バートリ・ミクローシュ

バートリ・ミクローシュBáthori MiklósもしくはBáthory Miklos Ⅱ, 1445年以前 - 1498年頃)は、ハンガリー王国の有力貴族ソムリヨ系バートリ家の祖。トランシルヴァニアヴォイヴォダであった。

バートリ・ミクローシュ
Báthory Miklós Ⅳ
バートリ家の紋章
配偶者 ケズメリ・ボルバーラ
バンフィ・ゾフィア・ウルスラ
子女 イシュトヴァーン
モーリツ
バルトシュ
カタリン
ボルバーラ
ゾフィア
ミクローシュ
エルジェーベト
氏族 バートリ家
父親 バートリ・イシュトヴァーン2世
母親 ヴァルダイ・ドロッチャ
出生 1445年以前
死亡 1498年
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生涯 編集

ハンガリー貴族ソムリヨ系バートリ家のバートリ・イシュトヴァーン2世とその妻ヴァルダイ・ドロッチャの息子で、ソムリヨ系バートリ家3代目当主バートリ・サニスローの孫に当たる。1382年から1389年の間ハンガリー王家に騎士の司令官として仕えた。

ミクローシュに関する最初の記録は1462年に遡り、1448年以前には生まれていたとされる。おそらくこの時、従兄弟達や他の親族との間に相続問題が起こり、その結果ミクローシュはショムロー城を相続した。

ミクローシュは州内のどの役職にも就かなかったが、おそらくマーチャーシュ1世バルカンボヘミアにおける戦に参戦している。

ミクローシュは生涯の中で2度結婚し、初婚でケズメリ・ボルバーラ、再婚でルチェネツ英語版のバンフィ・ゾフィア・ウルスラを妻とした。その後、1498年ごろに死去した。

家族 編集

  • イシュトヴァーン8世 (1477年 - 1534年) - 父と同様、トランシルヴァニアヴォイヴォダであり知事。
  • モーリツ
  • バルトシュ(? - 1536年) - サトゥ・マーレ議会議長
  • カタリン(? - 1552年以降) - サルマシャグ・ラースローの妻
  • ボルバーラ(? - 1520年以降) - アルモスドハンガリー語版のチャイレ・アンドラーシュの妻
  • ゾフィア
  • ミクローシュ(? - 1500年以降)
  • エルジェーベト(? - 1552年以降)- 初婚でキシュバールダ英語版のヴァルダイ・ミハーイ、再婚でナジェミハイ英語のバンフィ・フランツィシュカの妻となった。

参考文献 編集

  • Horn I., Andrzej Batory, S. Brzeziński (tłum.), Warszawa: Wydawnictwo Neriton, 2010, s. 306—307, ISBN 978-83-7543-163-6 (ポーランド語)

外部リンク 編集