ヤブロネツ・ナド・ニソウ

ヤブロネツ・ナド・ニソウチェコ語: Jablonec nad Nisou [ˈjablonɛts ˈnad ɲɪsou] ( 音声ファイル)ドイツ語: Gablonz an der Neiße ガーブロンツ・アン・デア・ナイセ)は、チェコ共和国リベレツ州の都市。ボヘミア地方に属する。イゼラ山地のリゾート地、教育の中心、ガラスと宝飾品の生産地として知られている。「ナド・ニソウ」は、「ナイセ川(チェコ語ではニサ)河畔の」を意味する。

ヤブロネツ・ナド・ニソウ
ヤブロネツ・ナド・ニソウの市旗 ヤブロネツ・ナド・ニソウの市章
位置
ヤブロネツ・ナド・ニソウの位置の位置図
ヤブロネツ・ナド・ニソウの位置
座標 : 北緯50度43分28秒 東経15度10分05秒 / 北緯50.72444度 東経15.16806度 / 50.72444; 15.16806
行政
 チェコ
  リベレツ州の旗 リベレツ州
 郡 ヤブロネツ・ナド・ニソウ郡
ヤブロネツ・ナド・ニソウ
市長 Jiří Čeřovský [1]
地理
面積  
  域 31.39 km2
標高 475 m
人口
人口 (2008年現在)
  域 46,287人
    人口密度   892人/km2
公式ウェブサイト : www.mestojablonec.cz

歴史 編集

ヤブロネツの村は、14世紀にできた。初めて公文書に名前が記録されたのは1356年である。ヤブロネツとは『リンゴの木のある土地』という意味であった。1496年8月、村は、ボヘミア国王イジーと、ラウジッツ地方の自治体との戦いで、暴徒と化したラウジッツ側によって火を放たれた。18世紀、最初の人工宝石がつくられ、最初の輸出者J・F・シュヴァンの名はヨーロッパ中に広まった。ガブロンツの村は、1808年4月21日に神聖ローマ皇帝フランツ2世によって郡区に昇格され、1866年3月28日には、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世によって町とされた。

 
聖アンニ教会と町並み

19世紀、町は繁栄し富を得た。1870年から1871年にかけての普仏戦争が、ビジネスのためのガラスと人工宝石製造において、ガブロンツの貿易業者が外国市場を掴むよう、最も危険な競争を発展させた。ガラスの堅調な流れ、そして人工宝石が、続く60年間に信じられないほどの広い範囲の製品を町から生み出した。繁栄と富は、人口の増加とともに協力して歩んだ。しかしヤブロネツの状況は劇的に変化した。ガラスと宝石産業の深刻な衰退が、1929年の「ブラックフライデー」と1930年代の経済危機でもたらされた。1938年10月、ドイツ人住民が多数派を占めるズデーテンラントと呼ばれる地方にあったガブロンツは、 ミュンヘン会談後にヒトラーナチス・ドイツに奪われた。1945年以後、ドイツ人は追放で追われ、替わってチェコ人が入植し、市名をヤブロネツと改名した。ガブロンツから追われたドイツ人たちは、1945年以後、バイエルン州カウフボイレン近郊にあるノイガブロンツ(de:Neugablonz)、オーバーエスターライヒ州のエンス(Enns)の郡区をつくった。

現在 編集

ヤブロネツは、観光とスポーツの中心であり、サッカークラブのFKバウミト・ヤブロネツが本拠地を置いている。市内には水泳用プール、3箇所のサッカーと陸上競技スタジアム、アイスホッケー用アリーナ、13箇所のジム、16の運動場がある。1900年代、1920年代、1930年代からある現代建築がよく知られている。ヤブロネツ谷ダムは、ヨーロッパで最北にある、都市に含まれた谷のダムである。

ヤブロネツにはトラム路線があり、近郊のリベレツとつながっている(リベレツ市電)。

姉妹都市 編集

出身者 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集