ノート:言葉の暴力

最新のコメント:8 年前 | トピック:疑問点2 | 投稿者:Uryah

疑問点 編集

>但し暴力や名誉毀損や物隠し・恐喝などと比べるといじめのなかではとても軽いものである。
外見上はそうかもしれませんが、言葉の暴力は心の傷となって長く残ることが少なくなく、言葉の暴力が引き金となったいじめ自殺事件もたびたび発生していることを考えれば、決して「とても軽い」とは言えないのではないでしょうか。
よってコメントアウトとしました。--Bandalgom 2007年6月25日 (月) 07:12 (UTC)返信

>また、多い勢力による弱者への言葉の暴力は日常的に存在するため、判別出来ないことが難点である。(12
多数派の横暴」や「集団主義」ということはあるかもしれませんが、「暴力を判別出来ない」ということはないと思います。「暴力」は「それ」としてちゃんと分かる。「加害者」が集団のなかに紛れてしまう、「暴力を振るった個人」が分からなくなる、ということはあると思います。

※ちなみに、ある哲学的な思考(考察)によれば( ISBN 978-4-00-431137-9 )、「暴力」とは、「自分の思い通りにならない他人を不満に感じた人が、力によって思いを叶えること」のようです。
Uryah会話2014年8月2日 (土) 07:50 (UTC)、2014年8月2日 (土) 13:10 (UTC)返信
※追加参考情報です。他人を自分の思う通りにできる場合は、つまり自分が他人に通用する場合は、力によらないようです。2013年12月に日本で初版が発行された哲学的思索の1つ: ISBN 978-4-478-02581-9Uryah会話2014年12月20日 (土) 07:47 (UTC)返信

疑問点2 編集

これについて。
相手が「強い」か「弱い」かは、「何が(それが)暴力であるか否か」については、まずは関係がないと思うのですが、どんなもんでしょう?
さてところで、「力の有無」とは、腕力?言葉や口・理屈の強さ?あるいは、他の何かの力?頭のよさ?学力?:「力の有無」と、「他人が思う通りになるかならないか」は、直結しないですよね?
口が達者な人は、それで人生をもらえたらなあと思う気持ちはわかりますし、腕力に自信がある人が、それで「人生をもらえる」のは、人生の初期においてのみですしね?
(大人の)社会(全体)では、学歴?でも、全方位に想像してみて、それで、その人たちが、「人生をもらえている」と思います?
人生において、「何が」大事なのか。「大事」という言葉に語弊がある/手あかにまみれているのだとすれば、何が「得」なのか。「得」という言葉に語弊があるのだとすれば、(以下はてしなく…)。
Uryah会話2015年9月26日 (土) 13:04 (UTC)返信
追記。暴力とは、「自分の思うとおりにならない他(人)に、自分の思いを強制すること」のようです(暴力の特性 ISBN 978-4-05-405424-0 p.214)。思うとおりにならないということは、思ったことに対して、自分自身が力不足、すなわち魅力・能力または道理が足りていないということのようです(ふるわれた側を説得する魅力・能力または道理を持ち合わせていなかった(足りていなかった)ので、強制することになった)。
ちなみに、自分の欲望が満たされないときに、または羨望の気持ちを抱いたときに、希のものが手に入るように自分を向上させるのではなく、叶えてくれない相手、または羨望の相手(にとりついてこれ)を破戒しようとする行動様式を、モラルハラスメントと呼ぶようです(参考)。
Uryah会話2015年9月29日 (火) 10:24 (UTC)、2015年9月30日 (水) 11:01 (UTC)返信

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