ミナミホマレ1939年 - 1962年)は、日本競走馬種牡馬第二次世界大戦中の1942年に、第11回東京優駿競走(日本ダービー)を優勝した。母フロリストはミナミホマレのほかに、帝室御賞典優勝馬を4頭も輩出した名繁殖牝馬であるが、ミナミホマレを産んだのは20歳の時であった[1]

ミナミホマレ
第11回東京優駿競走(右)
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1939年3月31日
死没 1962年9月
プリメロ
フロリスト
生国 日本の旗 日本岩手県雫石町
生産者 小岩井農場
馬主 池得次
調教師 東原玉造中山
競走成績
生涯成績 4戦3勝
獲得賞金 3万2400円
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概要

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ミナミホマレの戦績はわずか4戦。デビュー戦を勝つと皐月賞にあたる横浜農林省賞典四歳呼馬でアルバイト(のちクリヒカリに改名)の2着に入っている。そして東京優駿競走の2週前に1戦を経て東京優駿競走に挑んだ。アルバイトが最後の直線で抜け出したが、ミナミホマレが一気に襲いかかりクビ差交わしてレコードタイムで優勝した。ミナミホマレはこのレースが最後の競走になったが、種牡馬として青森県の太平牧場、大塚牧場を経てタイヘイ牧場で供用され、ゴールデンウエーブダイゴホマレの2頭の東京優駿優勝馬を輩出するなど成功した。ニホンピローエース母の父でもある。

競走成績

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  • 1942年(4戦3勝)
    • 東京優駿競走(日本ダービー)、2着 - 横浜農林省賞典四歳呼馬(現:皐月賞)

主な産駒

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血統表

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ミナミホマレ血統(*印は海外産の日本輸入馬) (血統表の出典)[§ 1]
父系 ブランドフォード系
[§ 2]

*プリメロ
Primero
1931 鹿毛
父の父
Blandford
1919 黒鹿毛
Swynford John o'Gaunt
Canterbury Pilgrim
Blanche White Eagle
Black Cherry
父の母
Athasi
1917 鹿毛
Farasi Desmond
Molly Morgan
Athgreany Galloping Simon
Fairyland

フロリスト
1919 栗毛
*ガロン
Gallon
1909 栗毛
Gallinule Isonomy
Moorhen
Flair St.Frusquin
Glare
母の母
第四フロリースカツプ
1912 黒鹿毛
*インタグリオー
Intaglio
Childwick
Cameo
*フロリースカツプ
Florrie's Cup
Florizel
Stirrup Cup
母系(F-No.) フロリースカツプ(GB)系(FN:3-l) [§ 3]
5代内の近親交配 Gallinule 5×3=15.63%、St. Simon 5×5.5.5=12.50%、White Eagle・Lesterlin 4×5=9.38%
出典
  1. ^ [2]
  2. ^ [3]
  3. ^ [2]


  • 半兄ハクリユウ(父ラシデヤー)、ハクセツ(父シアンモア)、アカイシダケ、半姉スターカツプはいずれも帝室御賞典勝ち馬。

脚注

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  1. ^ 日本ダービー馬を産んだ最高齢の母は”. 競走馬のふるさと案内所. 2022年3月19日閲覧。
  2. ^ a b 血統情報:5代血統表|ミナミホマレ|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年3月19日閲覧。
  3. ^ ミナミホマレの血統表 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2022年3月19日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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