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ミリサフ・セミッツ(Milisav Semiz,1912年 - 1970年)

経歴編集

1912年、当時のセルビア王国に生まれる。第二次世界大戦が始まる頃には、ユーゴスラビア空軍のパイロットになっていた。4月戦争で活躍。 撃墜数は4機だが、エースパイロットとして区分されていることもある。

通常、エースパイロットは5機以上撃墜者が認定されるのだが、彼の場合は、ユーゴスラビア侵攻自体がわずか12日間で終わっているため、その間に4機撃墜という記録は、十分特筆に値する。(エーリッヒ・ハルトマンですら、最初の撃墜数を上げるのにひと月は掛っている。)

四月戦争時の愛機はIK-3だったが、ユーゴスラビアが降伏した後、捕虜収容所に送られた。何度か脱走を試みるが失敗し、終戦までパイロットに戻ることはなかった。

彼は、戦後、民間航空会社を設立。1970年に交通事故で他界した。

外部リンク編集