ノート:蜀漢の滅亡

最新のコメント:3 年前 | トピック:改名提案 (再度) | 投稿者:喜寿

改名の提案 編集

呉滅亡もそうですが、もう少しまともな名前に変更した方がよくありませんか。例えば、蜀征討戦、とか。必要な時に、特に物事の題名をつける時とかに、漢字熟語を使って、表現を短く簡潔にするのが、日本語の良い特徴だと思う。これでは、見づらいばかりか、日本語的でさえないですよ。--希望 2009年3月4日 (水) 17:59 (UTC)返信

書いたような理由から、ページのタイトルをタイトルを「魏が蜀漢を滅ぼした戦い」から、「蜀征討戦」に改名させて頂きました。--希望 2009年3月6日 (金) 05:45 (UTC)返信

上記改名への異論 編集

希望さんが2009年3月6日 (金) 14:32(JST)に行った改名に賛同できません。提案してから一日半しか待たず、Wikipedia:改名提案にも報告をせず、すぐに改名してしまうのは強引なように思えます。また「蜀征討戦」という記事名にも納得できません。征討とは反乱を討つ言葉であり、蜀漢を正統王朝とする考え方がある以上中立的ではありません。たしかに「魏が蜀漢を滅ぼした戦い」という記事名はスマートではありませんが、「蜀征討戦」ではない別の名称に変えたほうがいいと思います。なお自分は「蜀の滅亡」という記事名を提案します。--蒲生直義 2009年3月6日 (金) 12:26 (UTC)返信

(コメント)国名は「蜀漢」なのに、記事名は「蜀の滅亡」ってのは合致しない。どうせなら「蜀漢の滅亡」の方がまだ良いような。その前にこの記事名がいいかどうかわからない。文献に合戦名が無いからね。あと、初版作成者さんにはお知らせした方が良いような。--UNICAMERA 2009年3月12日 (木) 12:51 (UTC)返信
たしかに「蜀漢の滅亡」の方が良いですね。遅ればせながら初版作成者の方にも連絡をしました。また自分もこの記事はなにが適当な名称なのか自信がなく、多くの人から意見を頂きたいと思っているので、改名提案を行おうと考えております。--蒲生直義 2009年3月12日 (木) 13:29 (UTC)返信
初版を作った三十面相です。「蜀漢の滅亡」は良い題名だと思いますが、「蜀漢滅亡」でも良い気がしますし、最も決定的な戦いである「綿竹の戦い」でも良いと思います。「蜀征討戦」も良いとは思いますが、言われてみれば中立的でない気もします。最初の題名の「魏が蜀漢を滅ぼした戦い」は記事を書く前から「Template:Campaignbox 三国時代 (中国)」に登録されていたのですが、少し長い題名ですが、内容に関しては分かりやすくて良い題名だと思います。--三十面相 2009年3月12日 (木) 15:00 (UTC)返信
Wikipedia:改名提案にて改名議論中の告知を行いました。--蒲生直義 2009年3月13日 (金) 13:33 (UTC)返信
蜀征討戦では魏が正当と言うことになってしまい、やはり中立性から考えると、「蜀漢(の)滅亡」で良いと思います122.24.176.23 2009年3月17日 (火) 13:25 (UTC)返信
(コメント)この項目は蜀漢に関した記事ですので、場合によっては「」の記事が少ないこともあるのでかの項目に組み込むのも可なのではないかと思う部分もあります。ちなみに「綿竹の戦い」は「剣閣の戦い」を含まなくなるので使用しない方がいいと思います。また、「蜀漢」の項目は「蜀」とされているので、こちらも改名を考えてもいいのではないかなぁ、と個人的には思います。「蜀漢滅亡」という独立した項目に違和感を感じますが、(どちらかと言えば、「剣閣の戦い」「綿竹の戦い」と分けて書いた方がいいような気がしますが。記事が薄くなるかもしれませんね。袁家掃討戦を「官渡の戦い」に含めているならば話は別ですが)この項目が存続するならば、「蜀漢滅亡」でいいのではないかと思います。--Hideokun 2009年3月21日 (土) 05:07 (UTC)返信

異論を提出してから2週間の間にさまざまな意見をいただきまして、次のような改名案が揃いましたのでまとめます。

  • 蜀の滅亡
  • 蜀漢の滅亡
  • 蜀漢滅亡
  • 綿竹の戦い
  • 魏が蜀漢を滅ぼした戦い

この中では、正確さと名前のまとまりからみて、蜀漢滅亡が一番ふさわしいと思うので、これに改名を決めたいのですがいかがでしょうか?

への統合、あるいは綿竹の戦い剣閣の戦いへの分割の提案もありましたが、統合についてはTemplate:Campaignbox 三国時代 (中国)で並べて取り扱えなくなるので今回は見送り、分割はさすがに内容が薄くなりすぎると思うので避けるのがいいと思います。--蒲生直義 2009年3月21日 (土) 09:01 (UTC)返信

(コメント)「蜀漢滅亡」や「蜀の滅亡」だと、戦争の記述が中心になっているこの記事の主旨とずれるのではないかと思います。また「蜀征討戦」という記事名も、皆様の仰る通り違和感を覚えますが「蜀征討戦」が中立性を欠いているなら、諸葛亮の魏侵攻の記事に「北伐」という記事名をつけるのも同じく中立的ではないようにも思えますけどね。Wikiの他の一国の首都をせん滅する、戦場を特定できない戦争の記事名では、例えば「ベルリンの戦い」というのがありますので、「蜀漢の戦い」としても良いのではないでしょうか。--gyokuran 2009年3月21日 (土) 09:31 (UTC)
戦争の記述が中心になっている記事と趣旨がずれるというご意見についてですが、現在の内容は蜀漢の滅亡につながる推移を説明しているので、さほど的外れではないと思います(理想的には綿竹の戦い・剣閣の戦い・鍾会の乱に分けたほうが名称的にすっきりするのですが、個々の内容を充実させるのが困難)。またご指摘頂いた北伐についてですが、この記事は諸葛亮の魏侵攻のみならず歴史上北伐と言われた事象すべてをまとめて取り扱っているため、当記事とは事情が異なるのではないかと。「蜀漢の戦い」という改名案についてですが、この名前だと蜀漢が関わったすべての戦いを解説する記事のようにみえるので誤解を生じます。「ベルリン」は地名ですが「蜀漢」は国を指す名前であるので、これもまた事情が違うと思います。--蒲生直義 2009年3月21日 (土) 12:27 (UTC)返信

議論が止まってしまいましたようですので、もう一週間ほど待って新たな反対意見がなければ、蜀漢滅亡に改名しようと思います。--蒲生直義 2009年3月28日 (土) 08:57 (UTC)返信

  コメントもともとの記事名は「魏が蜀漢を滅ぼした戦い」ではありませんか。これに戻したほうがいいと思います。国名が蜀漢であることと、だけならば、が滅ぼした蜀もあるので「蜀の滅亡」は主語(魏が)がないと記事名としておかしいでしょう。そうなると、「魏が蜀漢を滅ぼした戦い」になるわけです。「蜀漢滅亡」ならばまだ話はわかります。綿竹の戦い・剣閣の戦いはこの一連の軍事パフォーマンスの一局地戦ですので、反対です(局地戦の記事の詳細が書ければ分割は構いませんが、そのレベルでもないでしょう)。話はそれますが、諸葛亮の北伐の用語が中立的でないと言っていますがそこまでいくと言葉狩りの気がしてなりません。--Wushi 2009年3月29日 (日) 12:32 (UTC)返信
「蜀の滅亡」および「綿竹の戦い・剣閣の戦い」への反対意見はまさにその通りだと思います。ですが第一に推奨している「魏が蜀漢を滅ぼした戦い」は、文字数も多く説明文章的で、記事名としてはふさわしくありません。ですのでWushiさんも次に推しておられる「蜀漢滅亡」が最適だと思います。--蒲生直義 2009年3月29日 (日) 13:33 (UTC)返信
  コメント遅ればせながら意見を言わせて頂きますと、
  • 魏が蜀漢を滅ぼした戦い→長い上に用語として洗練されていないので反対。
  • 蜀征討戦→用語として一般的でないので反対。
  • 蜀の滅亡→賛成。他の時代の蜀とかぶるという意見があるが、他の時代の蜀の滅亡に関する記事ができてから曖昧さ回避で対応すればよい。
  • 蜀漢滅亡→反対はしない。ただ、「の」を省く意味が分からない。「蜀漢滅亡」という用語が学問上確立しているならよいが、そうでないのなら「の」を加えて「蜀漢の滅亡」とする方が望ましい。
以上の理由から「蜀の滅亡」「蜀漢の滅亡」からの二択を推させて頂きます。--Arawodas 2009年3月29日 (日) 14:27 (UTC)返信
「蜀の滅亡」は反対意見が出ているので避けたいところです。「蜀漢滅亡」「蜀漢の滅亡」の二つにはとくにどちらかを選ぶべきというこだわりがあるわけではないので、Arawodasさんの意見を取り入れて「蜀漢の滅亡」に決めてもいいと思います。--蒲生直義 2009年3月30日 (月) 10:02 (UTC)返信
改名の件に初期から関わっておきながら、コメントが遅れてしまいまして、申し訳がありません。とても忙しく、対応できそうな時間が割けそうになく・・・まず、性急な編集や移動をしてしまったこと、済みません。反論も反応もなかったので、反対意見も関心もないことかと思って・・・テンプレ貼り付けについては、そのルールを存じ上げませんでしたし、2日後に実施してしまったのは、確かに性急が過ぎたと思います。お詫び致します。
ところで、名前の件ですが、私は蜀征討戦が仰るように好ましくない、というなら、「蜀漢滅亡」という形でも、賛成致します。無論、「魏が蜀を滅ぼした戦い」は書きましたような理由で反対です。第一に、日本語の習慣に反します。名称は、不要に長くしないで、漢字熟語を使って短く纏めるのが日本語のある意味での長所です。また、話を戻しますが「蜀漢滅亡」にするにしても、ご指摘の「の」も、わざわざ付ける必要はないんじゃないかと思うのです。二字熟語(名称)と二字熟語(動作)を合わせて、イベント、出来事の名称にするという場合、介在物なしにそのままつけて4字熟語にしてしまい、間にのは入れないのが日本語の風習だし、第一、その方がわかりやすいし、見た感じ自然で綺麗だと思うのですが、いかがでしょうか。(○○の戦い、はこの場合別です、第一これは4字熟語でさえありませんので、上記の例に当てはまりません)日記のタイトル、あるいは本のページの題名にするなら、のを入れてもいいでしょうが、辞書のその事件を示す名称とするには、第一に合わないし、第二に少し不便で不利益だと思うのです。--希望 2009年3月30日 (月) 13:17 (UTC)返信
先のコメントで言い忘れましたが、各種参考資料ではこの件の呼称はどうなっているでしょうか。私が調べた限りでは、この戦役全体を表す語は正史には登場しませんでした(見落としがあるかもしれませんので、他の方にも調べて頂きたいです)。正史にない場合でも、書籍などでこの戦役を包括する呼称が存在し、かつその呼称に一定の方向性があるならば、それを採用した方が後々に紛れの種を残すこともなく安全であろうと思います。出典を基に議論した方が、最終的には参加者皆さんが納得できる結論を出せると思いますので、まずは出典となりうる資料があるかどうかを調べることをお勧めします。すでに調査済みという方がおられたら、遠慮なくこの場で報告して下さい。--Arawodas 2009年3月30日 (月) 14:01 (UTC)返信
自分の手持ちの資料では、この戦いを一まとめにして呼称しているものは存在しませんでした。図書館に行って調べてもみましたが、講談社の『中国の歴史04 三国志の世界』(著:金文京)において「蜀の衰退と滅亡」というひとくくりのイベントとして取り扱われているのを見つけただけでした。この件に関しては専門書などで一般的になるような呼称は存在しないのではないでしょうか?--蒲生直義 2009年4月1日 (水) 14:02 (UTC)返信

(インデント戻します)同じく、川本芳明(2005)『中国の歴史05 中華の崩壊と拡大』pp.44-46にも「蜀の滅亡と晋王司馬昭の誕生」(講談社)としてこの軍事キャンペーンはひとくくりされており、固有名詞は存在しないのではないかと思います。せいぜい、陳寿『三国志』や『晋書』には「蜀征討の詔」の文言は出てくるかもしれませんが……(さすがに『三国志』や『晋書』までは当たれていません)。--Wushi 2009年4月1日 (水) 14:33 (UTC)返信
「蜀漢の滅亡」よりも「蜀漢滅亡」のほうがスマートでよろしいと思うのだが。しかも、でも蜀(三国)でもでも 「蜀漢滅亡」になってますよ?--Nyaku 2009年4月2日 (木) 06:08 (UTC)返信

こちらでも調べてみましたが、お二方の挙げられたもの以外に新たな出典を見つけることはできませんでした。『中国の歴史』(講談社)については05は文面を確認しましたが04は確保できませんでした。結局、あえて挙げるとすれば「蜀の滅亡」が唯一の出典付き呼称となるのでしょうか。これを踏まえ、やはり私としては「蜀の滅亡」「蜀漢の滅亡」からの二択を推します。「蜀漢滅亡」と一続きの熟語のようにしてしまうのは、あたかもwikipedia側が独自の用語を作り出しているかのように見えるので、積極的な支持はできないですね。Nyakuさんの挙げられた魏 (三国)の「蜀漢滅亡」は三十面相さん、呉 (三国)はWushiさんが編集したものですね。--Arawodas 2009年4月2日 (木) 11:33 (UTC)返信
ですか。ではWikipediaの記事は出典が必要ですから、「蜀の滅亡」がいいでしょう。--Nyaku 2009年4月3日 (金) 14:27 (UTC)返信

一応、調べて見ましたよ。いずれも筑摩書房 世界古典文学全集24-ABC「三国志」からの出典です。

  • 「後主伝 第三」より・・・P344、当該鄧艾に降服し、書をたてまつって述べた。P345、北地王劉諶が国の滅亡を傷んで、
  • 「霍王向張楊費伝」より・・・「霍峻伝」P431、景耀六年、(霍弋は)安南将軍に称号があがった。この年、蜀は魏に併呑された。
  • 「杜周杜許孟尹李譙郤伝」より・・・「杜瓊伝」P442、蜀が滅亡したのち、「譙周伝」より、P449、併呑、降伏、p450、(孫綽の評)降伏、社稷が滅びる、(孫盛の言葉)滅亡、p460「郤正伝」より、降伏、(張璠の意見)降伏、
  • 「蔣琬費禕姜維伝」より・・・「姜維伝」p479、降伏

以下は省略して記載

  • 「張翼伝」降伏、「翏化伝」(訳者の注釈)滅亡
  • 魏書「鄧艾伝」降伏文書、降伏者、「鐘会伝」降伏、あとは「陳留王紀」討伐、平定
  • 呉書「孫休伝」降服、最後に「付録の年表」、蜀主劉禅は魏に降服する。

時間的にここまでしか調べれなかった・・・。中途半端で申し訳ない・・・--Hideokun 2009年4月3日 (金) 14:33 (UTC)・・・間違い修正。あと、これは上記の議論を混乱させる目的は無いんですよ・・・、議論の流れは変えないでください、念のため。--Hideokun 2009年4月3日 (金) 14:44 (UTC)返信

みなさま情報ありがとうございます。やはり適切な正式名称や一般的呼称は存在しないと考えて間違いないかと。ところで「蜀の滅亡」が出典付き名称として推されておりますが、記事名においては出典からの正確な引用を使わなければいけないという制約はないと思います。Wikipedia:記事名の付け方にはある事象に関する記事など、正式な名称がない場合は日本語での適切な名称を採用しますとあるので、「蜀漢滅亡」あるいは「蜀漢の滅亡」でも問題ないと考えておりますがいかがでしょうか。--蒲生直義 2009年4月3日 (金) 17:09 (UTC)返信
  コメント どちらかというと四字熟語の印象を取られたくないので「蜀漢の滅亡」のほうがよいと考えますが、皆様のご意見を尊重します。同様に、私が中国語版から訳した「晋が呉を滅ぼした戦いも「呉の滅亡」にしていいかと存じます。--Wushi 2009年4月3日 (金) 21:17 (UTC)返信
「蜀漢の滅亡」でしたら反対する理由はありません。「呉の滅亡」と合わせて支持します。--Arawodas 2009年4月4日 (土) 02:04 (UTC)返信
  賛成 確かに記事名に出典は重要でないようです。では「国名」+「(中立的な)滅亡」でいいでしょう。--Nyaku 2009年4月4日 (土) 12:08 (UTC)返信
  •   コメント空気を読めないような発言をするようで恐縮なのですが、「蜀漢の滅亡」ですと、政治的な要因も含めた滅亡の原因をどのように考えるか、という点も、検証可能性を満たす形式で記述しなければならないでしょうから、現状の「蜀征討戦」という記事名も、記述内容を史実にのっとった戦いの経過とその周辺程度に限定できるという意味でそれなりに合理的であるかとも思えます。なお、蜀のほうはともかく「呉の滅亡」という記事名は、呉 (春秋)の存在を考えると明らかに不適切に思えます。--Kangoshiyouichi 2009年4月10日 (金) 17:14 (UTC)返信
それは少々ややこしく考えすぎのように思えます。蜀漢が滅亡した直接の原因は、本記事で説明されている軍事キャンペーンです。それがなぜ起こったか、なぜそれに蜀漢が耐えられなかったかを書くのは有意義なことですが、必要不可欠なことではありません。ですので記事名を「蜀漢の滅亡」にしても、記事内容を大きく変更する必要はないと思います。「蜀征討戦」はわかりやすさという点では非常に優れていますが、中立性において問題があるので、改名提案をさせていただきました。--蒲生直義 2009年4月11日 (土) 12:21 (UTC)返信

意見も出尽くしたようですので、改名は「蜀漢の滅亡」で決定したいと思うのですがよろしいでしょうか? 新たな反対意見がなければ、一週間後に改名します。--蒲生直義 2009年4月18日 (土) 15:59 (UTC)返信

改名を実施しました。--蒲生直義 2009年4月29日 (水) 11:27 (UTC)返信

蜀の戦力 編集

蜀の戦力10万2000と表記されているのは、蜀滅亡時に示された人口94万余・兵10万2000と記されていることに由来していると思われます。

ですが、これは蜀全軍の数字であって実際に戦闘になった姜維・諸葛瞻らが率いていた兵力とは異なると思われるのですが、いかがでしょうか

劉禅のいる成都や南蛮の驚異が残る永昌郡、呉との前線である江州を空にして全軍を魏軍へ向けていたとの記述がある史書があればこの表記でもいいのですが--118.9.233.187 2008年12月17日 (水) 08:39 (UTC)返信


ご推察の通り、蜀の戦力10万2000は蜀滅亡時に示された人口94万余・兵10万2000に由来しています。確かに実際に魏と戦った兵力は10万2000人以下だったと思います。

実際に魏と戦ったのは、僕が兵力を知っているのは姜維軍4万か5万、漢城・楽城の守兵それぞれ5000ですが、諸葛瞻軍、陽安関・江油の守兵などの兵力は分かりません。--三十面相 2008年12月18日 (木) 09:08 (UTC)返信

姜維軍4万ないし5万というのは、姜維直接指揮が4万、楽城・漢城各5千で全軍5万と考えるべきなのでしょうか。 この戦いが漢中進攻・剣閣攻防・成都降伏までの経過を中心に記していると考えれば、「約5万人以上」の表記としたらいかがでしょうか。122.24.176.23 2009年3月17日 (火) 13:23 (UTC)返信

「蜀漢の滅亡(しょっかんのめつぼう)」 編集

「蜀漢の滅亡(しょっかんのめつぼう)」とありますが蜀漢の読み方は「しょくかん」ではなくて「しょっかん」なのでしょうか? 類似した例に楽毅の読み方は「がっき」か「がくき」なのかがあります。--240D:1:7907:1A00:7116:2B4D:FC1F:A83D 2017年10月25日 (水) 08:43 (UTC)返信

240D:1:7907:1A00:7116:2B4D:FC1F:A83Dさんの仰る通りです。訂正しておきます。--きじゅくん会話2020年11月25日 (水) 08:40 (UTC)返信

改名提案 (再度) 編集

  取り下げ「平定は中立的では無い」という意見があったため、取り下げます。--喜寿🌈会話2020年12月7日 (月) 21:48 (UTC)返信

2009年に改名で、「蜀漢の滅亡」にページ名が変更された様ですが、賛成出来ません。理由として、これは戦いの総称であり、「〜の滅亡」という名前にしてしまうのはおかしいと思います。そこで、ページ名を「蜀漢平定戦」にすることを提案します。--喜寿会話2020年11月26日 (木) 21:53 (UTC)返信

  •   反対 喜寿さんは上記議論を読まれていますか?蜀征討戦は中立的でないという理由から却下されています。同様に蜀漢平定戦も中立的ではないでしょう。ちなみに中国語版では「魏滅蜀之戰」(魏が蜀を滅ぼした戦い)であり、英語版は「Conquest of Shu by Wei」(魏による蜀の征服)であり、中立的な言葉が用いられています。--たびびと551会話2020年11月30日 (月) 19:54 (UTC)返信
    上記議論を読んだ上、改名提案を出しました。「蜀漢征討戦」では、魏が正統となってしまいますが、「蜀漢平定戦」は中立的であると言えます。理由を「征討戦」と比較する形で記述しましたので御一読下さい。
    理由
    ・「征討」の意味は「反逆者を攻め討つこと」ですが、「平定」は「敵を平らげ、秩序を回復すること」とあります。征討戦では蜀漢が逆賊となって仕舞いますが、平定にすれば「蜀漢は魏の敵」としか読み取れないはずです。
    ・実際、魏は蜀漢を平定したのですから、「平定戦」は間違いではないはずです。
    上記理由から、「蜀漢平定戦」は中立的な観点に基づいていると言えます。--喜寿🌈会話2020年12月1日 (火) 22:13 (UTC)返信
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