ノート:高木惣吉

最新のコメント:13 年前 | トピック:出典を求めます。 | 投稿者:Stingfield

”生前の本人の言によれば、苗字の読みは「たかぎ」ではなく「たかき」が正当”とあるが、出典が検証出来ないので削除。--KASAGI 2007年6月20日 (水) 15:31 (UTC)返信

出典を求めます。 編集

「終始一貫して対英米戦回避の信念を貫いた。」とありますが、開戦前の高木は早期開戦やむなしとして行動していたのではないでしょうか?纐纈厚の『日本海軍の終戦工作』(中公新書)P58~59にはそのような記述がありますし、陸軍には対米強硬派として印象されていたと読んだ記憶もあります。 また鈴木貫太郎から高松宮まで13人の『絶対の信任』とありますが、信任ならともかく絶対とするのは如何かと。

出典がないようでしたら前段は削除し、後段については絶対を削除したいと思いますが、出典をご存知の方が居られましたらご教示下さい。ひと月ほど様子を見たいと思います。 --Stingfield 2010年10月21日 (木) 11:52 (UTC)返信

人物像の末尾に記述されていた
また海外諸事情に精通していた為に、終始一貫して対英米戦回避の信念を貫いた。 海軍部内では鈴木貫太郎岡田啓介山梨勝之進米内光政左近司政三寺島健山本五十六堀悌吉古賀峯一下村正助井上成美高松宮宣仁親王などのいわゆる条約派に属するとされる人々から絶対の信任を得た。

について出典が提示されないので削除とコメントアウトしました。

前段の「終始一貫して対英米戦回避の信念を貫いた」とありますが、参考文献『かくて、太平洋戦争は終わった』には「身を挺しての対米戦回避」の節がありますが、その記述は高木のことではなく主に三国同盟に反対した際の山本五十六・井上成美らの記述で高木が何をしたのかの具体的記述がないこと、及び「首相候補に末次大将を」の節には米の戦備が完了したら対米開戦は必至でそのための対応に腐心したとあること、纐纈厚『日本海軍の終戦工作』序章では戦後の高木に対する良識派、穏健派とする評価に疑問が示されていることなどから出典箇所の明記なしの記述は不適当と判断し削除します。 また後段の12名の絶対の信頼とありますが、出典箇所の明示もなく『絶対』という言葉を使うべきではないと判断します。誰から信頼を得ていたかということについても、高木と関係のない第三者の言葉が必要と判断しコメントアウトします。記述の復活の際は出典を脚注をもって明示してくださるようお願いいたします。--Stingfield 2010年11月21日 (日) 05:06 (UTC)返信

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