ラーコーツィ・フェレンツ2世

ラーコーツィ家ハンガリー語:Rákóczi / Rákóczy)は、13世紀から18世紀まで続いたハンガリー貴族の家系。

歴史編集

一族に富と権力をもたらしたのは1607年にトランシルヴァニア公国の選挙君主となったラーコーツィ・ジグモンドである。17世紀の数十年間、ラーコーツィ家はハンガリー王国で最も裕福な上級貴族であった。一族中で最も有名なのは、反ハプスブルクを掲げたハンガリー独立戦争(1703年 - 1711年)の指導者となったラーコーツィ・フェレンツ2世である。フェレンツ2世は反乱中、ハンガリー王国等族連盟の統治首長(fejedelem)、およびトランシルヴァニア公に選ばれた。反乱が失敗に終わった後、ラーコーツィ家の膨大な財産は没収された。一族はフェレンツ2世の息子ジェルジ(hu:Rákóczi György (1701–1756))の死によって絶えた。

伝説的なサンジェルマン伯爵は、一部の人々からラーコーツィ・フェレンツ2世の息子だと信じられている。

その他編集

ビハリ・ヤーノシュによって作曲され、エクトル・ベルリオーズによって『ファウストの劫罰』に引用された「ラーコーツィ行進曲」は、一族の物語に言及している。この行進曲はフランツ・リストの「ハンガリー狂詩曲」第15番にも引用された。

主な人物編集

以下の人物が有名である。

系図編集

脚註編集

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参考文献編集

関連項目編集