ルイーゼ・フォン・プロイセン (1829-1901)

マリア・ルイーゼ・アンナ・フォン・プロイセン(Maria Luise Anna Prinzessin von Preußen, 1829年3月1日 - 1901年5月10日)は、ドイツプロイセンの王族、プロイセン王女。ヘッセン=フィリップスタール=バルヒフェルト方伯アレクシスに嫁した。

ルイーゼ・フォン・プロイセン
Luise von Preußen
プロイセン王女ルイーゼ(1860年)

全名 マリア・ルイーゼ・アンナ
出生 (1829-03-01) 1829年3月1日
ドイツ連邦
プロイセンの旗 プロイセン王国ベルリン
死去 (1901-05-10) 1901年5月10日(72歳没)
ドイツの旗 ドイツ帝国
プロイセンの旗 プロイセン王国フランクフルト・アム・マイン
埋葬 ドイツの旗 ドイツ帝国
プロイセンの旗 プロイセン王国ベルリン、聖ペトロ・聖パウロ教会
配偶者 ヘッセン=フィリップスタール=バルヒフェルト方伯アレクシス
家名 ホーエンツォレルン家
父親 プロイセン王子カール
母親 マリー・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ
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生涯 編集

プロイセン王子カールとその妻でザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・フリードリヒの娘であるマリーの間の第2子、長女として生まれた。1854年5月26日にシャルロッテンブルク宮殿において、ヘッセン=フィリップスタール=バルヒフェルト方伯家の当主アレクシスと結婚した。この婚姻は1861年3月6日に解消された[1]。2人の間に子供は無かった。

1873年、かつてヴュルテンベルク王太后パウリーネが隠居所としていた、ボーデン湖畔に建つモントフォルト城ドイツ語版を購入し、以後亡くなるまでこの城を夏の居館とした。死後、この城は甥のヘッセン公子フリードリヒ・カールの手で売却された。

引用・脚注 編集

  1. ^ Preußisches Jahrbuch, derde jaargang, Berlin 1863, p. 191