ノート:皇民化教育/過去の議論1、2005年11月29日から2008年6月8日まで。

最新のコメント:15 年前 | トピック:もっと史実的内容を充実させて欲しい | 投稿者:スミス16号

皇民化教育(1) 編集

皇民化教育は内地でも行われていたと思うのですが。--mochi 2005年11月29日 (火) 14:08 (UTC)

行われていた。というわけなので加筆してくだせ。おれはとりあえず皇民化政策を統合したところで力尽きた。--Nekosuki600 2005年11月29日 (火) 14:19 (UTC)

朝鮮語の規制は行われてませんが? 行われていたと言うなら証拠の提出をお願いいたします。 朝鮮語の部分を削除しますので、証拠の提出が有った場合追記してください。:ともくん 2005年11月30日 (水) 03:57 (UTC)

朝鮮語の規制については良く知りませんが、東北や北関東といった地方に住んでいた当時の人々が当たり前に使ってきた言語を「矯正」したことはありますね。別に山の手弁(江戸に住む武家や公家が使っていた言葉)が日本語の標準的な話し方だったというわけでもなかったわけですけど(というより、統一的な「日本語」自体が存在していなかった時代ですからね…)。--222.150.7.185 2006年8月22日 (火) 14:12 (UTC)


「各地の皇民化政策」を書こうと情報を集めていましたが、冒頭定義文で苦しんだように(そのことが常連荒らしアカウントを呼び込み保護に至ったわけですが)、「皇民化教育は内地でも行われていた」というmochiさんの提起を入れて一緒に書こうとしていることには、どうも無理があるようです。「民族的日本人」(と呼べるものがいつから発生したのかという問題もありますが)に対しては、(a)「皇民化教育」と、(b)国民形成を企図したどこにでもあるような国民教育&忠誠要求……の(a)と(b)との間に線引きが難しい。線引きについてはっきりと見解を打ち出している人を知りませんが、仮にいたとしても、それに依拠するのかどうかだけで編集合戦じゃないかと思います。内地人に対する教化政策まで皇民化教育と呼ぶのは無理があると思います。--Iosif 2006年8月25日 (金) 10:08 (UTC)

皇民化教育(2) 編集

22010515528@アカウントユーザーさん:冒頭定義部では、対支配民族(教化政策)と対被支配民族(同化・教化政策)との両方が並列に書かれているように見えるのを目指すべきかと思います。22010515528@アカウントユーザーさんが編集された文では対支配民族への政策が補足説明のように読めなくもありません。▼今回、履歴をずっと見たのですが、元々、皇民化教育の項目は被支配民族に対する政策として書かれていました。これは、現代日本において皇民化政策が問題の遡上にのぼるのは被支配民族に対して行ったことについてであるから、それを反映していたのだと思います。それに対して、皇民化教育は日本人に対しても行われたではないかという異議がありました。この異議も当然なので、冒頭1段落目は日本人と被支配民族に共通する点がかかれ、第2段落に日本人と被支配民族に対するものとが並列して書かれたわけですが、そうすると同化政策であることが書きづらく、実際にその旨が消えていました。それについ最近気付いて復活させてみました。▼そんなわけで、ちょっと手を入れてみました。これで完璧とは思いませんが。

▼教育勅語については「具体的内容」セクションで述べればいいかと思います。日本人について書くときは「教育勅語を規範として忠誠を要求した教化政策」と書けばいいですが、そのあとに被支配民族について書くのが難しかったので、定義部での言及をいったん断念しました。教育勅語が規範とされているのは同じですが、それ以上のインパクトとして同化政策としての機能があるからです。▼なお「内地」「外地」の言葉を使うのはこの場合不適当でしょう。「内地」にも被支配民族がいたし、「外地」にも支配民族たる日本人がいましたから。居住地で分けては無理が生じるばかりではないでしょうか。同時に22010515528@アカウントユーザーさんが用いていた「支配民族」「被支配民族」の語が適切だと思います。--Iosif 2006年4月8日 (土) 21:55 (UTC)

…。封建時代の奴隷制じゃあるまいし、「支配民族」「被支配民族」なんて偏向編集にもほどがあるでしょ。--Saintjust 2006年4月8日 (土) 22:28 (UTC)
え? ごく普通に用いられている概念だと思っていましたが。特に、多民族帝国を説明する文章では(もちろん近現代の)。造語ではありませんが、そんなに違和感がありますか。(私が持ち出した用語ではありませんが、まとめて偏向していると?)。--Iosif 2006年4月9日 (日) 11:27 (UTC)

Iosifさん:ご意見ありがとうございます。帝国内の全領域で等しく行われ(被支配民族にとっては結果的に同化政策としての意味を持つとしても)たというという点を重視して編集したのですが、現行の版でもよいと思います。--220.105.155.28@アカウントユーザー 2006年4月9日 (日) 12:51 (UTC)

別の観点からかもしれませんが、半分同感です。私も多民族帝国が、全領域で等しく、何かのイデオロギーを用いようとするというのは重要なポイントだと思っています。そうなると、教育勅語への言及も大事である気がしてきました。もうちょっと考えてみます。--Iosif 2006年4月9日 (日) 17:34 (UTC)
「民族的日本人」は決して間違いではないですが(と思いますが)、日本に関するかぎり「民族的」は不要ではないでしょうか? ロシア・東欧地域ならともかく。「支配民族/被支配民族」という語に異議があったことを気にして、用語法(の基準?)を表明されたんだと思いますが、難しくしてしまって理解を妨げる気もします。日本語版だから(=訳されるかもしれないから)入れておいてもいいという考え方もできますが、それを想定しても、項目:日本人にリンクしておけばいいような気もします。--Iosif 2006年4月11日 (火) 16:10 (UTC)

Iosif記:>Fugue様:支配民族なり民族的ロシア人なりは、多民族帝国を説明する際に一般的な用語だと認識していますが、それを避けようとしてか、「被支配民族」の語を「非土着の日本民族以外の民族(朝鮮人台湾人アイヌ人、琉球人、南洋群島や東南アジアの先住諸民族)」と書き換えられています。しかし、これは誤りです。帝国においては被支配民族も移動を強いられており、「土着の」という用語で説明しつくせるものではありません。ゆえに、そのような用語は採用されていない、というのが私の認識です(この場合、大日本帝国下ではサハリンの朝鮮人はどう説明するのか、ソ連下では中央アジアのカレンスキーはどう説明するのかという問題が生じます)。ん。「土着の~」という用語が用いられるのは、先住民がいる「未開」地域に植民者が押しかける時期の解説だと思います。なお「支配民族/被支配民族」という用語は私が用いはじめた用語ではありませんが、この表現が現段階では適切であると考えました。本来であれば、より複雑な多民族地域を説明する際に用いられるのだと思います。違和感はそのせいでしょうか? しかし、偏向という言葉は理解できません。Iosif 2006年4月13日 (木) 19:29 (UTC)

支配的/非支配的 編集

ロクに定義もしないで「支配」「被支配」などという非中立的な表現をこの項目で無理に使う必要は無い。当時の日本人とその他の民族の関係を奴隷と奴隷マスターのような「支配/被支配」の関係と見なすのは一観点でしかないし、万人が認める客観的事実でもない。そういうことは韓国併合なりの専門の項目で詳細に解説するのが筋であって、この項目の導入部で勝手に手短く断言すべきことでは無い。--Fugue 2006年4月13日 (木) 19:33 (UTC)

何度も言いますが、私が使い始めた表現ではありません。しかし、「支配的民族」という言葉から奴隷的従属関係を想起するということ自体にまったく吃驚仰天しております。そういう捉え方ならそれは「一観点」だと思うのでしょうけれども、まったく想像もしていなかった目のつけどころです。私はこの用語には、用例からして、奴隷と奴隷マスターのようなイメージを覚えませんし刺激的であるとも感じませんし、価値にコミットしない用語として確立されていると思っていました。現に多民族帝国やバルカンなどの現代史を語ったり分析する際に、普通に用いられていると認識していましたが、当然、出典を挙げろということになるのでしょうね(出典よりも用例?)。で、用例を挙げても、訳語が刺激的であるから原語(想像ですが多分ドイツ語なんでしょう/ドイツ語読めないし)を併記しなければということになりそうです。しかし、ちょっとその時間がないというか多重被疑者氏もやってきていることも関係して、そもそもこの表現でなくても言える事柄であるのもたしかですし、刺激的だ(価値にコミットしている)と感じる人もいるのであれば別の表現を探せるだろうと思いはじめています。他に何か良い表現があったら、やってみてください。なお、「土着の」は説明として機能しない(=誤り)だと思います。また「韓国併合はそのようなことを説明する項目でないと思います。--Iosif 2006年4月15日 (土) 21:09 (UTC)
やっぱり東欧史・南欧史あたりでは「支配民族」という語がちょこちょこ出てきていますけどね……。用例を挙げると大変なんで、端折りますが(求められればやりますが)、たしかに「東欧やバルカンでは支配民族ごとに宗教が違うためロシアのように皇帝教皇主義が成り立たない」という内容の説明なんかでは「支配民族」の語でも持ち出さないと説明できない。多民族国家では少数民族・多数民族という区分けだけではおっつかない。ということだと思いますが、たしかにこの記事では「必須」ではないと思います。しかし間違いではない(「被支配民族」というのは聞いたことがないけれど……「非支配民族」の間違いでは?)。。Fugueさんが、一体何をもって非中立と言っているかわからないので、お手すきの際に疑義の内容について詳しくおっしゃってください。とりあえず、奴隷と奴隷マスターのような関係として描く用例など見たことがありませんし、一観点として「支配民族」という表現を残したと決め付けられるのは不名誉なのでしたためておきます。定義せよと言うことなら、いつごろから用いられはじめたのかのんびり探しておきます。しかし、ココの見出し自体がおかしいと思います。--Iosif 2006年4月23日 (日) 19:43 (UTC)
支配者民族といえば普通en:master race、ナチスのアーリア人のことでしょう。Hermeneus (user / talk) 2006年4月23日 (日) 19:50 (UTC)
支配者民族というのは、また別なのではないでしょうか? そっちのほうは全然知らないのですが。想像するに、優越した民族であると自称するイデオロギーに基づく名称ですよね?--Iosif 2006年4月23日 (日) 21:12 (UTC)
ちょこっとだけ調べたのですが(辞書とかネットとかですが)、必須表現ではないのでどうでもいいというのもあって書き忘れていました。ナチの言うアーリア人はHerrenvolkですよね。ここでの「支配民族」に対応するのはStaatsvolkではないかと思います(日本の植民地支配では植民地出身者もstaatsvolkとして扱ったとか言う話はまた別/Wikipediaドイツ語版……はわからないので英訳して読んだらまたちょっとニュアンスが違うんですが)。いずれにせよ、それを定義して用いている人が出てこないと話にならないので(ウェーバーなら用いるに当たって定義していたんじゃないかなーと思うのですが『経済と社会』を参照するのは大変なので)のんびりやります。--Iosif 2006年5月2日 (火) 10:32 (UTC)
今日、放送大学をつけっぱなしにしていたら、「韓国・朝鮮の歴史」で「支配民族たる日本人と、被支配民族たる朝鮮人が……」という解説が当たり前のように流れていました。。。。あと、木戸蓊編『東欧現代史』(有斐閣 1987年)にも同様の記述。--Iosif 2006年9月21日 (木) 20:03 (UTC)

疑問 編集

「要求」「強制的」という表現が多用されていますが、本当にそうであるのかが疑問です。「推進」「奨励」と表現がふさわしいように思います。具体的にどのように「要求・強制」したのか資料提示のうえでご教示ください。さつま 2006年4月16日 (日) 05:28 (UTC)

梅棹忠夫監修『新訂増補版 世界民族問題事典』平凡社、2002年、402-404頁。を参照してください。それ以上の疑問はもっと具体的にどうぞ。あなたの編集は、「解説」セクションを現代においてさえ「皇民化政策」を推進しようとでもいうような(?まあ少なくとも正しいと主張せんがための)立場にたった表現に書き換えているにすぎません。そのようなことは「さまざまな観点」セクションにお書きください。--Iosif 2006年4月16日 (日) 10:42 (UTC)--なお「忠誠要求」という言葉を誤解なさっているようです。忠誠要求は強制的なもののみではありません。修正も付加。--Iosif 2006年4月16日 (日) 10:48 (UTC)再修正。

さつまさんの言う資料は一次資料だと思います。事典に書いてある事が間違っていると言えないのと同じく正しいとも言えません。そして内容の説明もなく誰も納得できないと思います。現時点ではさつまさんのご意見に賛同します。便乗削除の部分も戻して起きます。バブール 2006年4月16日 (日) 11:26 (UTC)

一次資料は基本的には専門家が取り扱うべきものです。--Iosif 2006年4月16日 (日) 19:59 (UTC)

信頼できる根拠がないまま編集を強行したあなたの記述で保護されてしまっています。事典にも編者の主観が入り込んでいるケースが多くありますので、立ち入った表現を使用する場合は信頼できる資料の提示し合意を得てください。バブール 2006年4月20日 (木) 06:53 (UTC)

あくまで一般論ですが、一次資料を扱うには資料の解釈が必須なので主観問題がより深刻になります、記述根拠の呈示としては二次、三次資料が適切です。また、資料自体をすべて証明せよと言うのは悪魔の証明に近いので、仮に呈示資料に問題がある場合は猜疑を提唱される側が論点を呈示しなければ適切な論議が出来ません。--TEy 2006年4月20日 (木) 10:58 (UTC)

初めて読む方(つい数ヶ月前の私のような人)のために記します。さつまバブールともに多重アカウントであることが判明し無期限ブロックされました(Wikipedia:投稿ブロック依頼/Peace関連のブロック依頼およびWikipedia:CheckUser依頼#Peace関連その2を参照。過去の経緯についてはWikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Peaceにログが網羅されています)。

  1. 編集内容要約欄に「議論はノートへ」と書きながら編集を強行する(参照箇所、無数。興味のある方はPeace関連として挙げられているアカウントの投稿履歴をご覧ください)。
  2. それに応じても、まともに返答しない(こちらをご参照ください。これだけではありませんが)。
  3. まれに彼が返答した場合には、何を問題にしているのか=論点を何かを明らかにせず(匿名空間ではよくある手口ですが)「根拠を出せ」の1点張り。「それでは」と提出された典拠も自らは何ら検討することなく、ただ時間稼ぎに持ち込んで、やはり編集を強行する。(もちろん、今回は詳しく紹介しなかったので自ら検討するというのは難しいかもしれませんが)

結論として対話不可能です。こういうことで、それまで複数の利用者が積み重ねてきた議論がなかったことにされてしまう・かすんでしまう・形成された合意が白紙化に近くなるといったことが繰り返されています。この項目もそうなりつつあるのではないかとおそれています。再び新たなアカウントで登場すると思われますので、この種の卑劣漢にまとわりつかれないよう注意を(Iosifの見解として)喚起したく、書き残しておきます。--Iosif 2006年4月23日 (日) 19:47 (UTC)

Iosifによる上の投稿は、投稿先間違いなのですが、レスポンスがついたので、消さないでおります(消した方が良い等のご助言ありましたら歓迎します)。本来の投稿先はノート:日本の戦争犯罪でした。「複数の利用者が積み重ねてきた議論」云々はあちらの方に関する話題でした。ご容赦ください。--Iosif 2006年4月23日 (日) 21:06 (UTC)

つまり信頼できる資料・根拠が示せないわけだからIosifさんは断定的主張を記述することは諦めるしかないでしょう。これについてはバブールさんの多重疑惑云々にかかわらない裁定ですから現実を受け止めるべきでしょう。大海 2006年4月23日 (日) 20:01 (UTC)

また一字一句同じことを繰り返しているだけの方が……(漏れているようだったのでお待ちしていましたが)。何を求めているのか、疑問は具体的にどうぞ。提示したものを全部書き写せと? そして、「忠誠の要求」を「推奨」と書き換えるべきとする根拠をあなたはどうして挙げないのですか?--Iosif 2006年4月23日 (日) 20:56 (UTC)

横レスになりますけど、「推奨」よりも強い表現「忠誠の要求」(他に「天皇崇拝の強要」「日本人意識の植え付け」「台湾神社朝鮮神宮等の建立と強制的な参拝」など)を用いているIosif氏は信頼できる資料・根拠を示してその表現の妥当性を丸っきり説明できないことで決着が付いているものと思われます。信頼できる根拠もなくご自分で正しいと妄信してきた愚かな現実を受け止めるのは辛い事だとは思うんですけど、大海氏に感謝すべきでしょうね。Toyyouir 2006年4月24日 (月) 11:38 (UTC)

また一字一句同じ表現を用いているだけの方が……。--Iosif 2006年4月25日 (火) 07:32 (UTC)

感謝まではしないまでも現実は受け止めるべきだろう思いますね。ごんさん 2006年4月25日 (火) 16:29 (UTC)

Wikipedia:投稿ブロック依頼 2006年4月#Peace関連 OpenProxyのブロック依頼を参照。
▼言うだけ無駄かも知れませんが、同じことを繰り返しても毎度、結果として利用者‐会話:ごんさん#あなたはWikipediaにおける活動資格はありません、ということになります。どのみち時間稼ぎにもなっていませんし、たがいに消耗でしかありませんので、おやめください。--Iosif 2006年5月2日 (火) 06:51 (UTC)

本議論を避けたいがための根拠のないレッテル貼りにしか見えません。Yamaton 2006年9月24日 (日) 15:22 (UTC)

久々にこのノートで何かと思えば、ストーキングの結果でしたか。Yamatonのブロック記録を参照。--Iosif 2006年10月1日 (日) 19:04 (UTC)

信頼できる根拠を提示できないのであるから、Iosif氏の「反日歴史創造」ということになりますね。遠景 2006年10月3日 (火) 14:02 (UTC)

利用者:遠景の名を騙っている利用者:Soapisland投稿ブロック記録を参照。利用者:遠景の投稿ブロック記録はこちら。--Iosif 2006年11月22日 (水) 21:16 (UTC)

提案です、Category:日本統治時代の台湾 や Category:日本統治時代の朝鮮 に移しませんか? 編集

最近、Category:日本統治時代の台湾 や Category:日本統治時代の朝鮮 ができたようなので、この記事など日本統治時代の記事は一まとめに現在のCategoryから移しませんか?良くも悪くも日本統治時代に深く関わる記事ですので。--利用者:Tsurugiyama 2007年11月16日 (金) 13:55 (UTC)


もっと史実的内容を充実させて欲しい 編集

皇民化政策の開始年月、1次資料における初出年代、提案者や議事における論議など、純粋に歴史性を追いませんか?--133.29.17.51 2008年1月20日 (日) 16:28 (UTC)

保護から二年と一ヶ月、主な議論の終息から一年と半年、対立していた編集者の一方はウィキペディアから去った(ブレイク?)様ですし冷却期間としては十分です。また133.29.17.51さんが仰る様に、保護解除して記事の充実を図るべきだとも考えます。保護解除の議論はまずノートでとのことですので、こちらで保護解除を提案します。--スミス16号 2008年5月23日 (金) 11:46 (UTC)

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