ノート:朝鮮民族美術館

最新のコメント:10 年前 | トピック:「韓国国立民俗博物館」への改名提案 | 投稿者:四葉亭四迷

「韓国国立民俗博物館」への改名提案 編集

所要の加筆を条件に「韓国国立民俗博物館」へ改名することを提案します。

他言語版はいずれも継承運営後の"韓国民俗博物館"(韓国国立民俗博物館)について記述しており、韓国語版・ドイツ語版・フランス語版は1924年柳宗悦らが設立したことに言及してもいます。加筆内容は、戦後の略史(公式サイト日本語版沿革)、所在地など基本情報、所蔵資料概要などです。現在の朝鮮民族美術館についての記述は、基本的に残すべきと考えます。同じ景福宮敷地内に、かつてあった韓国国立中央博物館や、今ある韓国国立古宮博物館の記事も参考にしていただければと存じます。

改名せず、必要なら韓国国立民俗博物館の項目を別個に新設し他言語版リンクも移行する、というやりかたもあるのかもしれません。ご意見を歓迎します。

よろしければ、2013年7月中旬頃提案にもとづく作業をする用意があります。--四葉亭四迷会話2013年6月14日 (金) 07:07 (UTC)返信

  反対  韓国語版・ドイツ語版・フランス語版が1924年に柳宗悦らが設立したと記述している事は、確認しました。しかし、いずれも出典がありませんね。韓国語版にこの事が加筆されたのは、2010年2月14日Kimdcccccさんによるものです[1]。同じ日にKimdcccccさんは英語版にも同じ内容を加筆しています[2]が、英語版では2011年11月4日に別の編集者により除去されています[3]。Kimdcccccさんのグローバル履歴[4]を見ると、韓国語版で2回、英語版で3回、この関係の編集だけしかありません。ドイツ語版とフランス語版はこれより後に作られたので他国語版から内容を書いたのかもしれません。韓国国立民俗博物館の公式サイトにも記述がありません。本当に朝鮮民族美術館が韓国国立民俗博物館に継承されたのかどうか不明です。--211.14.207.45 2013年6月17日 (月) 11:30 (UTC)返信

Wikipedia:改名提案にこの改名提案が掲載されてないようですが?--211.14.207.45 2013年6月17日 (月) 11:43 (UTC)返信
  コメント ご指摘ありがとうございました。「改名せず、必要なら韓国国立民俗博物館の項目を別個に新設し他言語版リンクも移行する」方向で行き、継承関係を確認できる典拠があればその時点であらためて改名の要否を問うのがよいと考えるに至りました。
朝鮮民族美術館浅川巧浅川伯教の編集履歴を見たところ、いずれにも朝鮮民族美術館(収蔵品)が「韓国民俗博物館」に継承されたことが典拠なしに書かれていました。(余計な話で恐縮ですが、韓国国立中央博物館沿革の機械翻訳や 韓国国立民俗博物館日本語版沿革もあわせ読んだ限りでは、両館のいずれかに引き継がれたのか散逸したのか判断がつかず、継承されているとしたら、浅川巧浅川伯教の記述のように現在韓国国立中央博物館に所蔵されている可能性もあるような気がしています。)
私の編集した「韓国民俗博物館=韓国国立民俗博物館」は、元に戻しました。また、おおやけにいったん提案したものを勝手に取り下げてよいのか否かわからず、Wikipedia:改名提案への掲載をしました。
出典を伴わない編集による記述を鵜呑みにして的外れな提案をし、また、Wikipedia:改名提案の決まりをよく理解しておらず、煩わせてしまいましたことをおわび申し上げます。
改名すべきとの意見が出なければ、折りをみて告知及びテンプレートの除去とWikipedia:改名提案#改名提案の一覧の編集をします。--四葉亭四迷会話2013年6月17日 (月) 14:26 (UTC)返信
  コメント 継承関係を示す文献を見つけてしまいました。とり急ぎご紹介まで。
朝鮮民族美術館の概要 柳宗悦の建築史的評価の試み (PDF) 「日本の敗戦に際し、浅川伯教はGHQより朝鮮工藝研究を評価され、特に昭和 21年まで在留を許された。伯教は展示物を民族美術館(宋錫夏設立)に吸収させた。」
植民地期における近代朝鮮工芸史 ― 朝鮮民族美術館の設立と浅川巧を中心として ― (PDF) 「終戦後はアメリカ軍政がその価値を認めその所蔵品を民俗学者である宋錫夏の民俗博物館に吸収させた。・・大韓民国政府が樹立し、その後は朝鮮戦争勃発などの混乱があり、民俗博物館は1950年12月に国立博物館の南山本館に統括吸収された。1951年に釜山に避難し移ったあと、1953年の遷都のときには李承晩大統領の指示によって景福宮内の前博物館に戻らずに再び南山本館に戻った。1950年末の戦時状況で国立博物館は1955年6月に徳寿宮に移るときまで南山本館を現勤務地とする職員たちが残っていた。その後、国立博物館が徳寿宮に移り民族博物館は建物さえ無くなってしまった。なお、この民族博物館であるが1960年代中盤期に入って民族博物館設立の必要性が高くなり文化財管理局は1966年10月景福宮の修政殿に韓国美術館を設け、1975年4月にはこれを格下げさせた韓国民俗博物館を現在の場所に建てた。1979年4月に再び国立中央博物館機構に編入され国立民俗博物館として現在に至っている。」「旧民族博物館所蔵品として、・・総4555点は現在国立中央博物館に所蔵されている。さらに、現在国立央博物館に所蔵されている中で、明確に「朝鮮民族美術館所蔵」だとわかるものは、7点あることが確認できた。ただしこれらがどこから来たなどという経緯などは明記されていない。」--四葉亭四迷会話2013年6月17日 (月) 15:05 (UTC)返信
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