ノート:石田三成

最新のコメント:7 か月前 | トピック:転載? | 投稿者:2400:2653:88A0:4A00:804B:D409:413:AC60

過去の議論 編集

2006年10月15日 (日) 13:37; 218.142.136.18 (会話) による版

意見よりだいぶ時が経過していますので、あまり意味はないかもしれませんが気になるのでひとつ。   61.198.251.225さんの   「三成を悪人とする人は徳川方についた人たちのプロパガンダにまんまと乗せられているということです。」という考えはあまりにも幼稚です。    この書き方では家康を評価する考え方を全否定することになりかねません。これでは批判すべき「三成=悪人」説がそのまま   「家康=悪人」説になるだけで、なんの根本解決にもならないでしょう。   「家康を悪人とする人は官軍(明治)についた人たちのプロパガンダにまんまと乗せられているということです。」と同じレヴェルです  

そういう解釈が幼稚です。私は三成は悪人ではないと主張していますが、同時に家康が悪人だとも思っていません。家康は秀吉より格上だったのに彼に臣従させられた人であって、彼が秀吉の死後天下を取ろうとしても当然だと思うからです。ただ、秀吉の子飼いだったにもかかわらず豊臣の天下を家康に売り渡した加藤清正や福島正則に対しては恩知らずだと思っていますが。どちらかが善でどちらかが悪という単純な考えをやめていただきたいですね。

申し訳ありません。それ以前のノートに書いてあったことがなくなってしまいました。うまく復活させることが出来ないので、上の分まで含めて載せる形で編集し直していただけないでしょうか。これは手順を間違ってしまったためで悪意ではありません。

たまたま見つけたのでやっときましたよ。--Kangoshiyouichi 2007年9月15日 (土) 05:42 (UTC)返信
光成も家康も、どちらも、自分が正しいと信じた方向に進んだだけ。
善か悪かは、どうやっても、単純に決めきれることではない。
そういう考えは、自分の中だけに、とどめておいてほしいですね。--2400:2653:88A0:4A00:804B:D409:413:AC60 2023年9月9日 (土) 02:57 (UTC)返信

過去の議論 編集

「常山紀談」で三成が否定的に書かれているとされているが、著者について調べるべきである。著者の湯浅常山は岡山藩士で、直言や諫言をして藩を追放された人物である。また同時代の人物などからもその見識・作品を高く評価されており、名誉欲・私欲がほとんど無かったとされる人物である。三成に関して否定的とあるが、同じように徳川家に逆らった直江兼続などは「大男にて、百人にもすぐれたるもったいにて、学問詩歌の達者、才知武道兼ねたる兵なり。恐らく天下の御仕置にかかり候とも、あだむまじき仁体なり」とあり、それに続いて「長高く容儀骨柄並びなく、弁舌明に殊更大胆なる人なり」と兼続を高く評価しており、本当に「ただ江戸時代ゆえに三成は不当に描かれている」というべきなどであろうか?--210.131.156.169 2011年7月2日 (土) 05:01 (UTC)返信

恐らくそうです。
もし、徳川ではなく、豊臣の天下が続いていたのなら、逆に、光成は、そのあと、英雄視されていたと思います。--2400:2653:88A0:4A00:804B:D409:413:AC60 2023年9月9日 (土) 03:00 (UTC)返信

遺構か遺溝か 編集

遺構の中に遺溝が含まれ、本文の中では遺溝が適切だと思われますが、いかがでしょうか。--Tiyoringo 2007年1月29日 (月) 23:35 (UTC)返信

その通りだと思います。 また、一部のIPアドレスユーザーによって勝手に私が一次資料に基づいて書いた投稿を削除する行動(三成だけでなく、それに関連する高台院、淀殿、真田昌幸など多数の項目で)が見られます。内容に関する議論ならこのノートなどでいくらでも受けて立ちますので、そのような行動をやめるようお願いします。。--利用者:歴史研究家

この際遺構か遺溝かにはさしてこだわりません。ただ歴史研究家さんにおかれましては一次史料に基づいている場合、出典をお示しいただくこと(複数本伝わる場合にはその所蔵も)、それからその解釈自体の背景となる研究資料をご呈示いただいたほうが議論・編集にあたっても有益かと存じます。単に一次史料にある、というだけでは歴史研究家さんの独自研究扱いされてしまいますので、ぜひよろしくお願いいたします。--Kotoito 2007年1月30日 (火) 23:03 (UTC)返信

一次史料としては「梵瞬日記」、「藩翰譜」、「養徳院石河系図」、「石河系図」、「河副系図」、「津軽藩採取文書」、「杉山系図」、「佐和山落城記」、「於茶阿文書」など多数ですが、やはり一番は「梵瞬日記」でしょう。古文書を直接読むのは難しいと思いますし、私自身も全部原典を読んだわけではありませんが、「梵瞬日記」などの一部は国立国会図書館で読むことができます。また、それらを研究してまとめたものとしては、白川亨さんの「石田三成とその一族」、「石田三成の生涯」の2冊(新人物往来社)がお奨めです。私もこれらを読み、原典の一部を読んでいくと、どうしても「北政所+武断派vs淀殿+文治派」という通説に多くの矛盾が生じますし、むしろ北政所と三成の親密さを示す関係が多く、逆に三成と淀殿のあいだに何らかの縁故が一つもないというのはおかしいと思いました。また、蒲生氏郷を毒殺したとか、豊臣秀次を陥れたとか、蒲生騒動を操っていたというのに至っては一次資料に頼らなくても彼らの旧臣の多くが三成の家臣となり、関ヶ原や佐和山城で死んでいるという事実だけでもおかしいと思います。豊臣家の滅亡は三成と淀殿がすべて悪いという形にして家康や大名たちの立場を正当化させたと見るべきではないでしょうか。。--利用者:歴史研究家

ええと私が申し上げたのは、それぞれの事実をどの研究によっているかを脚注などを使って本文中で示していただく必要がある、ということです。どの事実をどの研究の何ページによったのか、たとえば白川さんの分厚い本の何ページ目にあるのか、それがわかることが検証可能性です。この際、何が正しいかではなく、それが正しいかどうかをみんなで客観的に検証できるかどうかが重要なのです。Wikipediaの歴史記事は基本的にはほとんどこの検証可能性を満たしていませんが、いい機会なので徐々に出典をつけながら作業してゆく、という基本が共有されるといいな、と思っています。--Kotoito 2007年2月5日 (月) 05:52 (UTC)返信

了解しました。私が書き込んだ分については、量(項目)が多いので少々時間がかかりますが、できるだけそのようにいたします。--利用者:歴史研究家

歴史研究家さんの書き込みは根拠もはっきり明記されていますので、一歴史ファンからすると通説からは真逆ではありますが、説得力があるしわかりやすくていいと思います。ただ、明快な根拠を書いても他の項目で意地になって削除している人がいるぐらいですから、詳しく書かなくてもいいと思いますよ。--211.122.123.48 2007年2月20日 (火) 07:41 (UTC)返信


三成は三男だそうですね。何故ここでは次男なんでしょうか? 三成の兄・正澄も同じWikiに次男と書かれており、正継は2人の次男を持つのでしょうか?--以上の署名のないコメントは、125.205.187.94会話/Whois)さんが 2007年7月27日 (金) 01:45 (UTC) に投稿したものです(Greatupperによる付記)。返信

保護解除にむけて 編集

編集合戦により保護いたしました。ノートでの議論のない一方的なテクスト除去は非常に残念です。しかしながら一方で以前に指摘したとおり、歴史研究家さんが書かれた文章の多くの点で出典が示されていない、ということも編集合戦に至った要因のひとつともなっているように思えます。ですので、以前に書きましたとおり、「AはBである」といったときに、その一文ごとに典拠をつけるくらいの綿密さが、このような編集合戦になりやすい項目では求められますし、そうすればかなり荒れにくくもなると思います。Wikipedia:検証可能性Wikipedia:出典を明記するen:Wikipedia:Reliable sourcesWikipedia:脚注などを参考にされるとよいとおもいます。また出典はできれば一次資料だけではなく研究も挙げられたほうがが好ましいように思われます。単に一次資料のみをあげた場合、その解釈が独自の研究である可能性があるからです。--Kotoito 2007年2月21日 (水) 11:27 (UTC)返信

出典をいちいち挙げると文章が冗長になるという批判を受けております。綿密さを求められる一方で簡潔さを求められたのでは困ります。特に、俗説と正反対の事実を指摘しているのですから、結論だけを書くという簡潔な書き方では誤解を招くと思い、説明と出典を書いたのですがそれを非難されたのでは。管理者の方の意思を統一していただかないと困ります。書いても荒らしによってすぐに削除されてしまい、それを管理者側が保護もしてくれないのでは時間と労力を割いて書く意味がありません。kotoitoさんの言うとおりに、試しに津軽為信の項で出典を明らかにしましたが、やっぱりすぐに削除されてしまいました。こういう事態に対する保護がまず先ではないでしょうか。--歴史研究家 2007年2月22日 (木) 00:00 (UTC)返信
出典は挙げてください。検証可能性の担保責任は加筆した側にあります。津軽為信の項拝見しましたが、文献を示す形式が十分に整っていないことと、本文中に書いてしまったことが冗長といわれていた原因でしょう。出典注を使ってください。第二に、Wikipediaは正しさを争う場所ではないということもご理解いただきたいと思います。歴史研究家さんもご存じの通り、歴史学的知見は史料の発見などでそれなりに変化してゆきます。ですので今現在の定説に近い主要説を書いたうえで、これも対する説とその根拠を客観的に書いてください。--Kotoito 2007年2月22日 (木) 02:49 (UTC)返信
それはkotoitoさんだけの考えではないでしょうか。少なくとも他の項目においてそのように出典がいちいち全部書いてあるわけではないでしょう。なんで私だけがそれを書く必要を言われなければならないのでしょうか。文献を示す形式が十分に整っていないとはどういうことですか。担保責任は承知していますが、すぐに削除されてしまうのでは書く意味がないではありませんか。だからこそ勝手に削除できないようにするのが先だとお願いしているのです。それとも、私が出典まできちんと書けば、kotoitoさんが責任を持って削除を防いでくれるのでしょうか。誰が責任を持って私の書き込みを守ってくれるのですか。その確認をまずさせてください。管理者なり、kotoitoさんなりが責任を持って守ると明言するのなら、その通りに書きます。--歴史研究家 2007年2月22日 (木) 04:10 (UTC)返信
以前にも申し上げましたが、まさに歴史研究家さんのおっしゃるとおり、Wikipediaにおけるさまざまな項目で出典が不足しており検証可能性が担保されていない状況にあります。したがって、他の項目も本項目同様、突然の記述削除などの危険性に常にさらされておりますが、そうはなっていないのは保護によるものというより、それほど目を引かない、すなわちそれほど論争的ではないことによるものと思われます。本項ではすでに編集合戦が惹起されてしまいました。であるならばこそ、出典なども示したうえで堅実な記述をしてゆけば、このような編集合戦や保護のような不毛なことがおこりにくくなるだろうという意図で申し上げております。Wikipedia:検証可能性Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:独自の調査などの点で問題がなければ、コミュニティも管理者として私も歴史研究家さんの記述を残す方向で可能な限りの努力を惜しまないでしょうし、そもそもばっさり削除しにくくなるものと思われます。これは歴史研究家さんに悪意を持って申し上げていることではなく、むしろ編集合戦となってしまった以上、ここで内容の充実をはかり、安易な荒らしをしにくい環境を形成するためとご理解ください。最後に形式の問題ですが、津軽為信の項では「白川亨著「石田三成の生涯」第二章十項「近世大名津軽家存続の背景と石田三成」、同じく「石田三成とその一族」第二章四項「杉山源吾の足跡」など参照」とお書きになっておりますが、出版社と出版年が抜けております。Wikipedia:出典を明記する#出典の書き方(和書)などをご参照ください。追伸となりますが、同書、私も歴史研究家さんに触発され一読しました。新人物往来社の出版はかなり幅があって無限定に参考資料とするのははばかられるのですが、同書は方法論的にもかなり妥当で参照に耐えうるように思いました。もちろん私は専門外なので見落としもあるかもしれませんが。--Kotoito 2007年2月22日 (木) 05:31 (UTC)返信
>出典をいちいち挙げると文章が冗長になるという批判を受けております。
投稿ボタンの下にあるマークアップから、<ref></ref>を選択して、その間に出典を書いて、一番下にでも出典・脚注欄でも作ってそこにマークアップから<references />を選択して脚注や出典が表示できるようにすれば本文は簡潔になるはずですけど。--219.112.198.200 2007年8月28日 (火) 22:48 (UTC)返信

評価 忠臣・名臣説と奸臣説の区別について 編集

この区別は必要あるのでしょうか。人間の性質をはっきり黒と白に分けることは不可能であり、また同じ事柄でもその背景や受け取る側によって善悪の加減は変わってきます。あくまで辞書的に事柄を並べ善悪(忠臣名臣奸臣)の判断は読み手に任せるべきだと思います。(また、家紋のことや宇喜多秀家の独断の出陣式のことなども区別に合っていないと思います) 「人物・逸話」などの項目名でひとつにまとめてしまうことを提案しますが、どうでしょうか。--220.107.85.204 2007年12月30日 (日) 15:33 (UTC)返信

もう誤解してる人はいないと思うのですが、三成が忠臣だとか奸臣だとか何らかの評価を我々ウィキペディア執筆者がくだすわけではないのです。ウィキペディア執筆者ができるのは、信頼できる情報源に基づいて記述することだけです。もし歴史研究の場で三成が忠臣ないし奸臣と評価されているのであれば、そのことをウィキペディアに執筆すべきでしょう。書くべきか書かざるべきかの判断基準は、学術研究でどう扱われているかの一点に帰着します。
その上で考えてみますと、現在の研究水準においては、三成が忠臣か奸臣かなんてまったく議論の対象とされていません。経済官僚としての三成がどのような社会背景のもとでどのような経済政策をとったか、てなことの方が三成研究のメインテーマになってるぽいですね。もっともかつては忠臣か奸臣かが議論されることもありましたし(そういう議論がなされたのにもそれなりの歴史的背景があるわけですが)、通俗的には未だに愛好家の口端にのぼることもあるようですので、落としどころとしては、忠臣説論者とその主張、奸臣説論者とその主張を簡潔に書き直して、それ以上のボリュームで現在の三成研究の到達水準を書き記す、ってとこでありましょう。少なくとも今の忠臣説・奸臣説は大幅に削っちゃっても問題ないと自分は思っております。--shimoxx 2007年12月30日 (日) 17:05 (UTC)返信

君らは学問がないねえ。学説史というものの記述の仕方がまるで分かっていない。渡辺世祐による再評価とか、書き足しておいたよ。参考文献なんか、通俗書だけじゃないか。--以上の署名のないコメントは、116.80.26.123会話/Whois)さんが 2008年8月14日 (木) 15:22 (UTC) に投稿したものです(Greatupperによる付記)。返信

渡辺氏の研究に誤りが多いことはすでにそれ以降の研究で明らかなのですが。渡辺氏の「稿本石田三成」の功績は三成を悪人ではないと再評価したこと、それだけです。学問がないとか罵るような言葉も慎んでくださるようお願いします。--漬けマグロ 2008年9月13日 (土) 13:55 (UTC)返信

そうです。
ただただ、再評価しただけで、”学問がない”などと罵るようなことは、絶対に、あってはならないと思います。そうゆう言葉は、ご自分のお心の中だけにとどめておいてください。--2400:2653:88A0:4A00:804B:D409:413:AC60 2023年9月9日 (土) 03:06 (UTC)返信

転載? 編集

三成が処刑直前に柿を所望したエピソードですが、[1]からの転載ではありませんか?リンク先のサイトは発足したのが2002年の模様なので、書かれたのは明らかにこちらが後ということになり、著作権侵害をしていることになります。--ShellSquid/履歴 2011年2月8日 (火) 22:24 (UTC)返信

具体的に言うと「処刑直前に」から「泰然としていた」まで言い回しを少し変えただけで文節の組み立て方がほぼ一致しております。過去の判例を考慮すると、「研鑚」「師事」の二つの単語が一致しているだけでも著作権に抵触しているとみなされた事例もあったので、「泰然」「所望」など、一部のキーワードが一致しているこの文章は、著作性のある文章とみなせるのではないでしょうか?--ShellSquid/履歴 2011年2月8日 (火) 22:27 (UTC)返信
いえ。私は、深く調べているわけではないのですが、もしも、ほかの文章を書き換えたものなのなら、それは、著作権侵害まで行くのかどうかははっきりとはわかりませんが、正直言って、もともとの文章から書き換えた人は、明らかの楽をしていて、元の文章を書いた人からすると、非常に残念なことだと思います。
反対意見がある方は、いくらでも送ってください。
返信しますから。--2400:2653:88A0:4A00:804B:D409:413:AC60 2023年9月9日 (土) 03:11 (UTC)返信

用語 戦国武将・大名であって、官僚ではない。 編集

石田三成を官僚呼ばわりするのは三成に対する侮辱・過小評価なのでやめましょう。約19万石の武将・大名でいくつもの戦いに従軍し関ヶ原の戦いを起こしているのに官僚呼ばわりはないと思います。 石田三成が官僚だというと、明智光秀、直江兼続、諸葛孔明なども官僚だということになってきますから、学術的な言葉使い・用語には気をつけてほしいですね。2011年6月20日(月)19:30(UTC)--以上の署名のないコメントは、118.109.83.29会話/Whois)さんが 2011年6月20日 (月) 14:20 (UTC) に投稿したものです(Greatupperによる付記)。返信

「官僚呼ばわり」が過小評価なんてあなた個人の考えに過ぎません。そういった文句は小和田教授に直接言うか、ブログに書くかつぶやくかしていればいいと思いますが。--彩華1226 2011年6月28日 (火) 18:24 (UTC)返信
>彩華1226 最初に石田三成のページを執筆した学者さんに俺はクレーム出してるわけ。学術的にも戦国武将を官僚呼ばわりするのはおかしいと思いますが。
2011年6月30日(木)17:30(UTC) --以上の署名のないコメントは、221.44.110.124会話/Whois)さんが 2011年6月30日 (木) 08:13 (UTC) に投稿したものです。 個人攻撃を除去 --Calvero 2011年7月15日 (金) 16:34 (UTC)返信

118.109.83.29=221.44.110.124さんが議論の拒否を宣言されたため、Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックへの通告を行いました。--彩華1226 2011年6月30日 (木) 15:31 (UTC)返信

議論の拒否には該当しないだろ。負け惜しみみたいなことやんのやめろよ。それに学問の場では、みんな語句や用語の意味・定義・用い方に関してはうるさいのであり、そういったことを議論するのがノートページのはず。ブログでつぶやくようなことでもないし、間違ってるのは彩華1226の方。むしろ議論の拒否してるのはあんたの方でしょ。wikipediaの以下の文章からも、議論の拒否・妨害しているのは彩華1226の方。 
8.記事の編集に際し他の執筆者との協調が図れないなど、ウィキペディアの目的遂行を妨げる行動で、次のようなもの。
8.1 ノートページや各種依頼ページにおける議論の拒否や妨害
管理者は投稿ブロック実施前に以下の事項を確認する必要があります。
2.投稿ブロックの対象となる人に対して、問題解決のための誠意・敬意を持った話しかけを誰かが試みていて、それが拒絶されていたり、はねつけられていたりすること。2011年7月1日(金)5:30 (UTC)
彩華1226さんが議論の拒否や妨害、記事の編集に際し他の執筆者との協調が図れないなど、ウィキペディアの目的遂行を妨げる行動をしたため、Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックへの通告を行いました。

戦国武将・大名を勝手に官僚呼ばわりすることは、Wikipedia:独自研究は載せない、Wikipedia:説明責任、Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:中立的な観点といったWikipediaの編集方針に反する。 Wikipediaでは検証可能な事実を記述すればいいのであり、戦国武将を官僚呼ばわりするような独自な解釈・分析・評価に基づいた独自研究の語句を使うべきではない。武将・大名・奉行など、当時の言葉を使って記述すればよい。 2011年7月1日(金)6:30 (UTC) --以上の署名のないコメントは、221.44.110.124会話/Whois)さんが 2011年6月30日 (木) 22:15 (UTC) に投稿したものです。 個人攻撃を除去 --Calvero 2011年7月15日 (金) 16:34 (UTC)返信

個人攻撃を繰り返し行うことは、「問題解決のための誠意・敬意を持った話しかけ」ではありません。自分の意に沿わない編集がなされたからといって、編集者の人格を貶めることを目的とした発言をしてはなりません。そして言葉遣いも丁寧なものでなければなりません。--Calvero 2011年7月15日 (金) 16:34 (UTC)返信

当時の言葉なら「吏僚」でしょうね。--彩華1226 2011年7月15日 (金) 16:06 (UTC)返信

当時の言葉では「吏僚」という言葉は使われておりません。当時の言葉を使って記述するなら「奉行」「治部少輔」「武将」「大名」などという言葉を使うのが適切でしょう。--221.44.110.124 2011年8月3日 (水) 14:33 (UTC)返信
あなたが除去した記述は藤木久志『天下統一と朝鮮侵略』(文庫版p279、p280)に基づくものです。あなたの個人的な意見以外の論拠の提示がなく出典に基づく検証可能な記事が除去されたため、差し戻します。あなたの個人的意見が豊臣政権研究の大家である藤木先生の論述を上回るものだと強弁されるなら、まず論拠を示してください。--彩華1226 2011年8月4日 (木) 15:21 (UTC)返信
では彩華1226さんにお聞きしますが、あなたは藤木久志さんに著作権の承諾を取りましたか?勝手に他人の著作物の文章をコピーすることは著作権の侵害ですよ。それに、藤木久志さんの著作が参考文献にあげられていませんよ?石田三成の参考文献や研究書籍では「奉行」「武将」「大名」として記述されるのが一般的です。「吏僚」という言葉は中立的でなくwikipediaのような百科事典に載せるにはふさわしくありません。また、あなたが「吏僚」という言葉に勝手に差し替えた文章はもともと吏僚などという言葉では記述されておりません。また、わたしが編集した部分に関しては参考文献にあげられている通り出典に基づく検証可能な記事です。きちんと参考文献を読んでから発言してくださいね。--221.44.110.124 2011年8月5日 (金) 00:43 (UTC)返信

彩華1226さん、あなたの利用者‐会話:彩華1226は拝見させていただきました。あなたはwikipediaの管理者や他の大多数のユーザーからさんざん警告・クレーム・投稿ブロックを受けているようですね。あなたの嫌がらせのような編集合戦はそろそろやめていただけませんか?--221.44.110.124 2011年8月5日 (金) 03:28 (UTC)返信

気になったので調べてみたのですが彩華1226さんの編集には見た限りでは著作権侵害に該当する部分はありませんでした。(編集はリスト除去、短文の事実のみの文章の追加、単語の変換のため)IP221.44.110.124さんはどの版のどの部分が著作権侵害なのかご説明願います。--Aquamarin456 2011年8月5日 (金) 09:23 (UTC)返信
2011年7月15日 (金) 16:04 彩華1226 (会話 | 投稿記録) (46,343バイト) (藤木久志『天下統一と朝鮮侵略』文庫版p279、p280に基づき秀吉直属の吏僚として軍事機能を支えた三成について記述) の版です。
「豊臣秀吉直属の吏僚として権勢を振るった。」というページ冒頭の文章が著作権の侵害となっています。上の方で他の方も述べている通り、単語が二つ重なっただけでも著作件侵害となったりすることがあります。例えば、豊臣秀吉直属の吏僚として権勢を振るった、という文章を書いているのは藤木久志さんだけです。他の学者の方はそういう表現をしていないわけです。『石田三成「知の参謀」の実像』『近江が生んだ知将 石田三成』『義に生きたもう一人の武将 石田三成』など、学者の方はみな表現や内容、意味がかぶらないようにして著作権法に触れないようにしています。それ以前に、本人の著作物から勝手に本文の内容を引用してネット上にのせることは著作権法に反するのです。あなただって自分が出版した本の内容を勝手にインターネットのサイトにアップロードされたら抗議するでしょう。--221.44.110.124 2011年8月5日 (金) 10:22 (UTC)返信
その文章のみでしたら事実関係のみの創作性のない文章ですので著作権侵害とは言えません。上の件も著作権侵害に当たらないとして存続終了になっています。--Aquamarin456 2011年8月5日 (金) 10:37 (UTC)返信
いいえ、そうではありません。ただ「豊臣秀吉直属の吏僚として権勢を振るった。」という文章を書くだけならたしかに著作権侵害は免れるかもしれません。しかし、彩華1226さんは藤木久志『天下統一と朝鮮侵略』文庫版という名前と著作名を持ち出し、「藤木久志さんの権威と付加価値のもとに文章を紹介して記述している」わけですから、この文章には著作権があるということになります。藤木久志さんの名前と著作と権威を持ち出さずに事実関係のみの文章を書けば著作権侵害にはなりませんが、その場合はwikipedia:検証可能性を満たさないことになります。この前も学者の方が自分の著作物を参考文献にあげて内容をコピーするなと著作権侵害の依頼を出すのを見かけましたよ。--221.44.110.124 2011年8月5日 (金) 11:28 (UTC)返信
そこまでおっしゃるなら私からはこれ以上は言いません。ただし著作権侵害の場合編集除去ではだめで削除依頼を経て管理者により削除してもらう必要がありますので責任を持って最後までやってください。なお現在記事は保護されていますがIPユーザであっても依頼自体は提出が可能です。(削除依頼タグを記事にはりつける作業は管理者伝言板で依頼できます)--Aquamarin456 2011年8月5日 (金) 12:32 (UTC)返信

221.44.110.124さんがいろいろとおっしゃっていますが、わかったことは221.44.110.124さんが著作権侵害を言い立てている藤木久志『天下統一と朝鮮侵略』の当該部分を一切読んでいらっしゃらないということです。「豊臣秀吉直属の吏僚として権勢を振るった。」などという文章は藤木久志『天下統一と朝鮮侵略』p.279-p.280にはでてきません。当該の編集において書籍の記述の引き写しは一切していないことは、当該書籍の当該部分を一読すればわかるはずなのですが。さて、藤木p.279-p.280では「秀吉直属の吏僚である三成」(p279,l.16-p280,l.1)の堺奉行としての成果や「石田三成の権勢」(p280,l.2)について記述されています。それを参考に加筆を行ったまでです。--彩華1226 2011年8月5日 (金) 17:38 (UTC)返信

221.44.110.124は私です。ようするに、著作者の許可をえず、著作物の内容を要約して著作者の権威のもとに自分なりの文章を書いた、ということですね。それを一般社会では著作権の侵害と申します。きちんと藤木久志さんにライセンス取ってからそういうことやって下さい。あなたが藤木久志さんの名前と権威を利用して文章を書いてしまうと、信用毀損・名誉毀損の問題に発展することもあるんですよ。--伊賀忍者 2011年8月6日 (土) 08:32 (UTC)返信
  質問 221.44.110.124殿は「本人の著作物から勝手に本文の内容を引用してネット上にのせることは著作権法に反するのです」との解釈を披露しているが、「引用が違法」とは初耳である。吾輩は恥ずかしながら無学ゆえその根拠が全く理解できないため、伊賀忍者殿に明瞭にご教示していただきたい。--フハハハハ お前を浪人同様にしてやろうか 2011年8月6日 (土) 09:14 (UTC)返信
  コメント なお、吾輩の理解では、少なくとも現行法では引用を禁止しているとは到底思えないが。そのため、なにを根拠にそのような発言をなされるのか、他の利用者にもわかるようにご発言いただきたい。また、単なる個人的な意見として「引用は違法にすべき」と主張しているのであれば、それはノートでやるべき行動ではない。まず国会にて引用を違法化する法案を可決、成立させてから主張すべきであろう。--フハハハハ お前を浪人同様にしてやろうか 2011年8月6日 (土) 09:14 (UTC)返信
  コメント引用は著作権法違反ではありませんね。--プリズム11会話2013年6月29日 (土) 15:39 (UTC)返信

「官僚(吏僚)」という定義 編集

石田三成を「官僚(吏僚)」としているのはその藤木久志さんだけなのですか?もしそれならば、一人しか唱えていない情報、つまり特定の方の独自説を冒頭段落に書くのは適切ではないように思えます。もし多数の研究者が三成を「官僚(吏僚)」としているのなら、代表的な出典を3つほど付けていただければ、読者にも親切ですし、上の方も納得なさるのではないでしょうか。◆それと「権勢を振るった」という言葉は(「活躍した」と同じくらい)非中立的な表現であり、冒頭段落に置くよりも「評価」のセクションに誰の表現か出典とともに書くべきことであると思います。--miya 2011年8月7日 (日) 02:36 (UTC)返信

藤木氏の当該書籍は通史です。通史は一人しか唱えていない情報を書くものではありません。「吏僚」への変更は、石田三成を吏僚として捉えることが歴史学上の通説であることを当該書籍から参照したためです。--彩華1226 2011年8月7日 (日) 15:09 (UTC)返信
石田三成を吏僚として捉えることは歴史学上の通説ではなく、wikipedia:独自研究に該当します。石田三成に対しては「知将」「知の参謀」「戦国武将」「義に生きたもうひとりの武将」など、さまざまな呼ばれ方がなされています。miyaさんも申しあげている通り、彩華1226さんは研究者による代表的な出典を3つほどつけてください。それと、「豊臣秀吉直属の吏僚として権勢を振るった。」という言葉は藤木久志さんによる解釈・評価の表現ですから、保護が解けたら冒頭ではなく「評価」のセクションに書いておいてください。その際、著作権の処理は彩華1226さんが責任を持って執筆してください。--伊賀忍者 2011年8月8日 (月) 09:08 (UTC)返信
  コメント横から割り込み失礼します。石田三成を「吏僚」(官僚)として評価するというのは、藤木久志一人が唱えている説などではなく、この時期の歴史を扱う者ならば誰でも弁えている知識ではないかと思います。私見ですが、これは明治・大正期の渡辺世祐徳富蘇峰(徳富の『近世日本国民史』では「文吏」と呼んでいます)あたりから脈々と受け継がれている、「通説」というよりは、もはや「常識」の範疇に属する話ではないでしょうか。もちろん異論を唱えている学者が皆無という訳ではないでしょうが、近年に至るまで石田三成が「吏僚」たる豊臣奉行衆の代表的人物であったことを否定する人は少ないと言って良いでしょう。手近にある本から拾っただけでも
  • たしかなことは、豊臣政権内には、石田三成を筆頭とするエリート官僚のグループと、…(以下略)」(『集英社版 日本の歴史12 天下一統』熱田公、ISBN 978-4081950119、323ページ)
  • …秀吉の死後、豊臣政権は奉行人としておもに行政面で活躍した石田三成・小西行長ら文吏派と…(以下略)」(『教養の日本史 第2版』竹内誠・君島和彦・佐藤和彦・木村茂光、ISBN 978-4130220149、141ページ)
  • 吏僚派といわれる奉行たちであり、その実質的な筆頭が石田三成であった。」『日本の歴史15 織豊政権と江戸幕府』池上裕子、ISBN 978-4062919159、326ページ)
  • 石田三成ら五奉行の吏僚派と…」(『関ヶ原合戦 家康の戦略と幕藩体制』笠谷和比古、ISBN 978-4062580038、33ページ。『戦争の日本史17 関ヶ原合戦と大坂の陣』笠谷、ISBN 978-4642063272、4-5ページ)
  • 優れた経済官僚でもあった石田三成」(『関ケ原 戦国経済の大転換』楠戸義昭、ISBN 978-4620314600、104ページ)
等々…。まさに文字通り「枚挙にいとまあらず」の状態です。これを独自研究にあたるというのは、無理があるかと思います。利用者:伊賀忍者さんはこれらの書籍に目を通したことがおありでしょうか? 私にとっては「石田三成を官僚・吏僚と呼ぶのは間違いであり、独自研究である」という主張こそ、独自研究のような気がしてなりません。なお、私が上記で引用した各書籍の文章は、著作権法で認められる正当な引用であって著作権の侵害には当たらないことを注記しておきます。念のため。
また代表的な出典を3件つけるという利用者:miyaさんご提案の妥協案についても、かえって出典とした研究者のみが唱える少数説かのように読者に余計なバイアスを与えてしまう可能性もあるため、やや慎重に扱った方が良いかもしれません。--トホホ川 2011年8月9日 (火) 06:28 (UTC)返信
  コメント 伊賀忍者さんは「著作権の処理は彩華1226さんが責任を持って執筆してください」などと言っていますが、同じノートにて「引用してネット上にのせることは著作権法に反する」などと言っています。「引用(中略)は著作権法に反する」などと自説を展開している人物が、他人に対して著作権についての要請をしているようですが、そもそもこんなことが通用するのだろうか。「引用(中略)は著作権法に反する」などと主張している人物が、著作権について論じたとしても、説得力は皆無なのではないかと。--(フハハハハ お前を浪人同様にしてやろうかからかいめーかんりょー)フハハハ!! 2011年8月11日 (木) 17:53 (UTC)返信
  コメント武士の政権において大名が同時に官僚であることに何の不思議もないと思いますね。また、「官僚」を過小評価だとも思いません。石田三成は優秀な大名であったとともに優秀な官僚だったと思います。--プリズム11会話2013年6月29日 (土) 15:39 (UTC)返信

出典 編集

要出典と言われたことに出典を示したことに対して剥がしであるという指摘を受けております。出典を示したのに何の文句を言っているのか理解できません。勝手に投稿ブロックなどをすると脅かされておりますので、ここに記しておきます。また、そのような記録がないと指摘したことに対して要出典とされているのも理解に苦しみます。--漬けマグロ会話2012年12月30日 (日) 02:19 (UTC)返信

「氏郷に症状が出始めた頃、三成は朝鮮にいたため、少なくとも直接毒を盛った可能性はない。」の部分に出典が求められましたが、出典を示さずにテンプレがはがされています。
また複数のセンテンスに渡る出典の場合は、どの部分が出典範囲か判読できません。すなわちどの記載が、どの資料に基づくのか他の読者に個々に示す必要があるのです。連番を振る複数にわたる出典の示し方がありますのでそれをお使いください。--183.72.199.49 2012年12月30日 (日) 05:08 (UTC)返信

「氏郷に症状が出始めた頃、三成は朝鮮にいたため、少なくとも直接毒を盛った可能性はない。」の部分は私が書いたものではありませんが、三成がその時期に朝鮮にいたことはほとんどの歴史書全てで証明されていることで、出典の必要はないと思いますが。逆にそれらの歴史書全てを掲載しろというのは無茶な話ですよ。後半の部分については、仰る通りに訂正します。ただ、年末年始で忙しい時期なので、多少の時間がかかることをご了承願います。--漬けマグロ会話2012年12月30日 (日) 08:11 (UTC)返信

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