ダイゴホマレは、日本競走馬。第25回東京優駿(日本ダービー)優勝馬である。

ダイゴホマレ
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1955年4月28日
死没 不明(1985年8月用途変更
ミナミホマレ
トキフジ
母の父 トキノチカラ
生国 日本の旗 日本青森県三戸町
生産者 寺牛洋一
馬主 醍醐幸右衛門
調教師 天間三之助(大井
久保田金造中山
競走成績
生涯成績 24戦14勝
地方競馬8戦8勝)
中央競馬16戦6勝)
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馬生 編集

ゴールデンウエーブ以来2頭目の地方競馬出身の東京優駿優勝馬であり、父も同じミナミホマレであった。地方時代は8戦8勝。全日本三才優駿を制して中央競馬に移籍した。

中央初戦のオープン戦は2着に敗れたが、オープン戦、弥生賞スプリングステークスと3連勝。皐月賞は3着とし、東京優駿のトライアル競走であるNHK盃では、のちにクラシック三冠すべてで2着になるという珍記録を成し遂げるカツラシユウホウを下した。

東京優駿では1番人気こそNHK杯で破ったカツラシユウホウに譲ったが、ダイゴホマレはマイペースで逃げ、そのカツラシユウホウの追い上げをハナ差凌ぎきった(このときの鞍上・伊藤竹男騎手は初の昭和生まれのダービージョッキーとなった)。その後はオープン戦で1勝したが、大レースでは活躍することなく引退している。セントライト記念ノド鳴りが原因で惨敗した際には鞍上の境勝太郎騎手がたまらず「こんな馬がよくダービー勝てたね。」と発言するほどであった。

種牡馬としてはまったく振るわず、母の父としてマサイチモンジ(京都4歳特別)を出したにとどまっているが、オーナーに大切にされて長生きし、晩年まで産駒を送り出していた。今もごくわずかながらダイゴホマレの血を引く繁殖牝馬は残っている。

東京優駿でのエピソード 編集

前述の通り、東京優駿では最後の直線でカツラシユウホウとの叩き合いになったが、この時カツラシユウホウに騎乗していた蛯名武五郎は、ムチに手を伸ばした伊藤に「竹男、叩くな!押せ!」と言った逸話が残っている。蛯名は「(追い比べでは)ムチで叩いたほうは横へのわずかな反動だけ敗ける」と、馬をビッシリ追う時でもムチを使わない騎手であった。

この声を聴いたという渡辺正人(タイセイホープに騎乗し3着)は、「あのせり合いで(伊藤が)ムチを使っていたら──。おそらくハナ差は逆になっていたに違いない。敵に塩を送った名騎手・蛯名武五郎の騎手道だとぼくは思う」と述べている[1]

血統表 編集

ダイゴホマレ血統ブランドフォード系 / 5代までアウトブリード) (血統表の出典)

ミナミホマレ
1939 鹿毛
父の父
*プリメロ
Primero
1931 鹿毛
Blandford Swynford
Blanche
Athasi Farasi
Athgreany
父の母
フロリスト
1919 栗毛
*ガロン
Gallon
Gallinule
Flair
第四フロリースカツプ *インタグリオー
*フロリースカツプ

トキフジ
1946 鹿毛
トキノチカラ
1936 鹿毛
*トウルヌソル
Tournesol
Gainsborough
Soliste
*星谷
Secure
Purchase
Jura
母の母
ホンフジ
1936 鹿毛
*ルフエーヴル
Lefevre
Shetland
Light Heart
*マラルビ
Meralbi
Chantemerle
Gulabi F-No.C10


脚注 編集

出典
  1. ^ 渡辺正人『言えなかった競馬の本』株式会社青春出版社、1983年2月17日、132頁。 

外部リンク 編集