ラニハイロ(Rainiharo、-1852年2月10日)は、マダガスカル島の中央高地にあったメリノ王国で、1833年から1852年まで首相を務めた人物である[2]

ラニハイロ
2nd マダガスカルの首相
任期
1833年 – 1852年2月10日
君主ラナヴァルナ2世
前任者アンドリアミハジャ
後任者ライニヴォニナヒトリニオニ
個人情報
生誕Ravoninahitriniarivo
マダガスカル
死没1852年10月18日
墓地Fasan-dRainiharo, Isoraka
配偶者Rabodomiarana
ラナヴァルナ1世
子供ライニヴォニナヒトリニオニ
ライニライアリヴニ
ラニハイロの墓は、アンタナナリボ近郊の、イソトリーイソラカを結ぶ道路沿いにある[1]

マダガスカル島中央高地で、メリナ人ホヴァの階級に、Ravoninahitriniarivoとして生まれた。父のAndriantsilavonandrianaは、アンヂアナンプイニメリナの顧問を務めていた。軍人として島の南東部の平定に功績をあげた後、彼は、1833年に1人目の夫を亡くしたラナヴァルナ1世の配偶者に選ばれ[3]、軍の最高司令官に昇進し、マダガスカル首相となった[3]。1853年に亡くなるまでこの役割を務め[1]、死後はジャン•ラボルドアンタナナリボの中心に建設した、特徴的な墓に埋葬された[4]。この墓には、後に、ラニハイロの2人の息子で各々軍の最高司令官と首相を引き継いだライニヴォニナヒトリニオニライニライアリヴニと各々の配偶者も埋葬された[3]

ラニハイロは、ロバート・マイケル・バランタインが著したThe Fugitivesで言及されている[5]

出典 編集

  1. ^ a b University of Southern California archive, accessed 15 August 2008
  2. ^ Non European Royalty, accessed 15 August 2008
  3. ^ a b c Madagascar prime ministers, rulers.org, accessed 15 August 2008
  4. ^ Tourist guide Archived 2013-01-03 at Archive.is, hotel-palissandre.com
  5. ^ The Fugitives Archived 2009-01-05 at the Wayback Machine., R.M.Ballantyne, athelstane.co.uk