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最新のコメント:11 か月前 | トピック:地図の差し戻しについて | 投稿者:トムル

東濊と濊貊 編集

中国語記事にでてきる东濊濊貊と、日本語記事の濊はどのような関係なのでしょうか。中国側では記述されている地域が異なっています。-218.221.136.192 2009年2月8日 (日) 18:07 (UTC)返信

私は中国語が読めません。私に限らず読めない人が多いと思います。できればあなたが中国語ページの問題あると思われる部分を要約翻訳して下さいませんか。問題記事が誰も読めない情況において、訳文をあげないあなたの質問のしかたでは誰も答えられないでしょう。--61.209.86.85 2009年3月23日 (月) 14:26 (UTC)----返信

通りすがりの部外者ですが、「2chにしつこく貼り付けられている」とかみっともないことを百科辞典の記事に書くのやめませんか?たかが2chでしか唱えられていない説への反論を記事に載せるだけの必要性がありません。どうしても書きたいならせめてその説を唱える学派なりを挙げて反論するべきかと思います。ここは学術的な記述を要求される場所であって、2chの書き込みについて語るのは不適切であると考え、よって編集者による訂正を要望します。--202.162.144.141 2009年10月24日 (土) 23:24 (UTC)返信

>前二世紀の満洲にいた「濊」は、後三世紀の夫餘・高句麗・沃沮・穢の四種族の前身であり、三世紀の韓国江原道付近にいた濊は前漢代の満洲にいた濊の後裔と思われる。 あの、夫餘・高句麗が濊と同系かもしれないとは聞いたことがあるのですが、濊が四種族の前身とはどこ情報でしょうか?

言語系統の書き方案 編集

一旦ここでまとめてから、本文に反映させますので、以下に書いたものに足りないものがあれば書き足してください。--トムル 2011年9月25日 (日) 02:18 (UTC)返信

==言語系統==
中国の史書によると、夫余の言語は高句麗と同じとされ[1]沃沮と濊もほぼ同じとされる[2]。一方、東の挹婁は独特の言語を使っていたとされ、夫余系(濊系、濊貊系)の言語と異なる[3]。ここで2つの言語系統が存在することがわかるが、夫余系(濊系、濊貊系)の言語が現在のどの系統に属すのかについては古くから論争があり、現在に至ってもよく解っていない。

  • ツングース系説…日本の学説や事典では、粛慎系の靺鞨や勿吉とともに夫余もツングース系であるとされており[4]、現在の日本でポピュラーな説となっている。
  • ツングース系+モンゴル系説…比較言語学的研究により、穢貊系(濊系、扶余系)の語彙[5]の多くがツングース系の語彙と共通し、かつモンゴル系の語彙も含むことから、夫余・高句麗語はツングース系をベースとしたモンゴル系との混成語であるとする説[6]。これに対し、粛慎系の言語はモンゴル系などが混じっていない「純ツングース系」とされる。
  • 夫余・韓系説…比較言語学的研究により、『三国史記』所載の高句麗地名から抽出した高句麗語語彙が、ツングース系語彙よりも朝鮮・日本語語彙に多く共通するとして、アルタイ祖語は夫余・韓共通語とテュルク・モンゴル・ツングース共通語の二つに分離し、前者が原始韓語と原始夫余語とに分かれ、ついで原始夫余語が高句麗語と原始日本語とに分かれたとする説[7]。しかし、村山七郎や清瀬義三郎則府は、高句麗語と朝鮮語は遠いことを示し[8]、そもそも高句麗語の存在や不正確さも指摘している[9]
  • 古シベリア(古アジア)系説…中国史書の記述(上記)から粛慎系の言語系統と濊系の言語系統が異なると判断し、粛慎系をツングース系と仮定すれば、濊系は古アジア系となる説[10]

==脚注==

  1. ^ 『三国志』魏書烏丸鮮卑東夷伝 高句麗「東夷舊語以為夫餘別種,言語諸事,多與夫餘同」、『後漢書』東夷列伝 高句驪「東夷相傳以為夫餘別種,故言語法則多同」
  2. ^ 『三国志』魏書烏丸鮮卑東夷伝 東沃沮「其言語與句麗大同,時時小異。」濊「言語法俗大抵與句麗同,衣服有異。」、『後漢書』東夷列伝 東沃沮「言語、食飲、居處、衣服有似句驪。」濊「耆舊自謂與句驪同種,言語法俗大抵相類。」
  3. ^ 『三国志』魏書烏丸鮮卑東夷伝 挹婁「其人形似夫餘,言語不與夫餘、句麗同」、『後漢書』東夷列伝 挹婁「人形似夫餘,而言語各異」
  4. ^
    • シロコゴロフ著、川久保悌郎・田中克巳訳『シロコゴロフ 北方ツングースの社會構成』(1942年、岩波書店)p285-p287「鳥居龍蔵氏は彼らを北朝鮮の強国、夫余及び高句麗の建設者と見做し、彼等をツングースであろうと考えている。」
    • 『白鳥庫吉全集 第4巻』(1970年、岩波書店)P536「『穢貊は果たして何民族と見做すべきか』穢貊の言語には多量のTunguse語に少量の蒙古語を混入していることが認められる。想うにこの民族は今日のSolon人の如く、Tunguse種を骨子とし、之に蒙古種を加味した雑種であろう。」
    • 井上秀雄、他訳注『東アジア民族史1-正史東夷伝』(1974年、平凡社)p103「(高句麗、夫余の)両族は、ともにツングース系と考えられている。両族が同系であることは始祖神話(東明・朱蒙伝説)の類同によっても推測できよう。」
    • 加藤九祚『北東アジア民族学史の研究』(1986年、恒文社)p156「高句麗は北扶余から発したとされるが、その北扶余がツングース・満州語族に属することは定説となっている」
    • 三上次男・神田信夫編『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』(1989年、山川出版社)p161「Ⅱ(夫余、高句麗、濊、東沃沮)の言語はツングース・満州語の一派か、またはそれに近い言語と思われるが、むしろ朝鮮語と近い親縁関係にあるか、詳しく調べてみなければわからない。」
    • 鳥越憲三郎著『古代朝鮮と倭族』(1992年、中央公論社)「高句麗は紀元前1世紀末、ツングース系の濊族によって建国」
    • 『Yahoo!百科事典』「【濊貊】前3世紀ごろモンゴル系民族に押されて朝鮮半島北東部に南下し、夫余(ふよ),高句麗(こうくり),沃沮(よくそ)を構成したツングース系の諸族を含むのである《浜田耕策》。【夫余】古代中国の東北地方に割拠していたツングース系と思われる民族が建てた国名《村山正雄》」
    • 諏訪春雄「高句麗や百済を建国した夫余族はツングース系の遊牧民族(学習院大学教授 諏訪春雄通信)」
    • 南出喜久治「私の見解では、高句麗は、建国の始祖である朱蒙がツングース系(満州族)であり、韓民族を被支配者とした満州族による征服王朝であつて、韓民族の民族国家ではないと考へている。(いはゆる「保守論壇」に問ふ ‹其の五›日韓の宿痾と本能論)」
  5. ^ 中国史書にわずかに見える漢文語彙。
  6. ^ 白鳥庫吉「穢貊は果たして何民族と見做すべきか」(『白鳥庫吉全集 第4巻』1970年、岩波書店)「穢貊の言語には多量のTunguse語に少量の蒙古語を混入していることが認められる。想うにこの民族は今日のSolon人の如く、Tunguse種を骨子とし、之に蒙古種を加味した雑種であろう。」
  7. ^ 三上次男・神田信夫編『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』(1989年、山川出版社)p169「彼(李基文)によると、アルタイ諸語と朝鮮語の間に動名詞語尾と若干の曲用語尾について一致が見られるという。また、語彙の比較においては、かなりの一致が朝鮮語とアルタイ諸語に共通して見出され、そのうち、朝鮮語とツングース諸語の間に語彙の一致がもっとも多く、ついでモンゴル諸語との間にも興味深い一致が見出され、チュルク語との間には一致するものが非常に少ないという。(中略)こうした状況のなかで、李基文は『三国史記』所載の高句麗地名からかなりの語彙を抽出し「高句麗語」としてとらえ、朝鮮語、日本語、ツングース語との比較を試みた(1966年)。そして、高句麗語が、朝鮮語(新羅、中世語)と著しい語彙の一致をみせ、日本語とも多くの共通語をもち、ツングース語とも若干の一致例をみせるとし、アルタイ祖語が夫餘・韓共通語とチュルク、モンゴル、ツングース共通語の二つに分離し、前者が原始韓語と原始夫餘語とに分かれ、ついで原始夫餘語が高句麗語と原始日本語とに分かれたとして、高句麗語は日本語と朝鮮語との親縁関係をつなぐミッシング・リングの位置を占めると主張した。《梅田博之》《李基文「韓国語形成史」(『韓国文化史大系Ⅴ.言語・文化史』)ソウル1967 p21-122、李基文「高句麗の言語とその特徴」(『白山学報』4号)1968(中村完訳、『韓』第10号 東京韓国研究院 1972;池田次郎・大野晋編『論集 日本文化の起源5 日本人種論・言語学』平凡社 1973 p594-627)》」
  8. ^ 清瀬義三郎則府『日本語学とアルタイ語学』(明治書院、1991年)
  9. ^ 金東昭(訳:栗田英二)『韓国語変遷史』(明石書店、2003年)、金芳漢『韓国語の系統』(三一書房、1985年)
  10. ^ 朱国忱・魏国忠(訳:佐伯有清・浜田耕策)『渤海史』(1996年、東方書店)

ノート:夫余での合意により、この案で言語系統を書かせていただきます。--トムル 2011年10月8日 (土) 13:55 (UTC)返信

改名提案 編集

現在の記事名「ワイ人」は、記事名の制約から「濊」と表記できないために「ワイ人」となっていますが、「ワイ人」では見た目がよろしくないので、「ワイ (民族)」にしたいと考えますが、いかがでしょうか。--トムル 2011年10月7日 (金) 04:50 (UTC)返信

濊と貊は居住地域が南北に別れていたので、むしろ濊貊の方へ統合するか、「ワイ (民族)」へ改名して「貊」を別に立てるか、ワイ貊(違和感ありますが)とするか、いずれかにすべきかと。それと「ワイ (民族)」だけの場合、支配層はともかく一般民衆が貊人から構成された高句麗との関係は希薄になります。--112.139.54.203 2011年10月11日 (火) 10:25 (UTC)返信

  反対 改名の理由として「見た目がよろしくない」は不適当と考えます。--Himetv 2011年10月11日 (火) 15:53 (UTC)返信

理由を改めます。基本的に民族名には「~人」や「~族」をつけないため(例えば山戎、粛慎、アヴァール、ハザール、キプチャク)、それに準じた記事名にしたいと考えます。--トムル 2011年10月12日 (水) 03:55 (UTC)返信

改めて  反対 申し訳ありませんが日本語表記の場合基本的には民族名に「~人」や「~族」をつけると考えます。(たとえばラシャイダ人、タジク人、トルクメン人、ヤオ族、カチン族)そのためこの理由では改名に賛成できません。--Himetv 2011年10月12日 (水) 04:06 (UTC)返信
この点はトムルさんに賛成。東アジアの民族名は基本的に~人や~族を付けず、山戎・白狄・東胡・粛慎・鮮卑・鉄勒などと呼ばれたので「ワイ人」という呼称もありですが一般的とは言えないでしょう。ただし、今の記事の内容や分量ならば「ワイ(民族)」ではなく「濊貊」の方を残すべきです。--112.139.54.203 2011年10月12日 (水) 10:09 (UTC)返信

改名提案(2) 編集

先日までWikipedia:記事名の付け方ではJIS X 0208外の漢字の使用制限がありましたが、この度緩和され、JIS X 0213に収録されている「濊」も記事名に使用できるようになりました。よって、本記事を本来の「」へ改名することを提案いたします。--こんせ会話2020年8月3日 (月) 03:57 (UTC)返信

  賛成 本来濊とすべきところを技術的問題でワイ人となっていたので、使用が可能になったのならば記事名を元に戻すべきでしょう。よって改名に賛成します。--ジャン=アントワーヌ会話2020年8月6日 (木) 10:12 (UTC)返信
  報告 賛成意見のみでしたので、移動依頼を提出します。--こんせ会話2020年8月10日 (月) 01:41 (UTC)返信
  報告 移動されました。--こんせ会話2020年8月11日 (火) 00:11 (UTC)返信

地図の差し戻しについて 編集

222.100.85.95氏へ「ソウルまで領土で表記した学説は廃棄されました。考古学的にソウルに遺物が見つかりませんでした。」というのは何という書籍あるいは論文によるものでしょうか?また、何が「ソウルまで領土」なのでしょうか?また、ハングルの地図は掲載しないか、漢字に直してから掲載してください。--トムル会話2023年4月26日 (水) 16:46 (UTC)返信

韓国桂陽区のIP氏へ。私の地図の出典は『増補版 標準世界史地図』(吉川弘文館、2022年)です。--トムル会話2023年4月27日 (木) 14:53 (UTC)返信

投稿ブロック依頼を行いました。--トムル会話2023年4月30日 (日) 10:29 (UTC)返信

利用者:ツラムトおよびそのIP氏へ。わたしはただ、理由もなく断りもなく画像を替えられたことに異論があるのみです。ちゃんと理由を述べたうえで差し替えなら咎めません。もう一度問います。何が「ソウルまで領土」なのでしょうか?私の地図のどこが違うのでしょうか?--トムル会話2023年5月9日 (火) 16:58 (UTC)返信

応じないため投稿ブロック依頼を提出しました。--トムル会話2023年5月13日 (土) 03:01 (UTC)返信

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