ムハンマド・アル=ブハーリー
ムハンマド・アル=ブハーリーまたはアル=ブハーリー(アラビア語 أبو عبد الله محمد بن إسماعيل بن إبراهيم بن مغيرة الجعفى البخاري Abū ‘Abd Allāh Muḥammad ibn Ismā‘īl ibn Ibrāhīm Mughīra al-Ja‘fā al-Bukhārī, 810年 - 870年)は、9世紀のイスラーム世界で活躍したハディース学者、イスラーム法学者。スンナ派ハディース集の最高峰とされる『真正集』(アル=ジャーミウ・アッ=サヒーフ)の編纂者である。
出自
編集ブハーリーは字義通りにはペルシア語におけるブハーラーの形容詞形であり、「ブハーラーの(人)」という意味となる。そのためムハンマド・アル=ブハーリーは「ブハーラー出身のムハンマド」という意味である。
ブハーリーの曾祖父ムギーラはブハーラー出身のゾロアスター教徒であったといい、ブハーラーに進駐して来たアラブ人総督のマワーリーとなりムスリムに改宗したと伝えられる。
功績
編集ブハーリーの功績として最もよく知られているもののひとつに、預言者ムハンマド(およびその教友たち)の言行録であるハディースの研究があり、その成果はハディース集『真正集』(サヒーフ)として纏められた。生涯に90万ものハディースを収集した言われ、この『真正集』はブハーリーが16年かけてうち2700余りの「真正」(サヒーフ)と判断したハディースを厳選したものである。これはもっとも正確で信頼の置けるハディース集のひとつとされ、同時代人のムスリム・イブン・アル=ハッジャージュの記した同名の『真正集』と並んでスンナ派の6大真正ハディース集の筆頭としてクルアーンに次ぐ権威を持っている。
またそのほかにも、歴史・神学・法学などに関する書物を多く著した。