バーノン郡 (ルイジアナ州)

ルイジアナ州の郡

バーノン郡(バーノンぐん、: Vernon Parish)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州の西部中央に位置するである。2010年国勢調査での人口は52,334人であり、2000年の52,531人から0.4%減少した[1]郡庁所在地リーズビル市(人口6,612人[2])であり[3]、同郡で人口最大の町でもある。

ルイジアナ州バーノン郡
バーノン郡の位置を示したルイジアナ州の地図
郡のルイジアナ州内の位置
ルイジアナ州の位置を示したアメリカ合衆国の地図
州のアメリカ合衆国内の位置
設立 1871年3月30日
郡名の由来 マウントバーノン
郡庁所在地 リーズビル
最大の都市 リーズビル
面積
 - 総面積
 - 陸
 - 水

3,474 km2 (1,342 mi2)
3,441 km2 (1,328 mi2)
34 km2 (13 mi2), 0.98%
人口
 - (2010年)
 - 密度

52,334人
15人/km2 (40人/mi2)
標準時 中部: UTC-6/-5

バーノン郡はフォートポークサウス小都市圏に属し、またフォートポークサウス・デリッダー広域都市圏を構成している。

歴史 編集

 
リーズビル市にあるバーノン郡庁舎

1871年3月30日、ルイジアナ州議会はナケテシュ郡ラピッズ郡サビーン郡のそれぞれ部分を合わせてバーノン郡を創設する法案を成立させた。郡名の由来については4つの説があるが、1つだけが州によって公式に確認されている[4]。それはジョージ・ワシントンの邸宅であるマウントバーノンに因むものということである。その他の説は民間の伝承ではあるが、1)郡名を付けるために選ばれた委員の一人ジョー・ムーアの持ち馬の名前であり、ムーアはその俊足な馬の名前を付けることで馬と同じくらい迅速に郡が成長することを請合うと主張した。2)イギリス海軍の士官だった人気のある教師に因むもので、「ミスター・バーノン」とのみ呼ばれていた。これはバーノンの栄誉を讃えるものではないが、委員のそれぞれが自分の名前を付けたがっており、その論争を避ける意味合いがあった。3)これは1)の説に近いものだが、委員達が店で酒を飲みながら名前を議論しているときに、店の主人が貴重なウィスキーとその利益を守ろうとして、荷車をラバに曳かせていた土地の男を呼びとめ、その男が何と言うかで郡の名前を付けるべきだと提案した。その男は「このラバをバーノンと呼んでいる。この国で最も足が速いラバだからだ」と答えた[5]

当初、バーノン郡の領域はアメリカ合衆国とスペインの間で領土論争のあった所であり、中立地帯と呼ばれていた。その論争が続いた結果、地域は無法者の避難所になっていた。1803年のルイジアナ買収以前、この地域に入ってきた数少ない人々はフランス人とスペイン人の開拓者だった。ドクター・バーがバーフェリーの町を造ったのもこの時期だった。この町は「ルイジアナの玄関」と呼ばれた。この町の近くに現在も砲台があり(南軍の胸壁と呼ばれる)、南北戦争のときにノーラン・トレイス沿いの北軍の動きから守るために南軍兵が駐屯していた[6][7]

 
バーノン郡図、1895年[8]

郡の創設以来一貫してリーズビルに郡庁舎がおかれているが、リーズビルが法人化されたのは1900年2月15日になってからだった。この町はエドマンド・E・スマート博士が設立したが、その父であるR・スマート上院議員が、南軍の将軍ロバート・E・リーに因んで名付けた。町を設立したとき、土地はスマート博士の所有するプランテーションだった。現在もルーラ通りと第一通りの角にプランテーションの家屋が残っている[7]

1890年代後半、郡創設時以来の主要産業だった製材業が、1897年のカンザスシティ・サザン鉄道の開通によって好況となり、現在に続くものとなった[7]

第一次世界大戦の後、バーノン郡には2つの社会主義者の集まる町ができた。1917年に設立されたリャノ・デル・リオ・コーペラティブ・コロニー[9](後にニューリャノとなった)とクリスチャン・コモンウェルス・コロニーである。これらのコロニーは、共有財産と労働を分かち合う実験を行う目的で経済学者や社会科学者を集めようとしたものだった。この2つの中でリャノ・デル・リオが住民10,000人以上と大きく、長続きした。どちらも不況に襲われた1930年代に潰えた[7]

1939年から1940年に行った演習直後の1941年、アメリカ陸軍がキャンプ・ポークを開設した。このキャンプは直ぐに郡の経済でも製材業を凌ぐようになり、郡庁所在地のリーズビル市人口がキャンプ開設後に3,500人から18,000人にまで飛躍的に増大したことからも、その効果は明らかである。キャンプの名前は、ルイジアナ最初の聖公会司祭で、「南軍の戦う司祭」とも呼ばれたレオニダス・ポークに因んで名付けられた。このキャンプは第二次世界大戦の間、主要な訓練施設として機能した。現在フォートポークと呼ばれるこの施設は国内でも5番目に大きな軍事施設であり、広さは 200,000 エーカー (800 km²) ある。兵士が常に移動し、郡に対する相互依存関係もあるので、多くの州や国の文化が混ぜ合わさり、真の「坩堝」になっている[7]

地理 編集

アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は1,342平方マイル (3,474 km2)であり、このうち陸地1,328平方マイル (3,441 km2)、水域は13平方マイル (34 km2)で水域率は0.98%である[10]

主要高規格道路 編集

隣接する郡 編集

国立保護地域 編集

  • キサッチー国立の森(部分)

人口動態 編集

人口
190010,327
191017,38468.3%
19202,043−88.2%
193020,047881.3%
194019,142−4.5%
195018,974−0.9%
196018,301−3.5%
197053,794193.9%
198053,475−0.6%
199061,96115.9%
200052,531−15.2%
201052,334−0.4%
Vernon Parish Census Data[11]

以下は2010年国勢調査による人口統計データである。

基礎データ

人種別人口構成

年齢別人口構成

  • 5歳未満: 9.2%
  • 18歳未満: 27.7%
  • 65歳以上: 9.4%
  • 性比
    • 女性: 48.8%
    • 男性: 51.2%

世帯と家族

  • 平均構成人数
    • 世帯: 2.64人

収入 編集

収入と家計

  • 収入の中央値
  • 人口1人あたり収入: 14,036米ドル
  • 貧困線以下
    • 対人口: 16.2%
 
バーノン郡図

都市と町 編集

都市 編集

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国勢調査指定地域 編集

未編入の町 編集

教育 編集

バーノン郡教育委員会が郡内公立学校を運営している。

初等中等教育 編集

バーノン郡の公立学校は全てバーノン郡教育委員会が運営しており、18の学校と1つのオプション学校がある[14]

継続学習 編集

セントラル・ルイジアナ・テクニカル・カレッジ 編集

ルイジアナ・テクニカル・カレッジがニューリャノの南にあるらマーサルター・キャンパスを運営している。このキャンパスは州内40か所あるキャンパスの1つである[15]

カレッジ 編集

ノースウェスタン州立大学 編集

ノースウェスタン州立大学はナケテシュを主とする4年制公立大学であり、ルイジアナ大学システムに属している。そのリーズビル・フォートポーク・キャンパスはフォートポークの州道467号線沿いにあり、バーノン、ボーリガードおよびサビーン各郡さらにフォートポークの軍人社会から学生を集めている。2年間の準備期間に加えて、准学士、学士、修士の学位を取得できる[16]

フォートポーク教育センター 編集

フォートポーク教育センターでは、軍務にある者、軍人の家族、防衛省職員、退役軍人、防衛省との契約者および地元市民に向けて、教室、遠隔学習およびオンラインで自己開発の機会を提供している。教室を使う市民の学生はアメリカ国道171号線近くの主玄関を通ることが求められている[17]

セントラル・ミシガン大学 編集

セントラル・ミシガン大学はルイジアナを本拠にする軍人の教育需要に対して1981年から教育を提供しており、現場では修士をまたオンラインでは学士から博士までの学位に対応している。フォートポークで世界の舞台に兵士を送る前に訓練を行っているように、セントラル・ミシガン大学の学位取得プログラムは、兵士が軍事とさらにその先で経歴を積むことができるようにしている[18]

セントラル・テキサス・カレッジ 編集

セントラル・テキサス・カレッジは公立の自由入学制、コミュニティ・カレッジであり、学術、専門、職業・技術分野で准学士の学位や資格認定を行っている。フォートフッドに近いことで、小さなジュニアカレッジから軍隊に入る前のカレッジまで関わっている。全国の4年制大学との合意に基づいて2年制から4年生への転換も扱っている[19]

ルイジアナ州立大学 編集

ルイジアナ州立大学は一般教養の修士課程大学である[20]

アッパー・アイオワ大学 編集

アッパー・アイオワ大学フォートポーク校は地域の軍人と民間人向けの教育を行っている。1995年に開設され、9つの学科で科学学士を提供している。授業は遠隔教育とも組み合わされ、他に11の学科を履修できる。資格取得コースもある。学校年の間は5回の8週間プログラムで教育してる。夕方や週末にも開講される[21]

脚注 編集

  1. ^ Quickfacts.census.gov - Vernon Parish - accessed 2011-12-06.
  2. ^ Quickfacts.census.gov - Leesville - accessed 2011-12-06.
  3. ^ Find a County, National Association of Counties, http://www.naco.org/Counties/Pages/FindACounty.aspx 2011年6月7日閲覧。 
  4. ^ The State of Louisiana maintains an official website for each of the State's 64 parishes at Louisiana.gov.
  5. ^ All four found in "Tall Pines II: A History of Vernon Parish, Louisiana and its People" / Wise, Erbon, Library Of Congress # 87-51644
  6. ^ The Nolan Trace
  7. ^ a b c d e Information in the History section may be found on the Greater Vernon Parish Chamber of Commerce Website Archived 2007年9月28日, at the Wayback Machine..
  8. ^ The map may be found at this website, and is the result of the hard work of Pam Rietsch.
  9. ^ Not to be confused with the Llano Del Rio established in Antelope Valley, California in 1915 and abandoned in 1917.
  10. ^ Census 2000 U.S. Gazetteer Files: Counties”. United States Census. 2011年2月13日閲覧。
  11. ^ United States Census Bureau. “Louisiana Population of Counties by Decennial Census: 1900 to 1990”. 2008年2月2日閲覧。
  12. ^ North Fort Polk is actually a military community contained within Fort Polk Army Installation.
  13. ^ South Fort Polk is actually a military community contained within Fort Polk Army Installation.
  14. ^ Vernon Parish School District - School List”. 2012年7月22日閲覧。
  15. ^ Central Louisiana Technical College-Lamar Salter-Campus”. 2012年7月22日閲覧。
  16. ^ NSU-Leesville/Fort Polk”. 2012年7月22日閲覧。
  17. ^ Fort Polk Education Center”. 2012年7月22日閲覧。
  18. ^ Central Michigan University at Fort Polk, Louisiana”. 2012年7月22日閲覧。
  19. ^ Central Texas College - Fort Polk Site”. 2012年7月22日閲覧。
  20. ^ Louisiana State University - Special Programs”. 2012年7月22日閲覧。
  21. ^ The Upper Iowa Center at Fort Polk, LA”. 2012年7月22日閲覧。

外部リンク 編集

座標: 北緯31度07分 西経93度11分 / 北緯31.11度 西経93.19度 / 31.11; -93.19