ノート:生命の起源/archive1

最新のコメント:19 年前 | 投稿者:Juanita

気付いたことをいくつか:

  • 古来の人々が生命の誕生を難題としてその説明を宗教神話に求めたのと、現在の生物学が自然発生説の否定や細胞説、化学進化などの知見を踏まえた上で難題であるとするのは、本質的に異なるものだと思ったので改変しました。ちょっと長めになったので簡単な歴史のセクションにわけてみました。
  • あと「最初で最後の命題」という根拠を述べる必要があると思いました。それから「この命題が解けたと言えるには何が分かればよいのか」という説明が欲しいと思いました。勉強不足にてその回答が本当にあるのかどうか知らないですが、あれば是非。
  • 表面代謝説や化学合成独立栄養生物群の世界のセクションで生命誕生の場は深海ではないか、という説明が出てきますが、これを読んだ時に「ではそれまでの学説ではどこだと考えていたのだろう」という疑問がでるように思いました。どこか適当なセクションで(正式にはなんて言うのか知りませんが、有機物濃縮を説明する)「干潟説」などの説明を入れたらどうだろうかと思いました。
  • 生命は単一起源であろう、という話もあるといいかなと思いました。

電気山羊 2004年7月17日 (土) 10:35 (UTC)

  • 古代の人々が生命の誕生を難題としてその説明を宗教神話に求めたとの私の編集ですが、もう少し説明します。古代の人が私の親の親の親の>>>親は誰なのかと考えたであろう問題と、自己複製する散逸構造はいかにして形成しうるかという問題の枠組みは、全く一緒だとおもいます。自己複製する系であることから生じる矛盾を乗り越えなければならないという点です。ここで、ダーウィンの進化論は関係ありません。そのイベントが一度おこればよいということにしてくれただけでしょう。自然発生説否定の実験ででうじむしが自然に発生しないことは科学的に証明されましたが、それ以前に人間が自然にわいてきたことを神話や宗教の助けなしに信じられていたとは思えません。人類や生命の誕生に触れている世界各地の神話は、当時の人がその問題をどう考えていたかということを反映しています。一方同時にパンスペルミア説などは、まるで神話のようです。私の編集は、この疑問は近代化学の枠組みに依存し提起された問題以上に、人類が昔から考えてきた問題であるということをいったつもりです。これから文化人類学の素養を持ったかたに、別項ででも世界各地の神話を充実させていただけると、生物学事典でない百科事典ならではの広がりを持った記述になっていくのではないかと期待しています。Kendall 2004年7月17日 (土) 15:52 (UTC)編集Kendall 2004年7月17日 (土) 20:43 (UTC)
私も両者は異なるものと考えます。近世までの親の大元が何なのかという疑問は、個々の生物種を固定的な実体と仮定した為に問題となりました。これは生命の起源問題ではなく種の起源問題です。今となって言えば。それが進化論によって解決され、そのために現れた地球上の生物群の起源に関する根源的な疑問がこの記事で主に取り上げられる内容かと思います。なので起源を探るという点では同様の、人類の知的探求の系譜という切り口では同一記事内で語れますが、問題としては異なると言うのが私の意見です。Kdfj 2004年7月17日 (土) 21:34 (UTC)
私も Kdfj さんと同じように考えています。
古来より生命の起源は考えられてきたことでしょう。各地の神話や宗教の話にも興味があります。しかし「生命はどこから来たのか」という問いとしては両者は共通するものの、そこに含まれる観点は異なるものです。
生命の誕生の説明を宗教や神話に求めなければならなかった大きな理由の一つは、進化という概念が存在せず、生物種は固定的なものであるということが前提になっていたことです。進化論以前は「生命の起源」と「種の起原」は分けて考えられていません。ヒトがヒトとして無生物から誕生したとするならば、現在の自然科学であっても生命の起源を扱う術をもちません。進化という概念の導入によって初めて自然科学の言葉で生命の起源を語ることができるようになったわけです。進化論はこの問題を解くために直接関与はしませんが前提としてとても重要です。
電気山羊 2004年7月18日 (日) 02:06 (UTC)
残念ながらあまり理解していただけていないようなので別のいい方をしてみます。1、生命観の変遷にともない問題の設定が変化することが、記事に反映していないと思います。この点には気付いて、言及もされているにも関わらず、記事全体にいかされていません。生命の定義の項を、あのような形で限定するよりは、問題が変化すること自体を折り込みながら書いた方が良いのではないでしょうか。2、時代時代の生命観があり、それに応じて生命の起原は考えられていたはずです。そのなかで、この問題の本質は自己複製する系がいかに新規に生成するかという問題です。この矛盾を昇華するために人は神の概念を作り出したのではないかと考えても良いほど、大事な論点だと思います。パスツール以降あらたに生じた問題かのように記述するのは、あまり相応しくないと思います。一方この問題に対する現在の諸説も、全て仮説レベルであり、古代の神話と本質的には変わりないと思います。3、進化論で問題の条件は限定されましたが、問題の本質はなにも変わっていません。4、できれば、キリスト教圏だけでなく、日本を初め世界各地でこの問題がどうとらえられてきたかという視点を(将来的にでも)導入したいですね。Kendall 2004年7月20日 (火) 21:43 (UTC)
  1. まず Kendall さんと私とではこの項目の位置づけが異なるのだと思います。Kendall さんは「生命の起源」という大項目として考えているのに対して、私は「自然科学における問題」であると考えています。この点についてはバランスに気をつければ大項目化しても良いかもしれません。ただ分量的に既にかなり大きいので(例えば自然発生説などの)別項目に執筆した方が良いように思います。
  2. 次に、自然科学と神学における「生命の起源」は本質的に異なります。何をもって本質的かという問題があるかもしれませんが、そこは「哲学」をもって本質とすることにします。
    現在の自然科学における考えが全て仮説であることはご指摘の通りです。しかしこれらは全て「唯物論」の上に構築されています。パンスペルミア説がいかに神話的に見えても、そこに超越的存在は仮定されていません。一方パスツール以前、神学や俗説では生命の起源は「超越的な創造主の存在」ないし「生気論」の上になりたっています。「生気論」と「唯物論」を混同することは哲学、神学、自然科学それぞれの立場から見てもできないのではないでしょうか。少なくとも現在の自然科学ではそれらの混同を許容できないだろうと考えます。電気山羊 2004年7月21日 (水) 02:16 (UTC)
まだ違うようです。私の意見は問題としての系譜を記述しておきたいということです。パスツール以降に自然科学における問題として考えられるようになりましたが、それ以前にも同じ問題は存在したということです。機械論、生気論の区別は、問題にたいする回答の仕方の違いであり、そこは混同する余地はないと思います。唯物論者の権化たるクリックがあたかも神話のようなパンスペルミア説を持ち出してきていることは、その問題としての共通性を示唆する良い例えになります。Kendall 2004年7月21日 (水) 17:24 (UTC)
  • 自然科学以前の「生命の起源」の歴史についても述べてはどうか、という提案でしたらなんら異論はありません。ただ分量とバランス、および読者の混乱を防ぐために、神話・宗教における「生命の起源」はこの項目では要約を紹介するにとどめ、詳細は別項目の方がよいのではないかなと思いますが(各地の神話を紹介するだけでもかなりの分量になるように思います)。
  • 私が問題と思ったのは、自然科学とそれ以前を本質的に同じものと扱うことです。当該の文章はこれらを混同しているように受け取られる表現になっていると思ったので改変した次第です。電気山羊 2004年7月22日 (木) 03:20 (UTC)

現在自然科学の方法論でも扱えていない架空の複製子の実体を解明することは、古代の人が想定した神の存在を克服するものであるという視点は、正統な生物学で教えられることではないことは認識していますが、宗教学、文化人類学まで視野に入れましたら、極めてオーソドックスなものの見方ではないかと思っております。いただいたご回答は、残念ながら私の最後の意見に対するものでなく、議論を振り出しに戻すものです。不本意ながら、議論の態度として誠実性に欠けるのではないかということを指摘せざるを得ません。できましたら、今後、生物学だけでなく様々な分野の他の方のコメントを待ちたいと思います。Kendall 2004年7月22日 (木) 19:12 (UTC)

そうですね、他の方からもコメント頂いた方が良いように思いました。そのためにも論点を整理しておきます。
  1. Kendallさんの「問題としての系譜を記述しておきたい」という意見に対して、私は「異論はない」と応えています。
    • 「生命の起源」の歴史をもっとさかのぼることや、宗教学・文化人類学の視点を紹介することに異議はありません。それは俯瞰的で総合的な百科事典としてふさわしいものだと思います(別項目にするかどうかはひとまずおいておきます)。総論としては合意をみていると理解しています。
  2. 各論において「しかしそれらの本質を同じに扱ってはいけない」ということが私の主張でした。
    • この点において Kendall さんと意見が異なると理解しています。もし私が Kendall さんの主張を誤解しているようでしたらご指摘下さい。
    • また Kendall さんが具体的にどのような記述にしたいのか、私が理解できていないように思いました。Kendall さんの主張と同様の内容の文献を提示していただければ、図書館などにあるようならば参照して参ります。
電気山羊 2004年7月23日 (金) 04:24 (UTC)


電気羊さんが何故か理解していただけない点ですが、繰り返しになりますが、問題と回答はわけて考えるべきだというのがわかりやすいでしょうか。問題としては、明らかにパスツール以前から存在していました。パスツール以降、無生物から生物は自然発生しないということになりましたが、ではそれ以前にすべての生物が無生物から生じたかと考えられていたかというと、明らかにそうではありません。人々はそこを不思議に思い、自然科学の方式に則らない形ではあれ、様々な思考を巡らせていました。「しかしそれらの本質を同じに扱ってはいけない」というのは、問題に対する回答のありかたのことでしょう。私は、そこを混同させる気は毛頭ありません。今の版では、問題の成立自体がパスツールに依存しているかに読めてしまいます。私の版が気に入らないのであれば、せめてその点はもう一度ご考慮くださいませ。もうそれ以上は申しません。Kendall 2004年7月23日 (金) 13:53 (UTC)

ご回答ありがとうございます。今回のご指摘で Kendall さんの最もおっしゃりたいことを理解できたように思います。根気づよく説明して頂きましてありがとうございました。「今の版では、問題の成立自体がパスツールに依存しているかに読めてしまいます」「問題としては、明らかにパスツール以前から存在していました」については理解し、同意しています。私なりに考えて反映させてみます。まだ違うようでしたらご指摘ないし編集してください。
ただ「問題と回答はわけて考えるべき」なのかという点についてはまだ理解しきれていません。Kendall さんがいう「問題」が「生命はどこからきたのか」という*問いかけの言葉そのもの*であるならば、私と Kendall さんの意見には差異はないと思います。しかし、例えば古代ギリシャでのその問いと、中世ヨーロッパでのそれ、現代の自然科学でのそれが質的に同じものかというと、それは違うのではないかと考えています。つまり「生命はどこからきたのか」という問いかけにおいては、「回答のあり方」の違いが問題の本質に影響を及ぼしているのではないかと感じています。方法が違ってもいずれ同じ回答にたどり着くのであれば、その問題は本質的に差がないのかもしれませんが、この問題の場合、神話・宗教が出した回答と、自然科学が出そうとしている回答とは異なるものになるはずです。
あるいは、もう一歩引いた立場から見れば、これらの変遷は試行錯誤の歴史であると見ることも可能かもしれません。先にも書きましたが、この観点の違いが意見の違いを生んでいるように思います。この点について、もう少し考えてみます。
もう一度。この問いかけの変遷・系譜をそれぞれの観点を説明しながら記述することについては私は同意しています。電気山羊 2004年7月24日 (土) 05:38 (UTC)

たたき台を書いたものとして、コメント(弁解?)させていただきますと。 

  • 「最初で最後の命題」という根拠を述べる必要があると思いました。

この点についてですが、ちょっとドラマチックにこの記事を書きたいなぁという自分の気持ちからです。個人的な文章ですいません。この命題の回答・・・なんでしょう。僕もその辺については勉強不足といわざるを得ません。

  • 「ではそれまでの学説ではどこだと考えていたのだろう」

海水中で生まれたと言うのが支配的な気もするので、海の中のどこそこという特定をしてなかったのでしょうか?確かに、このあたりを意識して書いていませんでした。『干潟説』というのは良く知らないので、ご存知でしたら追加をお願いします。あと、波打ち際で形成される泡が化学反応の場になった、という説も聞いたことがあります。

  • 生命は単一起源

僕は、結構単一起源ではないと考えているんですが、実際のところどうなんでしょう。そのあたりは生命の起源とは記事を分けて、原始生命体の項で『脂質の袋に包まれた原始生命体が、お互いに補完するように様々な物質を交換し合いながら生きていたのでは(生物間代謝)』という内容のものを書こうかと思っていたのですが。

どれも曖昧な回答ですいません。この編集可能な百科事典から統一的見解が生まれることを楽しみにしています。Juanita 2004年7月18日 (日) 05:33 (UTC)

すみません、干潟説なんていうのはかなり適当なことを言ってしまったようです。ちょっと本を読んでみたのですが、確かに場所はあまり考慮していないようでした。電気山羊 2004年7月21日 (水) 02:16 (UTC)


少しだけコメントです。ちなみに僕はコアセルベート説についてはテレビで見たことがあるという程度の素人です。

構成が非常に明確でよいと思いましたが、基本的には節を仮説別においているので、ミラーによる実験は、化学進化説の中に小セクションとして設けるといいかな、とも思いました。分量的なバランスが崩れるので現状維持でもいいような気もしましたが。

8節以降はちょっとわかりづらいように思いました。どこでつまづいたのかを考えて見ましたが導入かな、と思いました。

僕は詳しいことは知りませんが、このアプローチでは、「生命の起源は何か」を考える際に、「最初の生命を発生させた化学的なプロセス」なり「生命の自然発生のプロセス」を解明しようとするのではなくて、まずは最初の生命がどのようなものであったかを生物進化を遡って究明して、その後に、その原始生命がどんな風に誕生するかを考えようとするアプローチだ、と言ってよいでしょうか?

あと、9節がどういう位置づけになっているのかもう少し説明があるとありがたいのですが、これは、原始生命の特徴を研究するものとして8節にあるものと同類と考えてよいのでしょうか?

何か微妙に違っている気もしますが(というか、大幅に勘違いという可能性もおおいにありそうですが、^^;) そういう類の説明がもう少しあるとわかりやすいかな、と思いました。

あと、個人的には、「どのような場所で、どのようなプロセスで発生したのか」というのが中盤であり、「最初の生命体はどのようなものか」というのが最後の2節であれば、それぞれのセクションのタイトルを「原始生命の発生の条件と過程についての説」「原始生命の特性についての説」といったものにしてしまって、前者については1970年代までの研究が中心であること、後者については1970年代以降であること、などを明記して、それぞれの知見・説が噛み合っておらず、結局どちらのアプローチからも答えが出ていないこと、などを最初に書く、というのでもいいかと思いました。各種仮説を節と対応させてあるのが構成上わかりやすいと思ったので。

他に思ったことなど。

  • 個体発生については、生命の発生は社会的にも大きな問題かと思います(人間の妊娠中絶に関連して)し、素朴な疑問として、「このプロセスではどの時点で生命が発生するのか、どの時点まではただの有機物の相互作用なのか?」というようなことも思います。それはこの記事ではなくてどこか別の記事にふさわしい主題なのだと思うのですが、案内があってもいいかも知れません。
  • 宗教・神話については、現在でも進化論を信じていない人などもいるわけですし、過去形にしない方が中立的かと思いますがどうでしょうか。科学者の立場から見るとこう見える、という説明としてはこの記事は充実していますが、宗教者が見るとまた違ってくるように思います。現代日本や日本語圏を考えるとそれは主流派の見解だと思うので、今のところそれでいいと思うのですが、将来的には他の視点を説明する方法について考える時が来る可能性もあると思います。
  • 界面説は弁護士が論文を書いてるなんて意外ですね。専門家以外は近寄れない世界なのかと思ってたんですが。

余り自信のないコメントも多いので、素人判断である部分を差し引いて適当に参考にしていただければ幸いです。^^;) Tomos 2004年8月3日 (火) 11:51 (UTC)

Tomos さんのご指摘を受けて、私なりのいくつかの回答と今後の編集における改善案です。とりあえず自然科学のところについて考えてみました。以下のような構成ではどうでしょうか、皆様。
  1. 生命の定義
  2. 自然発生説とその否定
  3. 化学進化説
    1. ユーリー - ミラーの実験
    2. 表面代謝説
    3. RNAワールド仮説
    4. プロテインワールド仮説
    5. DNAワールド仮説
  4. パンスペルミア仮説
  5. 生物進化から生命の起源へ
    1. 化学合成独立栄養生物群の世界
DNAワールドまでは化学進化の仮説としてまとめ、パンスペルミア説は化学進化以外の観点ということで後ろに出し、生物進化から〜はまた違う観点ということでさらに後ろに出してみました。オフラインで実際にいじくってみることにします。また意見が変わるかもしれません。
宗教・神話について現在形にする方が良いですね。同意です。
ヒトの生命誕生については生命倫理学の範疇でしょうか。妊娠中絶あたりに書けるかもしれません。時代や国・地域によって生命観にかなり差があるみたいですね。生物学的には受精した時点で新たな生命とするのかな。。
電気山羊 2004年8月3日 (火) 18:54 (UTC)
p.s. 『RNA 学のすすめ』を読み返していたら「干潟で誕生した」説は一応あるようでした。でも詳細がわからずじまいでした。どなたか情報ご存じでしたらご教授下さい。
Tomosさんの提案を受けまして僕も少し考えてみましたが、ほぼ電気山羊さんと同じものになりました。記事を大きく化学進化、生物進化、パンスペルミアに分けて考えると言うところで一致していますが、細部がやや異なります。
  1. 生命の定義
  2. 自然発生説とその否定
  3. 化学進化説
    1. ユーリー - ミラーの実験
    2. 表面代謝説
  4. 生物進化から生命の起源へ
    1. 化学合成独立栄養生物群の世界
  5. DNA、RNA、タンパク質
    1. RNAワールド仮説
    2. プロテインワールド仮説
    3. DNAワールド仮説
  6. パンスペルミア仮説
こんな感じになりました。電気山羊さんとは順番とDNA、RNA・・・を大項目として追加と言う点で異なっていますが、理由は以下の通りです。
  • 化学進化と生物進化は等しく考えたい。
  • DNA、RNA、タンパク質は化学進化にも関与しているけど、最初の鋳型を論じると言う点で化学進化を超えた生物の複製に関する域にも論点が及んでいる。
  • パンスペルミア仮説はSF的側面が抜けないため参考程度に記事のラストへ・・・。
と、僕はこの記事の皆さんの編纂を見ながら上記のような意識を強く持つようになりました。ただ、Tomosさんの指摘されたとおり、生物進化およびDNA、RNA・・・の項目は化学進化の流れとはずいぶん異なります。したがって本来『原始生命体』という別項目を設けて執筆する予定でした。ただ、生命の起源と原始生命体の境目について悩んだ挙句、重複もやむなしとしてつい書いてしまいました。
宗教、神話は僕のイメージの範囲の外にありますので、ほぼ無視してきましたが『生命の起源』という記事を(自然科学的側面)および(哲学的側面)に分けてしまうというのはどうでしょうか。とりあえずTomosさんおよび電気山羊さんの意見を読んで思ったことを書いてみました。皆さんどう思われますか?Juanita 2004年8月3日 (火) 21:45 (UTC)
  • パンスペルミア説は一番後ろの方が落ち着きますね。また化学進化のセクションでは古典的な例についてあげ、DNA、RNA、タンパク質は別セクションとして良いと思います。
  • ただ「化学進化と生物進化は等しく考えたい。」についてちょっと理解できていません。よろしければもう少し説明いただけますでしょうか。表面代謝説からのつながりを考えていらっしゃるのかなと思いましたが。。
  • あとは最初にもう少し要約があった方が全体の理解がしやすいかなと思いましたので、文章を考えています。
  • この記事では自然科学についてを主に取り上げる方が、読者・編者の両方にとって混乱が少なく、バランス・分量からして適切ではないかと思っています。もちろん違う観点の紹介はあるべきと思います。
電気山羊 2004年8月5日 (木) 18:12 (UTC)
説明足らずですいません。書いたとき、ちょっとわかりにくいかなぁと思っていましたが。『化学進化と生物進化を等しく』というのは、生命の起源にいたる手法として、どちらも等しく意義のあるものであると言うことです。したがって、それほど深い意味があるわけではありません。ただし化学進化を論じる手法のほうが歴史も古く、生命の起源そのものを論じているので順番としては前、生物進化はその進化の道程から生命の起源を考えるということなので間接的手法です、したがって後、と言う順番にさせていただいたと言うことです。あとは電気山羊さんの仰るとおり表面代謝説と生物進化を並べるように記事を構成したほうがより良く理解できると思います。Juanita 2004年8月6日 (金) 06:56 (UTC)
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