パヴェル・チャソヴニコフ

パヴェル・チャソヴニコフロシア語: Часовников, Павел Георгиевич1887年 - 1954年)は、ソビエト連邦の外科医でオデッサ大学の教授。オデッサ大学の前身のノヴォロシア大学の医学部を卒業している。

略歴 編集

ロシア帝国サラトフ州のバルタイ (Балтай) の村に生まれる。

ノヴォロシア大学の医学部を卒業後、ソ連の体制下で、РСФСРの名誉博士を授与している。

第二次世界大戦中のオデッサの戦いの後のルーマニアの占領中の1941年12月7日から、チャソヴニコフはオデッサ大学の学長に就任した[1]。また、1943年3月20日から、学長職と兼務で、大学の反共産主義研究所の所長を務めた[2]

その後、戦局が変わりルーマニア軍の敗走が始まると、彼は1944年にルーマニア軍と共にブカレストに向けて逃走したが、その後ソビエト当局によって逮捕された。1947年に彼は強制収容所で10年の刑を宣告され[3]、刑期中に刑務所内で死亡した。

脚注 編集