ノート:Naos

最新のコメント:12 年前 | 投稿者:Shigeru23

--120.75.31.57 2012年4月13日 (金) 21:22 (UTC)==特筆性== Wikipedia:特筆性 (音楽)を満たさない人物です。反響無ければ削除依頼を出します。--マストロヤンニ 2010年4月6日 (火) 17:53 (UTC)返信

念のため。記載されている情報は全て当該人物の個人ページ及び主催する個人サークル(Studioという名称ですが法人格は無く、単なる同人サークルの名称に過ぎません)しかなく出典としての条件を満たしません。--マストロヤンニ 2010年4月6日 (火) 18:31 (UTC)返信

コメントプロでもなんでもない一個人ですね。削除すべきです。--在宅ワーク 2010年4月18日 (日) 16:02 (UTC)返信

反対 この人物についてはまったく存ぜず、記事の必要性も判断できませんが、Wikipedia:特筆性 (音楽)#作曲家・作詞家・リブレット作者の「上記音楽家・音楽グループ(引用者注:特筆性を持っている音楽家か音楽グループ)の楽曲か歌詞にクレジットされている」を満たしており、ウィキペディア日本語版では「特筆性がある」とみなされると思います。--MSSM 2010年4月20日 (火) 03:26 (UTC)返信
コメント上記音楽家というのはmanzoかmikoという方がそれに該当するということでしょうか。しかしmanzoという方はこの人物が詞を付けた曲「フルスロットル」をたまたま歌ったというだけで、直接詞を提供されたわけではありません。つまり「フルスロットル」という曲自体がmanzo氏が所有する楽曲ではないので、「特筆性を持つ音楽家か音楽グループの歌詞にクレジットされている」という要件は満たさないのではないでしょうか。楽曲についての記事は既にあるので、この人物の記事まで作る必要性は無いと考えます。mikoという方も完全に同人でのみ活動されていて、現状の記事も独自研究が多く、特筆性に足りるのか少々怪しいです。提供した楽曲も同人流通ですし、こちらの側でも記事の必要性は無いと思います。 --マストロヤンニ 2010年4月20日 (火) 06:18 (UTC)返信
そのような複雑な条件が「上記音楽家・音楽グループの楽曲か歌詞にクレジットされている」という短く明快な字句の中に含意されていると考えることは難しく、manzo氏がリリースした楽曲にクレジットされているという点を以って特筆性ありとみなすべきです。なお、manzo氏は基本的に曲を自作するようですが、そういった自作自演系のミュージシャン以外では、歌った楽曲が「所有する楽曲ではない」ということはごく普通のことです(ちなみに、その歌手向けに提供されたかどうかは関係しません)。また、本件には直接関係しませんが、歌手の特筆性は、その人物が営利活動をしているかどうかだとか、ウィキペディアの記事の品質だとかには左右されないでしょう。--MSSM 2010年4月21日 (水) 10:10 (UTC)返信
その意見には反対です。所有格の「の」が示す意味を拡大解釈しています。また「リリース」というのは何を指すのでしょうか?歌手の特筆性の解釈は甚だ疑問です。同人はインディーズ以下の個人が趣味でやってる程度の活動です。特筆性のどの要件も本来は満たしませんよ。--マストロヤンニ 2010年4月21日 (水) 14:48 (UTC)返信
「の」が表す「所有」とは文法上の学術用語にすぎず、法的な所有を意味しません。私は「私の家」を所有していませんが、それは間違いなく「私の家」であるのと同じです。また繰り返しますが、歌手が曲を所有していないのはふつうのこと(たとえばジャニーズやハロプロの歌手のほとんどは曲の所有者ではありません)で、そのようなありふれたケースが暗黙のうちに排除されているという解釈は不自然です。
『「リリース」というのは何を指すのでしょうか』という質問の意図がわかりかねます。英和辞書には「公開(発表・発売)する」とありますが、そのようなことをお聞きされているのでしょうか。
Wikipedia:特筆性 (音楽)は同人を排除していません。同人か商業かというのは特筆性の概念に馴染みまないと思いますが、どうしても同人には特筆性がないとしたいなら、まずWikipedia:特筆性 (音楽)のノートで提案し、ガイドラインを改訂してからここに持ち込んでください。ここでは現行のガイドラインに基づいて議論すべきだと思います。--MSSM 2010年4月23日 (金) 13:37 (UTC)返信

「上記音楽家・音楽グループの楽曲か歌詞にクレジットされている。」という要件は、「関口太郎の応援歌『フルスロットル』はmanzoの曲である」と言える場合に成立すると考えます。そちらはそれを「リリースしたから」という事実を持って成立するとお考えなわけですよね?この場合のリリースはweb上やライブで発表した事を指すのか、CDとして発売した事を指すのか、あるいは両方を指しているのかが分からないのでお伺いした次第です。 Wikipedia:特筆性 (音楽)が同人を排除していないのは理解しています。Wikipediaに掲載できるかどうかは個々の活動を検証しない事には分からないのは当たり前ですが、現実に行われている同人活動の大半がその要件を何一つ満たしていませんよ、という話です。--マストロヤンニ 2010年4月23日 (金) 15:13 (UTC)返信

おおよそそうですが、正確に言えば、「manzo名義でリリースした」ですね。本件の場合、CD発売という形でリリースされています。
マストロヤンニさんは今も「manzoの曲である」を「manzoが所有する」とお考えなのでしょうか。しかしそのような解釈では、「manzoの楽曲か歌詞にクレジットされている」のは必ずmanzoということになり、この条項が無意味になります。
問題となるのは本件が特筆性の要件を満たしているかどうかであり、他の同人活動がどうかは関係ありません。「同人活動のほとんどは特筆性がないから本件も特筆性がないだろう」というような類推は根拠がなく、本件について特筆性を否定すべきです。--[[利用者:|MSSM]] 2010年5月2日 (日) 02:56 (UTC)
コメント分かりました。本件についてのみ話しを絞って進めましょう。「manzo名義でCDが発売された」という事実を持って特筆性を有するという意見ですね。私は主客を逆にして「作詞家Xは特筆性のある音楽家・グループYの詞を書いた」と単純かつ明快に言い切れる場合だけだと考え、改めて反対します。「フルスロットル」は関口太郎という特定のスポーツ選手を応援するためにファンが特定の音楽家が歌う事を前提とせずに創作し、自分達で歌唱することで公開し、web上で流通させてきた曲です。manzoが歌う事を目的として創作されたわけではありませんし、曲の成立過程にmanzoは何一つ関与していません。類似の例を挙げれば、トーマス・オマリーが自身の名義で六甲おろしをCDで発売しましたが、その事実をもって「六甲おろしはピーター・オマリーの曲」とは言われないでしょう。あくまでも阪神タイガースの応援歌をオマリーが歌っただけです。他方、MSSMさんが以前に提示されたジャニーズやハロプロのグループは楽曲は所有こそしていませんが、詞や曲が彼等のみに向けて創作・提供されている事はほとんどのケースで明白です。これらの曲を私達は普通「ジャニーズの(ハロプロの)誰々の曲」と呼んでいます。私はこの範囲で所有と言っても差し支えないと考えます。しかしこの楽曲のケースはこれとは異なります。また他の音楽家の楽曲をカバーしてCDを出しても、それをもってそのアイドルやグループの曲、ということにはなりませんよね。あるのは元々のアーティストの曲をカバーしたという事実だけです。そしてこの曲の元々のアーティストと言えるのはボランティアで歌い広めた名無しの2ちゃんねる住民達です。--マストロヤンニ 2010年5月6日 (木) 16:48 (UTC)返信

すみません。横から入るようですが議論の流れに疑問を感じます。まず、MSSMさんの「同人活動のほとんどは特筆性がないから本件も特筆性がないだろう」というような類推は根拠がなく」という指摘についてですが、これは十分根拠となるのではないでしょうか。同人活動を行っていることが特筆性を証明するわけではないという言い方をした方が正確でしょうか。特筆性を証明する義務は記事を残そうとする側にあり、(あまり極端な例はともかく)基本的に「特筆性が無いこと」を照明する必要は無いはずです。ウィキペディアでは同人作品が排除されるわけではありませんが、メジャーシーンとは異なり個人レベルでも作成できる自費出版物に相当する同人作品においてはそれが特筆すべき同人作品であること証明されている必要があるでしょう。確かにmikoは(該当記事に問題はあれど)同人音楽のシーンにおいて特筆すべき歌手であると思いますが、同人音楽の歌姫文化を考慮すれば単なる「雇われ歌手」とみなすべきでしょう。私もmikoをボーカルに起用したことのある同人作家を知っていますが、そうした同人作家すべてがmikoが歌を当てたから特筆性があるなどと言われても冗談にしか思えません。 それと、一般販売されない同人作品はWikipedia:検証可能性を満たすことが出来ないという問題もあるかと思います。ウィキペディアの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。また、「Wikipedia:特筆性 (音楽)は同人を排除していません」というのは確かにそうですが、「Wikipedia:特筆性 (音楽)」ではわざわざ「マスメディアから外れた音楽家」という節を設けており、それ以外の部分がメジャーシーンでの音楽活動を前提として考えられているのは明らかです。同人作家の特筆性についてはWikipedia:特筆性 (音楽)#マスメディアから外れた音楽家の「5.すでに特筆されたサブカルチャーに関する刊行物で頻繁に扱われる。」が基準になるかと思います。この記事の特筆性を証明するにはこの作家を取り上げている信頼できる情報源を提示すべきと考えます。--アト 2010年5月6日 (木) 17:45 (UTC)返信

コメント仰る通りです。私も方々を調べましたが、やはり最初に書いた通り、この人物に関する情報は全て本人と本人が主催するサークルのwebページにしかありません。なので仮にmanzoのCDで特筆性を認めるにしても、この他に出典とすることができるWikipedia:信頼できる情報源が全く無く、Wikipedia:検証可能性が満たせず、百科事典的記事に成長できないという問題もあります。--マストロヤンニ 2010年5月6日 (木) 18:14 (UTC)返信

賛成  前回のコメントから二週間近く過ぎましたが特筆性を示す材料が挙げられない状態であるため削除依頼への提出に対し賛成の立場とさせていただきます。それとMSSMさんに申し上げますが、現状の同人音楽の社会的地位から考えれば一般の音楽家のイメージの中に同人音楽の音楽家が含まれていないことは、わずかでも同人音楽の知識がある方なら理解しているはずであり、従ってWikipedia:特筆性 (音楽)が同人音楽を想定していないことをMSSMさんが認識していなかったとは思えません。「ガイドラインを改訂してからここに持ち込んでください」などという意見を出されるというのは、ガイドラインの趣旨から外れていることを知りながら出し抜こうとしているとしか考えられず、卑劣な行為ではないかと私には感じられました。また、音楽業界のメジャー中心の構造は崩れつつありそれに代わり台頭してきているものの一つとして同人音楽は非常に重要でしょうし、それらの知識を得るのに役立つ情報を記事として提供するのは意義あることだと思います。しかし、それは百科事典としての品質を満たすことが出来ることが前提です。何でもかんでも書いてあればよいというものではありません。--アト 2010年5月18日 (火) 05:50 (UTC)返信

何か不思議な議論になっていますが、明確な条項によりWikipedia:特筆性 (音楽)を満たしている(少なくともそう主張されている)にもかかわらず、それを否定せずに類推と想像による演繹でもって「満たしていない」とする議論の持って行きかたは非常に疑問です。これは「作詞家としての特筆性を満たしていることは認めざるを得ない」という主張とみなしてよろしいのでしょうか。
このような基本的な問題点以外にもこの類推にはいくつかの問題点があり、まず「音楽家・音楽グループ」「作曲家・作詞家・リブレット作者」「マスメディアから外れた音楽家」という列記は明らかに、これらのいずれかを満たせばいいと考えるべきです。そうでなければ、作曲家には音楽家としての特筆性は考えられないなどという奇妙な結果になってしまいます。第二に、ここで述べられているのは「マスメディアから外れた音楽家」であり、「同人音楽家」ではありません。特筆性があるとされているのはまさに商業CDに参加しているからであり、「同人作家は全てマスメディアから外れているから特筆性がない」という主張は前提からして成り立ちません。--MSSM 2010年5月19日 (水) 14:40 (UTC)返信

コメントMSSMさん、すみませんがいい加減この案件についてちゃんと調べてから意見して貰えませんか。あなたが言うのは原則論ばかりで、この人物の状況を全く勘案されていませんよ。出典が個人のページのみ。本人が音楽家として主題として取り上げられた形跡が一切ない。「フルスロットルの作詞家」という文脈でも取り上げられた形跡も無い。ネット以外で取り上げられそうもない活動で、ネット上に情報が無いのは致命的です。それなのに、およそ重要では無さそうなインディーズレーベルから出たボランティア企画のCDに一回クレジットされた事だけを事実に、特筆性を認めよというのは拡大解釈に過ぎます。--マストロヤンニ 2010年5月19日 (水) 15:40 (UTC)返信

(追記)もう一つ、商業音楽と趣味の音楽活動を全く同一の基準で判断するのは全くナンセンスです。それぞれの文化と状況と背景があります。アトさんの言うように、Wikipediaの特筆性の要件は商業音楽に基準を置いているのは明白です。商業音楽のプロの作詞家と「自分が詞を付けた曲がたまたま著名な人物に歌われた人」を同列に扱うなんて不可能です。更に何度も言いますが、フルスロットルに関わる活動は全て無償のボランティア活動です。だからこそインディーズレーベル側も快諾してCDとして出せたという背景があります。CD自体が特殊な事情で発売されたものにも関わらず、それを損得勘定が前提の商業音楽と同じ基準で評価なんてできませんよ。--マストロヤンニ 2010年5月19日 (水) 16:13 (UTC)返信

反対 イオシスは同人サークルを模していますが有限会社でありインディーズレーベルです。ノート:イオシスに記述があります。ここを皆さん見落とされているように思います。フルスロットルについては特殊なCDかもしれませんが商業CDであり、イオシス(調べましたが「北辰街道」「Scranble!」の2アイテムがあります)は商業CDです。Wikipediaの特筆性の要件を満たしていると考えますが如何でしょうか。--Taro14 2010年12月8日 (水) 20:51 (UTC)

(追記)イオシスの出現によって同人音楽と商業音楽の線引きは難しくなりましたが、企業であるレーベルのアルバムに楽曲提供されている方か否かで判断するのが妥当と思います。--Taro14 2010年12月8日 (水) 21:01 (UTC)

済みませんが私はイオシスがどのような団体であるかは理解しているつもりですし、マストロヤンニさんもそうであるはずです。マストロヤンニさんの前回のコメントで言うところの「商業音楽」というのは「業界」としての商業音楽を指しているのではないでしょうか。メジャーレーベルを頂点とする「業界構造」を前提とした基準を同人音楽のシーンに直接当てはめることは難しいです。それに仮に(あくまで仮にですが)イオシスインディーズレーベルとして扱うとしてもインディーズレーベル扱いでは特筆性を満たすことにはならないでしょう。
音楽の特筆性の基準では商業であるか否かで線引きをしているわけではありません。根本的なことを言えば特筆性を担保するものはアマチュアだから、プロだからとか、商業だから、同人だからとかではないんです。何らかの形で客観的に特筆性を証明しなさいということです。その何らかの形が例えばメジャーレーベルからアルバムを複数発表することであったり、「すでに特筆されたサブカルチャーに関する刊行物で頻繁に扱われる」ことであったりするわけです。--アト 2010年12月9日 (木) 00:27 (UTC)返信
今、メジャーアーティストがインディーからCDや配信などでリリースを出したりするのは普通ですし(ネット上の向谷実さんの「向谷倶楽部」等)、商業音楽の定義そのものが変化しています。マストロヤンニさんの仰る商業音楽の定義には、フルスロットルのリリースの2006年当時なら同意できますが、そのフルスロットルを歌唱したmanzoさん等、『「業界」としての商業音楽作家』の皆さんが、2010年春・秋の音系同人頒布イベント「M3」で作品を発表しています。もはや同氏の定義は全く当てはまらないと当方は考えます。--Taro14 2010年12月13日 (月) 16:27 (UTC)

コメント「(あくまで仮にですが)イオシスをインディーズレーベルとして扱うとしてもインディーズレーベル扱いでは特筆性を満たすことにはならないでしょう」…というアトさんの意見には賛成しかねます(勿論「あくまで仮に」ということですのでその部分は尊重しますし、イオシスの扱いについてはここでは不適切と思いますのでノート:イオシスにて提議が適当と思います)。80年代90年代から活躍中のミュージシャンの皆さんが「敢えてインディーズからリリースする」ことも2010年には普通の光景になりました。その皆さんと、例えばイオシスに「音楽面」「商業ルート」で決定的な差異をどうやって見つければいいんでしょうか。販売ルートでもイオシス制作のCDにはJANコードがあり、楽曲はamazon.co.jpでもiTunes Storeでも取り扱いがありますよ。「商業音楽」の定義はもっと広義に扱うべきで、この方のようなケースでも、Wikipediaの特筆性の要件を満たすと「広義に」考えなくてはいけないと思っています。--Taro14 2010年12月13日 (月) 16:44 (UTC)

まず一つ、あくまで私の予測なので「マストロヤンニさんの仰る商業音楽の定義」と言われては困ります。
それで、どうにも話がかみ合っていないように思うのですが、私はインディーズレーベルだと特筆性が無いということを言った覚えはありません。インディーズレーベル(例外はありますが)ではそこからCDを出すことのみによって特筆性が証明されはしないという意味で言ったつもりです。そもそも、こうした基準については私の独断ではなくWikipedia:特筆性 (音楽)というウィキペディアにおけるガイドラインにおいて定められているものです。メジャーレーベルではそこからCDをリリースすること自体がメジャーデビューともてはやされるように、一定の特筆性を証明できるでしょう。インディーズデビューではCDを出すこと自体にそのような価値は認められていませんから、インディーズデビューでは特筆性を証明できないでしょう。しかし、それによって特筆性が無いという結論になるわけではありません。求められるのはあくまで何らかの形で客観的に特筆性を証明することです。実際私自身インディーズレーベルからデビューした音楽家やインディーズデビューすらしていない音楽家の記事も複数立ち上げていますし。--アト 2010年12月13日 (月) 18:00 (UTC)返信
話を戻して商業、インディーズ、同人という見地でもう少し分かりやすく書いてみます。私もWikipedia:特筆性 (音楽)はよく読んだ上で書いていますが、Wikipedia:特筆性 (音楽)の規定の中に、一般的にメジャーレーベルとして認識されている「一般社団法人 日本レコード協会」(レコ協)所属のレコード会社云々というガイドラインはないですよね。よって、この境目が、ガイドラインの上でも、また現状の日本の音楽シーンでも全く曖昧な以上、こういった「中間で活動する」作家さん、アーティストさんが現状いることを、ウィキペディアは踏まえなければならないと思います。よって「インディーズデビューでは特筆性を証明できない」というアトさんのご意見は勿論、「メジャーレーベルだから」「インディーズだから」等の区分には到底納得しかねますし、ガイドラインに沿って考えるならば、商業とかインディーズとか同人とかいう基準ではなく、「法人が運営するレーベルから、2アイテム以上のリリースがある」作家さん、アーティストさんは客観的に一定の特筆性を証明されていると考える方が、ガイドラインに沿っているでしょう。--Taro14 2010年12月18日 (土) 21:20 (UTC)

コメントこういう議論は個別ではなく、Wikipedia:特筆性 (音楽)のガイドラインの基準の問題点として扱うべきと思います。「メジャーレーベルだから」「インディーズだから」って区分自体がもはや今の日本の音楽産業内では全く意味を為さないんです。「法人が音楽制作事業としてやっているか否か」というの区分の方が明確でしょう。--Taro14 2010年12月18日 (土) 21:20 (UTC)

コメント先程mikoの項を見てきまして、アルバトロシクスのライブの舞台監督を務めた件を確認し、サイトを確認の上追記しました。ここまで来ると、もはやこの方を特筆性のない方として扱う方が無理があるように思われます。(余談ですがmikoの項は余りにも雑多ですね。何から編集していいやら。)--Taro14 2010年12月18日 (土) 22:13 (UTC)

この記事の対象者は「「中間で活動する」作家さん」ですらないのでは?ライブの舞台監督についてもアルバトロシクス自体の特筆性が怪しいですし。最近の削除依頼でメジャーデビューしていくても特筆性が認められた存続となった事例がありましたので参考として提示しておきます。Wikipedia:削除依頼/アルカラ (バンド)。何度も申し上げていますがメジャーからのリリース云々はどれか一つを満たせばよい複数の基準の中の一つに過ぎません。この削除依頼では「マスメディアから外れた音楽家」の事項5を適用し存続となっていますが、メジャーデビューしている音楽家では(レーベル側の広報活動によるものが大きいにせよ)当然事項5のような「刊行物で頻繁に扱われる」も同時に満たしているはずです。
法人の運営するレーベルからのリリースを基準にするのは商業とアマチュアの境界が曖昧になっている現状からすればさらに無理でしょう。事実上の自主制作まで含まれてしまいます。もっとも、これはこのノートの場で議論するべきことではありませんが。とりあえず現状の基準からすれば少なくともこの記事については削除相当だということは確かでしょう。--アト 2010年12月19日 (日) 01:44 (UTC)返信

コメントアトさんご無沙汰しておりました。アルカラの項見てまいりましたが、ろくに調査せずに「ROCKIN'ON JAPAN」に取り上げられたようなバンドまで削除の俎上に上げるWikipediaのWikipedia:特筆性 (音楽)の解釈の横暴さってどうなんでしょうか。勿論、アトさんは今までのコメントを見る限りそこまで極端ではない方と認識していますが、アルカラの件は特筆性の問題が拡大解釈されている一例と感じました。同様にアルバトロシクスはライブツアー時にアニソンぷらす(TV東京系)が取り上げたり(2008年8月、11月)、冨田明宏氏の評論の俎上(時期的にメールマガジン時代ではありましたが)に上がったりしている(ざっと記憶を辿って、検索で確認しましたが)訳で、十分に特筆性はあるでしょうね。本項についてはその起因となっているWikipedia:特筆性 (音楽)のノートで議論が続いており、結論が出ていません。即ち基準そのものが曖昧なままです。従って、この方については現状通り、削除依頼はせずこのまま見守り、明らかな特筆性が出た場合はそれを認めるかどうかで再び話しあいましょう。その際は宜しくお願いします。 --Taro14 2011年6月16日 (木) 01:28 (UTC)

反対 このノートが2年を経ているうちに、この方は作家の中園直樹氏(「代表作に「オルゴール」など)を迎え、日本では普及しているとは言いがたい「ピンクシャツデー」についてのPodcast番組を製作され、一方で「はだしのゲン」他で知られる演出家・木島恭氏演出の舞台(「WOMEN」)に、育成中の若手(村田明子)を起用させるなどの動きを見せており、ひとりのプロデューサーとして特筆性があると判断しました。よって一旦テンプレートを除去します。反論のある方は再度テンプレートを提示しご発言下さい。--120.75.31.57 2012年4月13日 (金) 00:36 (UTC)返信
タグを戻しました。特筆すべき人物だと考える理由を並べるのではなく特筆すべき人物だと証明する第三者の出典を提示下さい。そんな強引な持ち上げしか出来ないようでは、逆に特筆性の無さを証明しているようにしか見えないんですけど。--アト会話2012年4月13日 (金) 03:22 (UTC)返信
タグを戻すどころか増やしていますよね。戻すなら僕が編集する前に戻すべきです。従いましてタグは僕が編集する前に戻しました。アト様の発言は順に追って読ませて頂きました。出展を提示せよとのことなので、まず今回は中園直樹公式サイトにおけるTGAスタジオの番組紹介を加筆しました。追って(後日になりますが)第三者の番組紹介も追記します。「ピンクシャツデー」については、日本語Wikipediaにはまだページがありませんが(いずれつくるべきだと思っていますが、中園直樹氏以外への広がりが顕著になるまで、アト様のような方が大挙して現れる可能性を憂慮して(これは日本語版Wikipediaの厳しすぎる編集方針への皮肉です)控えています)、既に英語を始めとして幾つかの言語のwikiがあり、社会性の高いものです。その紹介をiTunes Storeで日本語が理解できる全ての方が聴けるネットラジオ番組化されたnaos氏の功績は大と考えます。このノートに「ろくに調査せずに「ROCKIN'ON JAPAN」に取り上げられたようなバンドまで削除の俎上に上げるWikipediaのWikipedia:特筆性 (音楽)の解釈の横暴さってどうなんでしょうか。」という記述がありますが、私も全く同じ感想です。特に編集前状態への復帰ではなく、余計なタグまで増やるアト様の行動は横暴と思います。僕もWikipediaは週末利用者なので迅速な加筆は出来ませんが、たった数人の意見で削除があっさり決まる日本語版Wikipediaの厳しすぎる事例が多い中で、僕ができることはするつもりです。--120.75.31.57 2012年4月13日 (金) 21:22 (UTC)返信

コメントアト様とTaro14様のやりとりでは「削除依頼はせずこのまま見守り、明らかな特筆性が出た場合はそれを認めるかどうかで再び話しあいましょう。」とあります。そこは尊重されるべきです。--120.75.31.57 2012年4月13日 (金) 21:22 (UTC)返信

コメントいくつか誤解があるようですので返答します。
  • 履歴をご覧になればわかると思いますが、削除依頼のタグは私つけたものではなく125.197.119.1さんによる削除依頼の提出に伴って付けられたものです。このタグは審議が終了するまでは除去しないようお願いします。削除の審議の段階に移行したため、意見表明はWikipedia:削除依頼/Naosで行うようおねがいします。
  • 「アト様とTaro14様のやりとりでは「削除依頼はせずこのまま見守り、明らかな特筆性が出た場合はそれを認めるかどうかで再び話しあいましょう。」とあります。」とのことですが、この意見は議論が下火になってから半年も後に唐突に追加されたもので、私を含め誰一人として同意してはおりません。そもそも、将来に期待する考え方はWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは未来を予測する場ではありませんにて明確に否定されており、たとえノートの議論がそのような意見でまとまったとしてもそれを有効とみなすことは出来ません。--アト会話2012年4月14日 (土) 05:22 (UTC)返信

コメントIP発言ですと削除依頼の意見表明に入れないとのことなので、この名を名乗ります。120.75.31.57は僕です。宜しくお願いします。--レッドアロー01会話2012年4月14日 (土) 19:13 (UTC)返信

コメントアトさんご無沙汰しております。個人的な感想と前置きしますが、日本語Wikipediaは「記事を育てる」見地に欠けていますね。私と違い、アトさんは頻繁にログインされているとお見受けしますが、私の「この方については現状通り、削除依頼はせずこのまま見守り、明らかな特筆性が出た場合はそれを認めるかどうかで再び話しあいましょう。」という呼びかけに対して「議論が下火になってから半年も後に唐突に追加されたもの」という言い分を今になって書かれるのは如何なものでしょうか(私が即座に書けず6ヶ月後に書いた件については個人的な理由がありますが、本項には不要であり私のプライバシーもありますので略させて頂きます)。「唐突に」と仰るなら今回出された削除依頼の方が唐突でしょう。レッドアロー01さん(初めまして)の加筆「ピンクシャツデー」については、「ピンクシャツデー」そのものが今後「特筆すべき事項」になる可能性がありますし、早急な削除より「加筆依頼に出す」方向で様子を見る方がまだ妥当と思いますが如何でしょうか。--Taro14 2012年4月14日 (土) 20:23 (UTC)

横から失礼します。議論が紛糾したまま書き込みが停止するのは良くあることです。一般論として、賛否が対立する議論において「即座に書けず6ヶ月後に」書きながら対話相手の会話ページなどへその案内をしないまままだったならば、少なくとも知らない当事者にとっては議論は再開していたとは考えられませんし、本件のように、書き込み停止の6ヶ月後に一方から書き込まれたご発言を根拠に反対意見が無かったという論理展開をされたにも関わらず「唐突に」との指摘にとどめるのはかなり穏便な対応と言えるでしょう。半年ぶりに自論を書き込みながら相手の会話ページへは議論再開の案内をしなかったことを棚に上げて「……という言い分を今になって書かれるのは如何なものでしょうか」という相手の無作法を暗示するような書き方は、単に失礼であるだけでなく、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用での「印象操作」の疑いや「いつまでも「納得」しない」に該当する危険性もあると考えます。「議論再開の案内をしなかったこと」自体は違反でも何でもないですが、その後の展開を見ていますと反対者が議論再開に気付かないまま推移しているようであり、自らはそのような態度で居ながら他者のマナーだけを問題とする(それも実際は知らされていなかっただけで問題ではなかった)のはどう見ても勝手な理屈でしょう。上記のご発言について、Taro14さまはアト様へ謝罪されるべきです。さて、2010年4月から特筆性の不足を理由に削除依頼の提案が提起され、それ以後2年が経過しても未だ特筆性の存在が明示いただけない現状では、削除依頼に審議の場を移すのは(遅いことはあっても)早すぎるとは思いません。Wikipedia:削除依頼/Naosが4月13日11:03(UTC)に提出済みですので、「早急な削除より加筆依頼に出す」というご提案を今さら強くなされても、もはや完全に時期を逸しており、仮にそのような行為を実施された上で削除依頼での存続根拠とされるなら、審議妨害目的だと考えます。--Shigeru23会話2012年4月17日 (火) 09:46 (UTC)返信
Shigeru23さんこんにちは。記事は残念ながら削除されましたので、今後は特筆性のある事項が生まれた場合に所定の手続きを取るという段階に移行しようと思います。ご指摘の件ですが、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない を読むと、むしろここで(そして同人出身でも、商業ベースで動かれているにも関わらず削除された何人かの方々のノート等で)、初頭から展開された「削除すべき論」こそ該当するのではないでしょうか。僕は削除に納得していませんが、naosさんご本人は本件をご存知なようで、facebookで「ニコニコ大百科の記事のほうが好きだ」とコメントを出されてますし(facebookですからリンクを貼るのもどうかと思うので、興味のある方はご自身でご覧ください)、ルールには従います。ただ(これは個人的な心情とお断りしておきますが)、この削除でまたひとつ、日本語Wikipediaの編集に取り組むモチベーションは下がりました。--Taro14 2012年4月21日 (土) 00:41 (UTC)
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