ノート:有機化合物
冒頭について
編集冒頭の文
「有機化合物(ゆうきかごうぶつ)は、炭素化合物から、必ずしも範囲の一定していない例外を除いたものの総称である<ref>岩波 理化学事典</ref>。例外は習慣的に定まったものであり、単なる「便宜上の区分」<ref>広辞苑第五版(版:岩波書店)</ref>であるとされることもある。」
ですが、最初に例外の話を持ち出すのは解説として親切ではないと思います。「必ずしも範囲の一定していない」「便宜上」というのもあまり具体的でなく、詳しくない読者には何のことだかわからないでしょう。私が最後に書いた版では、まず有機化合物とは何なのか簡単に示し、歴史的由来を書きつつ、単純に「炭素の化合物」であるとはいえないということも説明してありましたので、上記のような書き方をしなくともほぼ同一のことを理解できるものと思います。厳密な定義の試みとか、有機・無機どちらといえばよいのか明らかでない化合物の例などは、あとで解説を加えればよいのではないでしょうか。--Calvero 2011年12月28日 (水) 10:24 (UTC)
- レスポンスをつけられず失礼致しました。当方極めて多忙であり、簡潔に応じさせて頂きます。一般ユーザーが懸念するのは、有機化合物の曖昧さであり、この印象が自然科学に対する通俗的印象と馴染まないことから、言語的配慮の確かな説明を冒頭に書くべきであると判断します。
レスポンスをつけられず失礼致しました。当方極めて多忙であり、簡潔に応じさせて頂きます。一般ユーザーが懸念するのは、有機化合物の曖昧さであり、この印象が自然科学に対する通俗的印象と馴染まないことから、言語的配慮の確かな説明を冒頭に書くべきであると判断します。はっきり申し上げますと、言語分析の配慮の徹底こそwikipediaに最優先で求められるべきものであって、それ以外のマナーや想像力、個人的なスローガンはどうでも良いと考えています。--Onyx(会話) 2013年7月12日 (金) 18:14 (UTC) (加筆修正。--Onyx(会話) 2013年7月14日 (日) 00:27 (UTC)
- 差し戻しました。Calvero 氏の意見を支持します。自然科学の記事で広辞苑が教科書に優るという判断にも同意しかねます。- NEON(会話) 2013年7月13日 (土) 17:44 (UTC)
現行のままでは、第一文の説明がいい加減すぎて意味不明であり、出典が何であるかに拘らず、引用の方法が余りに粗末です。構文的な配慮が余りに不足していると看做します。百科事典的ではありません。化学の教科書と同じ温さでは、適切な記事にはなりません。なお、「自然科学の記事で広辞苑が教科書に優るという判断」などしておらず、あなたの認識が全くの誤りです。相手の話を聞くという資本的な努力が不足しているようですが、そうであれば、より本格的な批判なり反論なり忠告なりをするべきではありません。日本語が拙いのであれば話は別です。(私の主張を誤解しない様にして下さい。失礼ですよ。)その教科書で前提されている知識への導入が下手であるからと想像しますが、如何ですか?東京化学同人の化学辞典辺りにはなんと書いてありますか?--Onyx(会話) 2013年7月13日 (土) 23:49 (UTC) (加筆修正。--Onyx(会話) 2013年7月14日 (日) 00:14 (UTC)--Onyx(会話) 2013年7月14日 (日) 00:19 (UTC))
- 私は既に、上記の通り具体的な欠点を指摘し、どのように改善すべきか述べておりますので、これに即したご返答をいただければと思います。さて、「一般ユーザーが懸念するのは、有機化合物の曖昧さであり~」とのご指摘ですが、まず、なぜそうなのか・実際にそうなのかが不明瞭であるばかりでなく、上記文案においては、単に「範囲の一定していない」「例外は習慣的に定まったもの」といっているのみなので、その懸念に対する回答になっていないのではないかと存じます。さらに、それら2文についても、「一定していない」「定まったもの」と矛盾しており、読者に無用な混乱を来たします。
- 両文案を以下に転記します。
有機化合物(ゆうきかごうぶつ、英語: organic compounds)は、炭素化合物から、必ずしも範囲の一定していない例外を除いたものの総称である[1]。例外は習慣的に定まったものであり、単なる「便宜上の区分」[2]であるとされることもある。有機物質(ゆうきぶっしつ)あるいは有機物(ゆうきぶつ)とも呼ばれる[3]。18世紀には、生物すなわち有機体 (organisms) に由来する化合物には生命力が宿っているため特別な性質を持つとみなされており[4][注 1]、イェンス・ベルセリウスは物質を生物から得られるものと鉱物から得られるものとに分け、それぞれ「有機化合物」「無機化合物」と定義した[5]。その後、フリードリヒ・ヴェーラーが無機物から有機物を人工的に作り出すことに成功すると、この定義は意義を失ったが[6]、以降有機化合物を扱う有機化学は飛躍的な発展を遂げることになった[7]。
このような歴史的背景から、炭素原子を含む化合物であっても、単純なものは慣例として無機化合物とされる[3][8]。たとえば、一酸化炭素、二酸化炭素、炭酸塩、青酸、シアン酸塩、チオシアン酸塩などである。
有機化合物(ゆうきかごうぶつ、英語: organic compounds)は、有機物質(ゆうきぶっしつ)あるいは有機物(ゆうきぶつ)とも呼ばれる、炭素を含む化合物である[1]。18世紀には生物、すなわち有機体 (organisms) に由来する化合物には生命力が宿っているため特別な性質を持つとみなされており[2]、イェンス・ベルセリウスは物質を生物から得られるものと鉱物から得られるものとに分け、それぞれ「有機化合物」「無機化合物」と定義した[3]。その後、フリードリヒ・ヴェーラーが無機物から有機物を人工的に作り出すことに成功すると、この定義は意義を失ったが[4]、以降有機化合物を扱う有機化学は飛躍的な発展を遂げることになった[5]。 このような歴史的背景から、炭素原子を含む化合物であっても、単純なものは慣例として無機化合物とされる[1][6]。たとえば、一酸化炭素、二酸化炭素、炭酸塩、青酸、シアン酸塩、チオシアン酸塩などである。
- 下の文案には、「言語分析の配慮の徹底」がなされているかはともかくとして、「マナーや想像力、個人的なスローガン」は含まれていませんし、それらを反映させてもおりません。従って Onyx さんのコメントは理解することができません。
- 第1文「有機化合物は、有機物質あるいは有機物とも呼ばれる、炭素を含む化合物である」は、どこが「いい加減すぎて意味不明」なのかわかりません。「有機化合物は、有機物質あるいは有機物とも呼ばれる」「有機化合物は、炭素を含む化合物である」の2文を結合して1文としているため「構文的な配慮が余りに不足している」「引用の方法が余りに粗末」とおっしゃっているのかもしれませんが、この程度でそのように判断されるほど難解な文章となるものでしょうか。炭素を含む化合物がすべて有機化合物であるという誤解を読者が持ったとしても、続く解説により、それはすぐに解消されます。
- 一方、上の文案の「炭素化合物から、必ずしも範囲の一定していない例外を除いたものの総称」について、「例外」と「除く」の意味が重複しており、厳密さを求めるなら構文としてむしろ不適切であると考えます。「必ずしも」とあって一定しているのかしていないのかが不明瞭であり、また、範囲が一定していないならそれはなぜなのか、ゆれがあるのはどのような部分なのか、についての説明をまったく欠いていて、必要以上に有機化合物が曖昧なものであるという印象を与えています。「例外は習慣的に定まったものであり、単なる「便宜上の区分」[2]であるとされることもある」について、出典が「例外は習慣的に定まったもの」「便宜上の区分」の両方に係るものなのか、後者のみについてなのかがわからない可能性があります。しかし、これが容易に判定可能であるのなら、下の文案の「有機化合物は~」についても、同様に判定可能であると考えます。
- それから「その教科書で前提されている知識への導入が下手であるから」何が起きたとおっしゃっているのかわかりませんし、「前提されている知識」というのも何を指しているのかよくわかりません。またNeon さんの言わんとするところは、おそらく、より専門性の高い著者による出典のほうが、信頼性や解説方法の適切さにおいて優れているのであって、それらを基に記述した文章が、そうでないものを基にしたものより優れるということはないだろう、ということなのではないかと推察します。広辞苑は日本語全体、理化学辞典は理化学全体の情報が集められているものであり、それに対し有機化学の教科書は当然ながら有機化学・有機化合物に特化したものであることはいうまでもありませんが、著者の専門性と紙幅の制限という不利な点を抱えている出典の情報と、そうでないものを比べた場合、どちらを参照・利用すべきかは想像できるのではないかと思います。
- 第1文において定義上除外されるものがあることについて触れなければならないのは、紙幅の制限が原因であって、それがないウィキペディアでは同様な方式を採用する必要はなく、順を追って解説していくほうがむしろ百科事典として適切ではないかと存じます。
- なお、Onyx さんにおかれましては非常に多忙であるところ、このように長文になってしまい申し訳ありません。ご不在中にもコメント・議論を受け付けるため、コメント依頼を提出しようと思います。
- --Calvero(会話) 2013年7月14日 (日) 10:42 (UTC)
この文で「一定していない」は、全てが明確に決定されたものであるという意味ではない、という程度の理解です。「定まった」は、ここに落ち着いたといういう手度で、揺らぎや変動を許容しないというものではないという程度の理解です。独自研究と看做されないのであれば、解釈の追加や説明を当方で勘案することは可能です。説明寄りの記述ではなく、定義寄りの記述を第一文に書くべきだと考えます。
散文的かつ文芸的な有機化学の教科書を下手な引用で切り刻んだ文案には、全く賛同できません。前提されている知識とは、この有機化学の教科書で前提されている知識です。引用箇所の前後の情報を含みます。問題の教科書は目を通していませんが、自然科学分野の現代の教科書としては、構文が幼稚ではありませんか?少なくとも、思想的に多大な問題を内在する生気説に対する理解及び説明に対して多大な不満を持つものであり、歴史認識や概念把握の不備が懸念されます。自然科学分野の現代の教科書としては、理想的ではありません。更なる(より優れた)出典の紹介を希望します。繰り返しますが、有機化学の教科書以上の出典であると私が期待する東京化学同人の化学辞典辺りにはなんと書いてありますか?更なる専門性を有する書籍の参照を期待します。wikipediaは教科書ではありません。教科書を用意したいのであれば別のサイトにして下さい。
「順を追って解説していくほうがむしろ百科事典として適切ではないかと存じます。」ということですが、それぞれの文章が曖昧過ぎて文章の方向性が見え辛く、解説しているようで却って分からなくなるのがあなたの文案であると理解しています。あなたの文案では、何が例外であるかが結局明記されていないのであって、例外が一定していないということをはっきり伝えるべきであると理解しています。どこがいい加減すぎて意味不明なのかわかりません、とのことですが、有機化合物の異称など後述すれば良いのであって、「有機化合物=炭素化合物」である、という印象が付きまとうあなたの文案は認め難い。 印象評価に過ぎませんが、現代の説明であるにも拘らず、生気説的であって機械論的でないという印象を抱きます。これは速やかに是正されるべきであると判断致します。多少乱文になりましたが、当方多忙ですので、散文的かつ文芸的で冗長な批判の、短縮と論旨の明確化を強く希望します。なおわたくしは、化学は専門ではありませんので、より優れた文献に基づく専門的且つ厳密な優良な記述の登場を期待しないものではありません。--Onyx(会話) 2013年7月14日 (日) 11:29 (UTC) 加筆修正。--Onyx(会話) 2013年7月14日 (日) 11:32 (UTC)
- コメント依頼より参りました(詳しくない利用者でも構わないとの事ですので)。Onyx様には申し訳ありませんが、結論としてはCalvero様の案を支持します。前提として私は「有機化合物⊃炭素化合物、CO2とか単純なヤツは無機化合物、有機無機は化学式見りゃ大体区別つく、でも厳密な定義がわからない」という状態でした。現在の版「2013年7月14日 (日) 01:22 UTC」を一読して、やはり厳密な定義が???でしたが、「2013年7月13日 (土) 17:44UTC」を一読して、長年の疑問が解けました(まさか歴史的経緯だったとは...高校で2つめの理科選択は化学でしたが、この話は初耳です)。熟読すれば、どちらの版でも理解はできたと思いますが、メチル基や酢酸の化学式を知らないような人(多分閲覧者の多くはこういう人達)だと、現状の版を熟読しての理解は正直キツイと思います。百科事典は勿論教科書ではありませんが、専門家が読まないとわからない専門書でもありません。--JapaneseA(会話) 2013年7月14日 (日) 12:05 (UTC)(利用者:sutepen_angel_momo(会話 / 投稿記録 / 記録))
- ここでの争点である、上記における現在の版と過去の版の差異は、冒頭部分であって、一読で判断云々の感想は当たらないでしょう。上記における現在の版が全文の読解を要求するもので、過去版がそうでないという見解の論拠を御教え下さい。--Onyx(会話) 2013年7月14日 (日) 14:14 (UTC)
コメント コメント依頼より来ました。専門外です。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)では、冒頭(導入部)は「導入部は、その記事で何が取り扱われているのかを、読者に対して明確にすることを目的とします。そのために、第一文には記事の主題の定義を記し、続いて記事の簡潔な概要を記します。主題の別名や、間違いやすい範囲外の内容なども、導入部に記してください。」とあります。またウィキペディアは「一般向け」百科事典です。各分野の記事で、その分野での正確な定義と、一般向けの「何が取り扱われているのか」の説明は相反する場合が多く、よく議論となりますが、冒頭はなるべく素人向けに簡潔に(ただし正確な定義は後述と読める記述に)、正確な定義は「概要」や「定義」等の節で記述する事が妥当と思います(政治分野ですがファシズムなど)。その意味ではCalveroさんご指摘のように、冒頭から例外では、素人は何の話か良くわかりません(日本語の語順の影響でもありますが)。また科学技術など国家・言語による影響の少ないものは各国語版も参考にする事も望ましいと思います。英語版(en:Organic compound)の導入部を更に簡潔にして、例えば以下でも良いのではないでしょうか。(「歴史的背景により慣例として」だけでも、その具体的内容は後述されていると推測できます。)
--Rabit gti(会話) 2013年7月14日 (日) 14:37 (UTC)
- コメント(2回目) Onyx様へ、御気に障ったらすみません。冒頭の1文でなく、冒頭全体を見ての感想です。門外漢の感想なので論理的な説明はできかねます(一読してわからないと思ったものは、わからない、としか)。スルーして頂いても結構です。Rabit gti様へ、物凄くわかりやすくなりましたね。これなら私のような門外漢でも一読どころかパッと見で理解できます。強いて細かい事を申せば「無機化合物と呼ばれ」は「無機化合物に分類され」の方がなお良いかと思います。--JapaneseA(会話) 2013年7月14日 (日) 16:20 (UTC)
- 冒頭の内容によって、それ以降を読むかどうかを判断したということでしょうか?本議論において、「過去版を一読」と「現状の版を熟読」を比較してのご意見だとお見受けしての質問であり、化学に関する専門性は問題にならない筈です。新たなコメントから、冒頭部分の直感的理解が、本記事の読解の必要性の度合いと連合しているという発想からのご意見であったという風に想像致しましたが、如何でしょう?わたしは、本議論はもとより、冒頭部分の精度が問題になっているものであって、冒頭部分の内容が本文全体の読解の必要性を高めるべきでないと考えるべきであるという意見であり、Rabit gtiさんの提案に関しては、Rabit gtiさんとJapaneseAさんに概ね良い印象を持ちます。ただし、冒頭一文は、「有機化合物=炭素化合物」という誤解を助長するものであり、不満です。加えて、外国語版は出典ではないということが問題として残ります。--Onyx(会話) 2013年7月14日 (日) 17:28 (UTC)
- わかりにくいコメントですみません。「過去版を一読」と「現状の版を一読」を比較したのです。冒頭の一文より読み進めて、理解しやすいかどうかという感想です(あくまで私的な感想ですので、「ふーん、そういう風に感じる人もいるんだ」程度に思って頂ければ)。以上、答えになっていなかったら再度御質問お願いします。出典に関しては、別のものが用意できると期待しています。--JapaneseA(会話) 2013年7月14日 (日) 17:36 (UTC)
- コメントOnyxさん、コメントありがとうございます。外国語版は出典にはなりませんが、記述(言い回し)上の参考にはなります(出典は内容上の出典で、言い回しのコピー元ではありませんし、当分野では各国語版で独自の言い回しを考案する必要性も無いと思います。)冒頭1文だけを読んでも誤解を助長させない配慮が必要、という趣旨は賛成ですので、言い回しでは例えば以下2案はいかがでしょうか?
--Rabit gti(会話) 2013年7月15日 (月) 07:39 (UTC)
- JapaneseAさん、回答ありがとうございます。了解致しました。
- Rabit gtiさん、対応ありがとうございます。新たな2案の方向性に賛成します。特に2番目のものの方が理想的であると考えます。化学の他の記事を幾つか見て見たのですが、独自研究と粗末な表現が多く戸惑ってしまいました。個人的な所感になりますが、この辺りも考慮して、より多くの意見を募って、公正さを確保したい気分です。
- Calveroさん、あなたの態度に非常に残念な気分になりました。あなたはもっと科学的な態度を採られるかただと思っていました。問題の教科書は、英和辞典、和英辞典、そして英語版wikipediaを見ても、用語の不徹底と混同が見られることから、出典として不適切であるという意見を強く持ちました。これを受けて、どのような問題があるのかが当該記事から判断できる様な内容に変更しました。私が不満を持つのは、言語や論理の運用に関するものであって、化学の通念の告白に留まるものは、全く科学的ではありません。この限りで、岩波理化学事典は問題の教科書よりも、公正な記述であると主張します。「有機化合物である、ならば、炭素化合物である」と「有機化合物は炭素化合物である」は同値ではなく、「有機化合物である、ならば、炭素化合物である」と「炭素化合物である、ならば、有機化合物である」の真理値は一致しませんね。繰り返しますが、このあたりのことがら、言い換えれば、(狭義の)論理に対する配慮が欠如した教科書は出典として不適切である、と主張します。加えて、日本語版wikipediaは、生気説に対する理解と説明が不適切であり、有機化合物の説明もいい加減です(有機化学における説明の多くは、独自研究でしょうが、なるべく旧版を残す形で暫定的な処理をしました)。学術的配慮を欠いた科学の記事は不快です。--Onyx(会話) 2013年7月15日 (月) 14:21 (UTC)
- JapaneseA さん、コメントありがとうございます。専門外の方から見てどうなのか、を知ることがコメント依頼の主な目的でしたので、とても助かります。
- Rabit gti さん、コメントと文案のご提示ありがとうございます。おおむね下のものでよろしいかと存じます。ただ、Onyx さんのご編集とご指摘をかんがみるに、「または有機物質(ゆうきぶっしつ)あるいは有機物(ゆうきぶつ)」は(少なくとも)文頭からは除去するのがよいと思います。理想的には各語に解説を加えるべきですが、私には今すぐというわけにはいきません。また、例示する化合物については、チオシアン酸を除外し炭化物を加えたほうがよいと思います。
- Onyx さん、私への個人的感想は、ここではなく会話ページで書いていただいたほうがよいと思います。Onyx さんの会話ページへの書き込みに対応するものであると思いますが、無関係な人には意味がわからないですし、議論に必要なものでもないでしょう。弁明をお許しいただければ、なにぶん活動休止期間が長かったもので、頭がうまく回っておりません。しかし Onyx さんのコメントにも、指摘の余地があることは認識しております。
- それから、書き出しの部分はそれでよいとしても、この編集 あたりまでは残っていた、続く記述についてはどうしましょうか。その検討を含め、ある程度、結論までに時間をおきますか。なお出典につきましては、用意することは可能ですが、使用が否定される可能性があり、Onyx さんの会話ページで上記コメントなどについて問い合わせているところです。必要であれば、適切な場所(このノートを含む)へ議論の場を移したいと思います。--Calvero(会話) 2013年7月16日 (火) 14:12 (UTC)
それでは、あなたの要求に応じます。Wikipedia:独自研究は載せない、Wikipedia:出典を明記する、Wikipedia:検証可能性に従って下さい。あなたが、有機化合物とそのノートでしたことはルール無視であり、義務を果たす責任はあなたにあります。私はあなたを信用し、教科書を改竄していないという前提で対話しているのです。該当する著書はあなたの引用を前提に評価しただけです。いいですか、Wikipedia:独自研究は載せない、Wikipedia:出典を明記する、Wikipedia:検証可能性に従がって編集するという、責任を果たして下さい。化け学は専門外ですが、専門外の私から見ても、粗悪な独自研究です。出典のない粗末な独自研究と判断した箇所は削除しました。出典を用意し出典に従うのはここでの義務です。あなたの態度には正直うんざりです。独自研究は控えて下さい。--Onyx(会話) 2013年7月16日 (火) 18:19 (UTC)
個々の文が長くなると良くないので、Rabit gtiさんの 2013年7月14日 (日) 14:37 (UTC)の書き方を基盤に、例外への言及を早めて大部分という言葉を早く挿入し、
のような書き方にされてはいかがでしょうか。「歴史的背景により」と「慣例」はほぼ同義なので片方を残し、情報としては優先度が低いので後ろに送ります。(内容については、あまり変わらないように文を整形するという意図です。)--T6n8(会話) 2013年7月16日 (火) 22:09 (UTC)
T6n8さん。考え方としては、ありだと思います。
私見ですがもともと、Calveroさんが出典も無いのに自分の独自研究を正当化しようとして捲し立てただけと理解しました。NEONさんにもコメントしましたが、教科書とやらは読んだのかも知れませんが、出典としては機能しておらず、やっていることがデタラメです。意図が伝わっていないようですが、Calveroさんは出典を用意できるようであれば、文案の方向性含め速やかに対応して頂ければと思います。時間を置く必要はありません。--Onyx(会話) 2013年7月21日 (日) 04:22 (UTC)
古代から現代に至る機械論認識に対する配慮の不足に対する懸念
編集本文には、生気説に対する通俗的思想に対する不満が残存していますが、17世紀以前に機械論を採用する思想は多数見られます。化学分野に対する機械論の受容がどのようなものであったか、生気説が機械論によってどのように超克されたのか、を記述する為の用意が整いませんので、古代から現代に至る機械論認識に対する配慮の不足に対する懸念をここに記録しておきます。--Onyx(会話) 2013年7月14日 (日) 11:49 (UTC) 訂正。--Onyx(会話) 2013年7月14日 (日) 11:57 (UTC)