰安婦のほとんど(9割以上)は給料を貰っていないと証言している。」』――べつに矛盾しないでしょう。詐欺にあった人もいるでしょうし、不満のない人が証言に現れないでしょう。つまり、証言が全体を示すに足るほどの平均的な証言者たちだという根拠がありますか?日本人慰安婦が、「給料をもらって帰りました」という証言に現れてはいませんが、そのことを疑っている人がいますか?実態がもらっていないというなら、日本人慰安婦も「敗戦以前に帰国した人も無報酬で放り出された率が高いだろう」と予想すべきですが、本気でそう予想して、国内で呼びかけている人がいるでしょうか?
矛盾しているという論拠はそちらが出すべきです。一部の結果的不払いが全体を表すに足る‘と本気で評価されています’という根拠を。印象と論とを混同しています。混同して騒ぎまくる子鬼どものことは無視すべきです。
'93年の証言集では、
金学順は軍人が金を出していることを聞いているが、4ヶ月で逃走した。
金徳鎮は居続けて金をもらうことよりも、帰ることを撰んだ(軍票以外は経営者も持ちてなかったのかもしれないが、事情は不明)。
李英淑は、初めの所で経営者が契約違反をしているのを憲兵に訴えると言い、後の所では、もうけを折半し終戦時には少しの金をもっていた。
河順女は経営者が受け取っていたと知っているが、終戦までいた。
呉五モクは、軍人から金をもらっている。
黄錦周は、金のことは何も知らないで、終戦まで続けている。
文必基は、軍人が券を使っていたので金のことは知らないまま、敗戦になり、ソ連兵から逃れるために逃げ出した。
李容珠は何も知らないまま、敗戦で経営者が逃げ、釜山に帰るとなぜか300円もらっている。
李玉粉は、軍が券を出していることは知っていたが、敗戦で経営者が逃げ出した。
文玉珠は、将校を騙して脱出した後、ビルマに行き、実家に送金したり貯金しているが、通帳をなくした。帰りの船中で、千円もらっている。
李順玉は知り合いの軍人のおかげで終戦前に廃業して帰ったが、軍人は金を払っていたのかもしれないが、報酬のことを考える気にもなれなかったというので未確認のまま。
李相玉は、月給三〇円とされたが、経営者は衣服などを押し売りしたので金が手にできず、年期が開けないときに軍人に頼んで病院に職場を変わった。
李得南は、軍人が金を払っていることを知っていて、終戦三ヶ月後の帰国にも五〇〇円をもっていたが、釜山で四〇〇円取り上げられた。
李用女は、貯金すると聞かされていたがビルマで敗戦、それ以前に朝鮮人経営者が消え、軍人が消えた。
金台善(仮名)は、一月あまりの慰安婦生活で、戦況が危なくなったので、逃走。
朴順愛は、料金相場を知っていて、帰国船の時に通帳を腹に巻いたが、沈没のさいに通帳を落とした。二度目も沈没したり、金がないままに、なんとか帰国。
崔明順(仮名)は、四ヶ月間の慰安所生活で、金のことを考える余裕もなく、病気になって朝鮮に戻った。
姜徳景は、金が軍属に渡っていて自分にくれないことを聞いているが、元が工場から逃げ出してつかまったたせいか、終戦で逃げ出した。
尹頭理は、釜山で敗戦によって経営者と軍人が逃げ出したので金がもらえなかったという。
以上からして、この一九人の場合からは、「慰安所の実態が一般に金を払わないものだった」ということは成り立たない。短い期間で報酬以前なのが三例。敗戦でなくても軍が払っていなかったと想像する余地のあるのは、3例だけ、黄錦周、李容珠、李順玉。軍が金を出していたことを知っているのが一三例。
もちろん、現在の慰安婦はもっと多いし、朝鮮以外の慰安婦もある。しかし、最も信頼が高い調査のはずのこれらで、こんなもの。不満のない人は証言に出てこない、ということからしても、慰安婦達全体の実態が、報酬がなかったなどと「本気で説を立てる学者」がどれだけいると言えますか?
まして、証言と矛盾するというなら、それがどの証言なのかを、十分な数で指定すべきです。 --以上の署名のないコメントは、如月の弥会話投稿記録)さんが 2007-06-10 14:39 (UTC) に投稿したものです。

如月の弥さん、私の文章が紛らわしかったのかちょっと誤解を生んだようで申し訳ありません。私は如月の弥さんの主張が矛盾していると言っているのではなく、吉見教授が「終戦以前にやめた慰安婦に報酬がなかったと考えていない」というのがもし事実なら、現在、「報酬」の節にある「吉見義明や尹明淑の著書によれば、現在証言の得られる元慰安婦のほとんど(9割以上)は給料を貰っていないと証言している。」という記述を如月の弥さんとしてどう捉えておられるのかをお尋ねしただけです。

ですから、(私は事実関係はわかりません)とも書きました。慰安婦達全体の実態が、「報酬がなかったなどいう説を立てる学者はたくさんはいない」としたら、「吉見義明や尹明淑の著書によれば、現在証言の得られる元慰安婦のほとんど(9割以上)は給料を貰っていないと証言している。」という記述の他にそれを示す別の記述がないと慰安婦の報酬について誤解を生むのではと思います。少なくとも、そのような記述がないまま、現状のように冒頭に「慰安婦達に報酬が払われていたとはいえ・・・」と書く事は読者を混乱させるものだと思います。--モトカル 2007年6月10日 (日) 23:19 (UTC)返信

なかなか全体を総括して、報酬がどうこうというのは難しい問題です。まず「報酬」が何を指しているかという問題。「報酬」を一般的に「慰安所からの給金」として考えると、これは日本人以外の慰安婦については、慰安所からの給金がまともに支払われていたという例は少なく、その意味では性行為の代償としての「報酬」は無い方が多数派ということになるでしょう。しかし、チップや、衣食の現物支給というのはあるので、それを報酬というかどうか。一方では軍票をそのまま報酬といっていいのかという問題もあります。それと、これが日本人の元慰安婦になると、給金の支払いは確保されていたという例も多いと思いますので、その部分では報酬はあると言うことになります。したがって、報酬を貰っている慰安婦もいるし、貰っていなかった慰安婦もいるということになりますから、少なくとも一般化して「報酬は支払われていた」と断言するのは誤りだと思います。なお、「報酬がなかったなどいう説を立てる学者はたくさんはいない」というのは、ややミスリーディングで、もう少し学者の論文では注意深く言葉を使っていると思います。--火の鳥 2007年6月11日 (月) 02:53 (UTC)返信
如月さん、「不満のない人は証言に出てこない」というのは、いかがなものかと思います。性に関するこのような過去を語るのは、ご本人にとっては極めて辛いことです。多くの元慰安婦は不満があっても口に出さず、静かに人生を終えておられると思いますよ。証言をしてくれた元慰安婦は、たまたまきっかけがあって、勇気を出して語ってくれたのです。これはもしかすると私との価値観の違いかもしれませんが、念のため。--火の鳥 2007年6月11日 (月) 03:08 (UTC)返信
モトカルさんイイところまで来ました。あともう少しです。但し私は特定の言葉云々ではなく、「安易に折衷して文言を削除せずに“両論併記”」をお願いしてます。つまり個別の言葉をそれぞれの主張をキッチリ記しましょう。と云うわけです。それぞれ見解はあるはずです。それゆえそれぞれの見解は文言を削除することなく、チャンと“両論併記”で表しましょうと云うことです。私は個別の件は指摘しません。「安易に折衷して文言を削除することなく“両論併記”」を何度も何度もお願いしているのです。218.44.81.60 6/11 --以上の署名のないコメントは、218.44.81.60会話/Whois)さんが 2007-06-11 06:38 (UTC) に投稿したものです。
まだ分かりにくいようでしたら、どちらの側も「敵の為に書け」を実践するように望みます。そのぐらいのことはwikipediaのベテランの皆さんだったら簡単にできると思いますが、今回はそれをぜひ実践していただければと思います。つまり「敵の為に書いたモノ」で「両論併記」を実践していただければ、自ずから問題は解決するはずです。218.44.81.60 6/11 --以上の署名のないコメントは、218.44.81.60会話/Whois)さんが 2007-06-11 06:46 (UTC) に投稿したものです。
218.44.81.60(60.36.126.40)さん、「安易に折衷して文言を削除することなく“両論併記”」を 何度も何度もお願いしているのと言われても、誰も「安易に折衷して文言を削除している」つもりはありません。そういうつもりがなくても、あなたがそう思うのですから、あなたが、「安易に折衷して文言を削除している」ことになる記述、「(安易に削除せずに)定着させるべきと考える文言」が何かをはっきり示さない限り、いつまで経っても問題は解決しません。
しかし、あなたが、何故ここまで頑なに、自身の過去の編集についてや、問題だ、または妥当だと考える編集や記述などについて語らないのは、あなたが自分の指摘や提案に自信がないからとか、ダメ出しを恐れているという理由も一部あるかもしれませんが、それより、これまでの自身の行動からして、語れない、語ると問題があると思っておられることは以前から察しがついております。署名の仕方を何度も説明しても、未だに直接記入という正式でないやり方をしていおられるのもその表れだと思います(これはあなたのウィキペディアまたはネットに関する知識の不足であって、今更そうしても履歴は動かせないものなので本当は意味がないことなのですが・・・)。
わたしはそれらについて敢えて言及せずに来ましたが、これ以上、まともな議論がなされないまま、保護の状態を不当に長引かせるようになるならその問題を指摘せざるをえません。恐らくあなたは、何度要請しても、具体論を避けようとされるでしょうから、如月の弥さん、火の鳥さんと私の間で(もちろん、新にきちんと議論に参加して下さる方がいればその方も)、合意できる部分を明らかにして行き、それに対する意見を218.44.81.60(60.36.126.40)さんに表明してもらうようにするのがいいと思います。もし、その時再び、曖昧な答えで議論を不当に長引かせるようなら、前述の問題を指摘しようと思います。--モトカル 2007年6月11日 (月) 23:22 (UTC)返信

モトカルさん、私が矛盾していると言われたとも思っていません。私の意見との間に矛盾があるとモトカルさんは指摘した、と受け取っただけで。また、私は冒頭文のことを書いているのではありません。火の鳥さんも言われるように(他の要素も含めて)、これは多様なことを含んだ表現だったりして、冒頭文には不適当です。ただ、モトカルさんのいう議論への状況認識を「公知のように」繰り返し書き込まれれば、「私は承認しない」と書くことになるのです。 「現在証言の得られる元慰安婦」という言い方は、まったく慰安婦全体を説明していません。それで全体を暗示するのは、説ではなくて宣伝です。そして、私の書いたように、それらの学者の論拠となる証言においては、軍は金を払い、多くは敗戦によって軍票円貯金が消滅したようです。それは、慰安婦という制度として金を払わなかったということとはまったく違います。それでも、学者が金が払われなかったと言っている、と言う人達は多いでしょう。「だから、報酬が出ていたことに議論がある」→「学者達は報酬が出なかったと言う人達も多い」と表現すると、すり替えです。 火の鳥さんとは、基本的に慰安婦証言をどのようなサンプルとするかの、比重の置き方が違うようです。私は過去の時代への認識を中心にしていますが、火の鳥さんは女性問題を中心にしているように思えます。そのため、どうしても比重が違うと思います。「女性問題としての慰安婦」という枠組み設定でならば、私に限らず、多くの人が立場を近くできるでしょうが。互いに違う編集者がいることは有益だと思います。 「報酬がなかったなどいう説を立てる学者はたくさんはいない」ともちろん言い切れませんが、不十分な理由で「十分いる」と言うなら、「むしろいないはずだ」と言います。 (実情はどうだったかといえば、軍はたいてい払ったが、経営者は内地人以外にはたいてい辞めるまで払っていないか、そもそも戦地では円が流通していない、払うつもりの経営者は多かったかも知れないが終戦までいた慰安婦が多ければそれも無駄になった、、他様々でしょう。この辺の議論を、各小項目で紹介することは問題ないですが。) もちろん出てこれない事情があることはわかっていますが、「不満のない人は証言に出てこない」というのも当然であり、「訴訟と補償を求めて出てきた人達から、出てこない多くの人達の率を類推する」ことの無意味さは、常識と言うべきでしょう。なので、――それ以外の補強もあれば別ですが――、モトカルさんが「慰安婦がこう言っていると、言う人達がいる」というだけの配慮は、無意味な議論をまともに受け取りすぎで良くない、と私は考えます。 他の例を挙げて置きましょう。 ミッチナに関しての記述をしたころの記憶によれば、永井和研究室の白石秀人というのは、あまりに捏造だらけです。資料を捏造した上での主張以外の内容はなかったと記憶するぐらいです。今までの資料にないものを見い出したのでなく、今までの資料にあるものを「ない」と嘘をついて、自分だけの解釈をしています。政府資料は高い本ですが、京大(京都私立大学でなく、国立のはず)にないとは思えず、参考文献としている吉見の資料にもあるのだから、わざと嘘をついている、という推測が50%を高く越える確率で成立します。 であれば、彼は果たして学者の卵でさえあるのかどうか。ただ、一時ゼミに参加しただけの学生かも知れません。 わたしが、削除を求めずにその捏造を指摘する反論を書いたのは、すでに京大の肩書き付きで結構流れているだろうからです。本来は無視すべき子鬼の活動です。明確にことごとく捏造を指摘しているのに、モトカルさんはそれを中立というつもりで、読者がまともな論のように受け取れる編集をしていました。私がなんとか訂正したからいいですが、本来はまだ不十分とも言えます。これを議論すると労力を使いそうなのと、文章校正上の調整ですむことなので、詳しくは語りませんでしたが。 ただ、書き直すべきかもしれませんね。今回、「白石秀人」 で検索したら別人と思われる以外はウィキペディア関係ばかりでした。例外が、最近ある二つのブログのコメントに引用されていたもので、不必要に宣伝してしまったかもしれません。もっとも、どちらでもばかばかしいという対応でしたが。--如月の弥 2007年6月11日 (月) 12:52 (UTC)返信

如月の弥さん、興味深いお話しありがとうございます。私も「現在証言している元慰安婦」の証言だけで慰安婦の実態を安易に判断するのは適当でないと思います。
現在、「報酬」の節にある「吉見義明や尹明淑の著書によれば、現在証言の得られる元慰安婦のほとんど(9割以上)は給料を貰っていないと証言している。」という記述はおおまかな総括的説明なので”、どのような意味で給料を貰っていない”と元慰安婦が述べているのかもう少し説明が必要ですね。
最初から給料を貰えるという待遇でなかったのか、軍票により支払いを受けることになっていたが、結果的に支払いを受けられなかったということなのか、借金の返済に当てられ、自身の給料としての分がなかったという意味なのか不明です。引用でなく、総括的説明だとそういう重要なところが抜け落ちてしまう可能性もありますね(元の文にもそういう詳細は述べられていないかもしれませんが)。火の鳥さん、原文をご存知でしたら、引用していただければ幸いです。
「軍は金を払い、多くは敗戦によって軍票円貯金が消滅したのなら、慰安婦という制度として金を払わなかったということとは違う」という御指摘ははその通だと思います。
また、「多くの学者が慰安婦に報酬が出なかったと言ってるのかどうか?」についても、事実(研究者の動向として)にもとづいた記述があった方がいいと思います。
如月の弥さんが、白石秀人氏の捏造を指摘されたというのを見かけたことがないのですが、いつどこで書かれたのでしょうか?白石氏の主張に捏造が多いという指摘が実際になされているとしたら、それも載せてもいいと思いますが、そうでなければ、ウィキペディアの編集にそれを反映させることは「独自研究」に当たるので、できないですね。
あと、私が「慰安婦がこう言っていると、言う人達がいるというだけの配慮は、無意味な議論をまともに受け取りすぎで良くない」という御指摘は、「冒頭文――実態は商行為、その他」の節で、「慰安婦達に報酬が払われていた」という記述も、「報酬」という節に「吉見義明や尹明淑の著書によれば、現在証言の得られる元慰安婦のほとんど(9割以上)は給料を貰っていないと証言している。」との記述があるので、矛盾してしまいます。」と書いたことでしょうか?
また、私が中立というつもりで、読者がまともな論のように受け取れる編集をしたというのはどういう編集であったのか、お手数ですが、具体的に示して下さいますか? --モトカル 2007年6月12日 (火) 11:57 (UTC)返信

冒頭文について、2部 バランスとルール 編集

『そうでなければ、ウィキペディアの編集にそれを反映させることは「独自研究」に当たるので、』、というその考え自体が、中立ではないのです。白石が載せるべき資格が少しでもある人物か、その意味のある内容か、が問題です。全くその値打ちが無く、ただ手違いで流布していそうだという以外に載せる価値が無くても、それを批判することを「独自研究」などとして、何も考えずに白石をまともに扱うのは、大きく歪んだ編集なのですよ。

今日は時間もないので、これにだけ、答えます。これこそが重要です。他は、一部だけは全体とは違うということは合意が得られたので、後は、過去のことだったり、枝葉だったりして省略可です。とりあえずこれだけで返答を終えます。

(追伸)私は、人をいちいち説得しようとは思いません。だから、意見の違いを取り上げて説得して合意するよりも妥協を探します。理解できる人はなんとなくわかるでしょうから。しかし、明白な基準のように語られると、承認したかのようなポーズは取れません。 --如月の弥 2007年6月12日 (火) 13:19 (UTC)返信

如月さん、白石氏の論文は、資料の解釈の方法に関する主張であり、そこに書いてある内容の基本的な点については一定の支持があると思います。もし如月さんが納得されないとしても、それは読み方の違いですので、そういう意見があることに触れるのも、全体のバランスを考えると適当だと思います。これを「捏造」といい出すと、本文中に多く引用されている他の論者のものでも、もっと信用性がどうかなと思われるものも多々ありますよ。本文中にはないですが、同じ英文資料に関する産経新聞の古森氏の記事とか、そのレベルなら捏造という批判もありうるとは思いますが。なお、私は女性問題を中心としているという自覚はありませんが、確かにWikipediaの記事の内容があまりに偏っているというのが参加した動機ですので、バランスを保つためにその方面からの編集は多くなっているかもしれません。モトカルさん、ご指摘の箇所は私が書いたところではありませんが、内容としてはそんなところだと思います。なお、そこでは「給金」の意味だと思います。たぶん文献をまとめて書いてあるというものなのでしょうが、引用するのに適当な箇所があるか、時間があるときにでも探してみたいと思います。--火の鳥 2007年6月12日 (火) 19:09 (UTC)返信
だから、何度も繰り返しますが「両論併記」にすれば良いんですよ。安易に「折衷」にすると「相手側のこの言葉が気にくわない」と各々手前勝手な文献を持ち出して“文言の削除”に心血を注ぐようになる。それゆえそれを避ける為にも「両論併記」なのですよ。218.44.81.60 6/13 --以上の署名のないコメントは、218.44.81.60会話/Whois)さんが 2007-06-12 23:18 (UTC) に投稿したものです。
ウィキペディアの編集に捏造、または捏造に等しい表現、が多いことは事実です。私も、まちがって書いたり、その他あれこれと修正したり、他人の修正を期待したりしてます。ただ白石秀人については、「その程度」ですむとは思えません。まだ、過去記事を見返してないので、私の表現の問題などがあったかもしれませんが、とりあえず今、より問題なのはそれとは別のことなので、話の流れが混乱しないために後回しです。
「白石とその主張を載せるに値する根拠があるとの確認をしないままに、まず白石を載せることを前提にして」、『白石氏の主張に捏造が多いという指摘が実際になされているとしたら、それも載せてもいいと思いますが、そうでなければ、ウィキペディアの編集にそれを反映させることは「独自研究」に当たる』というような今週語られた「基準の立て方」そのものがまず問題です。
そういう言葉がノートに書かれると、他の編集者・希望者が、「これが方針として通用している」などと、思ってしまいます。 モトカル氏には予想外のはずですが、ウィキペデイア全体で悪用が可能です。そういった基準として書かれなければ、個々の妥協の話にしていましたが。
こうなる原因として、218.44.81.60さんのいうことは言えますが、しかし、それなりに両論併記していたようにも思えるし、両論併記の微妙な仕上げ方のようにも思えます。
また、白石の場合は本当に両論併記がいいのかといえば、あとで火の鳥さんと話してみるべきでしょう、主観の違い以前だと思えますが。まあ、削除しようとする気も再び薄れたので、どちらでもいいですが。
なお、両論併記の以前に、「値しないものは削除、バランスを取って両方削除」ということもあります。白石秀人は本来は、並記よりも削除にふさわしいと思っています。中立の方法は、書くことだけではありません。中立を保てないなら、原則削除、ということも可能でしょう。ただ、あまりに少ないと、情報の混乱が生じるから、その整理を付けるために書くべきですが、しかしデマと確認できるものは・・ --如月の弥 2007年6月13日 (水) 11:00 (UTC)返信
> 両論併記の以前に、「値しないものは削除、バランスを取って両方削除」ということもあります。
私は肝心要の文言さえ削られていたのに比ぶれば、胡散臭いモノが一つ二つ混じっていても、それは「はるかにマシ」だと思います。そして、文言の削除に躍起になっている方にとっては、あなたの「値しないものは削除、バランスを取って両方削除」との言葉は、「待ってました」「作戦通り」と歓喜の言葉を送るでしょう。--以上の署名のないコメントは、218.44.81.60会話/Whois)さんが 2007年6月13日 (水) 13:14 (UTC) に投稿したものです。返信
そのうえで、冒頭文で入る文字数は限られています。冒頭からダラダラ書くわけにはいきません。双方肝心な文言で埋めていったら各々1行2行はすぐ消化します。それゆえその点はさほど心配なさらなくても良いと思います。218.44.81.60 6/13--以上の署名のないコメントは、218.44.81.60会話/Whois)さんが 2007年6月13日 (水) 13:33 (UTC) に投稿したものです(モトカルによる付記)。返信
如月の弥さん、仰ることは一般論としては私も尤もだとは思うのですが、ウィキペディアの方針に基いて考えると答えは少し違うものになります。
ウィキペディアの方針、特に「中立的な観点」の方針は自分たちの常識や百科事典に対する既成概念からすると、ちょと意外な面もあると感じます。
例えば、大手の百科事典が社会的にはほとんど受け入れられていないトンデモな説を載せることはまずないのではないかと思いますが、ウィキペディアにおいては「中立的な観点」の中の「疑似科学と科学を対等に扱うのか」の説や「有害な考えを広めてしまうのではないか」の節を見ればわかるように、(白石氏の説がそうだという意味でなく一般論として)あるトンデモな説であっても、一つの見解として紹介することはゆるされていると思います。
「中立的な観点」の方針からすれば、特定の見解について、載せるべき資格があるかないかを執筆者が決めるのは適当でないのではと思います。「白石氏の主張に捏造が多いという指摘が実際になされていなければ、ウィキペディアの編集にそれを反映させることは「独自研究」に当たるので、できない」と述べたのは、ノートでそういう指摘をされること自体はいいのですが、本文においては「検証可能性を満たす」、「独自研究は載せない」という方針からすれば、白石氏に捏造が多いという如月の弥さんの指摘がたとえ事実であったとしても、個人的見解を書く事は残念ながらできないという意味です。
これは好むと好まざるに関係なく、方針からすればそうなると思います。もちろん方針というものが悪用される可能性があるということは私も考えます。
如月の弥さんはウィキペディアの方針が悪用された実例をご自身の利用者ページで挙げておられますが、それはとても興味深いもので、ものによっては日本語版の方針に反映させたらいいのではと思うものもあります。
このような話はウィキペディアの方針をより現実に即したものにするためにとても有意義な議論だと思いますが、当面は深入りせず、保護解除のため、冒頭をどのように記述するか再度確認し合うことにしたいと思います。
火の鳥さん、報酬の箇所は火の鳥さんが書かれたのではなかったのですね。吉見氏や尹女史など、慰安婦制度の批判派の代表的論者が慰安婦の報酬について、どのように語っているか、現在のようなおおまかな記述でなく、個別的に記述できればと思います。引用の方できれば宜しくお願いします。
218.44.81.60(60.36.126.40)さん、冒頭の部分は基本的に定義の部分で、論争があるという記述はあくまで、補助的記述です。ですから、中途半端な記述で言葉足らずになり、余計な論争を誘発するより、主にどのような論争があることを示し、(詳細は「論争」の節を参照)とするのがよいと思います。
以前のように「旧日本軍が慰安婦を強制連行したのか否か、慰安婦は、売春という商行為であったのか、強制的なものであったのかや、慰安婦制度は他国にも見られるものであるのか、日本独自のものであるのかなど、様々な主張があり、・・・・」くらいがやはりよいと思います。そもそも、編集合戦になり、保護になってしまったのは、それまで、ノートでの議論で合意された記述をぶち壊しにするような、「慰安婦制度の実態は売春だった」などという明らかに「中立的観点」に反する記述に変更されたことに端を発していることをよく御理解下さい。
わたしも、火の鳥さんも、如月の弥さんも冒頭の部分は簡潔にすべきで、論議を呼ぶ記述はそこでは書かない方がいいという点では既に一致していると思います。「論争」の節を初め、いろんな箇所ではすでに両論併記していることは如月の弥さんも認めておられます。それから、署名を正式になさらないのは方法がわからないのですか?これはノートで意見を述べる上でのマナーであり、方針でもあります。文章の最後に、「~」(チルダ)を4つ(~~~~)記入します。チルダを入力するにはShiftを押しながら「へ」キーを押します。投稿をすると、「~」4つが自動的に名前(ログインしていない場合はIPアドレス、ログインしている利用者は利用者名)と投稿日時になります(Wikipedia:ノートのページでは投稿に署名をする参照)。他人にいつまでも署名を代筆させるようでは、どんないい意見を言ってもきちんとしたウィキペディアンと見られないことになると思いますのでよろしくお願いします。--モトカル 2007年6月13日 (水) 14:28 (UTC)返信

上記の文を読んでいると、やはり先の私の懸念通りになりました。自ら問題のある文を提起しときながら論争だとと言って文言の削除に勤しむ感が否めません。やはり保護解除に向けて時間は長く掛かりそうですね。残念ですが致し方ないです。私は焦ることなくじっくりと時間を掛けてでもこの問題に対して解決していきたいと思っています。218.44.81.60 2007年6月13日 (水) 15:12 (UTC) )-----以上の署名のないコメントは、218.44.81.60会話)さんが 2007年6月13日 (水) 15:05、15:06、15:12(UTC) に投稿したものです(モトカルによる付記)。

218.44.81.60(60.36.126.40)さん、「あなたが、言うように私が提起した「問題のある文」とはどういう文ですか?また「論争だとと言って文言の削除に勤しんだ」というはどういう編集ですか?具体的に示して下さい。具体的な指摘なしに批判するのはフェアでないことは以前にも申し上げました。
如月の弥さんもあなたが「判断基準を明確にしないのが間違いであり、かつ手法が乱暴」と言っていられますし、何かと言えば、保護を盾にしたように「保護解除に向けては長く掛かりそう」と言うあなたの態度についても「保護を悪用する手法を、結果的に正当化している」と厳しく指摘されています。私もそれはサッカーにおいて違反となる遅延行為のようなもだと指摘しました。あなたは自分が合意するまで、保護を続けられると考えているかもわかりませんが、 それは大きな間違いです。
投稿ブロックの方針」により、問題となる行動が続いてWikipediaのプロジェクト進行に悪影響が及ぶ可能性が生じる場合には、問題のあるユーザーの投稿を禁止する「投稿ブロック」を行なうことができるのです。
記事の編集に際し、他の執筆者との協調が図れないため、Wikipediaの目的遂行を妨げる行動をする利用者は投稿ブロックの対象になっていることを知って下さい。「編集や議論に際して他のユーザーからの質問や根拠の明示などの依頼に応ぜす、個人攻撃を行ったり話題を逸らすなどの行為を繰り返した場合にも議論が成立しにくくなります。このような場合は編集を一時中断して議論に集中して貰うために「対話のための投稿ブロック」を行うことが必要です。」ともあります。
また、「投稿行動などから同一ユーザーであると一定以上の蓋然性をもって推測可能な場合は、新たなIPアドレスやIDに対して、前回の投稿ブロックと同一理由を持って投稿ブロックを実施しても良いこととします。・・・・この利用者による投稿は同一ユーザーであるという蓋然性を理由に差し戻すか、あるいは除去することができます。また編集合戦や編集合戦が予想されるために記事を保護する場合、この利用者による投稿は差し戻された状態で保護することになります。」とあります。
これまでの御自身の編集について、問題だと指摘されている編集について、妥当だと思う記述について、再三質問しても、一切に答えて来られなかったため、まともに議論が行なわれず、大変無駄な回り道をさせられていると指摘してきました。真剣に議論してなかなか合意に至らないのならば、お互いの妥協点を探して粘り強く議論することはやぶさかではありませんが、今後も議論において相手の質問に一切答えないというこれまでと同じ不誠実な態度を取り続けられるなら、残念ながらあなたを「投稿ブロック」依頼せざるを得ません。「保護」の状態はあくまで、冷静になって、きちんと議論を進めるためにあるのであって、自分の編集を維持したり自分の意に沿わない編集をさせないためにあるものではありません。また、多くの人の編集機会を奪い、記事の発展を妨げているということも認識する必要があります。
また合意に至るのが難しいときや、一人あるいは少数のユーザーが合意を無視していると思われるときは「、投票の指針」の原則に従って投票によって、どう編集するかを決定することも可能で、実際、この投票という方法で、編集における論争がいくつも解決されています。(Wikipedia:論争の解決 参照)もう再三きちんと議論を呼びかけてきたのですから、これ以上待てませんし、今後もまともな対話を避けるというその態度を続けられるなら、敢えて触れずに来たあなたのこれまでの編集というものも問題にせざるを得なくなります。--モトカル 2007年6月13日 (水) 18:16 (UTC)返信
現時点で、話の中心は私の書くことをモトカルさんが理解できないでいることにあります。他人のブロック以前に、まず私の書くことをまともに読んで欲しい。あなたはルールを浅薄な錯覚で思いこんでいて、私の書くことも機械的にそれにあてはめているだけだ。
218.44.さんの書く、『自ら問題のある文を提起しときながら論争だとと言って文言の削除に勤しむ感が否めません。』はまったくその通りですよ。(文を提起したのはモトカルさんではないが、そういうパターンをルールだと主張していますからね。)
>『肝心要の文言さえ削られていたのに比ぶれば、胡散臭いモノが一つ二つ混じっていても、それは「はるかにマシ」だと思います。』
確かに、個々の事例については、そうですよ。私もそのようにしてきました。しかし、今は原則を語っているのです。
>『一つの見解として紹介することはゆるされていると思います。「中立的な観点」の方針からすれば、特定の見解について、載せるべき資格があるかないかを執筆者が決めるのは適当でないのではと思います。「白石氏の主張に捏造が多いという指摘が実際になされていなければ、ウィキペディアの編集にそれを反映させることは「独自研究」に当たるので』
トンデモ意見をわかってて紹介するなら、それへの反論もしっかり書くべきです。反論を封じた上でそういう意見を紹介するということ自体が悪用であり、あなたは、はっきりと悪用を認めると書いたに等しい
悪用されるという指摘への考慮を放置して結論を出しているあなたは、じつはウィキペディアのルールも理解できないままに、あなたの解釈でルールに仕立て上げているだけです。表面をまねたからあなたの主観がないというのはまちがいです。ルールを理解しようと考えずに、脳を停止して表面をまねたから、自分は主観ミスをせずにルールに従っている、といった考えかと想像しますが、デッドコピー的な思考は錯覚をしていないという根拠になりません。
まず、初めに白石の文に載せる資格がなければ、あなたの説は成立しません。誰かが、ブログ主の意見を書き込んだら、それがトンデモ意見でも批判するなと書いているのと同じです。批判するなとする一方で、なぜ、内容以前に、載せることを前提とするのですか?
(追伸)ルールについて。
独自研究というのは、本来、物理学実験のような他人が判断できないことについて、できたことです。そして、それは歴史にもあてはまると考えられるという見解は、自分だけの新資料を見付けたり、自分が生き証人だ、という主張ができ、かつ大いに使われそうだからでしょう。それに対して、「論理」は独自研究ではありません。
また、中立は、各国のウィキペディアで唯一、設置の初めから共通のルールです。
ウィキペディアは百科事典である、と看板を出しているから、その社会的責任はウィキペディアの内規をあれこれ語る以上に、優先しなければいけません。百科事典は、素人の見る客観的知識への導きなわけですが、編集者はまちがいも犯しやすいので、最低限、罪なことをしないように、「中立」は必要です。これは、社会の中での良心に基づくといえるでしょう。
個々の間違い以前に、ルールの悪用を認める(不注意であれ)あなたは、まったくルールというものを大切にしていません。
(追加)論旨を混同させないために、上記のあれこれとは別に書きますが、白石はその論拠抜きにウィキペディアで取り上げるほど、有名な議論という根拠はないでしょう。論拠を確認せず、機械的に扱うのは妥当な編集だとは思えませんね。議論を公正に進めるための基準であるべきで、議論を押さえて機械的作業によってバランスを崩す基準と用法は、ウィキペディアのルール解釈ではなく、「そういう解釈という噂」にすぎません。 --如月の弥 2007年6月14日 (木) 11:59 (UTC)返信
> 問題だと指摘されている編集について、妥当だと思う記述について、再三質問しても、一切に答えて来られなかった
あなたがどのような思惑でこのような発言されているのかは分かりませんが、私は6/8の記述で「特に『文言を削る』と云う行為を『争いがある』と名の下で“安易に”行う姿勢はとても看過できないわけです。『XはAである。但しBとの見る者もいる』と、争いがあるところをキッチリ両論併記するならともかく、」←この様に、いままでの問題点と解決への“例示”をきちんと提示しています。つまりあなたの指摘は当たりません。
> 一人あるいは少数のユーザーが合意を無視していると思われるときは
これもあなたの先走りかと思いますが、“現在”の私の問題提起した「主旨」に対し、私以外の方がちゃんと賛意いただいている事は、一つ前の投稿文で明らかです。つまりこの点もあなたの指摘は当たりません。218.44.81.60 2007年6月15日 (金) 01:29 (UTC)-----以上の署名のないコメントは、218.44.81.60会話)さんが 2007年6月15日 (金) 01:29(UTC) に投稿したものです(モトカルによる付記)。
> 確かに、個々の事例については、そうですよ。私もそのようにしてきました。しかし、今は原則を語っているのです。
そうですね。原則は確かに大切ですね。その点は理解しました。218.44.81.60 2007年6月15日 (金) 01:29 (UTC) )-----以上の署名のないコメントは、218.44.81.60会話)さんが 2007年6月15日 (金) 01:30(UTC) に投稿したものです(モトカルによる付記)。
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