ノート:汎世界主義

最新のコメント:6 年前 | トピック:翻訳 | 投稿者:45.40.166.150

この用語が音楽用語としてどれほど定着しているのか、疑わしいものがあります。また、音楽の特定用語と言いうるかどうかも疑問です。独自の用語法(独自の研究に該当する)と思われます。---間久部緑郎 2006年10月21日 (土) 13:32 (UTC)返信

独自ではありません。かつては「世界音楽」と1970年代にいわれていた名称が変化したものです。タン・ドゥンあたりは確かに中国人だから、中国楽器をつかってどうちゃらというレヴェルでした。アンナ・レバーロンニック・キャスウェル英語圏の人間ですが、韓国音楽のリサーチの為に奨学金をもらっています。1990年代以降「興味本位で世界のどの楽器でも使いにいく」作曲家が急増したために、このような名称が必要とされています。音楽学関係を探ってみたら解るはずです。--Noda,Kentaro 2006年10月22日 (日) 05:43 (UTC)返信

だいたい納得しましたが、「音楽学関係」の書籍としてどういうものに目を通せば、pan-Worldismという語に出くわすのか分かりません。ですから、本文中に参考文献をいくつか挙げておいてはいかがでしょうか。--間久部緑郎 2006年10月25日 (水) 10:46 (UTC)返信

ルー・ハリソンの著書は、大方参考文献になりますね。そういう本を読んだり調べようとしない間久部さんが、問題なんじゃないんですか?--Noda,Kentaro 2006年11月18日 (土) 23:33 (UTC)返信

この記事もそうなんですね... Google検索([1][2])の結果から見て、少なくとも Pan Worldism という語は一般的に流通している語でないと推論して間違いではないでしょう。--Pugnari 2006年11月18日 (土) 09:53 (UTC)返信

ここの人たちはアドラーのリサーチに対して唾を吐くことが出来るのか。アメリカですでに要注目と騒がれた才能を、誹謗することが出来るのか。アドラーに限らず、スイスの尺八奏者、アメリカの笙奏者、イタリアのガムランアンサンブルにも唾を吐くということなのか。--Noda,Kentaro 2006年11月18日 (土) 18:07 (UTC)返信

野田先生のやり口がだいたい分かりました。要するに野田先生は、「虎の威を借る狐」だったというわけですな。 ---間久部緑郎 2006年11月20日 (月) 06:37 (UTC)返信

とりあえず 編集

  • (コメント)もしもこの本文が削除されるようなら、アドラー本人に直接メールでディスカッションをして、このタームが間違いなのかどうかを詳しく聞いてみたい。その際には日本語版ウィキペディアの音楽管理陣に対する無知さも、ラドゥレスク事件とあわせて報告するのでそのつもりで。--Noda,Kentaro 2006年11月18日 (土) 20:49 (UTC)返信
削除されてからやるくらいなら、今やって下さい。それで結論が出れば削除もしないでいいし、みんな助かります。 -- NiKe 2006年11月18日 (土) 23:36 (UTC)返信

ほら、また思い出したように来るよね。私は、「削除されてからやる」ほうがリスクが少なくて楽だと思います。--Noda,Kentaro 2006年11月18日 (土) 23:42 (UTC)返信

アドラー氏の回答 編集

I've never used this term.との返事をe-mailで頂きました。--Arpeggio 2006年11月19日 (日) 09:13 (UTC)返信

頂いたことにしたのはあなた。迷惑をかけるのももういい加減にしてください。この本文を翻訳してアドラーに送ったのですか?--125.205.219.20 2006年11月19日 (日) 11:19 (UTC)返信

私が送ったメールはこうです。

Dear Mr. Adler

Actually a Japanese composer named Noda Kentaro
(http://kentaro-noda.hp.infoseek.co.jp/index-e.html) made the article
about Pan World-ism
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%8E%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%B8%BB%E7%BE%A9)
on Japanese Wikipedia. According to Noda, the concept "Pan World-ism"
is based on your research, but other Wikipedians will not believe what
he says.

If this concept is not yours, this article will be deleted because of
"no original research policy" of Wikipedia.
(http://en.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:No_original_research)
So I would like to hear what you say - Is "Pan World-ism" really your term?

それに対するアドラー氏の返事はこうでした。

To whom it may concern:

I've never used this term, nor am I familiar with this composer.

best,

... chris . ...

--Arpeggio 2006年11月19日 (日) 11:27 (UTC)返信


確認を取ります 編集

今からアドラー氏にメールを出して聞きますね。まだ、私はメールを送ったこともないのですから。--Noda,Kentaro 2006年11月19日 (日) 11:28 (UTC)追加質問。この本文を翻訳してアドラーさんに読んで頂いたのですかな?そのメールの文面だと、本文にいささかも触れてはいませんが--Noda,Kentaro 2006年11月19日 (日) 11:33 (UTC)もしも、このメールの文面で「本当に」送ったのであれば、それはアドラーさんもそういう回答を出すでしょう。いささかも本文の内容に触れていないし。アルぺさんはシュトックハウゼンの提唱した「世界音楽」についてもアドラーさんに聞きましたか?そして、『「世界音楽」というタームは知っているが、「汎世界音楽」というタームはないし知らない』と答えられましたか?そこまでの回答がなければ「単なる行き違い」です。--Noda,Kentaro 2006年11月19日 (日) 11:53 (UTC)また、本文に「『汎世界音楽』はアドラーが提唱した」とは私は一回も書いていません。世界で起きている諸現象を、「汎世界的」と要約できることがいろいろなシンポジウムで盛り上がっているだけです。そのようにアルぺさんはメールでお聞きになられましたか?送信内容に「ユア・ターム」とありますが、「アドラー氏がこのタームを発案した」とは私は一言も言っていません。「アドラー氏はこの作風に分類される」というのが正解でしょう?そうでなければ、このメールのやり取りはなんらの説得性も持たないと考えたいのですが?--Noda,Kentaro 2006年11月19日 (日) 11:56 (UTC)返信

>「『汎世界音楽』はアドラーが提唱した」とは私は一回も書いていません
では結局Pan World-ismという用語は野田さんが提唱していると考えてよろしいでしょうか? --Arpeggio 2006年11月19日 (日) 12:02 (UTC)pan-diatonismはストラビンスキーのぺトルーシュカを形容するのに使われますが、グーグルではほとんどヒットしません。ネットがソースになるという思い込みは避けていただきたく思います。--Noda,Kentaro 2006年11月19日 (日) 12:07 (UTC)返信

本文をよく読んで。pan-...ismという形容は、この種の作品であれば普通に使われるはずです。それとアルペジョさん、メールの送信日時を書いてください。意見の行き違いメールでノートをつぶしてもログの無駄です。--Noda,Kentaro 2006年11月19日 (日) 12:05 (UTC)返信

「普通に使われるはず」では典拠にならないのではありませんか? なお、メールのヘッダ情報は以下の通りです(ただし私のメールアドレスは伏せさせていただきます)。
X-Gmail-Received: fb3bb6910a1f405f763e7fc7e49d57a862094def
Delivered-To: **********@gmail.com
Received: by 10.35.63.12 with SMTP id q12cs244908pyk;
        Sat, 18 Nov 2006 22:54:36 -0800 (PST)
Received: by 10.78.117.10 with SMTP id p10mr3876994huc.1163919276423;
        Sat, 18 Nov 2006 22:54:36 -0800 (PST)
Return-Path: <cadler@sandiego.edu>
Received: from mx1.sandiego.edu (mx1.sandiego.edu [192.55.87.54])
        by mx.google.com with ESMTP id 28si5976730hua.2006.11.18.22.54.34;
        Sat, 18 Nov 2006 22:54:36 -0800 (PST)
Received-SPF: pass (google.com: domain of cadler@sandiego.edu designates 192.55.87.54 as permitted sender)
Received: from usdhome.sandiego.edu (pwa [192.55.87.44])
	by mx1.sandiego.edu (Switch-3.1.2/Switch-3.1.0) with ESMTP id kAJ6sWpM023279
	for <**********@gmail.com>; Sat, 18 Nov 2006 22:54:33 -0800 (PST)
Date: Sat, 18 Nov 2006 23:02:54 -0800 (PST)
From: Christopher Adler <cadler@sandiego.edu>
To: <**********@gmail.com>
Subject: Re: About Pan World-ism
In-Reply-To: <874980f20611181114q14752c59yfeae9df28a7f0898@mail.gmail.com>
Message-ID: <Pine.LNX.4.64.0611182301500.12411@usdhome.sandiego.edu>
References: <874980f20611181114q14752c59yfeae9df28a7f0898@mail.gmail.com>
MIME-Version: 1.0
Content-Type: TEXT/PLAIN; charset=US-ASCII; format=flowed

--Arpeggio 2006年11月19日 (日) 12:12 (UTC)返信

はいわかりました。メールは送ったことは間違いないですね。しかし、メールでの問い合わせ内容に、本文の全訳が一切掲載されておらず、かってに「汎世界云々」といきなり単語を出されたら、アドラーさんもこのような受け答えをするのは至極当然です。これは、お断りしておきます。--Noda,Kentaro 2006年11月19日 (日) 12:15 (UTC)返信

やはり行き違いがあるようです。とりあえず私の本業のほうもおろそかには出来ないので、今日はここでおしまいです。アルぺさんのメールの送信内容は、私の作成した項目をほとんど読んでおらず、「アドラーがこのタームを使って作曲している。」と誤読したことによります。私は「アドラーさんがここに分類される」と言っているだけです。これはよくある「勘違い」です。別にアルぺさんが悪いわけではありません。再度に渡ってお断りをしておきます。--Noda,Kentaro 2006年11月19日 (日) 12:21 (UTC)返信

再度補足。私がもしも間違っているのなら、アドラーさんからきついお叱りが私のメールアドレスの元に届くはずです。現時点では受け取っていません。--Noda,Kentaro 2006年11月19日 (日) 12:33 (UTC)返信

アドラー博士ってそんな暇なお方なんでしょうか。--211.131.213.9 2006年11月19日 (日) 12:36 (UTC)返信

暇じゃないと思いますし、そのメールヘッダも、、、--Noda,Kentaro 2006年11月19日 (日) 12:44 (UTC)返信

移動できないのですか?それは知りませんでした。--Noda,Kentaro 2006年11月19日 (日) 14:33 (UTC)返信

http://www.britishcouncil.org/cz/czechrepublic-about-us-link-article-3.htm どうもpan world musicっていうほうが適切のようですね。--125.205.219.20 2006年11月19日 (日) 15:03 (UTC)返信

すみませんが、これがどうこの記事の出典となるのか詳しく説明していただけませんでしょうか。私の語学力とリンク先にある英語版の記事を見た限りでは、リンク先のチェコ語の記事はSimon Broughton氏について「ミスター・ワールド・ミュージック」と紹介したインタビューにしかみえず、内容も出典としてふさわしいとはおもえませんが?それともいたずらのおつもりですか?--Aotake 2006年11月19日 (日) 15:31 (UTC)返信

ちがうちがう。ワールディズムっていう用語よりも、こちらの表現のほうがぴったりくるという話です。--125.205.219.20 2006年11月19日 (日) 15:37 (UTC)返信

なにがどうちがうのですか?リンクされた記事での"pan"はチェコ語の"mister"「氏」に相当する語句であり、ぴったりくるもなにもないでしょう?別にpan-をワールドミュージックにつけて、世界音楽全体にわたっての現象を語ることはいくらでもありえるでしょうが、それはこの記事の出典にはならないですよ。--Aotake 2006年11月19日 (日) 16:00 (UTC)返信

そうですか。どうもリンクを張り間違えたようです。http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=pan-world+music&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=--125.205.219.20 2006年11月19日 (日) 16:01 (UTC)返信

それでこのピーターパンの世界だの、スチールパンの音楽だのが混じっている検索結果がこの記事とどう関係しているのでしょうか?詳しく説明してください。--Aotake 2006年11月19日 (日) 16:11 (UTC)返信

ここに出てきますね。1 --125.205.219.20 2006年11月19日 (日) 16:20 (UTC)返信

たしかにこのAmazon.comのカスタマーレビューでは、Michael GordonのTranceというアルバムにpan-world musicのトラックも含まれていると評し、さまざまなworld musicがトランスミュージックの素材やインスピレーションの源泉だとは言っていますが、それは内容から言っても、ソースの信頼性から言っても「汎世界主義」という言葉が「様々な世界の伝統を参照して作曲する作曲家の総称」であることの出典にはなりませんよね。リンクの貼り方はこちらをご覧ください。--Aotake 2006年11月19日 (日) 16:38 (UTC)返信

ハイあなたの言うとおり、と断定したかったのですが、「私は英語表現として適切なのはこちら」といっただけですよ?--125.205.219.20 2006年11月19日 (日) 16:43 (UTC)返信

ああ、出典を示されたわけではなかったのですね。それは失礼いたしました。確かにpan-worldismよりはpan-world musicのほうがやや自然な英語かもしれませんが、この記事の検証可能性とは無関係の話ですね。--Aotake 2006年11月19日 (日) 17:41 (UTC)返信

出典なんだけど、「世界音楽の時代」ってのが音友から出てるから、それのリゲティとメシアンネタ中心にして移動でええわ。--125.205.219.20 2006年11月19日 (日) 18:51 (UTC)返信

ブルーノ・ネトル『世界音楽の時代』は手元にありますが、リゲティもメシアンも登場しません。この本に言う「世界音楽」は、ザックス以来比較音楽学、民族音楽学/音楽民族学で用いられるworld musicの訳語でで、著者のネトルも民族音楽学者と認識されている立場の学者です。world musicの語は、80年代後半から別の意味合いを持つようになりますが、2002年のPhilip V. Bohlman"World Music: A Very Short Introduction"(Oxford University Press. 邦訳は『ワールドミュージック/世界音楽入門』音楽之友社,2006年)など、近年でも用いられ、ネトル、ボールマンいずれの書でも、柘植元一氏が民族音楽学上の術語としての"world music"の訳語として「世界音楽」を用い、解説を加えています。--Ks aka 98 2006年11月19日 (日) 19:14 (UTC)返信

西洋の音楽と社会 11ですが?そちらの勘違いです。--125.205.219.20 2006年11月19日 (日) 19:29 (UTC)返信

あ、こっちか。失礼しました。モーガンほか『西洋の音楽と社会 11:世界音楽の時代 現代 II』--Ks aka 98 2006年11月19日 (日) 19:35 (UTC)返信

それが、かつて「世界音楽」といわれていた音楽で、この項目名の「汎世界主義」がこれに続く形で執筆されています。そっちの本を読んでいただければ、この項目が独自の研究でないことくらい自明なような気もいたします。要は「東と東の出会い」--125.205.219.20 2006年11月19日 (日) 19:44 (UTC)返信

やはり、自分の当初の危惧が的中した(実証された)のか、やれやれ、という感じです。しかも、日本語版ウィキペディアンの教養や語学力についてまで悪態を並べていた張本人が、この程度だったとはね。本当に留学もしているのかしら。そのうち学歴詐称だったなんてことにならないよう、草葉の陰から祈ります。菅野先生もこんな人といつまでもつるんでいると、そのうち世界中の笑いものになりますよ。--間久部緑郎 2006年11月20日 (月) 06:37 (UTC)返信
  • それが、かつて「世界音楽」といわれていた音楽で、この項目名の「汎世界主義」がこれに続く形で執筆されています。の文意がもうひとつつかめないのですが、
  1. 『西洋の音楽と社会 11』が「かつて「世界音楽」といわれていた音楽」を扱っていて、この「汎世界主義」という項目が『西洋の音楽と社会 11』に続く形で野田さんによって執筆されている
  2. 『西洋の音楽と社会 11』のなかで、「かつて「世界音楽」といわれていた音楽」に続けて、「この項目名の「汎世界主義」」が同書のなかで執筆されている

のどちらでしょうか。

『西洋の音楽と社会 11』をざっくり確認してきました。関連がありそうなのは8章ですが、ここでは「ワールド・ミュージック」というタームが用いられ、上記の意味合い、あるいはやや民族音楽学の文脈から離れて非西洋音楽的なニュアンスで扱われているように感じました。「汎世界主義」へと続く部分は見つけられませんでしたが、ひょっとして新版がまもなく出版されるものをゲラなどでご覧になっているのでしょうか。新版の予定はまだ告知されていないようですが、そのような事情があるのであれば、出版社や訳者に確認することもできるかと思いますので、その旨お知らせください。--Ks aka 98 2006年11月20日 (月) 08:30 (UTC)返信

翻訳 編集

Arpeggio: 汎世界主義はあなたのリサーチをもとに構築されたと野田は申しておりますが、他のウィキペディアンは否定してます。 ウィキペディアでは独自研究が禁止になっています。 汎世界主義は、ほんとにあなたのタームなのですか? Chris: 考えるに、 私はそんなタームは使ってないし、その作曲家とは知り合いではない こうですよ。クリス。

このように文章が翻訳されるのですが、本文にはなんとありました?「複数の世界の伝統を参照した音楽」って本文で、アドラーがそのタームを主張したなんてことは本文には書いてなかった。あと「汎世界主義はあなたのリサーチをもとに構築されたと野田は申しております」こんなことも本文には書いていなかった。あと、アドラーのメールアドレスはadler@alum.mit.edu(本人のサイトで公開されているものです)だよね。メアドから間違えているが、ks aka 98は確認をとったか?--45.40.166.150 2018年3月10日 (土) 00:30 (UTC)返信

>>>民族音楽学の文脈から離れて非西洋音楽的なニュアンスで扱われているように感じました。「汎世界主義」へと続く部分は見つけられませんでした>>> その文献で出てきた、「サックス四重奏とガムラン合奏のための」作品はお聞きになりましたでしょうか?多分聞いてないでしょう。聞いてたらこんな「見つけられませんでした」などという回答はできないはずだ。あの作品は「インドネシア人がインドネシアの楽器に西洋楽器を混在させた」例。今行われているのは「イスラエル人がインドネシアの楽器を使い(ジルツ)、アメリカ人がタイの楽器を使い(アドラー)、ドイツ人が日本の楽器を使う(シュテーブラー)」例だ。「世界音楽」の提唱者のシュトックハウゼンは生前日本の楽器に作曲したものの、その作品の西洋楽器ヴァージョンを作曲し直し、晩年は非西洋楽器を二度と使おうとしなかった。それが「世界音楽」なら今行われている創作には別の単語が与えられなければならない。だからといって「汎世界主義」って単語になるとはすぐには思えないが、「ポストコロニアル」「ポストモダン」が許容されるのなら「汎世界」という単語列も許容されてしかるべきだろう。--45.40.166.150 2018年3月10日 (土) 00:41 (UTC)返信

「汎世界主義」の参考文献は、一番参考になるのは中川真の「マルガサリ」結成時のコメントで彼はこう言った。「ダルマブダヤというグループがやったのは現代ガムラン。しかしインドネシアでこれをかけたところ、現地民はなんと言ったか?『一音たりとも理解できない』といったのだ。面白かったという現地民もいたが、完全にリップサーヴィスだった。これではいけない。現地民の奏でる伝統を、完全に日本人が意のままに吸収し、自在に操れるようになければならない。付け焼き刃現代ガムラン曲は不要だったのだ。我々はもう現代ガムランをやめる。新しい音楽劇桃太郎は、完全にインドネシアの様式に則ったものでなくてはならない」このコメントが、最も世界音楽の限界を指摘した文章になっている。この文章の執筆は1998年。この時点では他国の伝統に歩み寄る音楽家は実に少なかった。--45.40.166.150 2018年3月10日 (土) 01:12 (UTC)返信

ここみたく、Panってのは「汎」って意味だから、Postなになにと、たいして変わらない。琴のカーティス・パターソンは1997年には日本デビュー(KBS京都ラジオにも登場)しているし、2000年代にはshakuluteという汎世界主義そのものとしか言えない楽器まで出てきた。こんな用語でも立項されてる。ポストコロニアリズムって、2010年代の今となっては壮大な無駄ですよね。汎世界主義はこんな無駄ではない。「西洋人が、植民地の音楽を参照して西洋音楽で作曲する(ベリオ・Coro)」のが世界音楽、「西洋人が、自らが興味を感じた音楽伝統を一から学んで現地の言語で作曲する(フーバー・闇の嘆き)」のが汎世界音楽とは言えるだろう。だから最初から「汎世界音楽」と立項しておけばよかったのかもしれない。--45.40.166.150 2018年3月10日 (土) 01:14 (UTC)返信

おそらく「汎世界音楽」の元年はと言われたら、これになるのではないだろうか。これは1987年の作品。論文もあるし、いまなら立項が可能かもね。ちなみにこの論文は2015年なので、削除依頼に「あと10年かかる」といったユーザーの指摘は当たっている。--45.40.166.150 2018年3月10日 (土) 01:20 (UTC)返信

あと、世界音楽会議で汎世界音楽そのものの出現を予言するコメントを、来日したヘンリー・カウエルが残している。「皆さん、これから出てくる音楽が『雑種』って言われても、それにめげてはいけません。雑種で結構。これからこういう雑種がたくさん出てくる、それを否定してはいけません」--45.40.166.150 2018年3月10日 (土) 01:28 (UTC)返信

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