パウリーネ・フォン・ヴュルテンベルク (1810-1856)
パウリーネ・フリーデリケ・マリー・フォン・ヴュルテンベルク(Pauline Friederike Marie von Württemberg, 1810年2月25日 - 1856年7月7日)は、ナッサウ公ヴィルヘルムの妃。
パウリーネ・フォン・ヴュルテンベルク Pauline von Württemberg | |
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ナッサウ公妃 | |
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在位 | 1829年 - 1839年 |
出生 |
1810年2月25日 ヴュルテンベルク王国、シュトゥットガルト |
死去 |
1856年7月7日(46歳没) ナッサウ公国、ヴィースバーデン |
埋葬 | ナッサウ公国、ヴィースバーデン |
結婚 | 1829年4月23日 シュトゥットガルト |
配偶者 | ナッサウ公ヴィルヘルム |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ヴュルテンベルク家 |
父親 | ヴュルテンベルク王子パウル |
母親 | カタリーナ・シャルロッテ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン |
ヴュルテンベルク王子パウルと、妃であるシャルロッテ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼンの次女として、シュトゥットガルトで生まれた。姉にロシア大公妃エレナ・パヴロヴナがいる。
1829年4月、ナッサウ公ヴィルヘルムと結婚した。ヴィルヘルムの先妻ルイーゼ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼンは、パウリーネの母シャルロッテの実妹であった。
子女
編集- 女児(1830年、夭折)
- ヘレーネ(1831年 - 1880年) - ヴァルデック=ピルモント侯ゲオルク・ヴィクトル妃
- ニコラウス・ヴィルヘルム(1832年 - 1905年) - 軍人。1868年にナタリア・プーシキンと貴賤結婚。2人の子孫はメレンベルク伯を名乗った
- ゾフィア(1836年 - 1913年) - スウェーデン王オスカル2世妃