フランシス・マシュー (初代ランダフ伯爵)

初代ランダフ伯爵フランシス・マシュー英語: Francis Mathew, 1st Earl Landaff1738年9月 – 1806年7月30日)は、アイルランドの貴族、政治家。

生涯

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トマス・マシュー(Thomas Mathew、1777年没)とメアリー・マシュー(Mary Mathew、リチャード・マシューの娘)の息子として生まれた[1]。カトリックとして育てられ、1761年4月にダブリン大学トリニティ・カレッジに入学した[1]

1769年から1806年までティペラリー首席治安判事英語版を務めた[1]。1768年から1783年までティペラリー選挙区英語版の代表としてアイルランド庶民院議員を務めた後、1783年10月12日にトマスタウンのランダフ男爵に叙され、14日にアイルランド貴族院議員に正式に就任した[1]。その後、1793年12月4日にランダフ子爵に、1797年11月22日にランダフ伯爵に叙された[1]

1794年から1797年まで第114歩兵連隊英語版隊長を務めた[1]

1801年にグレートブリテン及びアイルランド連合王国が成立すると、アイルランド貴族代表議員に選出され[1]、以降死去するまで務めた。

1806年7月30日に死去、長男フランシス・ジェームズが爵位を継承した[1]

家族

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1764年9月6日、エリシャー・スミス(Elisha Smyth、1743年頃 – 1781年8月9日、ジェームズ・スミスの娘)と結婚、3男1女を儲けた[2]

1784年6月7日、キャサリン・スケッフィントン(Catherine Skeffington、1752年7月15日(洗礼日) – 1796年2月9日、初代マッセリーン伯爵クロットワーシー・スケッフィントンの娘)と再婚したが、2人の間に子供はいなかった[2]

1799年5月30日、ジェレミア・コグラン(Jeremiah Coghlan)の次女と再婚したが、2人の間に子供はいなかった[2]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 419–420.
  2. ^ a b c "Landaff, Earl of (I, 1797 - 1833)" (英語). 29 October 2004. 2019年7月24日閲覧
アイルランド議会
先代
ヘンリー・プリティー
サー・トマス・モード準男爵
庶民院議員(ティペラリー選挙区英語版選出)
1768年 – 1783年
同職:サー・トマス・モード準男爵 1768年 – 1776年
ヘンリー・プリティー 1776年 – 1783年
次代
ダニエル・トラー
ヘンリー・プリティー
名誉職
不明 ティペラリー首席治安判事英語版
1769年 – 1806年
次代
フランシス・アルドバラ・プリティー英語版
アイルランドの爵位
爵位創設 ランダフ伯爵
1797年 – 1806年
次代
フランシス・ジェームズ・マシュー
ランダフ子爵
1793年 – 1806年
ランダフ男爵
1783年 – 1806年