レフ・ザハーロヴィチ・メフリスロシア語: Лев Захарович Мехлис1889年1月1日 - 1953年2月13日)は、ソビエト連邦共産党の党員、ソ連の政治家、軍人(政治将校)。大将。国家監督相(1946年~1950年)。

レフ・メフリス
Лев Мехлис
生年月日 1889年1月1日
出生地 ロシア帝国の旗 ロシア帝国オデッサ
没年月日 (1953-02-13) 1953年2月13日(64歳没)
死没地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国旗 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
出身校 赤色教授大学ロシア語版
所属政党 ソビエト連邦共産党
サイン

ソビエト連邦の旗 国家監督大臣
内閣 ヴャチェスラフ・モロトフ内閣
ヨシフ・スターリン内閣
在任期間 1946年3月19日 - 1950年10月27日

プラウダ』編集長
在任期間 1930年 - 1937年
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経歴

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オデッサ出身。ユダヤ人

1918年からボリシェヴィキの党員となり、赤軍の政治業務に就く。1921年~1926年、労農監察人民委員部と党中央委員会で働く。1930年、赤色教授大学を卒業し、党中央委員会出版課主任となり、プラウダ紙の編集長となった。1934年から党中央委員会委員候補、1937年から中央委員。1937年~1940年、赤軍政治宣伝総局長兼副国防人民委員。1938年1月~1952年10月、党中央委員会組織局員。1940年~1941年、国家監督人民委員兼人民委員会議副議長。

1941年~1942年、労農赤軍政治総局長兼副国防人民委員。1942年から各軍、戦線及び沿カルパチア軍管区の軍事会議議員。

1946年、国家監督相となり、1950年、健康上の理由により退任した。第1期~第2期ソビエト連邦最高会議代議員。死後、クレムリンの壁に葬られた。