ピエール・ルイ・フィリップ・ド・ラ・ゲピエール(Pierre Louis Philippe de La Guêpière, 1715年頃 - 1773年10月30日)はフランスの建築家。ビガージュとともに、ルイ16世様式の趣味と規準をドイツに紹介した。

1750年には『建築計画案集 Recueil de projects d architecture』を刊行し、同年シュトゥットガルトに招碑され、そこで1752年にレオポルド・レッティを継いで建設局長(Directeur des bâtiments)となり、レッティによる新宮殿(破壊される)の室内をデザインした。

彼の傑作はシュトゥットガルト郊外にある小規模で優美なラ・ソリテユード(1763年-1770年にかけて)とルートヴィヒスブルク近郊のモンレポ(1760年)である。後者の建物の室内は1804年ごろアンピール様式に変更された。1768年にフランスに戻ったが、そこでは注目に催するようなものはなにも建てていない。モンベリアールの市庁舎のための彼のデザインは、彼の死後かなりの変更が加えられた上で実施された。

そのほか、1762年に『建築エスキス集 Recueil d'esquisses d'architecture』を出版した。

参考文献 編集

  • H・Klaiber、Der Baumeister P.de la Guiepiere