マルク・ミーチン

ソビエト連邦の哲学者

マルク・ボリソヴィチ・ミーチンロシア語: Марк Бори́сович Ми́тин1901年7月5日-1987年1月15日)は、ソビエト連邦(ソ連)の哲学者である。アブラム・デボーリンロシア語版らと論争を展開、スターリン時代のソ連哲学界を牛耳った[3]

マルク・ボリソヴィチ・ミーチン
Марк Бори́сович Ми́тин
生誕 (1901-07-05) 1901年7月5日[1]
 ウクライナジトーミル[2]
死没 (1987-01-15) 1987年1月15日(85歳没)
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経歴 編集

ウクライナ西部ジトーミル生まれ[2]1919年ロシア共産党に入党[1]1929年赤色教授養成学院ロシア語版哲学部を卒業[3]1930年、『マルクス主義の旗の下に』編集長に就任[2]1939年ソ連科学アカデミー会員、ソビエト連邦共産党中央委員となり、マルクス・エンゲルス・レーニン・スターリン研究所所長を兼務[2][1]1943年、哲学史の分野での貢献でスターリン賞を受賞[2]1944年アンドレイ・ジダーノフの台頭により失脚[2]1950年、『恒久平和、人民の民主主義のために』編集長に復帰[2]1960年代『哲学の諸問題』編集長を務めた[2]。第3-5期招集ソビエト連邦最高会議代議員[2]

脚注 編集