リュバニベラルーシ語: Любань)はベラルーシミンスク州の市である。リュバニ地区(ru)の行政中心地であり、市内をアレサ川(ru)が流れている。人口は2009年の時点で11256人[2]

リュバニ
Любань
座標 : 北緯52度46分55秒 東経28度03分09秒 / 北緯52.78194度 東経28.05250度 / 52.78194; 28.05250
歴史
年代記初出 1566年
1968年
行政
 ベラルーシ
  ミンスク州の旗 ミンスク州
 区 リュバニ地区
 市 リュバニ
人口
人口 (2016年現在)
  市域 11000[1]
その他
等時帯 FET (UTC+3)
郵便番号 223812
位置図
リュバニ (ミンスク州)の位置(ベラルーシ内)
リュバニ (ミンスク州)
リュバニ (ミンスク州) (ベラルーシ)
公式ウェブサイト : http://lyuban.minsk-region.by/en/

歴史 編集

年代記におけるリュバニの初出は1566年である。16世紀はスルスカス・オレリコ家(ru)の、17 - 18世紀はラジヴィウ家の、19世紀はヴィトゲンシュテイン家(ru)の所領となっていた。

1793年第2次ポーランド分割により帝政ロシア領となった。その翌年のコシチュシュコの蜂起(ru)に際して、1794年9月4日にリュバニ付近で激しい戦闘が行われた[注 1]

1808年、ミンスク・グベールニヤ(ru)のバブルイスク・ウエズド(ru)の一部に編成された[注 2]1897年の段階では766人がリュバニに住んでおり、うち732人がユダヤ人だった[3]。1890年 - 1907年に編成された『ブロックハウス・エフロン百科事典』には、「人口は1000人弱、夏にはサンクトペテルブルクから多くのダーチャ所有者が訪れる」と記されている[4]1924年7月17日にリュバニ地区となった。

第二次世界大戦が始まると、1941年7月から、1944年の7月30日までナチス・ドイツ軍の占領下に置かれた。

1968年に市制が敷かれ、現在に至る。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 人物についてはタデウシュ・コシチュシュコを参照されたし。
  2. ^ 地名に関してはミンスクバブルイスクを、行政単位に関してはグベールニヤウエズドを参照されたし。

出典 編集

  1. ^ Численность населения на 1 января 2016 г. и среднегодовая численность населения за 2015 год по Республике Беларусь в разрезе областей, районов, городов и поселков городского типа
  2. ^ национальный статистичесий комитет Республика Беларусь Archived 2013年7月30日, at the Wayback Machine.
  3. ^ Любань // Еврейская энциклопедия Брокгауза и Ефрона
  4. ^ Любань // Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона