ノート:生野区連続通り魔事件/-生野区連続通り魔事件-臨時Wikipedia

最新のコメント:10 年前 | 投稿者:須磨寺横行

韓国人による日本人連続襲撃事件である。
現在、本Wikipediaは何者かにより(犯人像は明白であるが)削除されてしまったため、こちらに臨時項目として記す。
正規Wikipediaではないため、信憑性についての保証は全く無い。(元々怪しいものであるが。)
その点を踏まえて閲覧、編集を加えてほしい。
--以上の署名のないコメントは、221.191.180.59会話/Whois)さんが 2013年6月12日 (水) 11:29 (UTC) に投稿したものです(Kiruria281会話2013年6月12日 (水) 11:32 (UTC)による付記)。返信

  • コメント今回関わらせていただきました。「削除」と決まったと知りました。Wiki自体が信頼性を担保している「フリー百科事典」では無いので、こんなものかと感じました。議論を閉じるには少々早計過ぎたのではないかと思います。またTriglavなる管理者の権限で閉じることがきるなら、とっとと早く閉じてしまえば良かった。私はタイトルにある「生野区」の特筆性に言及しRienzi様と意見を交換していました。Wikiに「猪飼野」という項目が存在していますが、「猪飼野=生野区」であり「古代・仁徳天皇の時代から」渡来人が来ていたという土地柄です。「生野区で韓国籍の男性が通り魔事件を起こした」のであれば削除もしくはWikinewsへ移行でも良いと考えます。しかしこの土地で「日本人かどうかを確認して」凶行に及んだということは特筆性に充分あたると考えます。Rienzi様の『「こういう事件が生野区で発生した意味」について考えることは大事かもしれませんが、そのことを削除審議の場において「特筆性の担保」としたり、記事に書いたりすることは、「この事件が『生野区』で発生したことの特殊性・特異性」について触れた文献がまだない以上、難しいと思います。』について、Wikiとは『「この事件が『生野区』で発生したことの特殊性・特異性」について触れた文献』を求める、それほどのレベルを求めているフリー百科事典なのでしょうか?それであったら、そもそもどこかの政府や研究機関(おそらくこれらは複数必要でしょう)を組織の母体としなければならないでしょう。『「こういう事件が生野区で発生した意味」について考えること』を提起することがWikiの役目なのではと考えます。「生野区で韓国籍の男性が通り魔事件を起こした」程度であれば日本中で外国籍の犯罪者による刺傷殺人など犯罪は発生しています。たまたま韓国籍だったという事でNews扱いで構わないと思います。「日本人かどうかを確認して」また「日本人の弁護士を拒否する」という事実があるのに特殊性・特異性について触れた文献を求める精神が理解できない。文献があれば良いのか?それは何冊ぐらい?その著者はどういう人物なのか?誰が書いても文献としてあればOKなのか?ついでにもっと言えば「自分の頭で考えないのか?」と述べたい。--Wikipefreeman会話2013年6月26日 (水) 16:26 (UTC)返信
  • 返信 (Wikipefreemanさん宛) 「『こういう事件が生野区で発生した意味」について考えること』を提起することがWikiの役目なのではと考えます」とおっしゃられていますが、Wikipediaは「考える為の場」「話題提起の場」「議論提起の場」「公開討論の場」「演説台」などではありません。Wikipediaは、検証可能性を満たし中立的観点に立ち独自研究は掲載せず信頼できる情報源に基づいて記事を書く、「百科事典プロジェクト」です。端的に申し上げて、Wikipefreemanさんのおっしゃられていることは、Wikipefreemanさんの初出(独自)研究ですから初出(独自)研究をウィキペディアに書くことは出来ません。簡単に言うと、ある事柄についてウィキペディアに書こうとするならば、それは既に信頼できる情報源に掲載されており、検証可能な形で存在するものでなければなりません。ですから、Wikipedia:信頼できる情報源および{[Wikipedia:検証可能性]]に則った『文献』が必要なのです。「自分の頭で考えないのか?」との仰せですが、Wikipefreemanさんが、現時点で「ご自身でお考えになった」というだけで、まだどこにも発表されていない事柄をウィキペディアに投稿することは出来ません。もう少し具体的に例示しましょう。「社会学者の○○は、自身の著書『生野区の○○』において、『生野区では日本人と在日コリアンが平和的に共存してきた』と述べている。このため、生野区で発生した、日本人を狙った通り魔事件である『生野区連続通り魔事件』は、生野区という土地の歴史的背景に照らして、極めて特異な事件であったということができる」という記述と、「社会学者の○○は、自身の著書『生野区の○○』において、『日本人と在日コリアンが平和的に共存してきた生野区で、韓国籍の人間による、日本人を狙った通り魔事件が発生したことは、生野区の歴史的背景に照らして極めて特異な出来事であった』と述べている」という記述の、どちらがウィキペディアにおいて歓迎されるべきものであるでしょうか?ここまでの私のコメントをお読みいただければ、前者と後者、どちらがウィキペディアにおいて推奨され歓迎される記述であるかがおわかりになるかと思います。--Rienzi会話2013年6月26日 (水) 18:11 (UTC)返信
返信 (Rienziさん宛) Rienzi様返信ありがとうございます。『ウィキペディアに書こうとするならば、それは既に信頼できる情報源に掲載されており、検証可能な形で存在するものでなければなりません。』Rienzi様が書いているこの内容に激しく同意します。今回の記事は「既に信頼できる情報源に掲載されており、検証可能な形で存在するもの」であります。なので削除する必要の無い記事です。例えばニコニコ大百科で「生野区通り魔事件」を検索するとそこには多数の参考記事があります。Wikipedia:信頼できる情報源およびWikipedia:検証可能性は既読です。この2項目は満たしています。なので削除する必要はありません。
  • この2項目のみでは「ならばWikinewsに掲載すれば良い」と主張されそうなので書き残します。まず前回私が書いたことについて、Rienzi様は誤解しています。私は本件記事を生野コリアンタウンのリンクから飛んできました。そしてWikiに存続すべきと考えました。『現時点で「ご自身でお考えになった」というだけで』まさにそのとおりです。そして私のようにリンクをたぐってきて、私のように考える人がいるのではないでしょうか?←まさか「私のように考える人がいるかどうか検証可能な証拠を示せ」と言われるのでしょうか?
  • Rienzi様が2013年6月24日 (月) 14:34 に『「こういう事件が生野区で発生した意味」について考えることは大事かもしれませんが』と書かれているように私も重要と考えますのでnewsではなくWikiに残すべきと考えます。--Wikipefreeman会話2013年6月27日 (木) 10:30 (UTC)返信
返信 (Rienziさん宛) Rienzi様連投させていただきます。結論を先に書いたほうが良いと考え上記を先に書きました。Rienzi様 2013年6月26日 (水) 18:11の社会学者の例えですが、その社会学者がそのように書いたとして・・・どちらの場合もですが・・・だから何なのだ?ということです。「権威」の言葉が無いと、我々はWikiに記事を存続させることさえできないのですか?私にはRienzi様がこのように述べているように聞こえるのです。「その社会学者一人が言っているだけでは本件記事を残すのに充分な証拠とは言えない。複数の論者の支持が必要である。その社会学者の論が妥当だと言えるWikipedia:信頼できる情報源およびWikipedia:検証可能性を示せ。示せないなら削除が妥当である」。
  • 私は生野コリアンタウンのリンクから飛んで来ました。Wikiに本件記事が残っていないと、事件を知ることもできず、考えることすらできない可能性があるわけです。2013年6月20日 (木) 15:40に書いた内容が、私が考えたことでした。私は自ら本を読み調べているので思うのですが、猪飼野について知らない人が削除依頼を出したのでは?と考えてしまうのです。--Wikipefreeman会話2013年6月27日 (木) 11:11 (UTC)返信
  • ちょいと横から一言二言ですが、そこで記事編集者の意思を持ち込むとよろしくないのです。例えば「こんな平穏な田舎でおきた」とか「人の多い都会に関わらず止められなかった」とか「兄弟の間で」とか理由は個々人ではどうとでもつけられるんです。自分は事件記事についてはニュース・報道止まりであるかそこから先の報道機関・学者による事件へのある程度まとまった分析の類が出てくるかは一つの区分であると考えます(そーいう意味では現状Wikipedia上の事件記事について報道内容止まりのモノが多いことは肯定しますし、本来はウィキニュースで扱うのが本筋の案件も多いと思います)。どこぞの大百科で参考にされている記事も速報続報の域を越えてはいないので現状ではまだWikipediaで記事を作成するに足る資料が出揃っているとは言いがたいです。ひとまず軽くWP:NOT#ORWP:NOT#NEWSあたりに目を通されることをお勧めしておきます。--202.224.70.148 2013年6月27日 (木) 11:40 (UTC)返信
  • コメント 猪飼野について触れられていますので一言。猪飼野(現生野区)に渡来人を住まわせ猪を飼育させたという記録があるのは事実ですし、現在そこに生野コリアンタウンがあるというのも事実です。しかしながら日本書紀に書かれている渡来人がその後もその地で過ごした事を指し示す資料は(大阪府立図書館・大阪市立中央図書館のご協力を得て)調べる限り存在しておりません。ですので猪飼野と生野コリアンタウンとを結合してしまうこと自体がナンセンスだといわざるをえません。
『結論を先に書いたほうが良いと考え上記を先に書きました。Rienzi様 2013年6月26日 (水) 18:11の社会学者の例えですが、その社会学者がそのように書いたとして・・・どちらの場合もですが・・・だから何なのだ?ということです。「権威」の言葉が無いと、我々はWikiに記事を存続させることさえできないのですか?』ご理解いただけましたようで嬉しく存じます。そうなのです。権威とは言いませんが、信頼できる人または媒体からそういった言及がなされない限りwikipediaに掲載することができません。wikipediaというのはそういうところです。--Vigorous actionTalk/History2013年6月27日 (木) 12:08 (UTC)返信
返信 (Vigorous actionさん宛) Vigorous action様書き込みありがとうございます。本日は少し時間があったので何度かこのページにくることができました。猪飼野については削除決定された生野区連続通り魔事件 20130618にある私の2013年6月24日 (月) 14:14 をごらんください。書名:焼肉の誕生 著者:佐々木道雄(ささきみちお)について触れてあります。今すぐ簡単に示すことができる資料として抜粋させていただいた書籍です。また『権威とは言いませんが、信頼できる人または媒体からそういった言及がなされない限りwikipediaに掲載することができません。』とおっしゃるならば、もういっそのこと、日本のWikiは権威者のみが記事を書くという体制で了承しませんか?その記事を存続させるためには複数の権威者が必要と考えます。そしてそれら権威の方が記事を書いたら、それぞれの人がなぜ権威があると言えるのかWikipedia:信頼できる情報源およびWikipedia:検証可能性で示していただいて、示せないのであれば記事は削除ということで良いのでは?すると「ならばなぜWikiがあるの?」というWikiの存在理由が問われるわけです。またここに併記させていただきますが、WP:NOT#ORWP:NOT#NEWSについて。美しい絵を見たら「美しいな」と私は思います。それを書いたらWP:NOT#ORWP:NOT#NEWSあたりに目をとおす必要があるのですか?つまり「美しいな」と書いてはいけないと。もちろん書いてはいけないという主張は耳に入れておきますが、別の人が美しい絵を見て「ああ、美しいな」と思う気持ちは止められませんよ?わかりますか?私が言っていることはそういうことです。猪飼野の特筆性を知っている人ほど生野区連続通り魔事件について知ると「???なぜだ?」と思うのではないでしょうか・・・と言っているだけです。それは独自研究や演説台ではなく、単なる常識だと私は言っています。美しい絵を見たら「ああ、美しいな」と思う・・・これが独自研究や演説台と言うのはおかしい。何も削除された記事の中に書き込んで欲しいなどとは私は書いていません。また、読んでもらう見てもらう考えてもらうためにWikiがあるわけです。「フリー百科事典」がWikiであり、百科事典とはそういうものでしょう。←これをまた私の独自研究と言うのですか?常識、あたりまえのことでしょう?
  • 現在Wikipedia:信頼できる情報源およびWikipedia:検証可能性を満たしたので終了かなと考えています。
  • なぜそんなに「権威者」にこだわるのでしょうか?私にはわかりません。その方の論が必ず正しいと言える・・・と?そして「権威者」からの「文献」が無ければ考えることもできないと?私は2013年6月26日 (水) 16:26 に書いていますが、Wikiがどこかの政府や研究機関(おそらくこれらは複数必要でしょう)を組織の母体としているのならこだわるのに納得できるところもあります。
  • Wikipedia:削除の復帰依頼/生野区連続通り魔事件の多数意見のほうが建設的と感じました。

--Wikipefreeman会話2013年6月27日 (木) 14:43 (UTC)返信

  • 返信 (Wikipefreemanさん宛) お返事いただきありがとうございます。「社会学者」云々のたとえは、「独自研究的記述と、有識者が書いた文献に基づく記述の決定的な違い」をご理解いただきたいと思って書かせていただいたものでした。ここでは、その架空の社会学者の説を支持する勢力の大小は度外視して、独自研究的記述とそうでない記述の区別、ということを主眼においておりましたが、私が言葉足らずであったが為に、今ひとつ主旨が伝わっていなかったようで、申し訳ありません。「今回の記事は『既に信頼できる情報源に掲載されており、検証可能な形で存在するもの』であります。なので削除する必要の無い記事です」とのご意見には少々驚きました。Wikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:検証可能性を満たしているかどうか、ということだけで記事の削除や存続が判断されているわけではありません。既に何度も申し上げていることですが、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかや、Wikipedia:特筆性#特筆性は客観的な証明を必要とするなどに、本記事は抵触しておりました。ですから、「『検証可能性』や『信頼できる情報源』の基準を満たしているのだから無条件に記事を残すべきだ」という意見が仮にもしあるとすれば、それは方針文書・ガイドライン文書・各種未発効文書を軽視した「思考停止」であると言わざるを得ないでしょう。2つの方針文書の基準は満たした。他の文書に抵触しているかどうかは関係ない、無視して良い、というわけではありません。Wikipefreemanさんが、「Wikipedia:信頼できる情報源およびWikipedia:検証可能性は既読です。この2項目は満たしています。なので削除する必要はありません」とおっしゃられているのを拝見する限りでは、「信頼できる情報源」「検証可能性」以外の各種文書について、内容をご存じないのか、何らかの理由があって軽視しておられるように見えてしまいます。さて、簡単に申し上げますが、ウィキペディアは、その情報が検証可能であり、信頼できるものに書かれているものであり、なおかつ、その記事の主題に関連する事柄を専門とする人物の発言であれば「○○氏は△△について『□□』と言っている」と書くことは歓迎されています(この「○○氏」が、その記事の主題に対して専門的知識を持たないタレントなどの場合は、大いに議論となる可能性がありますが)。しかし、「私は△△についてこう思う」ということを記事に書くことは独自の考えの発表であり、できないのです。こういうことを申し上げるのは大変心苦しいのですが、私を含む複数の方のコメントでリンクされている各種方針・ガイドライン・その他文書をご一読いただきたいと思います・・・。--Rienzi会話) 2013年6月27日 (木) 14:17 (UTC)一部修正--Rienzi会話2013年6月27日 (木) 14:20 (UTC)返信
    • 返信 (Rienziさん宛) Rienzi様 2013年6月27日 (木) 14:43の記事より早く書き込まれたようですね。Rienzi様がおっしゃっている社会学者の2とおりの文章については理解しての上で書きました。その前に、どうもRienzi様は私が書いていることについて勘違いをされている。私は今まで書いた私の文章を記事として残したい・・・ Wiki記事にしたいと言っているのではありません。ここは重要です。私は自分の文章を Wiki記事にしないのです。私の希望としては、削除された記事を元のまま復活させればいいと考えています。あの記事の中に、私の文章がありましたか?
  • 私は削除された記事に対するWikipedia:信頼できる情報源およびWikipedia:検証可能性を満たし、かつ特筆性1,2及び3(特筆性3についてRienzi様の「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは未来を予測する場ではありませんに抵触しています。」は理解しております)を主張しているわけです。なので記事を存続させたほうが良いと。「ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません」「ウィキペディアは演説台ではありません」とは、Wikiに載る記事自体のことです。削除適否を論ずる場での文章では無いのです。なので「「私は△△についてこう思う」ということを記事に書くことは独自の考えの発表であり、できないのです」2013年6月27日 (木) 14:20は私に言われても困ります。美しい絵を美しいと思う。議論の場でそれを書いてはいけない。美しい絵ならば美しいと言ってしまうんじゃない?と考えることは常識の範囲と考えます。常識の範囲とは何かWikipedia:信頼できる情報源およびWikipedia:検証可能性を示さなければならない・・・のですか?--Wikipefreeman会話2013年6月27日 (木) 15:10 (UTC)返信
      • 返信 (Wikipefreemanさん宛) なるほど、「削除された記事を元のまま復活させたい」ということでしたか。それは失礼いたしました。Wikipefreemanさんの挙げておられる「特筆性1,2,3」についても、既に削除依頼の場で指摘をさせていただいた内容を改めて整理すると、特筆性の1と2は、事件と関係ない文献をもとに「私はこう思う」とおっしゃられているということで、Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に抵触し、記事の存在すべき理由(復活すべき理由)の補強にはなりません。特筆性3については、既にご理解いただいている通り、Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは未来を予測する場ではありませんに抵触しており、これもまた記事の存在すべき理由(復活すべき理由)の補強にはなりません。ですから、以上の「特筆性1、2、3」については、「だから記事を復帰すべきだ」とか「記事はウィキペディアに存在すべきだ」ということの理由付けにはなりません。そして、既に申し上げたことと重複しますが、「Wikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:検証可能性を満たしている」というだけでは不十分でしょう。それだけでは「記事を復帰すべき」とか「記事をウィキペディアに存在させるべき」ということの理由付けにはなりません。その二つの方針文書を満たしていても、他の方針文書やガイドライン文書、草案文書に抵触していたわけですから。Wikipefreemanさんが、「この記事をウィキペディアにおいておくべきだ」とお考えになるのは自由ですが、それを(単なる独り言としてではなく)「記事の復帰(存続)を希望する意思表明およびその理由付け」として公言なさるのならば、それ相応に裏打ちされた理由付けが必要です。しかしながら、既に終了した削除依頼の場においても、そしてこの場でも、「ウィキペディアの方針やガイドラインに抵触しない」理由付けはなされておりません。端的に申し上げて、「私がそう思ったのだから記事を復帰すべきだ」というレベルのご意見でもって、記事の復帰を実現することはかなり厳しいと思います。念のため、申し上げておきますが、本記事は既に削除されています。「現在Wikipedia:信頼できる情報源およびWikipedia:検証可能性を満たしたので終了かなと考えています」などといったコメントを拝見する限りでは、ウィキペディアにおける記事の削除というものをどのようにとらえていらっしゃるのか、わかりかねる部分があります。ここで、Wikipefreemanさんがコメントなさるのは自由ですけれども、適切な手続きを踏まない限り、記事の復帰に向けた審議は始まりません。--Rienzi会話2013年6月27日 (木) 15:52 (UTC)返信
  • たとえば『「生野区で韓国籍の男性が通り魔事件を起こした」のであれば削除もしくはWikinewsへ移行でも良いと考えます。しかしこの土地で「日本人かどうかを確認して」凶行に及んだということは特筆性に充分あたると考えます』と編集者が思うことは自由なのですが、記事に書けば独自研究ですし、そのようなことをノートで主張することも通常歓迎されません。ちなみにウィキペディアは演説台ではありませんの冒頭には『これは記事、カテゴリ、テンプレート、ノートページ、および利用者ページに適用されます』とあり、『Wikiに載る記事自体のこと』に限りません。記事について何かを主張するにはそれを主張するに足りる資料が必要なのです。--210.141.54.34 2013年6月27日 (木) 16:14 (UTC)返信
  • 返信 (Rienziさん宛) Rienzi様 いえいえいえ、はき違えていませんよ。特筆性については今からですから。「Wikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:検証可能性を満たしていること確認できて何よりです。ずいぶん後ろにさがってしまったので元位置から始めました。私の主張は削除した記事を復活させることでした。そもそも、元記事にはどのような内容がかかれていたのでしょうか? http://rupazo.tumblr.com/post/51869821209/bochinohito 読みにくいかもしれませんがキャプチャ画像があります。生野区連続通り魔事件を画像で検索するといくつかでてくる結果の一つです。私も記憶しているのですが、問題記事の内容はこの程度でした。今はWikinewsに記事が作られています。 http://ja.wikinews.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E7%94%9F%E9%87%8E%E5%8C%BA%E3%81%A7%E9%80%9A%E3%82%8A%E9%AD%94%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%80%812%E5%90%8D%E3%81%8C%E9%87%8D%E5%82%B7 こちらを読むと、その内容の充実度がすごいですね。ニコニコ大百科同様多数の情報源があり、元記事と比べ物にならないと思います。
  • 私が一番初めに削除依頼ページに書き込んだのは 2013年6月20日 (木) 15:49 です。当時から比べてずいぶん情勢が変わってきたと思います。私が主張する特筆性1,2及び3ですが・・・その前にRienzi様に伺いたいことがあります。Rienzi様は元記事に特筆性が本当に無いと考えているのですか?
  • 今書き込んでいるこのページ最上部にあるタイトル「ノート:生野区連続通り魔事件」の直下に削除に関する議論/復帰に関する議論とずいぶんにぎやかに皆様議論されている様子です。美しい絵を見て美しいと思う・・・それは規制できないと私は書きました。このことにWP:NOT#ORWP:NOT#NEWSで確認する必要があるのでしょうか?権威ある文献が必要でしょうか?私は常識の範囲と考えます。そして皆がそう思ったからこそ、これだけ議論が盛り上がっているのでは無いでしょうか。
  • 誰も特筆性を感じない記事であればこれほど議論が盛り上がりません。2013年6月27日 (木) 11:40 に書き込まれた方が「そーいう意味では現状Wikipedia上の事件記事について報道内容止まりのモノが多いことは肯定しますし、本来はウィキニュースで扱うのが本筋の案件も多いと思います」と書かれていますが、私がNewsではなくWikiに戻すべきと主張しているのは2013年6月26日 (水) 16:26 にあるとおりです。
  • 美しいと思うその内容を一つ一つ細かく列挙することに私は意義を見出せません。断っておきますが、Rienzi様が削除意見の代表者ではありません。私が存続意見の代表者ではありません。議論が始まった当初と事情がずいぶん違っていることも理解しています。その上でなお現在、削除された元記事を読んでWikinewsの記事を読んで、Rienzi様は特筆性は無いと判断されますでしょうか。--Wikipefreeman会話2013年6月28日 (金) 13:13 (UTC)返信
  • 返信 (Wikipefreemanさん宛) なるほど、Wikipedia:特筆性については「これから満たしていけばよい」という認識をお持ちだという事でよろしいでしょうか。率直に申し上げて、現時点で記事を復帰させることにも、再立項にも、賛成できません。以下、その理由を述べます。
  • 削除された記事の内容は、既に何度も申し上げている通り、Wikipedia:特筆性#特筆性は客観的な証明を必要とするおよびWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに抵触しているものでした。ですから、形の上でWikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:検証可能性を満たしていたとしても、復帰する事は妥当ではないでしょう。
  • ウィキニュースの当該事件についての記事を読む限り、ウィキニュースの記事としてはよく書けていると思いますが、この記事のような形でウィキペディアに記事を立てる事は現時点ではできないでしょう。削除されたもとの記事と同様に、ウィキペディア上では、Wikipedia:特筆性#特筆性は客観的な証明を必要とするおよびWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは新聞ではありませんに抵触してしまいます。「内容が充実している」「多数の情報源がある」と言っても、それはWikipedia:特筆性#特筆性は客観的な証明を必要とするで言うところの「1つの出来事あるいは1つの話題に対して爆発的に報道された短いニュース」の域を出ていないでしょう。犯人の責任能力の有無についてまだ捜査中ですし、28日付けで報道されたところによると、大阪地検は犯人の刑事責任能力の有無を調べる為に大阪地裁に「鑑定留置」を請求し、11月6日までの鑑定留置が認められたそうですから、事件の経過をもう少し見守ってから、百科事典に掲載すべき記事かどうかについて考えるべきではないでしょうか。
  • Wikipefreemanさんが「美しい絵を見て美しいと思う」のは自由です。しかしながら、前にも申し上げた通り、ウィキペディア上で、「削除は妥当でなかった」とか「記事を復帰すべき」とか「記事を再度立てるべき」という主張をなさるのならば、その理由付けきちんとしたものであるべきです。ここで言う「きちんとした」というのは「ウィキペディアの方針に合致しない主張ではない」ということを意味します。既に何度も指摘している事ですが、現時点でWikipefreemanさんがおっしゃられている「記事を復帰すべき・再度立てるべき」という主張の「理由付け」は、WP:NOT#ORWP:NOT#NEWSに照らした場合、問題があります。2013年6月26日 (水) 16:26にWikipefreemanさんがおっしゃられているような事が「権威ある(専門家によって書かれており、信頼でき検証可能である)文献」に書かれているのであれば「なるほど、やはり復帰すべきかもしれない」とか「おっと、これは記事を再度立ち上げた方がいいかもしれない。学問的見地から見てかなり特筆性がありそうだ」という話になるわけですが、現状はどうでしょうか?Wikipefreemanさんが個人的にそうお思いになっている、というだけですよね?それでは記事の復帰とか再作成に向けた議論の出発点にはなりません。(2013年6月27日 (木) 12:08 (UTC)の投稿でVigorous actionさんがおっしゃられている事が事実だとすれば、「猪飼野」と「生野コリアンタウン」を結びつけて論じる事は、Wikipefreemanさんの独自研究に過ぎず、記事を復帰すべき・再度立てるべきだとする意見の補強にはなりえません)
  • Wikipefreemanさんのおっしゃられている「記事を復帰させる・再度立てるべきであるとする理由付け」は、現状では「Wikipefreemanさんの独自の考察」に過ぎません。ウィキペディアでは、利用者個人の「独自の考察」に基づいてコミュニティが動く、などという事はありません。本当に「記事を復帰すべきである」とお考えなのであれば、信頼できる情報源によって裏付けられ、かつ、ウィキペディアのルール上瑕疵のない(方針文書に抵触しない)形での意見表明をお願いしたいと思います。
なお、私は、現時点では、「生野区連続通り魔事件」については、ウィキペディア上においては「特筆性」の基準を満たさないと考えております。Wikipedia:特筆性#特筆性は客観的な証明を必要とするを満たしてから、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかに抵触しない形で再度記事を立ち上げる事には反対しませんが、現時点での復帰や再作成には反対いたします。--Rienzi会話2013年6月28日 (金) 13:56 (UTC)返信
  • 返信 (Rienziさん宛) Rienzi様いつもだいたい24時間以内には書き込んでいただけているようでありがとうございます。私は必ずしも早く書き込めるとは言い難いので助かります。落ち着いてから 2013年6月28日 (金) 13:13の続きを書こうと思っているのですが、その前に手短に。まず、今から特筆性を満たす・・・のではなく、私が一番初めに書いた時点ですでに満たしていたと考えています。それは後で書きますが・・・ Rienzi様が 2013年6月28日 (金) 13:56 で書き込まれているWikiのルールですが、再読をいただければと思います。後ほど意見を交せたいと思いますが理解のされかたが少し違うと考えています。また話は変わりますが、「議論」とは「互いの意見を述べて論じ合うこと。また、その内容」このような定義がされています。辞書により大同小異でしょうが。この場はWikiに載せる記事の文章を考えているのではありません。「お互いの意見」を論じ合っているのです。大切なのは私やRienzi様が「どう考えるのか」です。他の権威ある方の意見はあくまで「参考意見」です。ここが重要です。参考文献を持ち出し、まとめとして自身の言葉で述べることが重要と考えます。大抵の場合、議論の場で「この本のここに~~と書いてある」と示されたところで、「だから?」「それで?」で終わります。ご理解ください。なお、今書き込んでいる文章への返信は不要であります。--Wikipefreeman会話2013年6月29日 (土) 10:25 (UTC)返信
  • 返信 (Rienziさん宛) Rienzi様  時間が少しとれました。返信不用と私は書きました。なので Wiki のルールを再読されていないとしても話を進めさせていただきます。
  • Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか には「この文書はウィキペディア日本語版の方針です。」と書かれています。
  • そしてこの場は「削除の適否」を議論しているのであり、私の意見は元記事を存続させるべき、です。私の書いている文章は記事として載せません。なのでWP:NOT#ORWP:NOT#NEWSは元記事作者に言ってください。私に適用しないでください。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんをご覧ください。
  • Wikipedia:特筆性には冒頭にこのように書かれています。「後述の#一般的な特筆性のガイドラインを満たしているか、各分野での特筆性の基準を満たすならば、記事主題は十分に特筆性があると推定されます。現在の記事において信頼できる二次情報源による出典が提示されていないとしても、それは特筆性がないということを必ずしも意味しません。」「このような特筆性に関するガイドラインは、記事の主題が、百科事典においてそれ自身の単独の記事が作成されることが適切かどうかについて述べているだけのものであって、記事の内容に対する直接的な制限を行うものではありません。記事の内容に関する方針としては、中立的な観点、検証可能性、独自研究は載せない、ウィキペディアは何ではないか、存命人物の伝記があります。」
  • 上記からわかりますが、特筆性は記事内容にかかりません。Wikipedia:特筆性#特筆性のガイドラインを満たしていない記事に書いてあります。「全ての記事はその扱っている主題に特筆性があることを証明しなければならず、その基準を満たせない記事はたいていは削除されます。」主題に特筆性があることを証明しなければならないのです。
  • 記事内容にかかるのは上記にあるとおり「記事の内容に対する直接的な制限を行うものではありません。記事の内容に関する方針としては、中立的な観点、検証可能性、独自研究は載せない、ウィキペディアは何ではないか、存命人物の伝記があります。」です。
  • また、削除についてはWikipedia:特筆性#特筆性のガイドラインを満たしていない記事に「特筆性を満たしているか不明確な記事においては、記事の削除は最終手段であるべきです。」と書いてあります。つまり、Wiki の方針は削除にとても慎重なのです。削除について慎重なために、この文章の後には様々な手段が書いてあります。そして「あなた自身でそのような記事の情報源を探すか」ともあります。私が 書名:焼肉の誕生 著者:佐々木道雄(ささきみちお) と示すケースも考慮されています。軽々しく削除すべきではないことは肝に命じる必要があります。
  • では記事の主題として特筆性を持つにはどうしたら良いかはWikipedia:特筆性#一般的な特筆性のガイドラインに書かれています。「「有意な言及」とは、記載しようとしている話題についてその情報源が直接的かつ詳細に述べていて、独自研究的な解釈に拠らなくても、その話題に関する内容が読み取れることを意味します。有意な言及とは「取るに足らないようなもの」(他の話題に関する記述において蛇足的に触れられているもの)以上ですが、「特集記事」(もっぱらその話題について述べている記述)とまではいかなくてよいでしょう」削除された記事には生野区と書かれています。
  • 一般的な特筆性のガイドラインは続きがあります。「「推定できる」とは、複数の信頼できる情報源において独立した言及がなされているとき、特筆性があることの推定(保証ではありません)を与えることを意味します。この基準を満たしていても、編集者の間で合意形成がなされて、収録にふさわしくないとされることもあります。例えば、ウィキペディアは何ではないかに違反している場合などです」複数の信頼できる情報源においては、すでにRienzi様が了承されています。ここでは推定で良いと書かれています。
  • 記事の内容については再度提示しますが「中立的な観点、検証可能性、独自研究は載せない、ウィキペディアは何ではないか、存命人物の伝記があります」です。ここにもウィキペディアは何ではないかがあります。ウィキペディアは何ではないかの「内容」について列挙します。

2 内容

   2.1 ウィキペディアは辞書ではありません
   2.2 ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません
   2.3 ウィキペディアは演説台ではありません
   2.4 ウィキペディアはリンク、画像、メディアファイルのミラーサイトや保管場所ではありません
   2.5 ウィキペディアはブログ、ウェブスペース、ソーシャルネットワーク、追悼サイトではありません
   2.6 ウィキペディアは名鑑ではありません
   2.7 ウィキペディアはマニュアル、ガイドブック、教科書、学術雑誌ではありません
   2.8 ウィキペディアは未来を予測する場ではありません
   2.9 ウィキペディアは新聞ではありません
   2.10 ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません
   2.11 ウィキペディアでは検閲は行われません
元記事は上記内容をクリアしているのみならず、「ウィキペディアは新聞ではありません」には以下のように書かれています。「ウィキペディアでは人物や出来事の歴史的な特筆性が考慮されます。」つまり生野区の出来事の歴史的な特筆性は考慮されるのです。
  • ★「猪飼野」と「生野コリアンタウン」を結びつけて論じる事は、Wikipefreemanさんの独自研究に過ぎず、記事を復帰すべき・再度立てるべきだとする意見の補強にはなりえません★ 何を言っているのかわかりません。日本の地図をごらんください。昔は猪飼野と呼ばれていた土地が今は生野区と呼ばれて猪飼野と呼ばれていた時代から朝鮮・韓国人が渡来して住み着いていて現在はコリアンタウンができていると言っているだけです。私の独自研究では無いのです。
  • 私の特筆性1とは生野区にはこういう歴史的出来事や事実があるのですよと述べているわけです。主題に「生野区」とあるその重要性をご理解いただけたでしょうか。--Wikipefreeman会話2013年6月29日 (土) 12:52 (UTC)返信
  • コメント 『主題に「生野区」とあるその重要性』が実際にあるのでしたらそのことに言及する資料がいずれ出てくるでしょう。現状その重要性を示す資料が示されていない以上それはあなたの個人的な意見でありWP:NOTOPINIONでしょう(これは記事のみならずノートページ他にも適用されます、そのことも既に指摘済みです)。現状では確認できる資料が新聞レベルでありその域を越える資料が提示されていないため、特筆性(WP:GNG)を担保する二次資料(WP:PSTS)がないためウィキニュース最近の出来事止まりということです。--210.141.54.34 2013年6月29日 (土) 13:53 (UTC)返信
  • 返信 (Wikipefreemanさん宛) 詳しくコメントいただきありがとうございます。「既に削除された記事の特筆性」についての主張と、「生野区の歴史的背景から見た当該事件の特異性・特筆性」の主張が渾然一体となっていますが、「既に削除された記事の特筆性」については、削除審議の場において一通り議論が尽くされておりますので、「生野区の歴史的背景から見た当該事件の特異性・特筆性」の主張について絞ってコメントします。「生野区の歴史的な特筆性は考慮されるのです」「主題に『生野区』とあるその重要性」とおっしゃられている点についてですが、210.141.54.34さんがおっしゃられているように、その重要性を示す、信頼できる資料・出典を提示していただけないでしょうか。既に何度も指摘してきたように、「削除されたもとの記事」はウィキペディアの品質基準を満たしていなかったのですから、復帰を目指すのならば「復帰が妥当であると判断するに足る、信頼できる情報源に基づき検証可能独自研究でない新しい資料・情報」の提示が必要でしょう。WIkipefreemanさんの主張は「この事件が『生野区』で起きた事には歴史的背景・社会的背景から見て特筆性がある。よって本記事は復帰(再作成)されるべきである」という主旨というふうに理解しておりますが、Wikipefreemanさんが現在おっしゃられている事のレベルは、以前の「学者の例」を挙げれば、「歴史学者の○○は、著書『生野区の歴史』において、『生野区とはかつて猪飼野と呼ばれた渡来人の居住地区がそのままコリアンタウンになったものであり、二つの民族は平和的に共存してきた。長い歴史の積み重ねの中で、日本人と、渡来人の末裔としての在日コリアンとの同化が進んだ』と述べている。このため、日本人と在日コリアンが平和的に共存し、同化が進んできた生野区で、日本人を狙った通り魔事件が発生した事は、歴史的・社会的背景から見て、極めて特異な事である」ということです。どういう事かというと、こういう主張では、「このため、」以下の下線表示部分がWikipefreemanさんの独自研究ということになってしまいます。「復帰が妥当であると判断するに足る、信頼できる情報源に基づき検証可能独自研究でない新しい資料・情報」にする為には、最低限「歴史学者の○○は、著書『生野区の歴史』において、『生野区とはかつて猪飼野と呼ばれた渡来人の居住地区がそのままコリアンタウンになったものであり、二つの民族は平和的に共存してきた。長い歴史の積み重ねの中で、日本人と、渡来人の末裔としての在日コリアンとの同化が進んだ。このため、日本人と在日コリアンが平和的に共存し、同化が進んできた生野区で、日本人を狙った通り魔事件が発生した事は、歴史的・社会的背景から見て、極めて特異な事である』と述べている」という形をとっていただく必要があるわけです。もちろん、記事に掲載することを前提として文章を書いていただく必要はありませんが、「生野区の歴史的な特筆性」「主題に『生野区』とあるその重要性」と、「生野区連続通り魔事件」とを結びつけて論じた資料を提示していただく必要があるかと思います。現状では、Wikipefreemanさんが参照なさった文献には、発行の時期等から見て「生野区連続通り魔事件」について一言も触れられていないのは明らかですから、「誰も結びつけて論じて発表していない、『AとBとの関連』について、文献を元に論じた」ということになり、それは明らかに「独自研究」でしょう。「昔は猪飼野と呼ばれていた土地が今は生野区と呼ばれて猪飼野と呼ばれていた時代から朝鮮・韓国人が渡来して住み着いていて現在はコリアンタウンができている」「主題に『生野区』とあることに重要性がある」のなら、そのことを理由に「記事の復帰(再作成)」を主張なさるのならば、「Wikipefreemanさんの個人的分析・考察」を述べるのではなく、「そう書かれている資料」を提示していただければ結構です、ということです。--Rienzi会話2013年6月29日 (土) 15:00 (UTC)返信
  • 返信 (Wikipefreemanさん宛) 次に「削除された記事には特筆性があった」とするご意見についてコメントします。「削除された記事」はWikipedia:特筆性Wikipedia:特筆性#一般的な特筆性のガイドラインを表面上満たしていたとしても、Wikipedia:特筆性#特筆性は客観的な証明を必要とするに抵触していた以上は、それに付随する形でWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは新聞ではありませんに抵触し、「特筆性の基準を満たさず、かつ、ウィキペディアの方針の一つに合致しない」ものであったということです。Wikipefreemanさんのコメントを拝見する限りではWikipedia:特筆性#特筆性は客観的な証明を必要とするについては一切コメントしておられませんので、この点については「抵触していないとする根拠」が示されなかったものと理解します。いろいろとコメントをしておられますが、本記事はWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは新聞ではありませんに抵触していたため、そして、記事を存続すべきと判断するに足る資料が提示されなかった事を理由に、審議を経て削除されたわけです。Wikipedia:特筆性#特筆性のガイドラインを満たしていない記事に「削除は最終手段であるべきです」という主旨のことが書かれているわけですが、今回は、残念ながらまさにその「最終手段」を適用せざるを得ない案件だった、(記事内容がWP:NOT#NEWSに抵触したままであり、かつ、速報報道以外に言及がない状態では、その状態を改善できる状況になかった)ということです。(参考文献を持ち出し、まとめとして自身の意見を述べる、ということは議論の姿勢として適切なものですが、その「参考文献を持ち出して述べている自分の意見」が、「独自研究」であったり「牽強付会」ならば、それは果たして適切な議論の姿勢と言えるのかどうか、大いに疑問に感じているところです。ウィキペディアは百科事典プロジェクトですから、例えば「記事を復帰すべき」という主張にもそれ相応の「権威的裏付け」が必要でしょう。少なくとも「私はこう思う」というだけではコミュニティを動かす力として弱いと思います。最低限「○○は××についてこう言っている。これにより記事の重要性や特筆性を担保できる。だから、私は記事を復帰すべきだと思う」という主張をしていただいた方が、コミュニティを動かすには良いでしょう)--Rienzi会話2013年6月29日 (土) 15:21 (UTC)返信
  • 返信 (Wikipefreemanさん宛) 長くなりましたので手短にまとめます。独自研究に基づいて記事の復帰を主張することは、記事を復帰させる近道とは言えませんし、Wikipedia:特筆性の部分的な適用のみをもって「削除された記事には特筆性があった」とすることも、その行為自体は妨げられるべきものではありませんが、削除された記事に特筆性があったということの保証にはなりえないでしょう、ということです。正直に申し上げて、Wikipefreemanさんには「削除の不当性」を訴えていくのか、「記事を復帰すべき」と訴えていくのか、どちらかに絞ってコメントなさる事をお勧めいたします。お気持ちはわからないでもないのですが、「削除の不当性」と「記事を復帰すべき」という主張が複雑に絡み合い、第三者的視点で読んだときに、Wikipefreemanさんの真意を読み取りにくくなっているように思われます・・・。--Rienzi会話2013年6月29日 (土) 15:34 (UTC)返信
  • 返信 (Rienziさん宛) Rienzi様 立ち寄ったところすでに書き込んでいただいたようです。そろそろ私は眠くなってきました。
  • どうもRienzi様には私の意見がよくつうじていないようですね。わかりやすく書きましょう。2013年6月29日 (土) 15:00にRienzi様が求めている「そう書かれている資料」を提示するために私には準備が必要です。その間、記事を元にもどしておいていただきたいのです。よろしいでしょうか?--Wikipefreeman会話2013年6月29日 (土) 15:35 (UTC)返信
  • 返信 (Wikipefreemanさん宛) 私が申し上げた「そう書かれている資料」をご提示いただく為に、Wikipefreemanさんには「準備が必要」であるということはよくわかりました。しかし「その間、記事を元に戻しておいていただきたい」とのご意見については、はっきり申し上げて、全く意味がわかりません。どうして、Wikipefreemanさんが「準備をしている間」記事を元に戻す必要があるのでしょうか。Wikipefreemanさんが「資料を準備」なさって、この場で「こういう資料がありました」とご提示いただけたならば、その「資料の中身」についてこの場で意見交換が行なわれるでしょう。その上で「この資料を使えば記事は改善できる。復帰依頼を出すべきだ」とか、「この資料を使えばもっといい記事になるから、具体的に理由を述べて保護解除依頼を出し、白紙化保護を解除してもらって記事を再作成すべきだ」という話にはなるかもしれませんが、あなたが資料を準備する為に記事を元に戻す、ということの必然性が、全く理解できません。「記事を元にもどしておいていただきたい」と私に言われても困ります。ご自身で復帰依頼をお出しください。(もっとも、6月29日付けで一度復帰依頼が出され、既に却下されておりますので、かなり厳しいとは思いますけど)もしかして、「資料を集めて、その内容を直接記事に書き込みたいから、そのために記事を復帰してほしい」ということなのでしょうか。だとしたら、事前にその「集めた資料」についてこのノートで提示が行なわれ、議論の結果「この資料に基づいた加筆・再作成が妥当。再作成のために保護解除をしてもらうべき」とされた上でない限りは、「記事に書き込みをしたいから復帰してほしい」という理由での復帰依頼はおそらく認められないでしょう。--Rienzi会話) 2013年6月29日 (土) 15:48 (UTC) コメント修正。--Rienzi会話2013年6月29日 (土) 16:11 (UTC)返信
  • 返信 (Rienziさん宛) 私が書いたばかりの2013年6月29日 (土) 12:52 の中身を読んでいただけていますか?先走りや勝手な解釈が多く困っています。Wikipedia:特筆性#特筆性は客観的な証明を必要とするについては、私に言わないでください。私は自分の文章を載せないのだから。
  • 全く意味がわかりませんについて、削除についてはWikipedia:特筆性#特筆性のガイドラインを満たしていない記事に「特筆性を満たしているか不明確な記事においては、記事の削除は最終手段であるべきです。」と書いてあるからです。
  • Wikipedia:特筆性には冒頭にこのように書かれています。「後述の一般的な特筆性のガイドラインを満たしているか、各分野での特筆性の基準を満たすならば、記事主題は十分に特筆性があると推定されます。現在の記事において信頼できる二次情報源による出典が提示されていないとしても、それは特筆性がないということを必ずしも意味しません。」と書いてあるからです。「出典が提示されていないとしても、それは特筆性がないと(以下略)」をごらんください。削除されてしまっている現状が異常なのですから。今から示すわけですし。
  • Rienzi様が示した下線部ですが、特筆性1では無いですよね。それはまだ2013年6月29日 (土) 12:52で書いていません。
  • ①削除に関する議論の中で私と同様の主張をされた方がいたのならば教えていただきたい。
  • さて、私は「存続する」の意見でした。★★①についてはぜひ教えてください。そして、おそらく次で書き込みは終わるのではと思います。--Wikipefreeman会話2013年6月29日 (土) 16:35 (UTC)返信
  • 返信 (Wikipefreemanさん宛) 読んでおります。「先走りや勝手な解釈が多く困っています」というお言葉は残念です。Wikipedia:特筆性#特筆性は客観的な証明を必要とするについては、「私に言わないでください。私は自分の文章を載せないのだから」との仰せですが、「削除された記事はWikipedia:特筆性#特筆性は客観的な証明を必要とするに抵触していた」と申し上げているだけです。
  • 「削除されてしまっている現状が異常なのですから。今から(特筆性を)示すわけですし」との仰せですが、「生野区連続通り魔事件」については、「記事の主題」は、Wikipedia:特筆性#特筆性は客観的な証明を必要とするを満たすことが出来ず、「記事の内容」は、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは新聞ではありませんに抵触していました。ですから「削除されてしまっている現状が異常」という主張には賛同いたしかねます。Wikipedia:特筆性およびWikipedia:特筆性#一般的な特筆性のガイドラインを参照するだけでは不十分ですよ、もっときちんと隅々まで読んでくださいよ、本当にWikipedia:特筆性を満たしていましたか?ということです。
  • 私が示した「下線部」についてはあくまで一例に過ぎません。あなたが主張しておられる「特筆性1」が独自研究であり、記事を復帰すべき理由付けとして適切でない事については既に指摘しておりますのでここでは改めては述べません。
  • 「①削除に関する議論の中で私と同様の主張をされた方がいたのならば教えていただきたい」との仰せですが、「同様の主張」が具体的にどういった内容を指しているのかが、Wikipefreemanさんのこれまでお書きになったコメントなどからは大変読み取りにくいので、お手数をおかけしてしまい申し訳ございませんが、簡潔にまとめていただいた上でご提示いただければと思います。現時点で私が申し上げられるのは「この記事の削除依頼で『存続票』を投じた方はWikipefreemanさんの他にもいたけれど、『歴史的背景からみて特筆性がある』『生野区で起きたこと自体に特筆性がある』などという主旨の、事件と無関係の文献を用いた(独自の考察による)理由付けでの主張をなさった方は、Wikipefreemanさん以外にはいなかった」ということです。
  • もしも、「同様の主張」というのが「Wikipedia:特筆性に関して述べている」ということでしたら、Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130618において、存続票を投じた方で、かつ、投票時に「特筆性」にはっきりと言及しており、かつ、独自研究的(ヘイトクライムであるから云々、日本人を狙ったから云々、など)な意見や削除票を非難するような意見のない(冷静に「特筆性」についてコメントしている)方にははぬまんさんMak06010601さんKoZさんKamakuraさんHimetvさんなどがいらっしゃいます。その他の「独自研究的な意見が含まれていたり、削除票を非難する意見のある、『特筆性』に言及した票」については、ご自身でお確かめください。なお、いうまでもありませんが、ここに挙げた方々のご意見も、Wikipefreemanさんと一言一句同じではありません。
  • 現時点で、私からは以上です。復帰依頼をお出しになるかどうかは、慎重にご検討なさる事をお勧めいたします。--Rienzi会話2013年6月29日 (土) 17:20 (UTC)返信
  • Whois様が2013年6月12日 (水) 05:36に『見苦しい。「自宅のパソコンで裁判官気取り」はやめて欲しい。 「大物ウィキペディアン」には関わるだけ無駄。 「権力」持っちゃってるから。「削除することが俺の責務だ」と思い込んでるから。 』 と書いています。この方と同じような印象を受けています。
  • 社会人である私はとてもではないですが Rienzi様のように頻繁にWikiを訪れたり書き込むのは難しいです。Rienzi様は何人体制で書き込まれたのでしょうか。
  • Rienzi様は今回のことで勝手に「重要性」「品質基準」だの書いていますが、Wiki のルールのどこにそれらが必要だと書いてあるのでしょうか。Wikiのルールは「主題には特筆性が必要」「記事の内容に関する方針としては、中立的な観点、検証可能性、独自研究は載せない、ウィキペディアは何ではないか、存命人物の伝記が必要」と書いています。つまりこれを満たせばWikiへの掲載が認められるわけです。
  • また『Wikiの××に「○○○○」や「△△△△」』と書いてあると私のように文章まで示していただきたい。議論をする上では、言われなくても普通は私のように文章まで書くものです。でなければあなたが指摘する「論」がどこにどのように書いてあるのかわからない。Rienzi様は「ここをごらんください」とルールタイトルだけを突きつけますが、どこにも納得することを書いてありませんでした。タイトルのみを付き付ける事は、議論をしている相手に非常に失礼です。直前の2013年6月29日 (土) 17:20 でさえ、Rienzi様がWikiルールのどの文章を言っているのかさっぱりわかりません。ご自身でルールを良く読むことが重要です。
  • Wikiに書いてあるルールは2013年6月29日 (土) 12:52 で私が示したとおりです。そもそも「重要性」「品質基準」だのを『誰が』『どのような基準をもって』『いつ』判断するのですか?その判断に議論は何日必要なのでしょうか?過去に私は書いていますがWikiではどうやら管理者様が判断しているようですね。
  • 「重要性」「品質基準」を求めるならば元記事を加筆修正していけばいいだけのことです。記事の中身について、よりすばらしいものを求めるならば加筆修正を加えていけばよいのです。削除する必要はありません。
  • 私たちはボランティアなのですよ!?お金をもらっているのでもなく利益関係団体でも無いはずです。お金をもらっているなら「重要性」や「品質基準」を運営団体が『積極的に』求めるのはわかります。私たちはボランティアなんだということを忘れていませんか?Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは強制ではありませんにはこう書かれています。「ウィキペディアはボランティアのコミュニティであり、利用者に対して、本人が望む以上の時間と労力の提供を求めません。他の利用者により多くを要求するより、むしろ百科事典自体を改善することに集中してください。」ボランティアが望もうとしても、勝手に議論も切られてしまう。
  • Wikiのルールは「主題には特筆性が必要」「記事の中身には・・・が必要」とはっきり書いています。Rienzi様は「表面上に特筆性がある」と書いていますが、「表面上に」とは誰が考えているのですか? 勝手に解釈をしないでもらいたい。Rienzi様風に言わせてもらうなら「表面上に」との意見を支持する権威者とその書籍と「根拠となる情報」「検証性」を示していただきたい。WP:NOT#ORWP:NOT#NEWSに触れるか先に読んでいただきたい。
  • Rienzi様が「表面上に特筆性がある」と自ら書いているように主題に特筆性は「ある」のです。自分で書いているのです。それは当初から。そして記事の中身は「根拠となる情報」「検証性」を満たしている。なので削除される言われは元から無い!!のです。削除される言われは無いのですからWikiに元通り戻るのは当たり前です。法律用語に「無効」という概念があります。「取り消し」ではありません。「無効」とは「その事が起きる前の状態に戻す」ということです。今回の議論は言うなれば無効でしょう。←また私の意見を支持する権威者とその書籍、「根拠となる情報」「検証性」を求めるのですか?それとも「演説台ではありません」を適用しますか?私はこの文章をWikiに載せると言っているのでは無いですよ?議論の場で、自分の意見を述べているだけです。無効については単に言葉の概念を述べているだけです。無効については手元の辞典をごらんください。
  • Rienzi様が認めたからと言ってそれが全体の意見になるわけではないことは理解しています。あまりにルールを読んでいないので。
  • 私たちはボランティアなのだということを充分に理解していただきたい。私はこれ以上付き合うことはできない。それは時間的に物理的に難しいのですよ!!Rienzi様なら私がなぜ簡単な資料を提示したのか経緯はご存知のはずです。『削除して待つ』のではなく『掲載したまま(リンクで飛べるようにした状態で)待つ』のです。それはなぜか?つまり私のように気づいた人がいて、私と同様の意見を持ち、その人が別の角度から意見や資料を提出する可能性があるからです。その分私の負担が減るのです。ボランティアで運営しているのに、その可能性を摘み取る・・・私には理解できません。

*①につい「生野区で起きたこと自体に特筆性がある」を無関係だと「誰が」論じているのでしょうか?「ウィキペディアは新聞ではありません」には以下のように書かれています。「ウィキペディアでは人物や出来事の歴史的な特筆性が考慮されます。」とあります。生野区には歴史が無いと主張されているのしょうか。

  • Wikipedia:特筆性には「現在の記事において信頼できる二次情報源による出典が提示されていないとしても、それは特筆性がないということを必ずしも意味しません。」とあります。ここをよく読んでください。あまり Wikiのルールを勝手に曲解しないほうが良いと思います。自分が曲解していないとならばルールタイトルのどの文章にRienzi様の論が書いてあるのか示してください。なぜ「特筆性が無い」として削除になるのでしょうか。
  • 管理者様で削除できるなら、管理者様で無効と判断し復活させ、無効と判断した事柄についてページを作って議論する。Wikiのルール自体に「もし規則が百科事典の改善をどうしても妨げるものなら、それらを無視してください。」と書いています。強調しますがWikiのルールに削除は最終手段だと書いています。削除した後に議論を延々と続ければいい・・・これが基本では無いのです。←また私の意見を支持する権威者とその書籍、「情報」「検証性」を求めるのですか?それとも「演説台ではありません」を適用しますか?私はこの文章をWikiに載せると言っているのでは無いですよ?「Wikiにはこう書いてある」と事実を述べているだけです。
  • Rienzi様はボロを出している。「今回は、残念ながらまさにその「最終手段」を適用せざるを得ない案件だった」2013年6月29日 (土) 15:21と書いていますが、Wikiのルールのどこにそんな早急に削除しなければならないと書いてあるのですか?この表現は、あなたにとってはなるべく早く元記事が削除されることが望ましかったことを示しています。私たちはボランティアです。会社を経営するような立場を考えてください。ボランティアを募り、動かすことがどれほど難しいか。Wiki運営側の立場を考えてください。これは重要です。運営側に立てばいろいろな方にどんどん書き込んで欲しいのです。だからこそWikiのルールは「主題には特筆性が必要」「記事の中身には・・・が必要」程度なのだと私は感じました。敷居を高くしては誰も集まりませんから。そして時間が必要です。その記事に出会うための。学生のみならず社会人でもゆっくり時間がとれるのは夏のお盆/冬の正月ぐらいです。その2回のチャンスすら与えられない・・・これで参加者が納得するでしょうか。ボランティアが時間的余裕や資料を集めるための物理的余裕を求めることが不自然なことでしょうか。コンピューターが容量不足でパンクする・・・だから急ぐ必要がある・・・とでも?←私の意見です。権威者や書籍、「根拠となる情報」「検証性」が必要ですか?Wikiに記事として載せないのですが。演説台だといわれますか?
  • これは想像ですが、Wikiが恐れているのはWikiを演説の場に利用されたり新聞として利用したり、機能を使って掲示板のように使ったり『政治的に』利用したりすることなのだと感じました。だからこそはっきりそう書いてある。「重要性」や「品質基準」等はそれらがあれば素晴らしいとは思いますがそれができないからと削除していたら・・・『誰が』それを判断するのかにより政治的に利用されてしまうと思います。
  • このたびの件について私はあきれているのです。怒っているのではありません。『見苦しい。「自宅の・・・」今回冒頭に書いたように感じた方は多いと思います。納得したわけではない・・・されていない方が多いと思います。WikiにはWikipedia:特筆性#ウィキペディアは戦場ではありませんのように書かれていますので、利益関係団体でもないボランティアの参加者様はあきれて立ち去ったのではと私は推測します。ああ、疲れました。Rienzi様が認めたからと言ってそれが全体の意見になるわけではないことは理解しています。しかしRienzi様自身、充分衆目にさらされた記事では無いのですから「復活させて、削除依頼程度を出した形でもしばらく良いかな」とは思われないのでしょうか。Rienzi様がそんなに強く削除を主張する理由がわからない。「重要性」「品質基準」を求めるならば加筆修正すればよいわけです。
  • もし次に書き込むとしても8月・・・9月過ぎ程度でしょうか。私はWikiがどのようにして作られていくのかに興味がありました。そしてそれを知ることができ満足です。なぜ削除ページに書き込まなかったか。この程度の興味だったからです。価値があるシステムならボランティアを進んでしますが、 Wikiで論じるのには価値が無いと判断します。なので復帰依頼も出すつもりもありません。ならばなぜ自分の貴重な時間と労力を使って約10日も付き合ったのか・・・ま、ご想像ください。
  • 最後に管理者様がもし読まれていたら、ですが・・・WikiにはWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありません に「ウィキペディアにおける行動規範は、方針やガイドラインの文言によって創設されるわけではありません。方針やガイドラインは、むしろ、何を容認し、何を排除すべきかについてのコミュニティの既存の合意事項を、確認・文書化するものなのです。もし指示の肥大化の発生が確認されたならば、そのようなルールは除去すべきです。」と明確に書かれています。記事の内容に特筆性を求めるなど指示の肥大化と考えられるケースがあります。「もし規則が百科事典の改善をどうしても妨げるものなら、それらを無視してください。」とルールに書いてあります。ここは日本のWikiです。管理者様が削除と判断されるのであれば逆に管理者様の一存で無効判断そして復活そして再度議論のやり直しも妥当だと考えます。元に戻した後に無効判断について問うページを設けるのもありかもしれません。既存にとらわれる必要が無いと言いたいのです。ここは日本のWikiなのです。無効という概念は日本で当たり前に使われています。日本社会> Wiki日本版と考えます。日本社会での通念を持ち出したとしても不自然には当たらないと考えます。ある一定の契約(ルール)にしたがって作業を進めるはずが、一方が契約違反ならば無効は当然です。実際、Wikipedia:削除の復帰依頼/生野区連続通り魔事件 のページでは著作権云々が問題になっています。このような社会通念上の概念に注意を払うことはWikiでも求められています。★何やら「このページは保護されているため、登録利用者のみが編集できます。」とありますが、私は「登録利用者」なるものにならなければここに書き込めないのでしょうか。どうでもいいですけど。--Wikipefreeman会話2013年6月30日 (日) 13:51 (UTC)返信
  • 返信 (Wikipefreemanさん宛) Wikipefreemanさん、コメントいただきありがとうございました。Wikipefreemanさんが「Rienzi様は何人体制で書き込まれたのでしょうか」などと、対話相手である私を安易にソックパペット呼ばわりする、無礼極まりないコメントをなさるような方だとは思っておりませんでした。大変残念に思います。その他のコメントについては、私や他の方々のコメントを隅々までお読みになった結果とは思えませんし、私に対して「方針を読め読め」とおっしゃる割には、方針文書やガイドライン文書について正しく理解しておられるとは思えないコメントが散見されますので、この場でこれ以上Wikipefreemanさんと対話を続けることはいたしません。「既に削除された記事には特筆性があった、管理者の裁量的判断による削除は不当だったので取り消し(無効化)すべきだ、記事を復帰すべきだ」とここでいくら主張なさっても物事は前に進みません。ところで、お見受けしたところ、Wikipefreemanさんは標準名前空間での投稿・編集歴が一度もおありでないようですが、議論の場でご自身のお考えを主張なさるだけでなく、ご自身が興味関心をお持ちの分野、あるいは専門的知識の分野において、記事への投稿・編集を行ってみることは、ウィキペディアがどういうところであるか、というのを理解するには良い方法であると思います。この場で話すべき事、この場ではなく他の場で提案すべき事、そもそもウィキペディア上で主張すべきではない事、などの区別が、だんだん見えてくるかもしれません。--Rienzi会話2013年6月30日 (日) 14:15 (UTC)返信
  • 一人で書き込んだのではあれば一人と答えればいいだけです。社会人として自分の実体験でRienzi様のように頻繁に書き込むのは難しいとわかりますので。世の中には様々な人がいて、24時間が自由時間という人もいるでしょう。ちなみに、私がなぜ「だいたい24時間以内には書き込んでいただけているようで・・・」良く読めばそれ以前からですが、このように書いていたのか気付かなかったのでしょうか。私が何を疑っていたのか。
  • 議論を進めることに価値が無いとは思いません。人と人とは出会いです。Rienziと有意義な時間が過ごせるならば高栄です。本当にそう思います。←これは掲示板として使っていることになるので、あまり私は好きではないのですがこの度はご容赦ください。
  • 私は怒っているのではありません。あきれているのです。私の意見はWikiに載せません。なのに、Wikiルールをしつこく適応しようとされていましたよね。しかもタイトルだけで「論」を示さずに。主題に特筆性がかかるのであって記事内容には(省略)がかかるとルールに書いてある。なのに内容に特筆性を持たせたがる。←言語同断です。ボランティアの他の方々にどれだけの迷惑をかけてしまったとお考えですか?Rienzi様は他のところでも書き込んでいますよね。相手論者に連絡をとって、もう一度話し合う必要があるくらい非常に重要です。
  • 上記については非常に無礼です。私はずっと我慢していました。美しい絵の例えやWikiルールの再確認を私が提案したのは、私の優しさです。手前味噌ですが。あなたにそれとなく気付かせるために。
  • 「専門的知識の分野において・・・」と提案をされているのはわかりますが、以上のRienzi様の様子をうかがい、もしRienzi様がそのような活動をされていたのであれば私は躊躇します。何か別のページで論の続きを・・・とも考えるのですが、自分の時間や物理的余裕がなんとも言えません。あしからず。--Wikipefreeman会話2013年6月30日 (日) 15:27 (UTC)返信
  • 返信 (Wikipefreemanさん宛) コメントはしないつもりでしたが、看過できない発言がいくつかありますのでコメントします。
  • まず、はじめに申し上げておきますが、私は、一人で書き込んでおります。「ちなみに、私がなぜ『だいたい24時間以内には書き込んでいただけているようで・・・』良く読めばそれ以前からですが、このように書いていたのか気付かなかったのでしょうか。私が何を疑っていたのか」との発言、大変驚きました。24時間以内に返信をすると「中の人が複数いる」呼ばわりされるとは、困ったものです。どうしても私を疑い続けるおつもりなら、コメント依頼を出していただいても結構です。
  • Wikipefreemanさんは「私の意見はWikiには載せません」と繰り返しおっしゃる一方で、裏付けのない独自研究的な理由付けで、繰り返し「削除不当、記事を復帰せよ」という主旨の主張をしておられましたね。そのような(裏付けのない独自研究的な)理由付けで復帰を主張なさること自体が、ウィキペディア上で歓迎されないものであるという事に気づいていただきたかったのですが、ご理解いただけなかったようで残念です。各種文書の無理解に基づくコメントに対して「それでは復帰を後押しする効果はありませんよ」という主旨で方針文書やガイドライン文書を提示した事には、何の問題もないでしょうし、「Wikiルールをしつこく適応」したとは言えないでしょう。
  • 対話相手に対して「あなたの主張はこの文書と相容れないものです。そのような主張では意見を通す事は難しいでしょう」と指摘する事は、ウィキペディアではよくあることです。「記事に自分の意見は載せない」という前置きがあったとしても、いわゆる「論評」に類する事柄を声高に主張する事は、WP:NOTOPINIONに抵触していると見なされる可能性がゼロではないでしょう。
  • 繰り返しになりますが、Wikipedia:特筆性#特筆性は客観的な証明を必要とするおよびWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは新聞ではありませんをお読みください。本記事の「主題」そのものがこれらに抵触していたわけですし、7月1日現在もその状況は変化しておりません。「内容に特筆性を持たせたがる。←言語道断です」以下の発言については、私のこれまでのコメントをきちんとお読みになった結果とは思えません。
  • 「ボランティアの他の方々にどれだけの迷惑をかけてしまったとお考えですか?」と仰せの点については、私自身の会話ページで既にご指摘・ご忠告をいただいているものを除いて、コミュニティにとって迷惑と受け取られる懸念のある事はしていない、と申し上げておきます。
  • 各種方針文書やガイドライン文書、提案中の文書をお読みいただくよう、Wikipefreemanさんに私から繰り返しご提案させていただき、なおかつ、Wikipefreemanさんの主張のうち、「このままではウィキペディアでは受け入れられないだろう」と思われる点については、方針・ガイドライン・各種提案中文書を引用またはリンクして指摘をさせていただいたのは、「生野区連続通り魔事件」の記事の復帰を強く希望しておられるWikipefreemanさんに「Wikipefreemanさんの希望を通す為には、まず、Wikipefreemanさんご自身の主張の見直しが必要である」ということを気づいていただきたかったからでしたが、全くご理解いただけなかったようで残念です。
  • 最後になりますが、私がこの記事の削除が妥当だと思う理由はずばり「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかに抵触したものを『加筆修正の余地があるかもしれないから』という理由でおいておくべきでないと考えるから」です。「もうしばらく待ってみてもいいんじゃないか、すぐに削除することはないんじゃないか、加筆修正の余地があるんじゃないか」という意見が出るのはわかります。しかし、「短い期間に爆発的になされた報道」以外に記事の出典とできる情報がない状態で、単独立項するには時期尚早であるものを、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかに反してまでおいておくべきではないと考えます。まぁ、この点に関しては、人それぞれでしょう。削除に賛成の方にも、様々な意見があるとは思います。(ところで、復帰依頼をお出しになるつもりがない、と宣言なさったのに、10日間もこの件に深く関わり「削除不当・復帰相当」を主張なさったというのは、正直ちょっとどういう心理かわかりかねます。「ウィキペディアがどのように作られて行くかに興味があった」のであれば、標準名前空間での投稿活動など、もっとウィキペディアについて多角的に知る機会があったはずですが・・・。)
  • Wikipefreemanさんの今後のウィキペディア・ライフが、充実したものでありますように。それでは。--Rienzi会話) 2013年6月30日 (日) 16:09 (UTC) 一部追補。--Rienzi会話2013年7月1日 (月) 00:43 (UTC)返信
  • 昨日書き込んだ後で、「もしかしたらRienzi様は“特筆性”という言葉の意味も・・・悪く言えば日本語さえあまり理解していない(というよりも読解力が極端に低い)方かも」と気づきました。でなければ特筆性を記事の内容に適応しようとしたり、記事内容を加筆訂正すればいいだけなのに強行に削除を主張はしないだろうということです。
  • 私は特筆性1,2及び3を主張しているわけですが、特筆性1がもっとも簡単なので、わかりやすく論じたいと思います。削除記事の主題は「生野区連続通り魔事件」です。特筆性1は「生野区」の意味についてです。Rienzi様が読む読まないにかかわらず書きます。
  • 初めに書いておきますが、特筆性1については論ずるまでも無いことなのです。
  • まず例を挙げます。甲=「昼は明るい」「夜は暗い」 乙=「昼は暗い」「夜は明るい」

 さて、不自然であり通常おかしいのは甲乙どちらでしょうか。乙のほうですね。「昼は暗い・・・その人は日中、ビルや地下にいると言いたいのだろうか?」「夜は明るい・・・職場がネオン街だから夜は明るいと言いたいのだろうか?」まあ、通常当たり前の書き方は甲です。

  • 「特別に書かなければわからない」「特別に書く価値がある」ことを特筆性といいます。日本語ではこういう意味です。「昼は暗い」と言われても、書いてもらわなければわからないですから。甲は特筆性無し 乙は特筆性ありと言えます。
  • ここまでで『いやそんなことは無い。上記の内容について権威者とその書籍と「根拠となる情報」「検証性」を示す必要がある』と言われますか?私はRienzi様がホントにそう言い出しかねないと考えているのです。
  • ①さて元記事に「生野区」とありました。私は「猪飼野」=「生野区」と書いています。これは「江戸」=「東京」と主張することと同じことです。「尾張」=「愛知県の一部」という例のほうが正確かもしれません。生野区のあたりを昔は猪飼野と呼んでいたということです。「生野区にコリアンタウンがある」=「猪飼野にコリアンタウンがある」です。←これは歴史的には逆です。猪飼野に昔から韓国・朝鮮人(略して半島人とします)が住んでいたのです。その結果コリアンタウンが形成されたのです。表記上「猪飼野にコリアンタウンがある」と書かせていただきました。歴史上の事実なので、私に証明しろと言われても無理です。また、コリアンタウンがあることが重要なのでは無く、猪飼野のあたりに昔から半島人が住み着いていたという事柄を端的に表す事例として示しているだけです。
  • 生野区にはコリアンタウンがあり「生野コリアンタウン」と言うわけですが、コリアンタウンが形成されるとはどういうことか?コリアンタウンと書きましたが、要するに「外国人街」ができたということです。
  • では 丙=「猪飼野に半島人が住み着いた。日本人と平和的に過ごしたのでコリアンタウンができた」 丁=「猪飼野に半島人が住み着いた。日本人と戦争をしたのでコリアンタウンができた」 このように書いた時、どちらに特筆性があるか。「平和的」の反対語として「戦争」を選びました。極端なのでわかりやすいか、と。「穏やかに」←→「争って」程度でも良いと思います。丙丁どちらに特筆性がありますか?
  • 日本人の住む日本国に外国人が来て、日本人と争っているのに外国人街がつくられた・・・不自然です。もしこのようにコリアンタウンができたのであれば、丁には特筆性がある言えます。特筆性が無いのは丙です。
  • 新大久保コリアンタウンと聞きますが、現在はデモが激しい様子です。歴史が浅く、今後どうなるかわかりません。デモは多発し逮捕案件もありますが、新大久保ですら刺傷事件はありません。
  • ②外国人街の成立要件とは何か?何をもって外国人街ができたと言えるのか?・・・ここのところは他の方との議論が必要かもしれません。私の理解しているところは商業施設があるだけでなく外国人が居住していないと外国人街と言えないのではないかと思います。もし外国人街とは何ぞや?ということであれば議論が必要と思いますが、今回の主旨に外れるので触れません。
  • ①に書きましたが、通常外国人街をつくる為に外国人が他国へ集まるということはありません。外国への出稼ぎ労働者や難民が自然に集まって、そして外国人街ができます。少なくとも生野は半島人が自然と集まってコリアンタウンができました。再度書きますが、私が言いたい事は半島人が昔から多く居住しているということです。
  • ここまではよろしいでしょうか。地理的事実、歴史的事実を示しただけです。
  • ③特筆性の無い「猪飼野に半島人が住み着いた。日本人と平和的に過ごしたのでコリアンタウンができた」ですが、再度念押ししますがコリアンタウンができたことを問題にしているのではありません。「生野区(猪飼野)は日本人と半島人が平和に過ごしてきた街である」ということが言いたいわけです。もちろん今までに確執が全くなかったのか、事件が全く無かったのかと言われたら何とも言えません。おそらくあったでしょう。しかし、戦争状態になるほどならばコリアンタウン(外国人街)など存続していられないのも事実です。現在は、平和的に穏やかに暮らしているということです。
  • ③のような地域で日本人が刺傷されました。連続してです。連続と言うことは複数人刺傷ということです。刺傷したのは韓国籍の男性です。「信頼できる情報源」「検証可能性」は充分にあります。
  • ④ここまでの内容でさえ丁に傾いているということが理解いただけるでしょうか。
  • 逆の例をあげましょう。生野区で「路上で日本人が苦しんでいた。通りがかった韓国籍の男性が苦しんでいる日本人を助け、事無きを得た」もしこのような報道であれば丙であり、特筆性は無い(薄い)と言えます。平和に暮らしているということを支持する意味はあるので、そういう意味で生野区に焦点があてられるでしょうがここでは触れません。
  • 更にこういう場合はどうでしょうか。「生野区で路上で日本人が苦しんでいた。通りがかった韓国籍の男性が苦しんでいる日本人を助け、事無きを得た。しばらくして、同じ韓国人の男性が別の日本人を助けた」この内容であれば連続して助けたということがらに特筆性が生まれます。しかし生野区とは関係ありません。
  • ⑤話を元に戻しましょう。今回の犯人は「日本人なら何人も殺そうと思った」と言っています。更に特筆性を強めることになります。
  • ⑥もし韓国人でなかったとしたらどうでしょうか。アメリカ人やイギリス人だとしたら。「生野区」に特筆性はありません。それよりも「連続」に特筆性が生まれる・・・かもしれません。
  • 主題に特筆性が無ければ削除依頼では無く議論すればいいだけです。ボランティアで記事を書いてくれた方が、上手く主題を表現できないだけかもしれないじゃないですか。 Wiki のルールにあります。「現在の記事において信頼できる二次情報源による出典が提示されていないとしても、それは特筆性がないということを必ずしも意味しません」「特筆性を満たしているか不明確な記事においては、記事の削除は最終手段であるべきです。」
  • ④⑤から主題に対する特筆性はあります。これは私からの意見であり、別の人は別の角度から特筆性を述べるかもしれません。
  • ここまでですが、私は事実を書いただけです。議論をするなんてレベルじゃない。独自研究など入る余地が無い。また私の意見を支持する権威者とその書籍、「根拠となる情報」「検証性」を求めるのですか?事実なのだからしょうがないじゃないですか!!
  • ②について議論したいというならばわかるのです。今回の問題とは関係ありませんが、議論したいというならばふさわしい議案かと思います。
  • ★Rienzi様 私を馬鹿にするのはいい加減にしてください。 2013年7月1日 (月) 00:43 まだルールタイトルのみで論がある文章を示しませんね。「単独立項するには時期尚早」についてルールにはどう書いてあるのですか?Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかには書いてありません。書いて無いのにルールタイトルのみ突きつけられたところで私は困ります。Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130618ですでに「削除の適否」を議論していると書いているのに私の書いた文章を Wiki に載せるつもりでいたり、時間が無いのでとりあえずとして書名を示したのに、忘れているのか日本語を読めないのか・・・このためにどれだけ私の時間と労力をRienzi様が奪ったか、理解されていますか。言語道断です!失礼です!! 同一人物?と疑わないならばよほどのお人好しです。私を馬鹿にするのはいい加減にしてください!!
  • 「特筆性」の言葉で検索をかけてごらんなさい。面白いですよ。ニコニコ大百科あたりを読むと爆笑です。--Wikipefreeman会話2013年7月1日 (月) 03:10 (UTC)返信
  • コメント Wikipefreemanさんへ。もうそろそろ、止めにしませんか。一歴史愛好家として、在日朝鮮人の由来・歴史などには、とても興味惹かれます(良い本があれば、時間が許す時に読みたいですね。)。あるいは、仰る通り生野の事件は、その様な背景を知っていなければ、理解できないものなのかもしれません。しかし、ここは「事件まとめサイト」ではなく、「百科事典」です。当然に、載せるべきものと載せないものの厳しい線引きが必要です。一方で、現実の法と異なり、ウィキペの方針には曖昧な部分を持たせています。これは、個々の問題を「十把一絡げ」にせず、話し合いにより解決を図れるよう柔軟性を持たせているのです。今回の話し合いでは、あなたの考える掲載ラインと、他の方の考えるラインが異なった、というだけです。そこに他意はありません。Rienziさん他を非難しても、貴方にも我々にも、何の益もないと思いますが、如何でしょうか。--Ashtray (talk) 2013年7月1日 (月) 04:10 (UTC)返信
  • コメント とりあえず管理者伝言板には報告しました。ガイドラインでもWikipedia:個人攻撃はしないにおいて「個人攻撃は絶対に行ってはなりません。いかなる場合であっても、他の投稿者を攻撃する理由はありません」とあり、冒頭の「個人攻撃の例」として「日本語分かりますか?」があり、どこをどう見ても「日本語を読めないのか」はそれに該当します。--あな34(須魔寺横行)会話2013年7月1日 (月) 10:15 (UTC)返信
ついでに言えば、書き込み頻度から言えばWikipefreeman氏も同じようなものでしょう。無論、どちらも複数人いるとか珍説など私は主張はしませんが、仮にWikipefreeman氏の複数人説の主張が正しいというなら、Wikipefreeman氏も同様に複数で書きこんでるという事に他ならない、となりますよ。--あな34(須魔寺横行)会話2013年7月1日 (月) 10:21 (UTC)返信
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