ノート:栃木県立栃木高等学校

最新のコメント:7 年前 | トピック:関係者の項について | 投稿者:査読者

進学状況

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例年国公立大学へ170~190名ほどの生徒が進学する。 2006年度入試では合格者が最も多いのが東北大もしくは埼玉大で20人前後、 その後を千葉大、筑波大、北海道大、東京工業大などが続く。 学部系統別に見ると、順に工学系、経済系、法学系・・と続くことが多い。 国公立大医歯薬系には近年は毎年5名ほどが合格している。

2006年度入試結果(新卒+旧卒) 国公立大学 北大9名 東北大18名 宇都宮大8名 埼玉大18名 群馬大14名 筑波大11名   東京工業大8名 電気通信大7名 東京大4名 東京農工大3名 一橋大4名 千葉大16名  横浜国立大5名 京都大4名 首都大8名 高崎経済大4名

私立大学 早稲田大53名 慶応大23名 上智大14名 明治大51名 立教大29名  法政大22名 中央大37名 青山学院大28名 東京理科大61名 日本大37名  芝浦工業大学43名 

国登録有形文化財

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  • 栃木高等学校記念館

  竣工    1896年(明治29年)   所在地   栃木県栃木市入舟町12-4

 構造    木造2階建て、瓦葺 
 建築面積  397m² 

  文化財登録 2000年4月28日   旧栃木県尋常中学校栃木分校本館。県庁跡地にこの学校が設立された年に建てられ、   1階は校長室や事務室、2階は講堂として使用された。1899年(明治32年)11月の   近衛師団北関東大演習では、 明治天皇(1852-1912)の行在所(あんざいしょ)となり、   1918年(大正7年)11月の陸軍大演習では、大正天皇(1879-1926)の行在所となった。

  • 栃木高等学校講堂

  竣工 1910年(明治43年)2月   所在地 栃木県栃木市入舟町12-4   構造 木造平屋建て、瓦葺   建築面積 409m²   旧栃木県立栃木中学校講堂。

  • 栃木高等学校記念図書館

  竣工 1914年(大正3年)11月   所在地 栃木県栃木市入舟町12-4   構造 木造2階建て、瓦葺   建築面積 224m²   旧栃木県立栃木中学校記念図書館。1910年(明治43年)9月に皇太子・嘉仁(よしひと)   親王(後の大正天皇 1879-1926)の来校を記念して建設。 1階は図書室、2階は同窓会   の集会所として使用され、 1935年(昭和10年)に「養正寮」と名付けられ校長訓話や   漢籍素読会などが行われた。

卒業生一覧の分割と執筆のしかたについて

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本記事の主な執筆者、H2 hiro h2氏によって議論なきまま記事分割が行われました。「Wikipedia:ページの分割と統合」によれば、「『分割すべき場合』にあてはまるページを見つけたら、以下のガイドラインに従って分割提案を告知してください」ということなので、ひとつ提案/告知してやり直し、分割前の版まで巻き戻すべきではないでしょうか。

また、変更履歴を見ると、プレビュー機能を用いずに多数の版を重ね、サーバーに負担をかけたり、出典を示さないままにタグをはがしたりしています。Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にの観点から疑義があります。出典を示すべきだとした方はウィキブレイクに入っていますが・・・。--ウツノ・ミーア 2009年4月19日 (日) 11:45 (UTC)返信

記事の分割の提案

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「出身著名人」への記載が多数となりましたので、栃木県立栃木高等学校の人物一覧への記事分割を提案します。 異議のある方は、24時間以内に申し出願います。--H2 hiro h2 2009年4月20日 (月) 11:51 (UTC)返信

  • (反対)なぜ24時間制限で分割を急ぐのか全くもって理解できません。数日待っても遅くはないです。学校記事に限らず、全般的にノートでの合意形成は、慎重かつ丁寧であるべきです。既成事実化し、何かあったら事後承諾の形をとろうとする姿勢に異議があります。さて、現行のままで不都合はないと考えます。それより問題なのは、著名な出身者として挙げられている78名のうち、当該記事なしが50名で64%を占めていることです。全国に数え切れないほどある大学に勤務する教授は、これまた数多いるわけで、助教授、准教授、講師などに至るまで列挙するとキリがありません。弁護士や医学者も同様です。要するに、記事なし・特記事項なし・准教授レベルで組織の代表等でなければ記載不要です。卒業生名簿に大学教授や弁護士、医師の肩書きがあるから挙げるというのは、見境ない行為で問題です。赤リンクの処置についてはWikipedia:ウィキプロジェクト 学校でも意見が分かれています。主に執筆されている方がこれらの赤リンクを充実させていく覚悟があるならそれでよいですが、さしあたって、赤リンクを除去して黒文字にするか、コメントアウト化し、記事が成立したなら本文に復帰させるのはいかがでしょう。それから、青リンクは28ありますが、この程度で分割する必要性は見当たりません。というよりも、全国の学校記事を見ても、理由としては弱すぎます。--ウツノ・ミーア 2009年4月20日 (月) 12:13 (UTC)返信

特に急いではおりません。時限を設定したのは、正直これほどの批判を受けるとは思っていなかったからです。 異議がなければ、再掲載をするつもりでした。申し訳ありません。

「全国に数え切れないほどある大学に勤務する教授は、これまた数多いるわけで、助教授、准教授、講師などに至るまで列挙するとキリがありません。弁護士や医学者も同様です。要するに、記事なし・特記事項なし・准教授レベルで組織の代表等でなければ記載不要です。」 とのご指摘ですが、基本的に「教授」という肩書のみでの掲載はしておりません。「名誉教授」、もしくは他の肩書を有する場合に掲載しています。これは「弁護士」「医師」についても然りです。

「卒業生名簿に大学教授や弁護士、医師の肩書きがあるから挙げるというのは、見境ない行為で問題です。」 とのご指摘についてですが、そういったこと行ったことはございません。 栃木高等学校出身の医師(開業医など)・弁護士(所謂マチベン)は多数おり、「医師」「弁護士」というだけで掲載するつもりはありません。  ex.弁護士を3名掲載していますが、内2名は市町長であることを理由に掲載しており、「弁護士」はついでに記載したまでです。

 ※参考までですが、愛知県の名門高校「愛知県立旭丘高等学校の人物一覧」を見ると、「教授」「准教授」「弁護士」みの肩書での記載が多数見られます。

「赤リンクの処置についてはWikipedia:ウィキプロジェクト 学校でも意見が分かれています。主に執筆されている方がこれらの赤リンクを充実させていく覚悟があるならそれでよいですが、さしあたって、赤リンクを除去して黒文字にするか、コメントアウト化し、記事が成立したなら本文に復帰させるのはいかがでしょう。」  こちらについては、「リンク先の整備」と「黒文字化」をしていきたいと思います。

「先に記事を分割・立項してから同意を求めるのは「提案」とは言いません」 これは解釈の問題かと思います。他に手段が思いつかなかったもので、こうした対応をとりました。時限については前述の通りです。

ご意見をお願い致します。--H2 hiro h2 2009年4月20日 (月) 13:41 (UTC)返信

  • 合意形成の為のコメント依頼には

 「議論・合意形成なしに卒業生の項(赤リンク64%)が分割されたり、短時間に連続投稿されたり、また、出典を示さないままにタグが除去されるなど、
 リバート・編集合戦が発生」
 とありあますが、これはH2_hiro_h2氏の編集スキルが低いだけかと思います。強硬に記事を削除したりするのではなく、一緒に記事を育てていく姿勢
 が必要であると考えます。 --マツモトケイジ 2009年4月20日 (月) 14:30 (UTC)返信

関係者の項について

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2016年5月14日に関係者氏名の大量削除が行われ、8月13日に元に戻したが、同日再度削除が行われたので、再度戻した。その理由として、プロジェクト:学校において、「独立記事のある人物のみ掲載可」という趣旨の規定はない(議論はあったようだが合意に至らず規定にはなっていない)。ちなみにプロジェクト:大学の人物一覧記事についての編集方針(ガイドライン)「記載する人物」ではそのような規定になっており、大学の記事については赤リンクの人物は削除対象になる。これはプロジェクト:大学のノートにおいて時間をかけて議論が行われ合意に至った結果できた規定である。高等学校の記事においてこのような削除を望むのであれば、まずはプロジェクト:学校でしっかり合意を形成すべきである。現時点ではこの削除は認められない。--査読者会話2016年8月13日 (土) 02:39 (UTC)返信

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