ノート:熊野速玉大社

最新のコメント:13 年前 | トピック:熊野速玉大神が速玉之男神とした理由 | 投稿者:Zmblelra

要約覧に書き忘れたので...

この項目は熊野三山から分割したものです。

--อนันต์ (あなん) 2004年12月12日 (日) 09:17 (UTC)返信

熊野速玉大神が速玉之男神とした理由 編集

熊野速玉大社のホームページでは御祭神は、イザナギ・イザナミとあるが、本宮大社には速玉之男神とあり神道の文献である日本書紀由来の記述を重視した為。--Zmblelra 2010年10月4日 (月) 15:12 (UTC)返信

2つ論点があるように思われます。
第1に速玉大社の祭神は何か。第2に速玉大社の祭神に対して比定されるべき神格はなにか。
いくつか文献を挙げてみます。
  1. 本宮大社のウェブサイト(祭神)で速玉大社の祭神を「速玉之男神」とする記述は見られますが、速玉大社自身は「熊野速玉大神(いざなぎのみこと)・熊野夫須美大神(いざなみのみこと)を主神」とすると明言しています。
  2. 熊野信仰に関する第1人者の手による著作である宮家準の『熊野修験』(1992、吉川弘文館)のp.60にかかげられた「第2表 熊野十二所権現一覧」では、『雑集抄』を根拠に速玉大社の祭神である両所権現、すなわち西宮(結宮=熊野夫須美大神)を伊弉冉尊、中宮(速玉明神=熊野速玉大神)を伊弉諾尊に比定しています。
  3. 同じく『熊野修験』のpp.1-2では、新宮(速玉大社)では「速玉」と「牟須美」の2柱がひとつの社に祀られ、「両所権現」と称せられたと論じられています。
  4. 民俗学者の五来重は『熊野詣』(2004、講談社学術文庫)のp.176で「主神の速玉神像と夫須美神像」と記しています。
以上から考えれば、第1の論点について速玉大社の祭神は結・速玉の2柱の神であるという命題には確かな根拠があることと言えます。
速玉大社の祭神ということであれば、それは確かに速玉大神でしょう。しかし、もとの版の記述は「主祭神」についてではなく、「祭神」についてのものであり、ことさら情報量を削減するべき合理的な理由があるとは判断できません(削除するべきであるとするなら何故なのでしょうか)。また、編集要約にて「家津美御子大神」について触れられていますが、家津美御子大神についてはまったく述べていないはずであり、意味が分かりませんでした。
第2の論点について前者がイザナミ・後者がイザナギに比定されることもどちらも充分に根拠のあることと言えます。ただ、神格の比定については諸説あるところであり、上記以外でも速玉大神をイザナギではなくその子の速玉神とする文献も同程度存在すると考えられます(松井美幸『熊野三山とその信仰』〈『那智叢書』第21巻、1973〉など)。したがって状況としては諸説が存在する、と考えるべきでありWikipedia:中立的な観点に従い、諸説を併記するべきです。いずれの説が正しいか、諸説はあるでしょうがそれを決定することはウィキペディアのユーザーの役目ではありません。百科事典であるということを考えるならば、諸説を併記し知識の集成を図ることが方針文書の求めるであり、ウィキペディアの編集に参加する以上、方針文書には従わなければなりません。
なお、「神道の文献である日本書紀由来の記述を重視」とは何を意味するのでしょうか。熊野速玉大社を含めて熊野三山やその祭神の名を確認しうる信頼できる史料は9世紀初(宮家『熊野修験』p.1)のものとするのが定説であり、日本書紀の成立した年代には、三山の存在やその祭神が日本書紀の編纂者に認識されていたとは非常に考えにくく思います。それとも、それは私が知らないだけなのでしょうか。そうなのであれば、お手数ですが活字本でページ数までご提示頂きたいと考えます。--ikedat76 2010年10月5日 (火) 15:25 (UTC)返信
2010年10月5日 (火) 15:25 (UTC)のコメントに前後して2010-10-06 01:22:18 (UTC)にて、両説併記の形に編集いただきました。ご理解いただきありがたく思います。
  • しかしながら、編集要約にある「文献を提示しても熊野速玉=イザナギとされそう」というのは誤認ではないでしょうか。2010年10月5日 (火) 15:25 (UTC)にて、「諸説を併記するべきです」と申し上げたはずです。
  • また、当方の質問にもお答えいただいておりません。
    • 1つ目は、編集要約にて「家津美御子大神」云々について触れられていたことについてです。
    • 2つ目は、熊野三山の神格の比定について「神道の文献である日本書紀由来の記述を重視」と述べておられることについてです。
お答えいただけると幸いです。--ikedat76 2010年10月10日 (日) 04:50 (UTC)返信
熊野本宮大社の「熊野坐大神(家都美御子大神)は、須佐之男命とされるが、その素性は不明である。太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、中州に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがある。」
を読まれてないのでしょうか。といってこれ以上論じるつもりはありません。
申し訳ありませんが、すでに決した事案の質問(2つ目)を受けるつもりは有りません。私は最初から土俵には上がっておりませんのでの質問は受け付けは致しかねます。不手際があったのであればお詫びしますのでご容赦願います。--Zmblelra 2010年10月10日 (日) 09:33 (UTC)返信
「熊野本宮大社の…」と言っておられるのは祭神のページのことでしょうか? 引用されておられるような文章は見当たりません。熊野本宮大社のページではないのなら、どこなのでしょうか。仮に本宮大社のページだとしても、熊野速玉大社のZmblelraさんが編集される前後の版のどこにも見当たらない「家津美御子大神」がなぜ唐突に出てくるのでしょうか。議論の道筋がどこにあるのか把握しかねました。
また、対話拒否ではないとのことですが、そう仰られつつ、「最初から土俵には上がっておりません」「質問は受け付けは致しかね」る(私の理解では右の文言は、“ikedat76の言うことなど相手にするに足りない”という趣旨に読みとれるのですが)とはどういうことでしょうか。失礼ながら矛盾ではないでしょうか。
Zmblelraさんの言っておられることは、私にはひどく矛盾しているように見えます。私としては整合性のある説明をしていただかないと、(結果の問題ではなく)結果に至る過程の問題として納得しかねます。それとも、どうあってもご回答いただく意思がない(ikedat76を納得させる気が無い)ということなのでしょうか。--ikedat76 2010年10月10日 (日) 13:26 (UTC)返信

 --Zmblelra 2010年10月11日 (月) 15:08 (UTC)返信

このノートをご覧の皆さま【熊野速玉大神が速玉之男神とした理由】は両神併記で決着しております。以降は別の議論をしていただいて構いませんので--Zmblelra 2010年10月12日 (火) 00:38 (UTC)返信

ページ「熊野速玉大社」に戻る。