ヘンリー・ペリー英語: Henry Perry1874年3月16日 - 1940年3月22日)は、アメリカ合衆国シェフ実業家

生誕 (1874-03-14) 1874年3月14日
Shelby County, Tennessee, U.S.
死没 1940年3月22日(1940-03-22)(66歳)
Kansas City, Missouri, U.S.
活動期間 1908–1940
料理人歴
様式Kansas City barbecue

カンザスシティにおけるバーベキューの父とされる[1]。新聞で『バーベキュー・キング』とも評された。

経歴 編集

テネシー州シェルビー郡に生まれ、ミシシッピ川ミズーリ川を運行する蒸気船レストランで働いた後1907年にカンザスシティに移住し、1908年にガーメント区の労働者のために、露店のバーベキュースタンドで燻製肉の提供を始めた。その後店を数度移し、1920年第から1930年代はトロリーバンを使って営業していた[1]。ソースは、「辛くて胡椒が効いている」と表現され、メニューは、当時のバーベキューの定番が含まれていた[1]。1940年3月22日、肺炎と感染症の合併症のため、66歳で亡くなった。彼の死後、チャーリー・ブライアントが事業を引き継ぎ、弟のアーサーに売却し、レストラン「アーサー・ブライアンズ」を同じ地区のブルックリン1727番地に移転して、ソースを少し甘くし、また、ペリーのもとで働いていたアーサー・ピンカードは、ジョージ・ゲイツがゲイツ・バーベキューを設立する際に協力した。ペリーはカンザスシティのバーベキューに長く影響を与えたため、「カンザスシティのバーベキューの父」と呼ばれるようになり、2014年にはアメリカのロイヤルバーベキューホール・オブ・フェイムに選出された[2]

脚注 編集

  1. ^ a b c Martin, Mackenzie. “Kansas City's Barbecue King”. KCUR. 2021年2月11日閲覧。
  2. ^ Henry Perry Day honors 'Father of Kansas City Barbecue'” (英語). KSHB (2020年7月3日). 2021年1月12日閲覧。

ソース 編集