ヘルゲストの赤本(ヘルゲストのあかほん、ウェールズ語Llyfr Coch Hergest)は、中世ウェールズ語写本の1つ。

ウェールズの赤本(コラム240-241)

執筆年代

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『ヘルゲストの赤本』に含まれるのは散文と詩の両方で、1382年から1410年頃に書かれた。1701年、トマス・ウィルキンス師によりジーザス・カレッジに寄付され、現在はボドリアン図書館が代理で保管している( MS 111)。

筆耕

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写本を筆写した複数の筆耕のうち、1人はHywel Fychan fab Hywel Goch of Buelltと特定されている。HywelはスウォンジYnysforganのHopcyn ap Tomas ab Einion(1330年頃 - 1403年以降)のために仕事をしたことでも知られる人物で、この写本もHopcynのために筆写した可能性がある。

名前の由来

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写本の名前は、赤革で綴じられていたことと、Welsh Marches地域のヘレフォードシャーのキングトン(Kington)近郊のハージェスト・リッジ(Hergest Ridge)という丘[1]の下に、1645年頃から17世紀はじめまであったハージェスト(ヘルゲスト)宮(Plas Hergest)と関係があったという事実に由来する。

内容

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写本の最初の部分は散文で、『マビノギオン』(『ルゼルフの白本』とともにその主要な収集源の1つ)、その他の伝説、歴史的テキスト(ジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』のウェールズ語翻訳を含む)、『ウェールズのトライアド』を含む様々な他のテキストが収められている。残りの部分は、とくに「Gogynfeirdd」または「Beirdd y Tywysogion」として知られる宮廷詩の時代からの詩である。

写本にはさらに、500年にわたって続いた中世王朝の創設者で、スランドーヴェリ(Llandovery)のすぐ外にあるMyddfai村から「Myddfaiの医者」と呼ばれる13世紀のRhiwallon Feddygに関連したハーブ療法のコレクションも収められている。

J・R・R・トールキンはこの本の題名から、自分の作品の想像上の伝説的文献を『西境の赤表紙本』と名付けた。

参考文献

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  • 'Red book of Hergest'. In Meic Stephens (Ed.) (1998), The new companion to the literature of Wales. Cardiff : University of Wales Press. ISBN 0-7083-1383-3.
  • Parry, Thomas (1955), A history of Welsh literature. Translated by H. Idris Bell. Oxford : Clarendon Press.

脚注

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  1. ^ この丘はマイク・オールドフィールドのアルバム『ハージェスト・リッジ(Hergest Ridge)』(1974年)の題名の由来でもある。

関連項目

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外部リンク

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