ノート:総国

最新のコメント:16 年前 | トピック:統合提案 | 投稿者:Shikai shaw

統合提案 編集

総州の本記事への統合を提案します。理由としては以下が挙げられます。

  • 総州はそもそもが総国から生まれた言葉であり、基本的に同じ範囲を指す言葉である。後の時代でも総国という言い方をしなかったわけではない。
  • 総州は数年にわたって字引的なスタブ記事として放置されたままであり、今後も独立記事としての発展は期待できない。一方、総国も記事の量がそれほどあるわけではないので、この記事内で総州のことを語れば十分である。
  • 筑州豊州肥州備州丹州毛州は独立記事として立っておらず、令制国以前の国へのリダイレクトとなっている。また、越州は曖昧さ回避記事であるが、その説明は令制国以前の国にある。他の○州は曖昧さ回避記事を除くほとんどが令制国へのリダイレクトとなっており、独立記事とはなっていない。

将来的に総国と総州を分割する必要性が出てくることを否定はしませんが、現在の状況から見る限りでははるか未来の話に思えます。ご意見をよろしくお願いいたします。--shikai shaw 2007年9月7日 (金) 06:20 (UTC)返信

  • (賛成票)shikai shawさんが上記に挙げられている理由に、全面的に賛成します。--しいたけ 2007年9月8日 (土) 10:26 (UTC)返信
  • (コメント)二つの記事が独立してあることのデメリットは何でしょう。デメリットが無いのに何故統合しようとするのか判らない、とういうのが素朴な疑問です。
shikai shawさんが引き合いに出されている毛州を例にしますと、このかつて毛州といわれた地域の総州に対応する言葉は上州野州上野国下野国の別称です。しかし上総国の別称を上州にするわけにはいかず、上総国と下総国についてはどちらの別称も総州になってしまっていますので、少なくとも曖昧さ回避程度の記事は必要になる、ということだけのように思えます。これは上総国あるいは下総国だけを指す別称が存在しない以上仕方ないことです。なお毛州という呼び方は通常は使われず、両方指すのは両毛だと思います。
それから、「筑州豊州肥州備州丹州毛州は独立記事として立っておらず」という書き方は不正確です。毛州は2007年9月7日 04:08 つまりこの統合提案の少し前に shikai shaw さんがリダイレクトにされ、丹州等はもっと前ですがご自身が統合されたもののように見受けられます。ですので、書くとすれば「丹州等はなになにの理由により統合し、総州と総国もなになにの理由により統合」とすべきで、この「なになにの理由」が統合の理由であるべきではないでしょうか。Wikipedia:ページの分割と統合#ページの統合には、「統合すべき場合」というのが載っております。そして「統合提案の告知」には「告知を行うことが推奨されます」とあります。丹州等に付いては告知を行うことなしに(だめとは書いてないようですが)統合されておるようにも見受けられ、理由に合点が行かなかったことと、shikai shaw さんのなされ方が基準通りとも思えなかったことからコメントさせてもらいました。平たく言うと総州と総国をからめさえしなければ、何の問題もないのではないか、ということです。--210.165.166.201 2007年9月12日 (水) 12:23 (UTC)返信
以前私のノートにご意見をいただいた方でしょうか。今回の行動についての詳しい顛末は利用者‐会話:Shikai shaw#総国と総州についてに書いてあります。で、なぜ統合したいのかというと、総州は字引的な記事にしかなりえず、百科事典にはふさわしくないと考えられることと、統合しないことによるデメリットよりも、統合することによるメリットの方が遥かに多いと考えられるからです。筑州、豊州、丹州も実質的に同じ理由で過去に統合されています。
ウィキペディアの公式な方針にWikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは辞書ではありませんというのがあります。「総州」という言葉は上総国と下総国の別称でしかなく、百科事典的な内容は主となる両国の記事に書くべきであることを考えると、辞書的な定義を超えるのは困難であると思われます。実際、私が提案した時点での記事の内容は完全な字引き記事であり、今回、210.165.166.201さんが書き加えて下さった内容も結局のところは名称についての事柄だけで、辞書的な内容でしかありません。故に、曖昧さ回避記事ならともかく、独立記事として必要だとは到底思えません。
また、この地域について述べる記事はすでに総国総州上総国下総国安房国のほかに千葉県茨城県房総半島などがあり、その下に現存する下位の自治体や地域、さらには過去に存在した自治体や地域の記事があります。利用者がこの地域について総括的に調べたい場合、これらの記事をすべて回らねばならず、これは大変な負担でありデメリットであるといえます。それならば利用者が閲覧しやすいようにある程度の記事にまとめて充実させたほうがメリットが高いといえます。ウィキペディアでは似たような範囲をさす範囲の記事はまとめられる傾向にあり、例えば東京圏南関東がそうですし、札幌名古屋などでは長期の議論のうえ独立記事としては消滅しました。今でも北海道九州地方四国地方などでは議論が続いていましたが、ひとつの記事へまとめる方向に向かっています。歴史的な記事についても不必要に記事を乱立させることは避けるべきです。
上記で上げたうち、上総国などは令制国、千葉県などは現存する広域自治体、房総半島は地形に関する記事ですから、独立記事でなければなりません。総国も国造国なので独立してあるべきですが、総州については令制国の別称でしかないので、本来の説明は令制国の中にあるべきです。しかし、複数の令制国の別称なので、どちらか一方に収めるわけにはいきません。しかし、本来の語源であり、ほぼ同じ地域をさす総国という記事があるため、ここで記述することは可能です。ウィキペディア内をみると同じ扱いをするべき筑州、豊州、丹州もこの方法を採用しているため、そちらに統一するのが自然であるといえます。なお、似たような項目に両毛雲伯がありますが、両毛は別の定義で現在でもよくつかわれている言葉であり、雲伯はもともと別の国であり他に統合すべき記事がないため独立記事とせざるをえません。
統合提案しなかった理由ですが、Wikipedia:ページの分割と統合は私がウィキペディアに参加し始めたころから一応存在はしていましたが、広く知られるようになったのは2005年の末ごろと記憶していますし、つい最近考慮すべきガイドラインになったばかりで、未だに公式な方針にはなっていません。故に、必ずしもこれに従う必要はありません。実際、スタブ未満やスタブになった程度の記事についていちいち統合提案をしないのは過去では当たり前でしたし、現在でもそれほど問題はないとは思います。--shikai shaw 2007年9月13日 (木) 17:52 (UTC)返信
まず、肥州等について、告知を行うことなしに統合(丹州は私の勘違いだったようです)された理由につきましては了解しました。また、不必要に記事を乱立すべきでない、ということが(放っておけばいくらでも増えてしまうということでしょうか)、今回の統合提案の理由だということも了解します。統合について強いて問われれば反対なのですが、それは総州と総国の記事についてだけの考えで全体的なことはわからず、アカウントを持っていないことでもあり、主張はいたしません。いづれにしろ過不足の無い正確な記事にして下さるようお願いします。
また、余計なことかも知れませんが、私の認識とは違っているのではないかと思われることもありますので、下記します。参考にしてくだされば幸いです。
  • 総州は令制国の別称でしかないというのはその通りですが、範囲はあくまで上総国と下総国だと思います。もともとの総州の記事は、フィクションである『南総里見八犬伝』を引き合いにして南総に房州を含むことを理由に、上総国に房州が含まれるとし、総州には房州も含まれる、というような論理の展開のように見うけられたのですが、それほど単純では無いはずです。単純に言えば房州は総州ではありませんので、総国と範囲を同じくするのは房総であって総州ではありません。(総州の記事を編集したのはそのことを言いたいためで、実際にそんなことが記事の中に入っていなければならないとも思いませんし、編集した内容にはこだわりませんので直してください。また、今まで放っておいてここへ来てそんなことを言い出すのは嫌がらせだ、と言われれば確かにその通りですので。)
  • 「総国も国造国」とされているようですが(令制国以前の国という意味で、お判りになっているのかも知れませんが)、総国はいわゆる国造国とは違います。この地域(房総)には房総半島#歴史にありますようにいくつもの(多分11個の)国造国(いわば在地勢力)があって、総国はいわば中央の影響を受けた勢力によるもののようで、これらの国造国と総国の関係(国造国を統合して総国になったのか、総国が分かれて国造国になったのか、あるいは並立していたのか等)について定説は無いはずだと思います。千葉県#律令時代にある「古くは総(ふさ)=麻がよく育ったことから、総国と呼ばれた」という記述はばがげている(麻なんかどこでも育ちます)とは思うのですが、実際にその程度の説しか存在しないようです。(今の総国の記事を読むと、ほとんど神話で本当にあったのかすら疑わしいようにも思えます。それが統合するしないにどう関わるかは私には判らないのですが、総国の記事が発展することについては期待しています。)
なお、不必要に記事を乱立すべきでない、という統合の理由をお書きにならなかったのは、書かなければならない程のことではない、ということで理解するにしろ、「筑州、豊州、肥州、備州、丹州、毛州は独立記事として立っておらず」という書き方は不正確だとする私の主張にもご理解いただき、つまらないコメントを差し上げたことをお許しください。--210.165.166.132 2007年9月14日 (金) 11:55 (UTC)返信
ほとんど神話であったか疑わしいというだけでは、記事の存在理由を否定する根拠として薄弱な気がします。「千葉県#律令時代にある「古くは総(ふさ)=麻がよく育ったことから、総国と呼ばれた」という記述はばがげている(麻なんかどこでも育ちます)」というのはあくまでも210.165.166.132さんの主観が前面に出すぎていませんか? --210.196.54.34 2007年9月28日 (金) 05:23 (UTC)返信
了解しました。その通りです。総国の記事のできる前ずっと何だろうと思っていたのですが総国の記事が出来て何となく理解できたような気がしたのです。ですので総州とは統合して欲しくないと思っただけです。Wikipediaの方針もあることでしょうから私の希望通りにはならなくとも仕方は無いとは思っています。--210.165.166.221 2007年9月28日 (金) 10:44 (UTC)返信
仕事の都合によりお返事が遅くなってしまい申し訳ございません。さて、統合するべきかどうかについては私の意見は変わっていませんが、統合した場合、総国の記事内に「総州と房総」という節を立て、そこで房総とあわせて記述しようと考えております。総州という記事を探す利用者は基本的に上総国と下総国について調べたいはずで、また総国を探す利用者も根本的にはそれと同じではないでしょうか。だとすれば総州を探した利用者が総国にたどりついても、そこから両国の記事に飛べるのですから、さほど不利益はないはずです。むしろ、かつて総国と呼ばれた地域が上総国と下総国に分かれ、その両国が中国風の別称で総州と呼ばれたこと、そして総州と房州を合わせて房総と呼ぶのだということが一目でわかりやすくなります。なお、今回加筆いただいたものは非常に参考になりましたので、基本的にそのまま残すべきでしょう。総州が房州を含むかどうか私は疑問だったのですが、加筆いただいたことですっきりしました。後で説明しますが、内容の誤りのある記事が長期にわたって放置された例の典型だと思います。また総州はウィクショナリーには独立記事としてあるべきですので、そちらに記事を建てようとも考えています。
総国も国造国と言ったのは、大宝律令下の令制国以前の意味で言いたかったのですが、言葉としては間違いでした。大変失礼しました。ただ、私はこの地域を大和王権が「総」と呼んでいたことは確実であろうと思っていますし、もしそれが間違いであったとしても、過去には上総国と下総国は総国の分割によって誕生したと信じられていたのですから、まったく問題はないでしょう。そもそも私は総州という言葉がそれほど積極的に使われていたかどうか疑問に思っています。読みが「相州」と同じですし、上下の両国のどちらをさすのか曖昧ですから、非常に使いにくい言葉だったのではないかと感じます。だからこそ南総や北総などという言葉が生まれたのではないでしょうか。その点でも独立記事としてあまり相応しくないのではないかと思っていました。ところで、房総半島#歴史はむしろ総国の記事に移動すべき内容ですね。
次に、なぜ統合をするのかについての追記です。百科事典の編集の仕方には小項目主義大項目主義がありますが、ウィキペディア英語版では小項目主義が、ウィキペディア日本語版では大項目主義がどちらかといえば主流の考え方となっています。それぞれ一長一短がありますが、ウィキペディア日本語版で大項目主義が主流となっているのは、インターネット上の辞典であることからそれぞれの記事に簡単に移動することができるため、索引で自分の必要とする記事を探さなければならないという大項目主義の欠点が払拭されることや、誰でも自由に編集できる辞典であることから全体が把握しにくくなるという小項目主義の欠点が顕著になるため、同じような内容の記事が乱立しやすくなったり、また、内容の誤りや人権侵害などの問題がある記事が長期にわたって放置されやすくなったりすることなどの理由が考えられます。もちろん、ウィキペディア日本語版に小項目主義的な記事がないわけではありませんが。
また、ウィキペディアは無償の百科事典ですが、運営には当然お金がかかるため、サーバなどの資源には限りがあります。不要な記事が増えればその分資源が無駄になるわけです。ウィキペディアを運営するウィキメディア財団の財源は主に寄付によって成り立っていますが、極端な例を言うと不要な記事が資源を食いつぶすことによって、ウィキペディアが会員制や有償になってしまうか、消滅してしまう恐れもあります。もちろんこのような極端なことはありえないでしょうが、執筆にかかわるものとしてはある程度ウィキペディア資源の無駄を防ぐことも頭の隅においておくべきです。
ここでもし総州の記事の独立を許した場合、果てには南総や北総、両総や房総などという記事が建てられてしまうかもしれません。そのようなことは是非とも避けたいので、統合すべきという意思に変わりはありません。--shikai shaw 2007年9月28日 (金) 18:16 (UTC)返信
了解しました。結果として理解しやすい良い記事になればそれが一番だと思います。ただし私がコメントを差し上げましたのは、統合して欲しくないという私の希望からではなく、shikai shaw さんの挙げた統合理由が正しくないからですので、念のため。--210.165.166.163 2007年9月28日 (金) 22:54 (UTC)返信
初版を書いたものですが、この問題に対して見解を出すためにいろいろ調べなおしたのですが、千葉県が近年刊行している県史(「千葉県の歴史」)では、「総国」ではなく、「捄国」(手偏に「求」)が正しい表記であるとする見解が出されています。従って令制国成立以後に「総国」という呼び方が使われていたとしても、成立以前には「総国」という表記が使われていなかったとすれば、統合よりも項目名の変更を検討する必要が出てくるかも知れません。なお、「麻」の件ですが、大嘗祭で公式に用いられていた麻布は上総の望陀布であり、『延喜式』における麻織物の貢納規定でも上総は全国最高の貢納が課され、量こそ少ないものの、安房には麻織物の貢納はあっても絹織物の貢納は規定されていないなど、この地域(特に上総側)は古代における代表的な麻布の生産地帯であったことを伺える史料は結構存在するようです。--水野白楓 2007年9月29日 (土) 09:42 (UTC)返信
たとえ「捄国」に記事名を移動したとしても、「総州」が主に使用されていた時代には「総国」だと信じられていたのですし、また「総州」という言葉自体はそこからの派生といってよいわけですから、統合自体には影響を与えないでしょう。それと、「捄」という字はまだ一部のブラウザで表示できない可能性があるので、数年の間は移動を控えるべきかもしれません。とはいえ、リダイレクトで対処できるのでそれほど問題はないのですが。--shikai shaw 2007年10月1日 (月) 02:04 (UTC)返信
最初にコメントを付けさせてもらったものなのですが、見る方の立場からすれば「理解しやすい良い記事」が望ましいわけです。一般論として、知識の不足している人が正しくない理由で統合して理解しやすい良い記事になるとは思えませんので、ここは水野白楓さんのご判断に委ねるのが良いのではないか、と思われます。
なお、小項目主義大項目主義といわれても私には良くわからないのですが、shikai shaw さんも総国国造国だと思っていらっしゃたのですから、対象となるものの位置づけが判っていらっしゃらないわけで、判っていないということでは同じではないのでしょうか?
また、shikai shaw さんはサーバなどのリソースの問題にも言及しておられるようですが、総州の記事は 2kバイト弱なのに対し、ちょとした画像は 2Mバイトくらいはあり 1/1000以下ですので目くじら立てるほどのものではなく、項目数が問題だとすればリダイレクトでも曖昧さ回避でも1項目は1項目でしょうから、結局いずれにしろどちらがより理解しやすいか、良い記事にできるか、ということになるのではないでしょうか?--210.165.166.180 2007年10月1日 (月) 07:15 (UTC)返信
確かに、私もよく分かっていなかった部分があるので反省します。しかし、統合提案自体が間違っていたとは全く思っていません。まず、総国がいわゆる国造の国とは違うことはわかってはいたのですが、大宝律令以前の後の令制国に対しほかに相応しい言い方が思いつかなかったのと、半分寝ぼけていたのであのように記述してしまいました。これについては誤解を招いてしまい申し訳なく思います。しかしながら、何度も申し上げますが、総州はウィキペディアの記事としては少々異質です。たかだか2kB程度しかなく、今後の発展もあまり望めないような記事は、ウィキペディアには相応しくありません。ウィキペディアは辞書ではないのです。多少定義が異なろうとも、いちいち何かの別名で独立記事を立てていたらきりがなくなります。別名というものは基本的に名称についての事柄以外に解説する内容はほとんどないので、親記事において合わせて説明するべきです。ですが、総州は上総国と下総国の二つの国の別名なので、どちらか一方で解説するのは不自然です。故に、上総国と下総国の元となったとされる総国で解説しようとする考え方に至るのは何らおかしな点はないといえます。
リソースについて画像を引き合いに出されていますが、画像と通常の記事は特性が異なります。画像というのはその特性上頻繁に投稿できるものではなく、また、削除されるとその履歴は完全に消えてしまいます。対して通常の記事は非常に気軽に投稿でき、また削除されてもDB上にはかなり長い間残っており、管理者以上ならば閲覧することができます。たとえ2kB程度の記事でも1000回更新されれば2MBになりますし、あるいは1000個あれば2MBになります。まぁ、こういうことはあまり気にすることではないのですが、ある程度考慮に入れておくべきです。
曖昧さ回避記事について、つい最近Wikipedia:曖昧さ回避を久し振りに読んだのですが、Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避ページを探すにはにおいて「Category:曖昧さ回避 - {{Aimai}}が貼られた完全なリストです。しかし、7,000件を超えるとサーバの負荷が大きくなります。 」という記述がありました。故に、私は曖昧さ回避記事についてもなるべく慎重に立てるべきで、過去に建てたものについても、かつて関わったあすかのように整理しようと考えています。
もう一つ、私は「房総」についても本記事で説明するのが相応しいと考えています。房総半島はあくまでも地理の記事であるため地理についての説明に特化するべきで、歴史的な名称については歴史の記事に置くべきです。ですが、総州と同じくどれか一つの国の記事に書くのは不自然であるため、総国で記述するのが最も正しいと言えるでしょう。そこで「総州」について記述すれば、より分かりやすい記事になるはずです。--shikai shaw 2007年10月1日 (月) 16:01 (UTC)返信
おっしゃっていることが判りません。サーバのリソースを引き合いに出されたのは shikai shaw さんの方で、あまり気にすることではないのなら引き合いに出さなければ良かったのではないかと思うのですが?
また曖昧さ回避だけでも、7,000件はないのでしょうが、かなりの項目数があり、リダイレクトもバカにならないだけの項目数があるということだと思われます。ですから総州の1項目についてだけ、なんでそんなに目くじらを立てるのか判らないということなのですが?
上記に限らず、他のこともみんなそれに類することなのですが?
shikai shaw さんは、一見ご自分の非をお認めになさったようでありながら、結局のところ私の意見には一切取り合っていただけず、また私に限らず他の方の意見も受け入れる気がないようにも見受けられます。これでは議論になりませんので、また私の方にもそんなにはヒマがあるわけではありませんので、残念ではありますがこれにて失礼させていただきたいと思います。
見る側の立場からの意見でもWikipediaに益するところがあるのではないかと思ったのですが、どうやらあさはかだったようです。お騒がせいたしました。--210.165.166.230 2007年10月2日 (火) 09:08 (UTC)返信
どうも私の言いたいことがうまく伝わっておらず、不快に感じられたようで申しわけございません。リソースの件については、削除依頼や統合依頼などに長くかかわっていればよく議題に上る話です。私はウィキペディアの執筆にかかわるものはリソース(よくウィキペディア資源などと言ったりします)について考慮する必要があり、慎重に行動をとるべきだと考えています。たとえば雑草とりはある程度必要な作業ですが、単にリダイレクトとなっているリンクを直したり、カテゴリを張り替えたりする雑草とりするだけの作業は避けるべきといわれています。過度にリソースを消費するようなユーザーに対しては、Template:PreviewTemplate:スタブ未満作成停止のお願いなどのテンプレートを張るようなことがあり、ブロックされることもあります。
しかしながら、リソースのことを気にしすぎて、慎重になりすぎるのもよくありません。ページの編集は大胆に編集に対し過度に慎重になることなどにあるように、ある程度自由な編集をすることを忘れてはいけません。ウィキペディアが匿名ユーザー(IPユーザー)の編集を受け入れているのも、自由な編集により記事が発展することを期待しているからです。210.165.166.230さんのような初心者がリソースを気にするあまり編集を躊躇することを避けるために、「あまり気にすることではないのですが」という発言をしました。
総州の1項目についてだけ、なんでそんなに目くじらを立てるのか判らない」というのは、ちょっとおかしいと考えます。ウィキペディア全体は1項目1項目の積み重ねなのですから、1項目にこだわることもウィキペディア全体にこだわることも全く同じです。仮にここで総州の独立を許すこととなった場合、令制国の別名の記事すべてに影響が発生し、さらには何らかの別名の記事すべてに波及しかねません。少なくとも上記の筑州豊州肥州備州丹州毛州越州には確実に影響が出ます。むしろ、私は210.165.166.230さんが「総州」の1項目だけにこだわるのが最初から理解できませんでした。「総国」と「総州」を別の記事にしなければならないのなら、「筑紫国」と「筑州」なども分けなければならないと思うのですが……。
また、210.165.166.230さんの挙げた統合すべきでない理由(総国と総州のさす範囲は同じではない、総国と総州は使われた時代が異なる)についてある程度は理解できました。しかし、私はウィキペディアの基本的なルールに則った統合理由(「総州」は辞書的な内容を脱するのは困難なため、ウィキペディアは辞書ではありません単なる字引を作成してしまうことウィキペディアは字引ではないなどに反する)を挙げており、その点を解消する理由をいただけない限り、残念ながら私の結論は変わりありません。そのため「一見ご自分の非をお認めになさったようでありながら、結局のところ私の意見には一切取り合っていただけず、また私に限らず他の方の意見も受け入れる気がないようにも見受けられます。」と感じられたのでしょう。曖昧さ回避記事ならばあってもいいのですが(Template:RedirectTemplate:Otherusesで対処できる内容なので私はあまり望ましくないと思いますが)、その話は統合を前提としたものとなるため、まず統合にご理解いただけないと先に進みませんでした。
最後に、210.165.166.230さんが「総州」に追記していただいた内容は、ウィキペディアにとって非常に利益になるものであり、今後も積極的な活動を望みます。長い議論になってしまい大変失礼しました。--shikai shaw 2007年10月2日 (火) 17:19 (UTC)返信
しばらく時間がたちましたが、統合を行いました。また房総半島にあった歴史も正確には半島以外のものも含むものだったため、こちらに移しました。ご意見ありがとうございました。--shikai shaw 2007年11月20日 (火) 10:19 (UTC)返信
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