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概要編集

第一次世界大戦末期、それまでドイツ帝国占領下にあったリトアニアに建国された。1918年2月16日、リトアニア評議会(タリーバ)はリトアニアの独立を宣言、ドイツは1918年3月23日に独立を承認した。

ドイツはドイツ皇帝ヴィルヘルム2世をリトアニアの君主とし、リトアニアとプロイセン人的同君連合によって結びつけようとした[1]。しかしカトリック教徒の多いリトアニアは、カトリックに好意的なドイツ人を君主に迎えるべきとして、人的同君連合計画を阻止しようとした[1]。1918年7月4日、リトアニア評議会はドイツ人貴族、ウラッハ公ヴィルヘルム2世への王位の提供を議決した[1]。しかしドイツ政府はこれを認めなかった[1]

ウラッハ公ヴィルヘルム2世は1918年7月13日、この申し出を受けミンダウガス2世に名を変えた。

ドイツの第一次世界大戦敗戦が決定的になると、リトアニア評議会は1918年11月2日、国王選挙を無効とした[2]。そして憲法を改定して共和制に改めた。これによりミンダウガス2世の短い治世は終わった。

脚注編集

参考文献編集

  • カセカンプ, アンドレス『バルト三国の歴史——エストニア・ラトヴィア・リトアニア 石器時代から現代まで』小森宏美、重松尚訳、明石書店〈世界歴史叢書〉、2014年。ISBN 9784750339870

関連項目編集

外部リンク編集